創作探偵麻倉こより 河童殺し

和田島イサキ

探偵、河童により死す

 この探偵、いま小声で「占いは得意な方なので」って言ったか?

 そのひとつ前、「当ててみせます」と啖呵を切ったところまではよかった。格好よかったし、正直言ってちょっとドキッとした。美人だ。黙ってさえいれば大変魅力的というか、見た目は確かに探偵然としているのだ、この先輩は。

 すらりと高いうわぜいに、サラサラの黒髪ロングが違和感なく似合う。知的で冷静で物静かで、どこかミステリアスな雰囲気の優等生。そんな初見の印象を、でもただ口を開いただけで全部ぶち壊しにしてしまえる、そんな人間を僕は彼女の他に知らない。

 先輩は言う。なるほど、失せ物探しですね? と。

 僕は答える。違います、害獣駆除の依頼です、と。

 その先は簡単だった。彼女、自称名探偵であるところのあさくらこより先輩は、僕の目を真っ直ぐ見つめてひとこと、

「そうとも言いますね」

 フッ、と柔らかく相好を崩して、その瞬間僕は理解する。

 ——この探偵、この笑顔で全部押し通すつもりだ、と。



§



 なんか体育館の近くに河童かっぱの巣があるんですけど、と、そう黒田さんが泣きついてきたのがつい昨日のこと。

 ここあい高校に入学してから約ふた月、ようやく慣れてきた矢先の出来事だった。黒田さんというのは隣のクラスの女子で、あと実は中学から一緒だったとのこと、なのに初めての会話が河童の巣の話題になるとか、夢にも思わなかったけどそこはいい。

 ——大変だった。

 思った以上に、この、思い込みの激しい女子の相手をする、というのは。

 何を言っても聞いてもらえないし、こちらの知りたいことにも答えてくれない。ひたすら「怖くて部活に集中できないから河童を殺して」の一点張りで、こうなった以上はもう仕様がない。

 ——殺す。

 河童を。できれば、その巣ごと。もちろん、そうしなきゃいけない義理はない。でも、だからって素気無く断るのも、それはそれでなんかつまんないな、って思った。


「なるほど。要するに、女の子に頼られたのが存外に嬉しかった、と」


 こより先輩の名推理。否定はできない。なるほど伊達に名探偵は名乗ってないなと、本当ならそう舌を巻いていたはずの場面だ。そうならなかったのは簡単な話、この身も蓋もない正解よりも前、


「……えっ? いやあの、待ってください。人間です。私。河童などでは、断じて」


 そう狼狽え出すばかりか「何か証拠でもあるんですか証拠でも」と、もう絶対に探偵の言わない台詞を吐いたからだ。犯人すぎる。追い詰められた。終盤の。

 正直、河童なんて別にどうでもいい。僕の興味は最初からひとつ。

 ——この人、なんで名探偵なんて自称してるんだろう?

 素養があってのことならまだわかる。でも、どう見ても向いてない。だってこの人初手から占いに頼って、しかもかすりもしなかった。終わりだ。もう何ひとつ褒められたところがない。


「待ってください。これでも私、失せ物探しなら本当に実績が——っていうか、なんなんですか〝河童の巣〟って。そっちの方が不合理じゃないですか。反則です」


 気持ちはわかる。そして実績もまあ嘘じゃない。ただ、実際のところそれこそ反則というか、少なくとも彼女の探偵としての才を示す材料にはならない。

 ただの偶然。もともと部室が遺失物置き場だった、というだけのこと。

 体育館のステージ下、狭い通路の奥も奥。格子付きの小窓が少しある程度の、薄暗くてかび臭いコンクリートの小部屋。去年まではちゃんとした部室があったんですけど、と、それは当のこより先輩から聞いた話だ。

 僕と先輩、総勢二名の文芸部。

 部員数の不足により同好会へと格下げされて、そのせいで取り上げられた部室の代わりに、温情的措置として割り当ててもらった物置部屋。今ではただの粗大ゴミ置き場で、そのおかげか廃品という廃品が山と積まれている。おかげでいろんな遺失物またはその代替になりそうな何かが、初めからいくらでも転がっているってオチだ。


「それを、なんですか。河童の巣って。そんな最初から〝ない〟ものは見つけられません。私、知りませんからね。きゅうろうさんが責任持って見つけるように」


 久太郎、というのは僕の名前で、ちなみに上の名前はとうだけれどそれはいい。気になるのはいまの先輩の反応だ。

 ——「断ってきて」でも「誤魔化して」でもなく、あくまで「見つけろ」と。

 僕はてっきり、彼女は簡単な依頼しか受けないのかと思っていた。確実に解決できそうなことだけを引き受けた方が、名探偵ぶるにはきっと都合がいい。が、まあ責任は僕に押し付けたといえ、でも河童探し自体を諦めた様子はない。むしろ、乗り気なようにすら見えた。

 意外だ。僕の印象ではこういうとき、この先輩はまた笑顔でうやむやにするんだろうなと、そう思っていたのがなんか丸ごと僕への責任になった。


 ——どうしよう。


「まったくです。どうしましょう……とりあえず、簡単に整理してみましょうか」


 立ち上がる先輩。そのまま部屋の入り口付近、壊れたキャスター付き黒板の前まで移動して、そこに大きく「河童」と書きつける。


「河童。日本に古くから伝わる妖怪で、頭にお皿があって背に甲羅を持つ、川に住む架空の生物、ですよね。好物はきゅうり。それと、人のお尻から、何か取るとか」


 それは知ってる。確か、尻子玉。


「それです。いえ、そんな器官は実在しないんですけど。もちろん、河童だって現実の生き物ではなくて、でも〝黒田さんという方が河童と認識した何か〟についてはまた別、と」


 異論はない。確かに、そうなる。少なくとも、黒田さんが嘘をついていない限り。


「……じゃあ、嘘つきなんじゃないですか? その、黒田さんって方が」


 黒板に書かれた「黒田」の文字、その上に大きく「LIAR!うそつき」と書き込む先輩。待って。


「だって、久太郎さんが言ったんです。思い込みの激しい女子だ、って」


 それは——まあ、そうだけど。うん。そうだわ。確かに。


「先輩、たまには間違ってないことも言うんですね」

「もちろんです。名探偵ですから」

 真面目くさった顔でのVサイン。すぐ調子乗るあたりやっぱり探偵の器じゃないと思うけど(たぶん最初の犠牲者とかの方が似合う)、ともあれこれで解決した。


 黒田さんは、嘘つきだった。

 河童など、最初から、この世のどこにも存在しない——。


 ——いやいやいやいや。


「でも、先輩。河童がフィクションの中にしかいないっていうなら、名探偵だって似たようなものでしょう」


 適当に混ぜっ返しながら僕は考える。とりあえず、これでひとつはっきりした。

 この、あからさまに河童さんサイドに都合のいい結論。そして、自ら躍起になってそのように誘導する、探偵役。

 ——間違いない。

 何かある。癒着か、それとも何か河童に弱みでも握られているのか。いずれにせよ黒田さんが嘘をついたとは思えないというか、「黒田さんが河童であるとした何か」自体は存在する。

 それも、おそらく、すぐ近くに。


「——そうでした。久太郎さん。確か、『体育館の近くに』って話でしたよね?」


 その通り。加えて言うなら、河童のせいで部活に集中できない、とも。

 どうやら黒田さんはバレー部らしくて、その活動場所はもちろん体育館だ。


「と、いうことはですよ。彼女が河童と遭遇したのは放課後、そして場所は体育館。つまり、このすぐ近辺、ということに——いや」


 まるで独り言のような調子で先輩は続ける。『遭遇』という表現は誤りですね、と。


「直接会ってはいない。でも、河童の存在は認識した。それなら筋が通ります。彼女が『河童の巣がある』という言い方をしたのも」


 つまり、と、彼女はチョークを持ち替える。目立つ黄色で書き付けられたのは、『鳴き声』の一文字。


「まとめましょう。彼女、黒田さんは、河童の声を聞いた。でも姿は見当たらない。近くに巣がありそうだと推測したものの、それがどこなのかは不明のまま。それで、その旨を久太郎さんに説明し、そして退治を依頼した——ということでよろしいですか?」


 どうです、とばかりに胸を張る先輩。美人だ。見ていて気持ちいいくらいのその得意げな顔に、僕はなんとなく嬉しい気持ちで答える。


「さあ。知りません」

「ちょっと?! どういうことです、久太郎さんが相談を受けたんでしょう?」


 そうだけど、でも黒田さんは本当に思い込みが激しかった。なにを言っても聞いてくれないというのは文字通りの意味で、だから僕は聞いてない。「河童の巣がある」というのと、あと「怖くて部活に集中できない」ということ以外は。バレー部というのも聞いたのではなく、彼女の持っていた部活バッグからの推測だ。


「でも、まあ、そういうことじゃないかと思います。他にないですし」


「えぇーっ? なんかこう、半端でスッキリしませんね……ただ、そうなると、ですよ」


 体育館のそば、つまりこの周辺で、どこか河童の巣にできそうな場所。

 もっと言えば、どこかから声は聞こえても、でもそれがどこなのかわからない——つまり、体育館を毎日使うバレー部員にも、その存在を知られていない区画。


「久太郎さん。たぶん、この部屋くらいですよ。そんなの」


 まだ人学したばかりの僕には自信がなかったけれど、でも三年生のこより先輩が言うならそうなのだろう。思わず見やった部室の奥、無造作に積まれた粗大ゴミの山。

 この中に、河童がいる——とはさすがに思わないけど、でも何かの手がかりくらいは見つかるかもしれない。


「っていうか、何かありませんでした? いつも漁ってるんでしょう。失せ物探しとか言って、このゴミ山を、先輩が」


 そしていい感じのものがあると、勝手に部の備品にしてしまうのだ。さっきの黒板や、いつも先輩の座っているソファも。最近一番の掘り出し物はアコースティックギター、音楽室の備品だったであろうものだ。割れていた部分を無理やり接着剤で直して、音は滅茶苦茶だけどとりあえず鳴りはしますよと、そう喜んでいたのがつい先日のこと。


「……あの、先輩。僕、楽器には明るくないんですけど、確かギターってチューニングが必要でしたよね」


「そうなんですか? でも、鳴りますよ。ほら。私も楽器はそこまで得意ではないですし、これくらいで十分です」


 ぼろーん、と鳴り響く不協和音。頭痛がする。聴いているだけで不安になるようなひどい音色に、僕は「すごい」と改めて感心する。こより先輩、よくこんな不快な雑音の中で、そんな天使みたいに微笑んでいられるな——と。

 そこまで考えた時点で、ふと閃く。


 ——まさか。


「……久太郎さん? もしかして、何か気づいたことでも?」


「いえ。別に何も。河童、いませんでしたねえ。黒田さんには明日僕から言って、どうにか納得してもら」


「——久太郎さん。だめですよ。嘘つきは汗のあッ、じゃなくてあの、感じでわかります」


 この探偵いま汗の味って言った? 即座に訂正のうえ「嘘です。すみません間違えました忘れて」と縮こまる、その蚊の鳴くような声が何より効いた。卑怯だ。汗の味が嘘発見器の代わりになるなんて聞いたことないけど、でも脅しやハッタリは中身がないからこそ意味がある。一瞬でも相手の気迫に飲まれてしまえば、もはや後から取り繕ったって遅い。


 ——仕方ない。僕は素直に白旗を上げる。

 この先輩が後に引けなくなって、本当に僕の汗を味見してしまう前に。


「わかりました。五分ください、河童の鳴き声を録音してきますから」


 その五分の間に、僕が先輩にお願いした行動はひとつだけ。きっと、彼女がひとりのとき、なんとはなしにこの部室でやっていたであろうこと。

 果たして五分後、僕は宣言の通りに河童の鳴き声を録って戻った。スマートフォンの録音機能。こうして聴いてみると本当に河童というか、少なくとも人ならざる禍々しい何かには違いない。


「要は、モンスターです。その代表格が黒田さんの中では河童だった、というだけで。わかりますか? この声。まるで地獄の底から響くかのような」


「知りません。違います。久太郎さん、これは私ではありません。そんなはずない」


 涙目の先輩。そりゃそうだ。自分では気持ちよく歌っていたはずの声が、どう聴いてもおぞましい怪物の呼び声にしか聞こえない、だなんて。


 調弦されていないギターの、そもそもが不快な不協和音。そこに加えて、まったく音程という概念の存在しない、呪詛か何かの如き不気味な歌声。それだけならまだギリギリ「ただのへたくそな歌」で済んだものの、そこにとどめを刺したのがこの部室だ。

 半地下のゴミ置き場。ヒビの入った小さな窓から、妙な反響を伴って漏れるくぐもった音。その天然のフィルターが、まだかろうじて〝歌声〟の範疇にその姿を留めていたはずのそれを、いよいよ呪いの音声へと変える。

 なるほど、道理で黒田さんが僕の話を聞かなかったわけだ。怯えていたのだと思う。どこから聞こえてくるやらわからない、いやひょっとしたら己の耳にだけ響いているのかしれない、どこか遠い異界よりのそのび声に。恐怖にすり減らされた神経で、それでも相談できただけ彼女はよくやった方だと、さすがにそんなこと、僕の口からは言えない。


 ——そう。

 僕じゃない。

 こここまでしっかり筋道立てて、そして結論を出したのは。


「……とまあ、そういうことなのかもしれませんけど。でも、わかりません。あくまで仮説の域を出ないというか、結局真相は闇のな」


 歯を食いしばりながらのその独白。瞬間、僕はスマホの操作を失敗して、再び河童の鳴き声が部屋に流れ出す。オギョォォォ、というか、ンボボボボォ、というか、とても表現できないその悪魔のような声に、再び先輩が「嘘ですこんなの」と泣き伏せる。


 ——よくやりました、先輩。

 あなたは、探偵として、僕が考えるよりずっと立派に。


 やり遂げた先輩。引き換え、僕は求めていたついぞ答えに辿り着けなかった。

 降参です、とひとこと、そのまま僕は彼女に尋ねる。

 先輩、どうしてあなたは、そこまでして名探偵であろうとするんです——?


 きょとん、と目を丸くする先輩。さっきまでの絶望はどこへやら、まるで笑いを堪えきれないといった様子で——ああダメだ、やっぱりこの笑顔は卑怯だと思う——あっさり教えてくれたその答えは、なるほどどうして思い当たらなかったのだろう。


 先輩に曰く。久太郎さん、ここは文芸部なんですよ?


「名探偵たる素養のない者に、どうして名探偵の活躍が書けるっていうんです」


 簡単な話だ。推理もできない、歌や楽器も苦手、もう笑顔以外は何もいいところのないこの先輩が、どうしてミステリ小説などという、難解な物語を考えつけるだろう。

 内容を思いつけないのなら、なればいい。

 その身で実践してしまえば、それをそのまま文字にするだけで済むから。


 ——かくして。

 先輩のミステリ処女作、「河童殺し」はこうして完成を見た。

 ただ一点、真犯人たる河童の正体を、新入部員の男の子という設定に変えて。




〈創作探偵麻倉こより 河童殺し 了〉


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