婚約破棄からはじまる文化で世界を征服する婦人と亡国の王の物語

藍条森也

婚約破棄からはじまる棘付きハッピーエンド第三段!

一の扉 未来の王妃は婚約破棄され、ただの婦人となる


 「いまこの場にて、お前との婚約を破棄する!」

 婚約者たる国王のその一言により、未来の王妃から単なる貴婦人となった女性は、決して毅然とした態度を崩すことなく、元婚約者の国王を見つめていた。

 「まったく。いつ見ても可愛げのない顔だ。余は以前から、余のことを見るお前の目が気に入らなかったのだ」

 「陛下。わたくしとの婚約破棄が陛下のお望みだと言うのであれば、臣たる身に否やはございません。従いましょう。ですが、これだけは言わせていただきます」

 「言わんでいい!」

 「いいえ。言わせていただきます。どうか、計画中の戦争だけはおやめくださいませ。あのような行為、誰のためにもなりません」

 「黙れ、黙れ、黙れ! きさまはいつもそうだ! そうやって、自分ばかりがすべてを分かっているような顔をして国王たる余に説教する! きさまはおれの母親か⁉ もうたくさんだ。仮にも婚約者であった身。立場だけは保証してやろうと思っていたがその気も失せた。いますぐこの国を出て行け! 地位も財産もすべてを没収する! 生命があるだけありがたいと思え。 だが、もし、明日までこの国にいたら、そのときはその生命まで失うことになるからな!」



二の扉 婚約者を追放した国王は世界征服の野望に燃える


 「ようやく、ご決心なされたのですね。陛下」

 「おお、そなたか。その通り。ようやくだ。まったく、余もよくぞいままで我慢したものだ。あのように口うるさい女、世にふたりといまい。いまさらながらに自分の忍耐強さに感心する」

 「まったくですわ、陛下。宮廷の奥深く、慎んでいるべき女の身でありながら、政治には口を出す、陛下には諫言する。まったく、何様のつもりだったのでしょう。あのような身の程知らず、陛下にはふさわしくありません」

 「そのとおり! 余こそは大陸を制覇し、世界の支配者となる英雄。その余にあんな偉ぶった女はふさわしくない。そなたのように健気で従順な、ひたすら尽くす女こそがふさわしい」

 「はい、陛下。わたくしは決して出しゃばらず、表に出ず、陰ながら陛下を支えつづけることを誓います」

 「よくぞ言った。それでこそ余の妃たるにふさわしい。明日にはそなたとの婚姻を発表しよう」

 「ああ、うれしいですわ。ありがとうございます、陛下」



三の扉 元未来の王妃はただの婦人となって新しい道を歩む


 ほんの少し前まで未来の王妃であった貴婦人、いや、いまやただの婦人となった女性は、着の身着のまま、王都から追放された。従うものはただ一頭のロバと、子供の頃から一緒にいた侍女、ただひとり。

 「これからどうなさるのですか、ご主人さま」

 「心配いらないわ。いい機会よ。前々から考えていたことを実行に移すわよ」

 「と、言いますと……」

 「そう。我が国にはマンガという、世界中から愛される文化がある。この文化をつかって『戦争のない世界』を築いてみせるわ」



四の扉 国王は得意の絶頂になる


 まさに、破竹の進軍だった。豊かな国力と国王自身の果断な指揮とによって、次々と隣国を併呑していった。財貨を奪い、資源を略奪することで、国王の国はかつてない繁栄を手に入れた。国民はもはや働く必要さえなかった。奴隷として連れ帰った他国の民がかわりに身を粉にして働いていたからだ。

 誰もが貴族のようだった。

 誰もが国王を讃えた。

 国王の名を連呼した。

 国王が王宮のバルコニーに出て手を振ると、熱狂した国民たちが一斉に沸き立った。

 国王はその様子に満足げにうなずく。その後ろには決して出しゃばることなく、常に控えめに従う王妃の姿。

 「ふん。何が『誰のためにもならない』だ。あの口うるさい女め。この光景を見てみるがいい。余は紛れもなく、戦争によってこの国を発展させたではないか。民を幸せにしたではないか。正しかったのは余の方なのだ」

 「はい。まさにその通りです、陛下。陛下こそが常にお正しいのです」

 「うむ。その通りだ。そのことがあの偉ぶった女には理解できなかったのだ。その点、そなたはいい。決して、偉ぶることなく、出しゃばらず、常に余を陰から支えてくれる。そなたこそ理想の王妃だ」

 「はい。わたくしの願いはただひとつ。常に陛下のお力となること。そのためならば生涯、陛下の陰でかまいません。自分が目立つことばかりを考えていたあの女狐とはちがいますわ」

 「よくぞ言った! そなたさえいてくれれば余は無敵だ。これからも、頼んだぞ」

 「はい、陛下」



五の扉 王妃は出しゃばることなく、人生を謳歌する


 王妃は自分の世界である王宮の奥深くに戻った。決して出しゃばることなく、国王の陰として過ごす彼女にとって、まさにこの地こそが世界。一歩、踏み込めばそこはまさに酒池肉林の宴。頭ほどもある肉の塊が幾つもいくつも木の枝からぶら下げられ、ワインと蜂蜜の川が流れる。そこにいるのは国中から集められた若き美男子たち。肌もあらわな格好で、王妃の気を引こうと自慢の肉体を披露している。

 「……今日もお言いつけ通り、手配いたしました」

 「けっこう。下がっていいわ。このことは決して陛下には知られないように。もし、知られるようなことがあったら……分かっているわね?」

 「はい。ですが……」

 「なに?」

 「いくら何でも毎日まいにち、このような豪勢な宴を開かれていては、さすがにいつまでも知られずにいるというわけには……」

 「そのための戦争でしょう。王宮をはなれて戦地に行っている限り、わたくしが何をしようと知られる心配はないわ」

 「ですが、これでは、いくら資産があっても足りませぬ」

 「足りないものは奪えばいい。陛下が戦争で勝利を収めている限り、財の心配など無用。ああ、陛下にはもっともっと戦争に励み、財を奪ってもらわなければ。そうなれば、わたくしのハーレムもますます充実するというものだわ」



六の扉 婦人とはじまりの工房


 国を追放された婦人は仲間と共に小さな工房を開いた。細々とマンガを制作し、販売する。それだけの小さな工房。この工房からいずれ、世界をかえる改革がはじまるなどとは誰が想像しただろう。



七の扉 陰りは国王の上に


 進軍の勢いは明らかに鈍っていた。開戦当初こそ不意打ちと言うこともあって次々と敵を撃破できた。しかし、近隣諸国も馬鹿ではない。相手が戦争を仕掛けてくるとなれば警戒する。戦術を研究もする。狙われた国同士、連携もする。進軍を食い止められ、撃破されることも増えてきた。国王は苛々と口にした。

 「ええい、身の程知らずの馬鹿どもめ。世界を制覇する英雄たる余に歯向かうとは」

 「いまだけですわ、いまだけ。あのような有象無象どもが蓋世の英雄たる陛下に敵うはずがありませんもの。すぐに身の程を知り、陛下に許しを請うことになりますわ」

 「おお、その通りだ。そなたさえいてくれれば余は無敵だ。これからも頼むぞ」

 「仰せのままに。陛下」



八の扉 王妃の楽しみは止まらない


 戦地での苦戦が増えるにつれ、国王自らが出陣する回数も増えた。それに伴い、王妃の秘密の宴はますます華やかさを増していく。いまや、国中の財の半分、と言われるほどの莫大な財が王妃の宴に注がれるようになっていた。

 「王妃さま! いくら何でもやり過ぎです! それでなくても戦費圧迫の折、このようなことをつづけていては国が傾きますぞ!」

 「それがなに?」

 「なに……⁉」

 「国が傾く? だから、なに? わたくしがささやかな老後を過ごす程度の財が残らないはずはないでしょう。無用の心配よ」



九の扉 婦人の意思は試練を越える


 婦人の開いた工房は決して順風満帆ではなかった。創作に対する姿勢のちがいから揉めることもあった。意見を異にして仲間が去って行くこともあった。盗賊に狙われ、火事に遭い、すべてを失うこともあった。それでも、婦人は揺らぐことのない意思を示して語った。

 「さあ、もう一度はじめましょう。この工房から世界をかえる改革ははじまるのだから」



一〇の扉 国王は王妃の優しさに涙する


 ついに、無敵であった国王が負けた。連合軍の奇襲の前に散々に打ち破られ、国王自身も負傷して、どうにか帰国できたという有り様だった。国民もかつての勢いが失われたことを感じ取り、将来への不安を口にするようになった。国王に対する陰口も頻繁に聞かれるようになった。そんななか、王妃ただひとりだけは国王を責めず、なじらず、陰口すらも叩かず、献身的に看護した。その姿は余の人々にとってまさに、この上ない愛の姿だった。

 「……おお、すまぬな。ふがいなくも敗れた余にこうも尽くしてくれて。余が醜態をさらしても決して見捨てず、かわることのない態度で接してくれるのはそなただけだ」

 「何を仰るのです、陛下。王妃として当然のことですわ。それよりも早く良くなってくださいませ。国中の兵士が陛下のご帰還を心待ちにしておりますわ」

 「おお、その通りだ。余はそなたに約束するぞ。必ずやすべての国を征服しつくし、世界を支配する皇帝となると。そして、そなたは史上最大の皇紀となるのだ」

 「身に過ぎた待遇ですわ、陛下。わたくしの望みはただひとつ。陛下が蓋世の英雄として歴史に名を残すこと。ただ、それだけ。そのためならばわたくしの名など、いつ忘れ去られても構いませぬ」

 「おお、嬉しいぞ、王妃よ。そなたさえいてくれれば余は無敵だ。これからも余を支えてくれ」

 「もちろんですわ、陛下」



一一の扉 王妃はひとり、本音を漏らす


 「……冗談ではないわ。さっさと治って戦場に戻ってもらわないと。いつまでも王宮にいられてはせっかくの宴も、わたしの部屋でぐらいしかできないじゃない。わたしはもっともっと華やかな宴を開きたいのよ」



一二の扉 婦人は世界を相手に商売する


 婦人の開いた工房は数知れない試練を乗り越え、驚異の発展を遂げていた。ほんの数名の仲間たちからはじまった小さな工房はいまや、世界中に何万という参加者をもつ一大コミュニティと化していた。いまや婦人のもとには膨大な富が集まるようになった。その冨を前に婦人はひとり、うなずいた。

 「さあ、いよいよはじまるわ。世界をかえる取り組みが」



一三の扉 落日は戻らない


 世界の支配者となるべく、国王は必死に奮闘した。しかし、傾いた陽は二度と昇ることはなかった。連敗に次ぐ連敗。領土を奪うどころか、祖国の防衛すらできず、頻繁に他国軍の侵入を許す有り様だった。それに伴い、奴隷として連れてこられた人々が各所で暴動を起こしはじめた。反逆を鎮めるべく、国王は徹底した弾圧策に出た。それがますます反発を呼び、さらに大きな暴動を招いた。国王の弾圧はさらに残酷さを増していく。そうするとさすがに、もともとの民のなかにも国王の残酷さに怒り、他国の民に協力するものたちが現れはじめた。

 国はもはや風前の灯火だった。



一四の扉 王妃は意外と冷静、のんびり


 「やれやれ、あの男ももう少しやるかと思っていたのだけど。ここまでかしらね。まあいいわ。それなりに楽しませてもらったものね。後はさっさと逃げ出すことね」



一五の扉 婦人は世界に呼びかける


 「戦火に追われる人はマンガを読んではくれません。今日の食べ物にも事欠く人は娯楽のためにお金を使ったりはしません。わたしたちにとっては平和で豊かな暮らしを送る人々こそが財産。平和で豊かな暮らしを送る人がいればいるほど、わたしたち娯楽産業は栄えるのです。娯楽産業に関わる皆さん。わたしたち自身の繁栄のため、平和で豊かな暮らしを送る人々を増やしましょう」

 婦人のその呼びかけに、娯楽産業に関わる世界中の人間が共感した。無数の人間が婦人のもとに集まり、ひとつとなった。もはや、その冨と影響力とは地上のどんな国も及ばないものとなった。いまや、婦人こそが世界を統べる皇帝だった。



一六の扉 マンガで世界を征服した婦人


 婦人の率いる娯楽産業の一団はついに世界を征服した。その比類なき冨と影響力とによって。そして、世界から戦争は消え去った。何と言っても娯楽産業にとって戦争こそ最大の敵。その娯楽産業が世界を制したいま、戦争など起こせるはずもなかった。

 戦争のない世界を築く。

 婦人の願いは叶えられた。しかし――。

 婦人にはまだひとつ、やらなければならないことがあった。



最後の扉 大団円。ただし、棘あり。


 婦人は戻ってきた。自分の生まれ育った国、かつて、婚約者であった国王によって追放された国へと。国王は婦人の前へと引き出された。あのときとは逆だった。いまや、婦人こそが主人であり、国王は哀れな虜囚に過ぎなかった。

 「久し振りですね」

 「……お前」

 抜け目のない王妃はとっくにありったけの宝石と、もっともお気に入りの愛人一ダースばかりを引き連れて行方をくらませていた。国王はたったひとり、かつての婚約者と相対したのだ。

 「あなたはたしかにわたしのかつての婚約者。ですが、あなたは自分ひとりの野心のために戦争を起こし、大乱世を招いた。そのために一体、どれほどの死ななくていい人が死んだことか。わたしはあなたの罪を決して許すことはできません」

 そして、国王は処刑された。一度は追放したかつての婚約者の手によって。

 すべてをやり遂げた婦人は、自らが望み、作りあげた『戦争のない世界』で幸福な暮らしを送っていた。その側には幼少の頃からかわることなく、ひとりの侍女が付き従っていた。

 「やり遂げましたね、ご主人さま」

 「ええ、ありがとう。やはり、いいものね。子供たちが何の心配もなく笑っていられる世界というものは」

 「はい」

 「でも……」

 完璧な幸福を得たはずの婦人の顔に、一条の後悔が落ちた。

 「……本当はもっとうまくやれるはずだった。わたしに覚悟さえあれば。いつでも出奔して計画に取りかかる準備は出来ていたのに。あの人が野心をあきらめるはずがないことも分かっていたのに。それなのにわたしは『婚約者だから』と遠慮してしまった。その結果があの大乱世。わたしに責任がないとは言えないわ」

 望みを叶えた夫人のつかんだ大いなる幸せ。でも、そこには一本の小さな棘が刺さっていたのだった。

                     終

 

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