君の気持ちに侵食される

藍ねず

君の気持ちに侵食される

 

 記生蟲きせいちゅうという病気がある。


 感染源も発症原因も不明の奇病であり、自覚症状のみによって発生が確認される。


 自覚症状は、自分のモノではない記憶が浮かぶこと。


 最初は夢の残り香のような淡い景色が頭に浮かぶようになり、日に日に鮮明さを増していく。時間と共に色は明度を上げ、その時に感じた質感や匂いまで体がのだ。


 まるで蟲が繊細な糸を吐くように記憶が紡がれ、何よりも大事に守られる。糸で巣を作る蟲のように、卵を糸で包む蟲のように、大事に大事に紡がれた記憶は自分のモノではないという奇怪を孕んでいる。


 だから、記生蟲きせいちゅう


 畏怖を纏った病名は誰もが知るものであり、発症例も少なくない。同時に、他者へ報告することを拒む患者が一定数いるのも事実。


 かく言う俺も、記生蟲きせいちゅうを黙って発症した一人なのだ。


「……ぅおえ、」


 目覚めた瞬間に頭痛がすると、その日一日は最悪になる気がする。額の奥が脈打つ血管と共に鈍痛を告げ、俺は布団にくるまった。


 痛む額を押さえながら目を閉じる。見えたのは瞼の裏の暗闇だが、すぐに景色が浮かんできた。


 焦点が合っているのは、わにの獣人。硬い鱗とでっかい口。ちょっと酔っているのか足元が覚束ない背中だ。大学生が集まって飲み会でもしていたのだろう。他の獣人と陽気に語らい、順々に帰路について離れていく。


 鰐は一人になった。近道なんだと思う。路地に入って、尻尾を引きずりながら歩いている。眠たく気が緩んでいるのがよく分かり、俺の指先が痙攣した。


 黒い手袋をつけた手が鰐の肩を掴む。振り返った鰐は完全に虚を突かれ、片手に持っていたナイフが――


「あ"ッ!!」


 喉の奥から吐き気がして布団を跳ねのける。体中に脂汗が浮かんでおり、じっとりとこめかみを流れる感覚もした。


 飛び起きた衝撃で頭痛が酷くなる。左目と額を手で押さえたが、目の奥では記憶がフラッシュバックした。


 俺のモノではない記憶。俺が知らない記憶。知らない場所、知らない誰か。知らない行為。


 それでも、俺は覚えてる。


 右手のナイフが抉った神経を、鼓膜に張り付いた悲鳴を。押さえつけた左手の下で鰐の柔らかい喉が跳ねている感触を。


 気持ち悪くて、真っすぐ歩けない。喉が渇いて仕方がない。壁にもたれかかりながら脱衣所に入ってシャワーを浴びるが、流してくれるのは汗だけだ。俺の知らない記憶は流してくれない。


 痛む頭で制服を着て、菓子パンとお茶を胃に入れてから頭痛薬を飲む。まだ誰も起きていないリビングのソファに倒れた俺は、朝のニュースをつけた。


「速報です。本日未明、路地裏で片目をなくした獣人の男性が保護されました。被害者は何者かに背後から襲われ、左目を盗られたと証言しています。命に別状はなく、容体は安定しているとのことです」


 頭の痛みが引いていく中、今度は耳が痛くなる。ざらついた泣き声が俺の鳩尾を締め付けて、また記憶がフラッシュバックした。


「同一犯によると思われる今回の事件、今月に入って三件目になります。先月、先々月と合わせると九件目。警察の操作は後手に回っていると市民から非難の声も聞かれますが、いかがでしょうか」


「そうですね、この犯人は恐らく――……」


 何かの肩書を持ったコメンテーターに嫌悪を抱く。お前誰だよ。他人がこの犯人を語ったところで、真意を知るのはそいつだけなのに。我が物顔で語るなんて、何様だろうか。


 効かせた冷房は寝不足の俺を優しく撫でて、身を潜めていた眠気が戻ってくる。テレビを切った俺は痛まなくなった目を閉じた。目覚めた時には病気が治っていればいいなんて、ありもしない願いを抱きながら。


 俺は、片目を抉る犯罪者の記憶を持っている。


 ***


 獣の遺伝子を持つ獣人と、遺伝子を持たない人間が共存する社会。割合的には七対三くらいなので、人間の方が少ない世界である。違和感など微塵もないが、半獣人ハーフは少し珍しいと思うかな。


 違いや不満はどちらの側からも日々上がるが、学校は意外と平和だと思う。人間に出来ないことを獣人がしてくれたり、獣人が出来ないことを人間が変わったり。社会はギスギスしても学校はそうでもないのだから、大人になるとは怖いことだ。学校で出せなかった不満を大人になって吐いていると考えたら、学校は学校で怖いけど。


 少なくとも俺は感じていないので、それでいい。


「見てみて~、簿記のテスト八十点だったわ~」


「裏切り者だ」


「零点に書き換えようぜ」


「処す」


「そんな恨まれることなんか~?」


 いつもつるんでいるクラスメイトは俺を含めて四人。俺以外はそれぞれ狐、蛇、虎の獣人だ。


 嬉しそうに報告してきた狐に対し、俺達は馬鹿な雰囲気を作る。蛇は恨めしそうに狐へ巻きつき、答案用紙を覗き込んでいた。


「げ、ほんとに八十点だコイツ」


「いや嘘つかねぇし~。お前はどうだったんだよ~」


「四十三点」


「笑う~」


 鼻で笑った狐が蛇に絞め上げられる。食物連鎖とかそういうことは知らないが、今なら蛇が狐を丸呑みに出来るのではなかろうか。


「俺は! 尻尾で電卓叩いてシャーペン持ってって! なにかと! 時間が! かかるんだよ!」


「分かった分かったごめんギブギブギブ~ッ!!」


「あーあーあー、あいつらまた……トラはテストどうだったよ」


「二点」


「なんで?」


「やるぞって意気込んで叩いたら、テスト中に電卓壊れた……」


 頭の丸い耳や長い縞模様の尾を垂らし、デカい体を小さくする虎。あまりにも不憫な理由に俺は天を仰ぎ、狐と蛇は噴き出して笑っていた。笑ってやるなよ。


「そりゃお前、意気込みすぎだわ~」


「ちゃんと専用の電卓だったんだろ?」


「でも壊れた……」


「先生もびっくりだ~」


 ゲラゲラ笑う狐と蛇に、虎はより耳を垂らす。図体はしっかりしてるのに、気が弱くて真面目な奴だ。俺は可哀想でならない友人の頭を撫で、獣人特有の毛の質感もこっそり堪能した。許せよ友。


 密かに顔を緩めていると、蛇の矛先が俺に向いた。


「お前はどうだったんだよ」


「俺は六十ぴったり」


「あ? 補習は?」


「五十九点以下だろ? 対象外だよ」


 両手を振って足を組む。信じられない者を見る目をした蛇と虎には悪いが、俺は狐側なのである。すまんな。


「こいつこそ真の裏切り者だった」


「処す」


「絞められろ絞められろ~」


「は⁉ 無理むり無理お前らに絞められたら死ぬマジで!」


 蛇に巻きつかれて虎には手首を掴まれる。一人腹を抱えて笑う狐には後でヘッドロックを決めると誓い、俺は赤い痣だらけになった。絞め跡と掴まれた跡は暫く消えないだろう。


「モテモテじゃ~ん。どっちとつき合う~?」


「ふっざけんなよ」


「分かったごめん悪かった首イタタタタ~ッ」


 馬鹿を言う狐の首に技を決め、騒がしい教室の隅で笑っている。蛇と虎も元々本気ではないし、俺も本気ではない。高得点を褒めて欲しかった狐の頭を順に撫で、耳を伏せた狐をまた笑った。


 馬鹿で、次の授業が終わればコロッと忘れるような風景。この騒がしさが霞んだ頃にふと思い出して、馬鹿だったなぁと未来の俺は笑うのだろう。


 そう思うのに、馬鹿に似つかわしくない記憶が俺にはある。


「そういえば、また片目抉られたんだって?」


「あぁ、ニュースでしてたな」


「怖いよなぁ~。あれ隣の地区じゃ~ん」


 友人達の会話で俺の動きが一瞬止まる。狐の首を離せば、自分の喉奥が締まっていた。別に俺は、何も悪いことなんてしてないのに。


「獣人の目ばっかりだろ~?」


「そうそ、猟奇的な奴だって言ってたな」


「連続殺傷事件、犯人は獣人に強い憎悪を抱いている! だっけ~」


「証拠残してないから計画的で、警察は被害者の関連を調べてるんじゃなかったか?」


「え、あれって無差別じゃねぇの?」


「いや、俺も知らねぇけど」


 三人がそれぞれに見聞きした情報を話す間、俺の掌には汗が浮いていた。飲みかけだった炭酸飲料の蓋を開けたいのに、何度か滑って手間取るくらいに。


 目を抉られる鰐が脳裏に浮かぶ。抜き取った目を食い入るように見ている記憶が、鮮明になる。


「……い、おいって」


 蛇の尻尾に叩かれて、俺の記憶が弾けて消える。顔を上げると、不思議そうな三人と目が合った。


 虎は明るい金色の瞳。蛇は深い緑色。狐の瞳はライトグレー。


 鳩尾の奥が、痛みを覚えて疼いている。


「大丈夫か?」


「あぁ、ごめん。俺も朝からそのニュース見てさ……ほんと、お前らも気を付けて欲しいなぁ、みたいな」


「なんだなんだ、突然の友情に感動させるな」


 蛇の目が細くなり、尻尾で何度も頭を叩かれる。俺はわざと声を出して笑い、虎は少しばかり真剣そうだった。


「確かに狙われてるの獣人ばっかだけど、人間は狙われねぇなんて保証もないだろ?」


「そーそ、お前も気を付けろよ~」


「だな、ありがと」


 気の置けない友人達に笑顔を見せる。綺麗な三色の瞳はそれぞれ弧を描き、学校から部活やバイトを禁止されたことについて話は変わっていった。事件のせいで、俺達の日常はちょっとだけ窮屈になったのだ。帰り道も寄り道するなって、小学生かってみんなで愚痴を言ったのはつい先日の記憶である。


 俺はペットボトルを両手で握る。よく動く三人の目を見ながら、ざらつく鳩尾の奥をどうやって無視するか頭は考えていた。


 ペットボトルの中で、炭酸の気泡が弾けている。


 ***


 記生蟲きせいちゅうは治ることのない病気であり、症状は緩やかに進行する。記憶を一時的に壊す術はあっても、再び巣が作られるように記憶は戻ってくる。丁寧に丁寧に編み込まれ、鮮明に、次は壊されないように、と。


 一つの記憶が完全に形成されたら、次の巣だ。再び朧げな糸を吐き、俺の記憶と誰かの記憶を繋いでいく。


 鰐の記憶が完成した直後に、俺は兎も襲ったのだと思い出した。


 鰐の瞳は原色のような黄色。兎は目が覚めるような赤い色。


 俺はそれを知っている。あの動物独特の瞳孔の鋭さも、それが手の中にある感触も、ぬるりと残った温かさも、知らない俺が知っている。


 記生蟲きせいちゅうは確かに俺の頭の中で、俺が知らない記憶を紡いでいる。記憶の間に入り込んで、糸に詰めた記憶をあたかも俺の記憶であるように張っている。


 そう、これは俺の記憶ではない。


 俺の頭の中にあって、鮮烈に思い出して、五感さえも覚えているのに、俺の記憶ではない。


 これは俺の思い出ではない。俺の行動ではない。俺は何も、やってない。


 だが、それを証明するにはどうしたらいいのだろうか。


 だって俺はこんなにも覚えている。鰐に触れた体温も、兎を見下ろした時の緊張も、目を抉った時の鳩尾のざらつきも。


 全部覚えている。思い出している。俺の中に記憶がある。


「この犯人は獣人憎悪の観点から事件を繰り返しているものだと思われます」


 ニュースでコメンテーターが語っている。掠りもしていない自論を吐いて、深く椅子に腰かけて。


 〈片目だけを抉るのは象徴的行動〉


 〈眼球の色に法則性があるんじゃないか?〉


 〈次に狙われるのは人間だよ。獣人しか狙わないってブラフ張ってる〉


 〈獣人憎悪とか言ってるけど、それって犯人は人間だって暗に決めつけてるよね。ムカつく〉


 〈みんなサングラスかけた方がいいって、防犯になるから!〉


 SNSに様々な意見が散乱する。誰も根拠なんてないくせに、それらしさを作って波紋を立てる。見当違いで的外れ、全員射的の腕は不合格。


 俺は知ってる。俺だけは知ってる。なぜなら俺は覚えているから。


 どうして目を抉るのか。どうして獣人ばかり狙うのか。どんな服装で、どうしてその手法を選んだのかも分かってる。


 俺ではない、俺ではないけど答えが出せる。この犯人について語りなさいというテストが出たら、俺は満点を取れる自信さえあった。


「おい、次移動だぞ~」


「ぇ、あ、おう、マジ、」


 教科書が脳天を叩いて肩が跳ねる。狐は「寝ぼけてんのか~?」と笑っており、ライトグレーの瞳が輝いていた。綺麗に綺麗に、光っていた。


 そう、綺麗なのだ。


 綺麗だから欲しくなる。美しいから自分のものにしたくなる。自分ならば手に出来ると自負するから、気持ちのままに手をかける。


 人間は黒や焦げ茶の者が多い。しかし獣人は多種多様な色を持ち、瞳孔の形だって独特である。それがまた瞳を彩るアクセントになり、ホルマリンに入れて飾ると映えるのだ。


 殺意も憎悪も存在しない。ただ欲しい。だから盗る。そして飾る。鬱屈した感情など存在せず、あるのは純粋な願望だけ。


 ――その目が欲しい。


 腹の奥から沸き起こる衝動が思考を鮮明にさせた。成功するように体を軽やかに動かした。


 俺の記憶が言っている。実行は夜。ナイフは使い勝手のいい小型の物。黒い上下に黒い合羽を着ておけば返り血も目立たない。黒い手袋も手洗いできる素材のもので、足音は殺せ。


 〈犯人は複数だろ。一人で犯行は無理だって〉


 〈犯人、獣人にいじめられてた説〉


 〈目はやっぱり食べてるのかなぁ、偏食主義者か?〉


 勝手な意見に苛立ちが募る。我が物顔で語る世間に舌打ちして、俺は黒い服に着替えていた。


 綺麗な目が欲しい。飾っていたい、見ていたい、その目に俺を映してほしい。


 本体はいらない。片目だけあればいい。眼球だけでいい。


 記憶が再び完成する。鰐、兎、次は山羊。瞳孔が良かった。


 家族が寝たのを確認して家を抜け出す。目指すなら飲み屋の多い通り。酒は意識を酩酊させる。


 黒い合羽を着て、フードを被って通りを見つめる。熱が籠って暑苦しいが、頭は冷たく冴えていた。


 董、空色、白に黄緑。多様な色を物色し、見つけたのは夕焼け色。


 一日の終わりに見れば安心するような、包み込む色。温かさを孕んだその目を持つのは、リスの獣人。


 軽く酔った足取りで、連れに別れを告げて一人になる。信号待ちには少し苛立ち、近道しようと路地に囁かれたようだ。このご時世に、自分には関係ないと高をくくったんだろうな。


 先回りしてリスが来るのを待つ間、心音が大きく激しくなっていく。逸る気持ちが暴れたい衝動を芽生えさせる。早く、早く、早くと、俺の心が焦ってる。


 あの目が欲しい、あの目が欲しい、あの目が欲しい。


 ざわざわと緊張で痛くなった鳩尾を握り締め、リスの足音を聞く。あと数歩、あとちょっと、もう少し。


 あぁ――今だ。


 俺の記憶が言っている。襲うタイミング、目の抉り方、最初に相手の喉を握力で潰す。


 全部知ってる俺が影から飛び出した時、リスは黒い合羽を着た奴に肩を掴まれていた。


 夕焼け色の瞳は既に後ろを振り返り、俺には後頭部しか見えない。


 合羽の奴は毛を逆立てたリスの喉を握力で潰した。そのまま無遠慮に押し倒し、細い切っ先を眼球と瞼の間に添える。無駄な動きはどこにもない。


 音もなく、呻きもないままリスの眼球が抉られた。


 眼底から溢れた血液にはガーゼを押し当て、包帯で両目を覆い、気絶したリスを路地に転がす。


 知ってる工程を目の前で見た。俺がする筈で、俺のモノになる予定だった夕焼け色は別の奴の保存容器に浮かんでいる。


 ホルマリンの中で、眼球は俺を見ていない。


「……返せよ」


 合羽をずらして目の前の奴を見据える。相手はこちらに顔を向け、鼻で笑ったのが分かった。


 俺の額が熱を帯びる。折り畳みナイフを開いて詰め寄れば、黒い手袋に口を塞がれた。


 騒ぐべきではないと、記憶が示す。被害者には意識があるから、無駄なことをしてはいけない。


 分かってる、分かってる、俺は全部、知っている。


 頭に上っていた血は一気に下がり、体はより暗い路地へと押しやられた。


 月の光が少しだけ射し込み、通りの灯りは一切届かない場所。そこで俺と黒い合羽は向かい合い、同じナイフを同時に閉じた。


「……その目、俺が狙ってたんだけど」


「残念、私が狙ってたのよ」


 初めて聞いた女の声に、頬が痙攣する。保存容器に浮いた眼球を撫でる手には優しさがあり、俺は無意識に奥歯を噛んでいた。


 女、いや、まだ少女と言っていい声の持ち主は、歌うように笑うのだ。


「貴方、記生蟲きせいちゅうの患者ね。しかも重症の」


「なにを、」


「今までとった目は何の獣人だった?」


 問いかけに俺の記憶が答えを弾き出す。俺の頭に絡みついた、夜の記憶。


「「鰐、兎、山羊」」


 発した声には高い声が重なった。肩を揺らして笑う少女のものだ。俺は咄嗟にこめかみを押さえ、痛み出した頭に苛立ってしまう。


 これは俺の記憶、じゃない、違う、俺のではない。知らないけど知ってるもので、俺は、まだ、でも、俺、俺は、


「君、勘違いしてるよ。私の記憶のせいで行動も、気持ちも操られちゃってる」


 微笑む少女に、思考が一度停止する。その間はおよそ数秒であり、すぐに青筋を浮かべた自覚があった。


 勘違い。


 俺の行動は、気持ちは、勘違い?


 綺麗な目が欲しい。綺麗な瞳に見て欲しい。腹の奥から湧き上がり、俺の頭に刻み込まれたこの感情。


 記憶は確かに俺ではない。俺ではないが、ならばこの感情も俺のモノではないなんて。


 そんなの嘘だ。


 記憶は俺のではなくても、感情は、感情だけは、俺のだろッ


「違う」


「違わないよ」


「いいや、違う、違うッ! 記憶は確かに俺のじゃねぇけど、でも、これは俺の気持ちで、俺が自分で考えて、目が綺麗で、欲しいから! ッ俺が、俺がやりたいって思ったから!!」


「いいや、それは私の記憶だ」


 フードを下ろした少女が一歩で俺との間合いを詰める。


 透き通るような黄色と青のオッドアイ。頭に三角の白い耳があり、しかし体は人間の女の子。


 あぁ、この子、半獣人ハーフか。


 理解する前に体が動く。衝動のままに求めてる。


 綺麗なその目が欲しいから。


 俺が、そう、思うから!


 突き出したナイフが少女のナイフとぶつかって、金属音が耳を撫でる。


 笑った少女は鋭く俺に膝蹴りを入れ、反射的に背中が丸まる。気持ち悪さが過ぎる前に前髪は掴まれて、俺の膝は地面についていた。


 目の前にしゃがんだ少女は、俺といくつも変わらないだろうに。


 記憶があって、思いがあっても、経験が違う。積み重ねが足りてない。


 そう思わされた俺を、少女は笑うばかりした。


「そんなに怒らないで。私も記生蟲きせいちゅうを患ってるんだ。私ではない誰かの記憶。誰かが獣人の目を綺麗で綺麗で堪らないと思った記憶。それに背中を押してもらったの」


 美しい少女の目元が朱色に染まる。白い肌に白い髪。そこに浮かんだ黄色と青の瞳を彩るように、彼女の肌を血液が巡る。


 保存容器が俺と少女の間に置かれた。俺が綺麗だと思って、欲しいと願った宝物。


「名前も顔も知らない人。その人の記憶が私の心を突き動かしたの。私だけじゃない。私はまだ四つしか目を集めてないもの。だから他にもいるわ。私達と同じように、記憶に絡めとられた同胞が」


 彼女の口から覗く歯は尖っていた。語る彼女の声は弾んでいた。


 俺は連続事件の件数を頭の中で数え、少女と視線を交差させる。彼女は俺の前髪を離し、頬に柔らかく触れられた。


「はじめまして、こんばんは。私達のきょうだい。綺麗な目が欲しくて、美しい瞳に見つめられたい衝動を持った人。私は貴方の気持ちが分かるし、他のきょうだいだって分かってくれる。貴方が私の気持ちを分かってくれたように」


 頭の中で糸が紡がれる。大きな巣が張り巡らされて、俺の記憶と混線する。


 繋いで、伸ばして、絡めとられて、出会えたのは大事な同胞。俺と同じ記憶を持ち、俺と同じ気持ちを孕んだ女の子。記憶という糸で繋がった、共感者。


 大事に浮かべた眼球は、俺達二人を映していた。


 ***


 今日も朝のニュースで連続殺傷事件が取り扱われていた。コメンテーターは変わっていたが、進展なんてしやしない。SNSには多くのデマが散乱し、サングラスが品薄で購入できないとか言っていた。その次は眼帯でも流行るのだろうか。馬鹿らしい。


 ため息を吐いた俺はいつも通り登校し、いつも通りのメンバーと挨拶を交わした。


「あ、なぁ知ってるか? 隣のクラスにユキヒョウの転校生がきたってよ」


「マジ~? めっずらし~」


「見に行ってみようぜ」


「おう」


 狐に肩を組まれ、蛇と虎も引きつれて、俺は隣のクラスを覗きに行く。そこには白い毛並みが綺麗なユキヒョウがいて、クラスメイトに囲まれていた。耳が少し下がっており、気さくな雰囲気が漂ってる奴だ。


「へぇ~、すげぇ綺麗な奴だな」


 狐に同意を求められ、俺は首を縦に振る。


 視線を戻した俺は、ユキヒョウの青藍の瞳を凝視した。


 自然と上がった口角は、俺の素直な感情だ。


「ほんと、綺麗だな」



――――――――――――――――――――


彼の気持ちは本物でしょうか。

彼の行動は彼が望んだのでしょうか。


少女と出会ってしまった少年は、今後どうしていくのでしょうね。


闇に紛れる彼らを見つけて下さって、ありがとうございました。


藍ねず

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