愛を求める捕食者

海沈生物

第1話

 男は両親から「気持ち悪い」と言われて捨てられた。拾われた孤児院からも「お前は普通じゃなさすぎる」と言われて追い出された。しかも、今は真冬の異常な猛吹雪の中である。精神的に異常と認識された男であっても、猛吹雪の中にいればいずれは凍死してしまう。

 やがて寒さで身体が言うことを効かなくなり、その場で倒れた。誰にも「愛」されないまま、このまま野垂れ死んでしまうかと思った。「もう俺に愛を与えてくれる相手などいないのだろうか」と男は絶望していた。男の上にはシンシンと雪が降り積もる。異常な猛吹雪の中に埋もれていく。意識が薄れていく。そんな時だった。


 雪の中から拾いあげられたかと思うと、その真っ黒で巨大な生物が男を拾い上げてくれた。いや、。まるで見計らったように空を覆っていた雲が一部分だけ晴れていて、そこから普段は見ることができない皆既日食が見えていた。その皆既日食とその巨大な生物が重なって、男にはまるで「神」のように思えた。

 その巨大な生物は口から垂れた触覚のようなものを男のお腹に触れさせると、ふふっと微笑みの声を漏らした。


「私ハオ前ヲ助ケテヤル。ダカラ、オ前ヲ食ベサセロ」


 その一言は男にとって、初めて「気持ち悪い」や「普通じゃない」以外に自分が向けられた言葉だった。男はまるで本当にその生物を神であるかのように感じはじめると、喉の奥から言葉が吐き出される。


「は、はい!」


 巨大な生物は頭を縦に振ると、死にかけていた男を背中の上に乗せてくれる。そこはとても温かくて、優しくて、初めて自分のいていい「居場所」であるように感じた。それが例え一時のものであったとしても、男は良かった。ただ今という瞬間だけでも、その生物からの「愛」が与えられているのだという事実さえあれば、それだけで良かった。


 男は温かい巣の中に入れられると、その蟻のような生き物が口から吐き出した白い糸によってグルグル巻きにされた。そんなことをしなくても逃げるつもりはないと思ったが、変に口答えして「愛」を失うのも嫌だったので口をつぐんだ。

 床に転がったままお湯を沸かしているその生物を眺める。その生き物は漆黒の四足歩行の生物で、男の三倍ほどの巨大な生物だった。頭からは二本の触覚が生えていて、その下にはクワガタみたいな触覚と犬歯の生えた口が見えていた。その歯を時折擦り合わせて威嚇するような動作を取っているのを見ると、つい男の身体には心地よい緊張と興奮が走った。


 お湯が湧くと、その生物が男に近付いてきた。ついに食べてもらえるのか。首を食い千切って、無惨で粗野な食べ方をしてもらえるのか。男は「興奮」を抑えきれずにいた。しかし、なぜか捕食者から沸かしたお湯を飲むと「溜息」をついてきた。


「ナゼ食ベラレルコトニ対シテ興奮シテイルノダ? 正直、死ヌホド


「気持ち悪い、って……そんな……そんな早速俺の地雷を踏んでくることなんてあるんですか!? 撤回してください!」


「ウルサイ……別ニ今カラ食ベラレルノダカラ、ソンナドウデモイイコトニ対シテ怒ッテイル場合デハナイダロ。モット、普通ニ恐怖ニ泣キ叫ベヨ」


「泣き叫びませんよ! むしろ、メタ的に捉えるのなら興奮するシチュエーションじゃないですか? だって、今から人間じゃない貴方に食べられるんですよ? 突然気の良い隣人だと思っていた人間から殺されかけたり、一緒に手を組んでスラムを生きていた仲間全員から殺されかけたり、孤児院で真夜中に首を絞められて殺されかけるわけじゃなく、人間以外の生き物から殺してもらえるんですよ!? 興奮しないわけないじゃないですか!」


 その生物は理解しがたい生物を見るような目で男を見ると、その干しぶどうみたいな頭を横に振った。どういう意味なのか男が分かりかねていると、突然その生物の口が男に近付けられる。


「分カラナイ。理解デキナイ。……デモ、モウイイ! 食ベテシマエバ、悩ム意味モナイ、ドウデモ良イ話ダ!」


 そう叫んだかと思うと、タコ糸のように細い両手に男の身体を抑え付けてくる。そのことに対して男が「興奮」していると、そのままその生物の歯が男の首筋に刺された。激痛に思わず男が「愛」を感じて「絶頂」させられた時のような声を漏らすと、嚙まれた首筋からぷしゅ、ぷしゅぅと血が噴き出してきた。

 自分のことなのに他人事のように思いながら、このシチュエーションに対する異様な「興奮」を男は感じていた。思わず絶頂してしまいそうだ、と冗談を思った。

 しばらくすると、段々と痛みで意識が暗闇に落ちそうになってきた。気を抜けば意識を失ってそのまま失血死で死んでしまいそうだった。それをどうにか男は「愛」の力で耐えた。まだ死ぬわけにはいかない。せめてあともう一回、あの食べてもらえる感触に「愛」を感じ、「絶頂」してから死にたいと男は思った。死にかけた身体をなんとか起こすと、想像を絶する痛みを気付け薬にして、男はその生物の方を向いた。


「なぁ……どうせだか……ら……さ。このまま……一口で……頭を食べてしま……ってくれ……食いちぎ……って……そのまま……脳……ごと……歯で嚙み砕いて……しまってくれ……よ……」


「死ヌ前ニソンナオ前ノ”性癖”ヲ開示シテクルナ! ソモソモ、イクラ俺ガデカイカラトイッテ、一口デ頭ヲ食ベルコトガ出来ルワケナイダロ!」


「そう……なのか?」


「ソウダ。人間ダッテ、”人間ヨリ小サイ鯛ノ頭ヲ一口デ喰い千切レ!”ト言ワレテモ難シイダロ? ソレト同ジダ」


 その生物は男の返答を待たなかった。「質問に答えたんだしもういいだろ」とでも言うような勢いで男の首を噛み切った。激痛に震えながらも、それを「愛」として男は認識していた。人生最大の「快感」として認識していた。苦痛に顔を歪ませるのではなく、むしろ喜びにむせび泣いていた。

 ころりんと地面に男の首が転がると、首のない男自身の身体が見える場所で首は止まった。その場所からはちょうど、切り口の部分の断面図が見えた。その断面図にはまだ血管や肉が蠢いていて、自分の身体であったはずなのに自分ではないものを見ているように感じた。

 そんな男の首を細い腕で拾いあげると、その生物は顔を見合わせてきた。何やら変な顔をしていたが、やがてその鋭い歯で嚙み切ってくれる。もう痛みを感じる神経が死んでいるので、痛みという「愛」を感じることはできない。それでも良かった。その男の人生の中で、その瞬間が最も「幸福」な瞬間であると思った。男は心の中で微笑むと、その生物の両手の中で短い人生を終えた。



# # #



 その捕食者は気持ちの悪い男を頭まで食べ終わると、奇妙な感覚に襲われた。最初はその感覚をただの気のせいだと思っていた。だが、段々と理解して来た。その捕食者の心の中に、その「変な男」に対する「訳の分からない感情」が生まれた。それは

所謂「愛」というものであることまでは感覚的に理解していたが、その詳細までは捕食者には分からなかった。


 どうしてそんな感情が発生したのかと捕食者は考えた。とりあえず、その原因は「男を食べた」ことではない。変な男ではあったが麻薬を常習していたわけでもなさそうな目はしていなかった。――――むしろ、していてくれた方があの異常な”性癖”だって理解できたとは思うが――――ともかく、あの男を食べたことは関係ない。

 それでは何が原因なのかと言えば、おそらくあの変な男と「会話」したことなのではないかと思う。


 その捕食者は生まれ持っての「捕食者」だった。食べられる側のことなど一度も考えたことがないほどに強い部族の生まれで、その中でも「最強」と謳われた捕食者が彼だった。そんな彼なので、今までは捕えた人間がどんな悲鳴を上げたとしても一度として聞いたことがなかった。悲鳴はただ無視をするもので、ひたすらに生きるために食事をしていた。つまり、一度も「人間」と会話をしたことがなかったのだ。


 それなのに、そんな彼がただの捕食対象である人間に対して、暫しの間であっても耳を傾けてしまった。そのせいで、彼は「あの変な男」に対して「訳の分からない感情」を抱いてしまったのだ。それはまだ定義されていない感情である。友情かもしれないし恋愛的感情かもしれない。あるいは、他の知らない「愛」なのかもしれない。

 ただ、それが認識すらしてなかった「あの男」との「会話」から与えられたものであることだけは、確かな事実だった。この感情の「正体」は果たして、一体何なのか。迷える子羊と化した捕食者はその「愛」の「正体」を探ることに決めた。


 とはいえ、捕食者は巨大な生物である。普通に人間の世界にお邪魔してしまえば、危険な生物として駆逐されて死ぬことが目に見えている。そこで捕食者の巣近くにある近くの孤児院に足を運ぶことにした。ここには人間が何人か住んでいて、時々小腹が空いた時にはバレないように三、四人ほど誘拐して「おやつ」にしていた。結構な頻度で子どもを補充してくているおかげか、「おやつ」に困らなくて助かっていた。捕食者がその巨大な身体を走らせて近付くと、中から皺だらけの人間が出てきた。その人間はこの孤児院の院長だった。


 ここまで完熟してしまった人間はあまりおいしくないので食べるつもりはない。それに、こいつはこの施設の中に子どもを補充してくれていた。「会話」したことは一度もないが、とても良い人間である。いつか死んで用無しになった暁には、特別にフライ揚げにして食べてあげようかと捕食者は考えている。


 そんな院長は手と足を震わせると、捕食者の顔を見てきた。


「よ、ようこそいらっしゃいました! ほ、本日はど、どうなされたのでしょうか? 子どもの増量ですか? そ、それとも何か他にご要望が……?」


「チョット人間ニ聞キタイコトガアッテ来タダケダ。少シ人間トイウモノニ対シテ知リタクナッテネ。特ニ……”愛”トイウモノニツイテ」


 初めて言語を話したことに対して明らかに動揺していた顔の院長を他所に、触手の先っぽでツンツンしてやると身体を可愛いく震わせた。


「わ、私は! ……そうですね。今ここで飼育している子どもたちに対して”愛”を持っていません。ですが、ここにいる孤児たちとは別に”愛”している娘と妻がいます」


「人間ノ”家族”トイウヤツカ。ダガ、ココニイル”子ドモタチ”トオマエノ大切ニシテイル"家族"ハドチラモ同ジ人間ダ。ドウシテ同ジ人間ナノニ、向ケル”愛”ノ重サガ違ウノダ?」


「ち、違いますよ。私は孤児を同じ人間であるとしていません。貴方様のお食事の一つであると認識していますし、あるいは貴方様以外の金を持った人間へと売り飛ばす商売道具だと認識しています。ですが、私は子どもや妻に対しては愛を認識しています。し、商売道具にするなんて残虐非道なこと、できるわけがないと認識しています。だ、だからなんです……はい……いかがでしょうか?」


 そう言われてみると、捕食者にもその「認識の重みの違い」というものに覚えがあった。それはあの変な男に対しての「感情」である。あの男との「会話」が捕食者の認識の重みを変えた。だから、今捕食者は「感情」の「正体」について苛まれている。まぁその男は既に胃の中で消化してしまったのだが、ともかく。


 孤児院の院長にお礼を言うと、ついでに一人だけおやつとして連れて行かせてもらうことにした。その代わり、院長には「なんか面倒な人間が来た時には皆殺しにしてあげよう」と「契約」を結んであげた。いつも食べさせてもらっているのだから、このぐらいのお礼はしてあげても良いだろうと捕食者は思った。


 それで、捕食者が連れて行くことにしたのは髪がぼさぼさの病んだ顔色をした男だった。やけに「この触手なんですか!?」とか「四足歩行って大変じゃないですか!?」とうるさく聞いてくる点では、あの男に匹敵する「変な男」だと捕食者は思っていた。「おやつ」なのでもう数分後には食べてしまう存在ではあるが、同じ「変な男」なのだから、あの男のように他の人間とは違う「得体の知れない感情」について何か知っているかもしれない。捕食者は顔色の悪い男の顔を見る。


「オマエハ……ソウダナ。オ前ハ”愛”シテイル人間トイウモノヲ”認識”シテイルノカ?」


「認識して……えっと、つまり”愛している人がいるのか?”ってことですよね? そう、ですね……人じゃないけど、僕はぬいぐるみを愛してます。孤児院に置いてきちゃったけど、僕は熊のぬいぐるみを愛しているんです。だから、この”お散歩”が終わってあげたら、抱きしめてあげたいなーと思っています!」


「……ソウナンダナ。デモ、オ前ハ人間ダ。人間ハ同族……同ジ人間ヲ愛スルノガ普通ナンジャナイノカ?」


「うーん、でも”普通”って”退屈”じゃないですか? ”普通”って理解のできてしまう範囲で暮らすということですし。僕がぬいぐるみを愛しているのは、それが”普通”じゃないって分かっているからです。どうして”愛”しているのか理解ができないけど、その”変”な感覚が気持ち悪くて最高なんです! 変であることって多分、とても幸せなことなんです、きっと!」


 捕食者は少し考えるような動作を取ると、その男を細い両腕で押し倒した。何をされているのか分からないと首を傾げている男の首を噛むと、「いや、いや!」とありふれた普通の悲鳴を上げた。いつもと同じ、無視できるようなものである。もしゃもしゃと食べながら思う。

 あの変な男に対して「愛」という「感情」を抱いている。その「正体」はまだ分からない。それでも、良いかと思った。今食べているこの男も言っていたが、この感情は気持ち悪い。それでも、その感情を認識できていなかった頃よりは、とても楽しい。ただの生きていくだけの世界が、その「変」な「愛」によって「最高」になった。世界が、何か生きる以上の意味があるものに思えた。

 この「愛」という感情はいつ冷めてしまうか分からない。明日、突然冷めてしまうかもしれない。それでも、少なくとも今という瞬間が捕食者の人生にとって、最も「幸福」な瞬間であると思った。それはもう二度と会うことがないであろうほど変を極めた、あの男のおかげである、と。あれほどに変を極めた男に出会うことはもうないだろうと思った。

 捕食者はは心の中で微笑むと、最後の一口を口の中に放り込んだ。空を見上げると、とっくに皆既日食は終わっていて、もう普通にありふれた満月になっていた。

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