第16話 バイトNo.9 burden burden タウン誌のスタート②

 ある日、市場調査で編集長と私が歩いてると、綺麗な外国人の女の子を見かけて。編集長がナンパしてる最中に私は写真を撮って、帰り際、もしタウン誌が発刊したらアナタを表紙にしても良いか?と聞き、OKを貰った。


 当時は肖像権とかうるさくなかった時代で、普通に顔写真撮っても文句言われないそんな時代。


 この美少女の写真を、スクリーントーンで荒くしたものを印画紙で拡大し、パネル張りしたところ、部会議で全員OKされ、社長も許可が出てこの表紙デザインでスタートとなった。


 これで表紙はできた。

次は媒体資料として、数ページの企画資料があり、8ページ分の店の紹介ページがあり、中には無地のぺーじが挟まって、最後に広告枠と料金が入ったページが続き、例として表2、表3、表4には部長がすでに取ってある企業の広告が入れてあり、これで見本誌として発行0号の完成。


 ちなみに、この時の紙面構成は、

表1/表紙 写真とキャッチコピー、特集コピーとボディコピー。創刊号の文字。

表2/全面広告カラー

表2裏/縦に長い三分の一サイズの目次スペースと、三分の二サイズの広告枠。

後は中身が続き


表3/裏表紙の裏 全面広告を上下に半分づつの広告が入り

表4/裏表紙で全面広告。


中身の何も入ってないのがあるのは、束見本と言って実際にページ立てする時の枚数分を入れる必要があるから。


大きな紙を半分に折っていき、2/4/8/16/32/64と倍数になる。


これに、紙質を表紙と中身とを変えると表紙が4、中身が64で合計68になる。


紙質を変えなければ64でいける。



次は綴じ方。今回は平綴じにした。枚数もそう多くないので64プラスアルファ。



◇◇◇



次は書店への取り扱いに取り掛かる。

一般的に、書店への卸売りの契約が必要で、日販や通販などの大手は直ぐに取り扱いは無理で、結局、地図共販での取扱となった。


 初めての出版は公式2万部。実質15000部でのスタートでした。


 地図共販は少し特殊な取り扱いのため販売部数が少なくて、これではダメだということで、部長以下全員で、大阪、京都、神戸といういわゆる京阪神で地図共販では取り扱って無い店へ直接歩いて回って、小さな書店も直接契約をしました。


 この時、神戸の海遊堂さんでも取り扱いを依頼して取り扱ってもらいました。もう、行ったことのある店ならどこでも行きました。


 編集部に戻って、取り扱い報告をして、え?こんなとこよく行けたな〜。と驚かれたことも何度もありました。それだけ必死だったんですよね。



◇◇◇



 編集部の3台のホワイトボードには、京阪神の枠と、情報ページの地域割や件数などが書かれ、発行1号で使用する原稿が入れられた箱があり、そこへ溜めていき、毎週末の会議でどれを今号に入れて、外れたのは次号にするかを決め、残り必要な原稿を数えては再度、その地域に取材に行ったりして、スタートしてすでに6ヶ月経ってました。



 私に取って特に神戸は好きな街で、ほぼ毎日通ってましたので、神戸三ノ宮から異人館あたりまで知らない店が無いくらいになり、そのうちに仲良くなった異人館の店の方からパーティーに誘われて行くくらいになりました。


 異人館通りにあるカフェ・シノアという喫茶店で、シノアってチャイナの意味ですか?と聞いたのがきっかけで仲良くなったので、他にも異人館倶楽部のメンバーを教えてくれたり、随分世話になりました。



◇◇◇



 ようやく発刊した創刊号は、公称2万部、実際は15,000部。


 地図共販で取り扱ってもらった量が8,000部。と言っても売れ残る場合は買い取ってもらえないので、赤字になる。

 独自のルートで開拓した書店や売ってくれる店には車で運んで自分達で配った。


 編集部にはまだ売れてない創刊号が5000部ほど箱に積まれている。


 この時点で今ここに無い分が全て売れていればプラマイゼロ。


 かなり焦る編集部内。


 大きな書店でも幾つが取り扱いがあり、大阪梅田の紀伊國屋書店では最初はタウン誌のコーナーに少しだけだったのが、1週間後には最前列の平積みに。


 ぼちぼち在庫が無いと、電話が鳴り出す。


 毎週末に追加発送して編集部内の在庫も無くなり、自分用の記念に10部だけとっておきました。


 追加発注するかどうか編集部内でも議論した結果。追加発注はやめて、次回から定価100円で発刊することに。まあ、部長や編集長からすれば100円取れればすごいもんね。


 

◇◇◇



 翌月の第2号で100円での定価でも問題なく販売されて、皆、ホッとして、次の企画にプレゼントコーナーを作り、ハヤシさんのツテで森永から「おっとっと」など、社長のレストランのツテで三国商事というワインを箱ごと。他にも取材した先の店からプレゼントがいただき、これらもプレゼントコーナーで発送するようになりました。



◇◇◇



 ハヤシさんの知り合いで広告代理店をやってる人から外部の案件で、医師や病院への媒体を持ってるので、そちらとジョイント出来ないか?と言う事で、週に数回、こちらの仕事をしつつジムやスイミングプールの広告などを手伝い、編集部に在職中のまま(給料貰いつつ)出向となり、心斎橋のビル内の代理店で新たに仕事を始める。


 すでに編集部も人数が増えているので、バイトの管理は別の者に任せて、面白いと思える仕事に集中できると喜んでいた。


 その後、毎月発行し、5ヶ月で公称3万5千部、実質3万部までいって、このままここ(編集部と、代理店の両方)で就職するか?と思ってたところ、弟が父親と喧嘩して家を出たと言うアクシデントが発生し、緊急事態なので暫く帰れないと、家庭内の騒ぎを収めるのに時間がかかり、編集部や代理店にも就職を辞退して、地元のデザイン事務所に就職。


 と言う事でかなり面白かった生活もこれで最後。


 まあ、バイトの最後で面白い仕事にも会えたし、良かったと思います。



 これでバイトの話はこれで終わり。

 古い話なので、今とは時代が合わない事もあると思いますが、私にとっては良くも悪くも記憶として残ってます。これを書きながら、なんか甘酸っぱい気持ちになりました。キッカケを作ってくれた緋雪さんに感謝します。

  


End

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