死神のかけら

犬神弥太郎

欠片の価値

 以前の生活に不満があった訳じゃ無い。ただ、戦いばかりの毎日だっだ。自らの心に従い正義も悪も無く、自らの信じる物の為に戦っていた。生きる為に戦い、殺されない為に殺してきた。血なまぐさい、それでいて、常に死線の上を渡り歩いていた。それだけだったのだが、こうなってしまうと前の生活が恋しくなってしまう。そう言う昔を思う恋慕はダメだと思っていても、物足りなくは感じる。これもなんとかしないとと思う。

 どう言う訳でこうなったのかというのは、恐らくは神様とかいう存在あたりの気まぐれだろう。しかし、気まぐれにしても、もうちょっとこう、人選というか、世界をと言うか、こっちになにかしら選ばせてもらえなかったものかと思う。

 こういう事態は、俺にとっても、この娘にとってもはた迷惑すぎる状況だ。

 ここは俺の居た世界に酷似していると思うのだが、違う所というと、まず魔法や特殊能力といった物が使われて無い。俺の居た世界では当たり前にあったもので、普通に日常に溶け込んでいた力が、この世界には無いとされている。しかしまあ、輪廻だの転生だのの概念はあり、また、この娘の世界で見るテレビとか言う機械とかで映されている虚像に描かれる物では、魔法や特殊能力と言った概念がある。本当にあるのかという議論は遙か昔に淘汰されていて、あくまでも虚像として遺っているから娯楽として映像にされているのだろう。本当にあるとなれば、この世界の力関係を左右するとかって話しになるはずだ。俺の居た世界がそうだったように。

 というわけで、俺は今、何故か少女の意識の片隅に居る。本人は俺のことを妖精さんだの言ってるが、俺としては困った状態だ。戦場で戦い、敵を殺し尽くしたと安心し、油断したところを殺された。そこまでの記憶が遺り,目が覚めたらこれだ。どう言うことなのか、全く解らない。娘の言葉に合わせていたら、妖精さん扱いだ。戦場では臨機応変に対応しなければ生き残れない。そういう柔軟さが、この状況でも活きてしまっている。話しを合わせすぎて妖精さん扱いだ。

 俺の世界にも、この世界で偶像で描かれるような蘇生の魔法はある。しかしそれは、命という器に意識が遺っている間だけ可能な魔法。

 命という器から意識がこぼれだし、全てが失われた時に命は終わる。意識を保っていた命という器が形を失うのだ。死体に対して命という器は意外と簡単に与えられ、しかし、意識は複製、もしくは新しく作って育てるしか無い。複製すれば簡単にも思えるが、命という器に合わなければ齟齬を来して命ごと意識は崩壊する。簡単に作れても、その形までを自由に作る事は出来ない。ましてや人の意識の器となる命となれば、簡単には作れない。意識を持ち自我を持つ人間の錬成には、高度な技術が要る。

 そして、命の器にには、一つの意識しか存在が赦されない。例え複数の意識が入り込んだとしても、それは命という器で混ぜられ、一つの意識となる。そうして、新しい一つの意識として形成される。俺の意識が紛れ込んでも溶け込み、この娘の意識の欠片となる、となるはずなのだが、この娘は普通に暮らし、俺は俺でまるで娘の中からのぞき見るように,外を感じる事が出来る。手や足、その他の感覚も入ってくる。とりあえず遮断出来るが、気を抜くと勝手に入ってきてしまう。そして、俺の意識が目覚める前に混ざり新しくなるはずの意識は、この娘と俺とで完全に乖離している。

 つまり俺は、この娘の住む世界ではファンタジーとされている世界の住人だったのだ。

 魔法が飛び交い、超能力が存在し、様々な種族がいる。そう言う世界で俺は死んだ。んで、本来は誰かが蘇生でもしてくれれば良かったのだが、その戦場で俺を蘇生するような物好きは居なかった。だから、命という器から意識はこぼれて霧散してしまったはず。

 こぼれた意識がどうなるかという事は俺の世界の連中も解っていない。宗教的な連中は、人の命は神の命の欠片で、死ぬ事によって神の元に戻るとかやってたが、俺は霧散して、いつかまた誰かの意識の一部にでもなるんだろうと思っていた。しかし、現実は甘く無い。こんな事になるんだったら、消滅していた方がマシだったろう。

 この娘に年齢を尋ねた時、14才と言われて驚愕した。そして、毎日学校に行き、勉強をし、友人達と遊ぶという日々。俺の血なまぐさい記憶がまるで役に立たず、また、知識もこの世界の概念とは半分くらい違う。この世界では、魔法や超常的な力は必要が無い。戦いにおいては、人は武器を持ち、機械で戦う。人と人が体一つで戦うとしたら、この世界では命のやりとりでは無く、競技になる。運動を越えた運動。それで競い合い、高め合う。

 俺の居た世界では一度の負けが死に繋がり、勝利し続けなければ生きながらえる事は出来なかった。随分と平和な世界だ。意識が戻った時に、何なんだここはと思ってしまった。

 それで今、俺は戦いを欲しているわけでもなく、のんびりとしているのだがイマイチ言い出せない事が有る。それは、俺が人間の男の意識だということだ。流石に14才の娘の意識の中に、俺みたいなおっさんが現れたら、この娘も困るだろう。意識が覚醒した時に思わず叫んで閉まったが、体は動かず娘が驚いて、すっころんだ。この世界で言うところの普通の家庭で生まれ育ち、良い親に恵まれた普通の娘。そんな中に俺の意識が入り込んでしまっているわけだ。

 それでまあ、俺は俺で試してみようと思い、娘は「妖精さん、魔法見せてよ」というので、この世界で出来るかどうか解らないが試してみたら、魔法が使えちゃってる訳だ。俺という意識が入り込んだことで、テレビというのでやってる魔法少女とかいうのに、この娘はなっちゃったわけなのだが、俺が使わないと魔法は発動しない。もちろん、超常的な力も使えた俺が意識しないと、その能力も使えない。それだから、この娘は”妖精さんが魔法を使って見せてくれている”という認識で居るのだが、こっちは思いっきり困惑している。俺が溶け込んだ後、この娘は魔法や超能力が使える様になるかも知れないからだ。

 俺みたいなのが,この世界に他にいるのだろうか? と考えながらも、俺はこの娘の意識から現時点では独立してるはずなのだが、たまに考えている事が伝わってくる。ということは、俺の考えも流れて行ってしまっているはずだ。下手に自分の記憶をさかのぼり回想なんてしてしまうと、この娘の記憶が混乱するだろう。まだ未成熟な意識に、2人分の記憶と思考は重い。しかも、こんな平和な世界で生まれ育った娘に、俺の記憶は重すぎる。俺の考え方は世界観が違いすぎる。人を殺す事を繰り返してきた俺の記憶は、この娘には渡して良い物じゃ無い。胆力は付くだろうが、幼い娘に胆力つけてどうすると思ってしまう。

 そう言う訳で、この数ヶ月は妖精さんを演じているのだが、流石に疲れてきた。というか、俺のキャラに合わない。俺に出会うと死ぬと言う話しで、死神扱いまでされた俺が、妖精さんというのはキツい。

 この世界でいえば、俺は悪役であっただろう。敵として対峙する相手は女子供であろうと、戦場に立たないで有ろうものまでも、全て殺してきた。残酷と言われようとも,生き残るのには必要な事だった。誰が泣きわめこうとも、誰が懇願しようとも、俺は俺だけの命の為に戦い、そして、生き残る事を選んできた。だからだろう。最後には俺の周りには誰も居なかった。いや、俺の側には誰もいなかった。周りは全て敵。俺を殺す為に常に敵が襲ってきていた。そして倒した敵の死骸に必ずトドメを刺し、不死者ならば封印し、他種族であろうと殺し尽くしてきた。そのツケが、俺を殺して名を挙げようとする奴らや、俺が生きてる限り死の恐怖に怯える奴らからの死の宣告。死をもたらす者達が集まり、俺を殺しにかかった。それさえも俺は撃退しきった。生き続けるためだけに。しかし、死体の山に埋もれた僅かに殺しきれなかったやつの誰かに,俺は殺された。

 この世界だと、それだけの事をした者ならば地獄に行くらしい。勇者や英雄という存在もあったらしいが、それは正義とやらの為に戦い、自ら殺した相手の思いを背負って、心に傷を付けながら志のために戦った者らしい。俺とは全く違う。俺は俺が生きる為なだけの戦いだった。

 そんなのを、こんなに友達と幸せそうに遊んでる子供に見せる訳にはいかない。この娘は俺に敵意を、殺意を向けないのだから。びっくりして叫んだ後、恥ずかしそうに隠れて小声で囁いた。

「あたしの頭の中でお話してるのって、妖精さん?」

 俺は沈黙していたのだが、娘は俺の沈黙に対して恐怖と焦りを感じたらしい。その感情が滲んできた。

 少しして,俺は自分が消えると思っていた。他人の意識の中だ。長く居られるはずも無い。そして、娘の意識が育っていく糧になるのだろうと思った。自分でも驚くほど諦めが早かった。死んでしまったのだから仕方ないと。だが、俺は俺のままとして残り、娘の不安は日に日に大きくなっていった。それはそうだろう。誰とも解らない声が頭の中に響いたのだ。

(「驚かしてすまない」)

 伝わるかどうかは解らないが、相手の意識に届くようにと声をかけてみた。しかし、今考えると、それが間違いの始まりだったのかも知れない。娘は驚喜して、俺の存在を喜んだ。自己紹介まで始めて、あれやこれやと話しかけてくる。はたから見れば独り言を延々としている状態だ。しかも、俺が口を滑らせたことで、更に娘の好奇心を駆り立ててしまった。

(「わざわざ取りに動かなくても、引き寄せればいいのに」)

 娘は「え?」と声を発してコップを取ろうとした動きを止め「どういうこと?」と聞いてきた。俺はもちろん、この世界に魔法や超能力が珍しい物とは知らず、普通に使えば良いのでは無いかと答えてしまったのだ。

「……え? ……んっと、それって、やってみてもらえますか?」

 俺は以前の通りに対象の存在を固定化し、方向性を与え、娘の手に引き寄せた。そして飲めるように固定化を解いてみせた。コップの中の液体はこぼれず、手元に来たコップを見る娘の意識から、これ以上は無いと言うくらいの歓喜の感情が押し寄せて来た。

「すっごい! すごい! すごいですよ! 魔法みたい! ううん、魔法ですよ!」

 事象干渉は魔法では無く特殊能力の方を使ったのだが、娘にしてみればどっちも魔法扱いらしい。そして、いきなりコップから手を離すものだから、思わず空中で停止させてしまった。そしてやはり歓喜の声。

「やっぱり! 妖精さん魔法使いなんですね!」

 俺は妖精さんのまんまかいと思いながら、まあ良いかと流してしまった。いつかは消える意識な俺は、下手に干渉せずに忘れられていった方が良い。なにせ、この娘は年頃だ。いつ誰かと交際とか始めるかも解らない。そんな事になったら、俺は娘の意識の中でどんな顔をしていれば良いのか。いや、それ以前に意識に居たくない。それまでには消えたい。溶け込むならさっさとやってくれと思う。

 そう言う訳で日常的に外に意識を向けていないわけなのだが、娘の意識が滲み込んでくるのも困りものだ。こう言う年頃の娘は多感なのか、様々な感情が常に溢れかえっている。心を殺していた俺とはずいぶんな違いだ。生きる為だけに生きていた俺と、未来に希望を抱いて生きてる娘との違いは明らかで、その辺りの部分が溶け込まず乖離したままな理由かも知れない。だが、物凄く困る。俺は男に抱かれる趣味は無い。

 なるべくで有れば、表に出ず娘とも話さず、そして、未来に希望を抱く様な考えに自分を矯正して娘に取り込んで貰おうと思ってるのだが、一向に乖離したままだ。で、娘は自分の心に妖精さんが住み着いたと思って喜び、何かあるごと事に声をかけてくる。どうして知ったのかは解らないが,俺に向けて考えるだけで言葉が伝わるというのも理解してしまったらしい。娘が俺を別の誰かと思って居るうちは、溶け込むことは出来ないだろう。自分の中の一部と思って貰わなければ、壁が出来る。

 俺の意識が目覚めること自体が異常だとは思う。俺の世界でも、自分の中に誰かがいるとかいう存在には滅多に出くわしたことは無い。そう言う連中が公言するのは、だいたいが演技だ。言葉の節々から本人の癖が見え隠れし、思想や行動の癖も本人のまま。高貴な存在が自分の中に入っただのと騒いで演じるにしても、庶民臭さが抜けない連中だった。だが、こういう事態になると、不本意ながら何人かは本当だったのかもと思わざるを得ない。

 それにしても、この世界の勉強は難しい。俺の居た世界とは数字や文字も違う。読めるのは意識が目覚めた時に娘の意識と干渉したせいだろう。この娘の語学とやらの成績が急にあがったのも、俺のせいかもしれない。俺の世界の言葉は、この世界で言う英語やフランス語に似ている。同じという訳では無いが、類似した文法という感じだ。この娘の為になるなら良いが、一時的に向上というのだと申し訳なさを感じる。俺がいずれ溶け込む意識の主だ。その人生を揺さぶるような事はしたくない。俺自身はもう居ないのだから。

 俺の意識が目覚めて数週間が経過し、俺も幾分慣れては来た。いや、慣れちゃいけないのだろうが、乖離したままの状態でどうすることも出来ず、中から周りを見続けて、その暮らしにも慣れてきてしまっている。

「おっはよー! ねえ、美優。英語の宿題後で見せて?」

 朝の登校時、クラスメイトが話しかけてくる。ちなみに俺が入っている娘の名前は,天城美優。名前で呼んでくるのは親しいからだろう。声をかけてきたのは確か花房碧とかいう娘だ。毎日の様に登校中に一緒になる。

「ごきげんよう。うん、いいよ。学校着いたら貸すね……ちゃんと出来てるか解らないけど良い?」

「もっち。あたしわからんないとこ多くってさ。助かるぅ」

 相手のためにならないだろうと思いながらも、俺が干渉しちゃいかんと我慢する。しかし、俺が溶け込む主が誰かに利用される人間というのは気に入らない。しかし娘--美優は頼られるのが嬉しいようだ。自分が誰かの役に立つというのを素直に喜んでいるのだろうが、俺には利用されているように感じる。俺の世界では、美優の様に善意で誰かに施しを与える者などいなかった。必ず見返りを要求する。

 まあ、美優が通っている学校の理念には沿っているのだろう。宗教系の学校で、十字架とか言うのを持って居る。教祖が磔になった十字架を何故宗教のモチーフにしてるのかは疑問だが、この世界はそう言うもんだろうと納得しておく。納得しておかないと溶け込めない。納得し,干渉せず、そして、周りを気にしない。なにしろ女生徒しかいない学校なので、俺にしてみれば美優の外の音はかしましい。

 この美優の性格は、俺には度しがたい。頭の中はお花畑のようでいて、生真面目で頑固。しかしこう言った宿題を写させるというずるい行為を赦す。相手がいつか自分で宿題をする様になるまでと思っているのがにじみ出てきているのだが、俺にはそうは思えない。ずるい連中は、ずるがしこさを覚えれば、そちらへ、楽な方法を覚えれば楽な方へと墜ちていく。それが当たり前だったのが、俺のいた世界。

 処世術やら人付き合いかと強引に納得し、俺はおとなしくしておく。俺の感情がゆらいだら、思考が美優に流れ込みかねない。友達付き合いしている相手を疑心の目で見させて美優の生活を崩す訳には行かない。俺の意識が溶け込んで、いずれ拒否するようになったとしても、俺の意識がある間は干渉は避けるべきだろう。

 そうこうしているうちに学校に着き、いつもの授業といつもの食事。そして、いつも通りの下校。今日は授業前に花房碧がノートを写しに来ていたが、この辺り俺の責任が少しあるだろう。英語が苦手だった美優の聖跡が上がったのは俺が目覚めた後らしい。つまり、俺の世界の言語を受け入れてしまったために、英語やフランス語に違和感を持たなくなったからかも知れない。こう考えないと、流石に疲れがたまるので、必死にノートを写す花房碧にも少し申し訳なく感じる。俺の世界の言語で翻訳してしまっていたら、間違いがあるだろう。すまん、と。

 平和な日常、平和な世界。こんな世界なら俺はどうやって生きて居ただろうか。殺戮だけをして、時には相手から奪い、殺す事に特化した俺を雇って誰かを殺させる奴らからも報酬を貰い、美優達の様に何かを学でも無く、何かを考えるでも無く、殺し合いに没頭していた俺は、この世界だったらどうなっていただろうか。そんな風に重いが浮かぶが,すぐにかき消す。思ってもいけないことだ。俺は美優の中に消えるのだから。 

 意識が目覚めたのが夏の終わり。少し肌寒かった頃だっただろうか。冬になった今も,俺の意識は依然として消えない。それどころか,乖離が激しくなっている気がする。今までよりもはっきりと別人と認識出来、そして、美優の悪感情が俺の中に入ってくる。流石に普通の人間なら悪感情は必ずある。嫌だとか嫌いだとかもそうだが、怒りや苦しみと言った物もそうだ。それらが、美優が感じたくないと思うと俺に来る。俺にとっては程度の低い悪感情だが、美優にして見ればキツいのだろう。一時的に俺が預かり、少しだけ美優に残して大半を俺が背負っていれば良いと思ってしまう。いずれ溶け込む時に,一緒に受け入れるだろう。それまでに心が育てば、悪感情もまた、思い出の一つになる。思い出の一つとして、しかし、それだけでは割り切れない出来事も起きる。

 美優の学校に銃器を持った男が来たのだ。警察という、相手を束縛する権力を持った連中に追われている事から、法律とやらに反したことをしたのだろう。偽物の拳銃というのもあるらしいが、男が持っている拳銃は本物らしい。先端から銃弾というのを射出し、人に当たれば致命傷を与えかねない武器。美優も詳しくは無く、俺の意識が目覚めたてで干渉してしまっていた時に教えて貰った物だ。

「ここに居るガキ共を殺されたくなければ、金と車を用意しろ! さも無きゃ順番に殺すぞ!」

 美優は恐怖と絶望の感情を滲ませ、俺に助けを求める。花房碧や他のクラスメイトも怯えている。教師という物を教える立場の大人まで手錠とか言う物をされて、へたり込んでしまっている。しかし、俺自体は呆れていた。

 銃という物は多くても15発前後、少ない物は1、2発で弾切れになる。致命傷で無ければ倒せる相手だろう。片手で持てる拳銃なら威力も知れている。俺の知識としては、クラス全員を殺す事など不可能で、撃ってしまえば後が無い武器と思える。しかし、誰一人傷つく事無く解決するのが、この国のやり方らしい。もちろん犯人を含めてだ。面倒な世界だと思っていると、いつの間にか俺しか居なかった場所に、鏡で見ただけのはずの美優が居た。

(「あれ? えっと……妖精さん?」)

 流石に相対して「妖精です」とは答えづらい。困った顔をしてるだろう自分を自嘲しながら、なんと答えようかと考えていると、やはり自分の昔の名前しか思いつかない。しかし、名乗ってしまうと溶け込むのが遅くなるだろうと思う。美結が俺を別の誰かと認識するからだ。妖精さんというのであれば、いつしか消えるだのなんだのでカタがつくが、別人となれば認識は異なるだろう。

(「あー、えっと……」)

(「やっぱりその声、妖精さんです……よね? けど、えっと……けど、男の人みたいな……」)

 これは不味い。かなり不味い。着替えや風呂やトイレなど意識を閉ざしてるとは言え,美結は見られてる鴨と思っているかも知れない。嫌われる事や怖がられる事には慣れているが,拒絶されると溶け込めなくなる。それ以前に,俺の声はどんな風に感じられていたんだと疑問にも思う。

(「……俺は、君の強い心が形になってるんだよ。うん」)

 自分でも苦しい言い訳だ。どう考えても怪しい。確実に疑われる。こう言う答えしか出せない戦いだけが取り柄だった自分が情けなくなる。しかし、美優は「そっかぁ」と嬉しそうにしてる。ここまで騙されやすいと、溶け込んだ後が心配になってくる。俺の猜疑心を持ち越してくれれば良いんだがと思うが、俺のは強すぎるかとも思う。僅かに遺る程度で十分だろうとと思っていると、意識体の美結が頭を下げて頼んできた。

(「妖精さん、お願いします。あたしはどうなってもかまいませんから、皆を助けてください」)

 自己犠牲の自己満足であれば偽善。しかし、皆を心配しての言葉。常に猜疑心で人を見ていた俺には眩しい存在。その美優が頭を下げて俺に頼み込んでくる。しかし、俺にはどうすることも出来ない。美優に見せた魔法や超能力も、どこまでこの世界で使えるか解らない。コップは動かせたが、今の状態でどうすれば全てを丸く収める様にするのは難しい。少し考えた後、俺は深い深いため息をついて美結に言った。

(「出来るかは解らないけど、試しに君の体、少し俺が動かしても良いかな」)

 俺が美優の体を自由に動かせるかは不安だったが、美結は迷う事無く頷く。

 場合によっては魔法や超能力を使えば、なんとか事態を収められる。しかし、その場合は美優が目立ってしまう。

(「君の評判が落ちるかも知れない。魔法使いとか……この学校だと異端扱いだっけ? されるかもしれない。それでも?」)

(「みんなが助かるなら!」)

 即答だ。自己満足な部分もあるだろうが自分を省みない性格ではあると思っていたが、ここまでとは。これを無碍にすると、犯人に自分だけを人質にとか言いだし、さらには自分が撃たれる結末とかになりかねない。そうなると、俺はまた飛ばされるか消えるかで結局消えるのだが、美優の意識も失われる。俺の意識があるうちは、流石にそれは後味が悪い。

(「解った。じゃあ、ちょっと借りる」)

 生徒達は各々で他の生徒達を後ろ手に縛らされ、遺った生徒達を教師が後ろ手に縛って座らせられていた。教師はと言えば背格好的に犯人が外に叫ぶ時の弾よけにされている。犯人が持っていた手錠とやらで後ろ手に縛られている。俺は美優の体を自分の体の様に扱えるか不安だったが、美優が俺の居た場所まで来たことで、俺に預けた形になったらしい。まるで自分が蘇生したかのように、自分の体の様に動く。しかし、俺は元は男で、この体は女。動かしづらさがある。しかも華奢で力も無い。

 周りの様子を把握しようと視線を動かし、確認する。教室の前後の扉には机や椅子がバリケードの様に置かれ、後ろの扉は掃除道具の入っているロッカーが倒されてふさがれている。犯人をこのままに全員を逃がすことは不可能。なら、選択肢は犯人を倒す。しかし、付随条件は魔法や超能力を他人に見られず、他者を犯人に傷つけさせない。なかなかの難題だ。今まで死体を盾にしたこともある。そういう方法が一切使えない。

 とりあえず立ち上がってみる。子供相手だ。いきなり撃ってくる確率は低いだろう。

 美優の体はすんなりと俺の意思で動き、後ろ手に縛られた状態でスッと立てた。そして、動揺した犯人は驚きのあまり予想外にも撃ってきた。

(「にゃあああああああああああっ」)

 頭の中で美優の悲鳴が聞こえたが、とりあえず無視した。焦ってこっちに向けた銃を更に強く握った事で銃口は、美優からみて右に逸れた。美優の口を使っての僅かな呪文詠唱。自身に対しての強化と速度向上。そして、自らの視界が捉えた物の位置エネルギーを動かす能力。弾丸を目で追う事は出来ないが、引き金を引く瞬間まで見ていればわかる。そして、その銃弾は立ち上がった美優を撃とうとしたのだから、高さ的には他者には当たらない。銃口の位置エネルギーを上に向けた事で銃弾は天上へ。足を狙われなくて幸いだった。あまりに大きく銃口が動けば不自然だ。そして、銃のスライドの反動で銃口がさらに上を向く。

 刹那に犯人に向かって走り込み、自分の頭を右下に下げる事で注意を惹きつつ、後ろ回し蹴りの要領で銃を握ってる手の手首を踵かかとで蹴り上げる。呪文詠唱により、体の強度と速度はあげてある。

 銃を撃ち慣れてないのが、美優の蹴りの威力か、犯人は美優の蹴りで簡単に銃を落とす。このあたりは生前の勘。鞘で相手の手首をたたき上げると,剣を落とすというのがあったのの応用だ。そして、がら空きになった腹に肩からの体当たり。これも鎧を着てる相手なら倒せば立ち上がりづらいと言うのの応用でもある。普通の人間にしても、痛がるだけだろうと思ったが、意外に威力が出た。強度と速度を上げた効果が上手く出た。そして、うずくまってうめく犯人を尻目に手首を上手く動かし、雑に結ばれた手を解く。そして、落ちた銃を拾って犯人に向ける。

(「妖精さん、殺しちゃダメです」)

 頭の中で美優の声が響く。撃ち殺せば解決だが、うっかりしていた。美優の生活が第一だ。

(「あ、いや、脅すだけだから。警察だっけ?治安維持の人達が来るまでね」)

(「それでも、そんな危ない物を人に向けちゃダメです!」)

 銃を向けられている犯人は怯えながらも後ずさりして教師を盾にすると、ナイフを取り出し突きつけ、人質にとった。

「銃を渡せ。じゃないとコイツを殺すぞ!!! い……いいのか? ほら、早く渡せ! 殺すぞ!?」

 ため息をつきつつ、マガジンを引き抜き、スライドを引いて装填された弾を抜く。そして、銃の本体だけを犯人に投げた。こちらの銃の扱いの手際に、犯人は弾抜きの間は唖然としていたが投げられた銃を受け取ろうとした時、教師に突きつけられていたナイフを離し、教師からも離れた。その瞬間に銃に伸ばした手を美優の手で掴み、組み伏せる。俺の流儀では殺しておくべき所だが、この体は美優のもの。そしてこの体で人生を送るのは美優だ。その人生に傷は付けられない。

 離せともがく犯人だが、動けない。抑え込んでいるのは手首だが、片方の手で指を折れる寸前までねじっている。

「すみませんが、動ける方は先生の手錠をはずしてください。その手錠で犯人を」

 美優っぽい口調のはずだが、クラスメイトの顔色は真っ青だ。品行方正で成績優秀。優しくお淑やかだと思ってた女の子が銃を持った暴漢をあしらってしまったのだから無理は無い、と後で気づいた。しかし、その時は美優の体に負担をかけたくないと、少しキツい口調で「急いで」と命令的に言ってしまった。

 一番最初に縄を解いて動いたのは、美優の親友を名乗っていた花房碧だった。犯人のズボンのポケットから手錠の鍵を取り出し、教師の手錠を外すと、犯人の手首にがっちりと手錠を嵌める。思いっきり嵌めたものだから、捕縛では無く手首が千切れんばかりの拷問状態だが、それはそれで仕方ないだろう。両手を後ろ手に手錠をかけられた犯人は転がされ、銃やナイフは回収して犯人から遠い場所へ。とりあえず終わりかと後ろを向くと、全員が唖然とした顔でこちらを見ていた。

(「俺、もう引っ込んでも良いよね?」)

(「あのぉ……あたし、この後、あたしどうすればいいんでしょうか……?」)

(「さあ……? 俺もどうすれば良いかは解らないかな……君の正義感の成せる技ってことにしとけば?」)

(「それだとあたし、暴力的だと思われちゃいますよ」)

 周りではバリケードになっていた机や椅子がどかされ始め、教師が窓から犯人を取り押さえたと伝えたことで警官達が学校の中に入ってきている。いや、既に学校の中には入ってきて様子を伺っていたようだが、それらの気配は消えている。どうやらテレビでやっていたスワットだの特殊部隊だのというやつだろうか。よく解らないが、美優の体を借りて表に出ている状態では、気配自体は感じ取れていた。そして今は警官達がどかどかと足音を立てて入ってきている。

(「このまま俺が君を演じ続けると、さらに男っぽくて暴力的と思われちゃうよ?」)

(「……はぁい。わかりました。がんばってみます……」)

 俺の説得にようやく入れ替わりを納得してくれた美優が外に出る。しかし、美優の意思がないと俺は外に出られないし,中にも戻れない。主導権は美優。体の主が美優なのだから当たり前なのだが、俺は美優にちゃんと溶け込めて消えることが出来るんだろうかと、不安になってきていた。このまま美優の人生を見守り続けるとかいうのは、勘弁して欲しい。


 数日が過ぎ、学校籠城の犯人の逮捕に貢献したと、人質になっていた教師が表彰を受けることになった。美優が自分が犯人を倒したというのを知られたくないと懇願したのと、教師の体裁というか自尊心が合致した結果の表彰だ。表彰内容自体は逮捕に貢献したのと生徒を守っただの有るが、表彰の裏では要求を飲んででも生徒に危険が及ぶことを避けるべきだったと叱られたという。それでも教師は自分が英雄的活躍をしたという体裁が欲しかったらしく、美優の代わりに名乗りを上げてくれた。

 教師は人質になった生徒達に冷めた目で見られているが、美優を見る時は冷めた目ではなく怯えた目や畏敬と言った感じになっている。いつも優しい普通の女の子のはずの美優が銃を恐れず、まるで銃弾を見切ったかのように避け、銃を蹴り飛ばし、縄抜けまでやってみせたのだ。自分の中の妖精さんがやったとか言い出したら、それこそ周りから人が居なくなるだろう。なので、嘘が下手な美優に護身術を習ったことがあるという事にしておくように提案した。こう言う提案も乖離の原因だろうと思いながらも、俺は本体である美優の安寧を優先してしまった。

 俺はこんな面倒見の良い性格では無いはずだ。俺だけのために生き、俺だけの為に他者を切り捨てる。そうやって生きて死んだ俺が、誰かのために何かする。滑稽ではあるが、美優の住んで居る世界と生活にほだされたのかも知れない。こうやっていつしか俺が消える日まで、少しずつ変っていくのかも知れない。

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