36話 陽だまりは遠く、影は近くに

「皆さん! 予選お疲れ様でした!」


 祐介が嬉しそうに声を上げた。

 あれからヴィクトルとハーツも無事に本戦進出が確定し、これで全員が勝負を終えたため、一同は駐車場に戻っていた。


「ケンさん以外は皆さん本戦出場ですね!」

「ああ……みんないいよなあ、強くて……」


 健次郎は虚な目でうなだれている。


「ケンさん……先に言っておきますけど切腹はしないでくださいね?」

「何でわかった!?」

「見え見えだからよ」

「……本戦は一週間後だ。それまでに各自休息を取るようにな」


 そう言ってヴィクトルは一同に背を向けた。


「僕は一度イサミと合流し、本部へ戻る。調査の報告をせねばいけないからな」

「あっ、ヴィクトル!」


 ハーツが慌ててヴィクトルの肩を掴む。


「何だ?」

「……少し頼みがある」


 ハーツはヴィクトルの耳元で用件を話した。


「……叛乱軍?」

「ああ……ちょっと気になって。アルマがそのワードをひどく気にしててな……」


 ハーツがアルマを指差す。ヴィクトルの目には、ひどく元気のないアルマが映っていた。


「……わかった。後で局長に聞いてみよう」

「すまんな」


 ハーツはヴィクトルに礼を言い、ヴィクトルを見送った。


「さてと……僕達はタクシー呼んでそのまま事務所に戻りますけど、ハーツさん達はどうしますか?」

「なんなら飲みにでも行かない? 一応打ち上げとして」

「……悪いな。一度ハウスに戻るよ。穂乃果達に顔を見せに行かないと」

「そうですか。そうですね、僕もその方がいいかと思います。あ、ならタクシー代渡しておきますね」

「わざわざすまないな」


 祐介はハーツにお金を渡した。ふと、祐介はアルマを気にした。アルマは浮かない表情で空を眺めていた。


「アルマさん!」


 祐介はアルマに近寄った。


「ユースケ……?」

「あの……何があったのかは知りませんが、元気出してください! 大空さんはきっと助かります! だから……頑張りましょうね!」


 そう言いながら祐介はアルマの手を取った。アルマは何も言わず、少しだけはにかんだ。


 ♢


 祐介達と別れ、アルマとハーツはタクシーでシェアハウスのある町へ帰宅した。タクシーから降り、ハウスへ徒歩で向かう。終始アルマは覇気がない状態で、うつむきながら歩いていた。気まずい空気にハーツは心配になる。


「アルマ……」


 何と言葉をかけていいかわからず、ハーツは必死に考えを巡らせる。


(どうしよう……何を話すべきか……? 美香の話、はダメだな……じゃあ、こいつに合わせて今何食べたいか聞くか……? いや、ちょっと場違いか……ああーっ! 何を話しても気分が良くなるかどうかまったく見えない! だったら、玉砕覚悟で……!)

「アルマッ!!」


 勢いに任せてハーツは大声を出した。それにアルマはぎょっと肩を震わせた。


「な、何……?」

「あ……あのな! 全部終わったら、何かしたいことあるか!?」


 思いつきで発したため、特に深い理由はなかった。しかし、これが思いもよらぬ方向へと進む。


「な、何かっ?」

「ええと、ほら……例えば、あれ食べたいとか、あそこ行ってみたいとか、あれしたいとか……オ、オレにできることなら協力するぞっ! あと少しすれば初めて給料が入るし、その気になれば車とか運転できるぞっ! だから、その……!」


 必死に言葉を繋ごうとするハーツ。アルマは少し考えると、ぽつりと話した。


「……ミカと一緒なら何でもいいかな」


 それを聞いたハーツはぴしっと硬直した。そしてやってしまったと深く後悔する。


(オレの馬鹿野郎……!! 一番聞いてはいけないところに触れさせてどうするんだ……!!)

「ああっ、いやそのっ、すまんっ! 別に傷つけるつもりは…」


 なんとか言葉を続けようとした時、ハーツははっとした。アルマの顔は少し泣きそうな、しかし必死に笑顔になろうとする、そんな表情だった。


「……ごめんな? お前にまで気ぃ使わせて」

「いや、そういうわけじゃ……」

「……やっぱりオレ、ミカいないとダメだな。なんか全然元気出ねーし、嫌なことしちまうし、なにより……」


 アルマは自分の胸に手を当てる。


「ここが、心がすげーすかすかしてる。ハーツが一度いなくなった時もそうだったけど、今回は何つーか……ズキズキと痛む……早いとこなんとかしねーと、どうかしちゃいそうでな……」

「……っ」


 アンドロイドである自分に心の存在を教えてくれたアルマが苦しんでいる。それもそのはず。相手は元が付くとはいえ人間。心を最初から宿しているのだ。心に目覚めたばかりの自分とでは、苦しみの度合いが桁違いなのは言わずもがなだ。


「大丈夫だ!」


 ハーツは声を上げる。


「え?」

「お前、いつかオレに言ってくれただろっ? 心があるから苦しいって。でも、それはすごく大事なことで、前を向くのに必要なことだって。だから、だから……」


 ハーツは知っている。アルマは明るく前向きで無邪気だが、時々悩んでは苦しむ。まだ自分が心に目覚めていなかった頃に見た、美香に膝枕させてもらって眠っていた彼の顔は、目を真っ赤に晴らして悲しそうな顔だった。明らかに泣いていたのは理解していた。心に目覚めた今ならよくわかる。泣くほど辛いことがあったのだと。きっとアルマは繊細で泣き虫な部分もある。なら、今の自分ができることはただ一つ。


「絶対大丈夫だ! だってお前は強いから!」

「!」

「きっと乗り越えられるって、オレは信じてるから!」


 ハーツの精一杯の励ましが、アルマの胸に深く染みた。ハーツが自分を信じてくれている。それだけで十分元気が湧いてきた。


「……ありがとうな、ハーツ!」


 やっと見せてくれたアルマの笑顔に、ハーツは胸を撫で下ろした。しかし、それでもやはり憂いが完全に晴れることはなかったのだった。


 ♢


 無事にシェアハウス秋桜に帰還し、アルマは玄関の扉を開けた。


「ただいま!」

「今戻った」


 玄関先では穂乃果が優しく出迎えてくれた。


「遅かったね、おかえりなさい。アルマ君も無事でよかった……」

「心配かけちまったな」

「お腹空いたでしょ? さあ入って」


 穂乃果の足元には千枝がいた。千枝はどうも機嫌が悪いらしく、ぐずりながら穂乃果の足をしがみついていた。


「ほーら、千枝。アルマ君とハーツ君が帰って来たわよー?」


 穂乃果は千枝を宥めながら二人を迎える。この日は珍しく源蔵もおり、一同揃って団欒していた。アルマとハーツが食卓につくと、明里がどんぶりを持って来た。


「じゃーん!」


 自信満々に明里が蓋を開ける。中にはぎっしり詰まったカツ丼が入っていた。


「おお……!!」


 ハーツは湯気を立てるカツ丼に目を見張った。


「二人共美香ちゃんのために負けられない戦いに参加してるでしょ? だから、勝負に勝つぞー! って意味を込めて、思い切ってカツ丼にしました!」

「勝負に勝つ……カツ丼……あ! なるほど! “かつ”にかけているのか! えっと、確かこれって……」

「願掛けってやつだよ。何もしないよりはテンション上がるでしょ?」


 目を輝かせているハーツに明里は頬を緩める。ふと、明里の視界にアルマが入る。いつもなら美味しそうなご飯の前で顔を輝かせているはずのアルマが、今日はどこかうわの空だった。しかしながら食欲はあったようで、二人共にあっという間に完食した。


「どうだった?」

「ああ、すごく美味かった!」


 食べ終わった食器を片付けていると、アルマはそそくさと食器をシンクに置いて駆け足で出ようとしていた。


「アルマ君?」

「どうした?」

「あ……ちょっと食後の運動!」


 その場凌ぎの笑顔を見せて、アルマは去っていってしまった。


「……アルマ君、なんか元気ないね」

「そっとしておいてやってくれ。色々あって、あいつも悩んでんだ」

「ん……」


 去り際を見ていたのは、ハーツと明里だけでなかった。食卓で康二と共にビールを飲んでいた源蔵だった。何か思い立った源蔵は立ち上がる。


「爺さん?」

「ちょっくら夜風に当たってくるわ。ちと飲み過ぎたみたいでな」


 そう言い捨てて源蔵は和室へ向かった。和室の外では、アルマが一人で技を出していた。全てイサミとの特訓で得た技だ。がむしゃらに、ひたすらに、アルマは技を出しては精度を上げる。


「腰が入っとらん。儂でもわかる」


 聞き覚えのある声にアルマははっとし、縁側に顔を向ける。そこにはあぐらをかいてこちらを見る源蔵がいた。


「じいちゃん……?」

「……こっちに来い。話をしよう」


 そう言われたため、アルマは仕方なく源蔵の隣に座った。源蔵は真面目な顔をして空を見上げた。


「話は全部、穂乃果や明里から聞いておる。色々と大変だったのはわからんでもない。お前さんやあの新入りの坊主が今まさに命懸けというのもな。……さっき明里や新入りから聞いた。お前さん、かなり参ってるそうじゃねえか」

「!」


 図星だった。アルマは意表を突かれて肩をぎくりと震わせた。


「お前さんが大空の嬢ちゃんのことを大事に思っているのは知っとる。だがな、だからと言って根を詰め過ぎてちゃ、いつかぽっきりいくぞ?」

「……でも、オレがもっと強かったら、ミカを……」


 アルマは膝を抱えて拳を握りしめる。


「そういうとこだ」

「……?」

「やってしまったことは取り返せん。だからいつまでも引きずるな。嬢ちゃんを救いたけりゃ前を向け。だがだからって自分を責めるな。失敗は何も悪いことばかりじゃあない。それは人間だろうが機械だろうが関係ない。誰にだってそんな時はある」

「……じいちゃんにもあるのか?」

「そりゃあるさ! それこそお前さんぐらいの時は数え切れんほど失敗した! けどな、その失敗がなかったら今の儂はいない。そう思うようにしてる。だからな、坊主……」


 そう言いながら源蔵はアルマを自身の肩に引き寄せた。


「自分を許せ。時には甘やかしてやれ。少なくとも儂はお前さんを責めはせん」

「……!!」


 そのたった一言が、アルマに響いた。かつて美香に言われた時と同じ、慈愛と肯定感を感じた。アルマの胸が急に苦しくなると同時に、目頭が熱くなってきた。なんとか堪えようと我慢するが、耐え切れず涙が流れてしまった。


「……ありがとうっ、じいちゃん……!!」


 アルマは源蔵の腕を掴み、しばらく嗚咽を漏らしながら泣き続けていた。それからしばらくすると、様子を伺いにハーツと明里がやって来た。


「おじいちゃーん?」


 扉から覗くと、源蔵は縁側に座り、そのそばではアルマが寝転がっていた。アルマは座布団を枕代わりに静かに寝息を立てていた。


「ありゃ? アルマ君、ひょっとして寝てる?」

「ああ、ガキみたいに泣いてたら疲れて寝ちまいやがった。寝転がらせた時重くて仕方なかったわい。とりあえず運んでやってくれ。ここじゃ風邪引くからな。まあ機械人は風邪は引かんだろうが、一応な」


 ハーツはアルマを起こさないよう、慎重に動かして自身の背中に背負った。ふとアルマの顔を見ると、いつか見たあの悲しげながらも安心したような顔をしていた。


「……爺さん、すまないな」


 ハーツが礼を言うと、源蔵は手をひらひらさせた。和室を抜け、二人はアルマの自室へ向かった。ハーツは慎重にアルマをベッドに寝かせる。すると、ハーツの足元に何かが当たった。


「?」


 見ると、それはイルカの形の抱き枕だった。


「あ、これ美香ちゃんのだ」

「美香の?」

「うん。美香ちゃんが言ってたの。初めてアルマ君がうちに来た時、寂しいからって美香ちゃんの部屋に押しかけてきて、一緒に寝るのはあれだから代わりにこの抱き枕をあげたんだって。そしたらすごく気に入ったみたい」


 ハーツはその抱き枕を持ち上げた。中はビーズが入っており、心地良い感触がした。なんとなく良い匂いもした。


「良い匂いだな……心が落ち着く」

「ポプリが入ってるんだって。あとアルマ君が言うには、美香ちゃんの優しい匂いもするんだって」

「美香の……」


 アルマが美香に会いたがっていることを思い出したハーツは、アルマにそっと抱き枕を添えた。


「!」


 ぎゅっと抱き枕に抱きついたアルマの目からは、涙が滲み出ていた。それは明里も見ていたらしく、明里は寂しそうな表情でアルマにタオルケットを掛けてあげた。そして二人は何も言わず、静かに部屋を出たのだった。


 ♢


 イサミと共に軍警本部に戻ったヴィクトルは、誠に任務の進捗報告をした。その後、ハーツからの頼みを受け、誠に事情を聞くこととなった。


「叛乱軍。エルトリア侵略時代に存在していた、反エルトリア派の中でも有名だったレジスタンス集団だ」

「レジスタンス、ですか……」


 誠の目の前には、大量の書類が置かれていた。全てその叛乱軍にまつわるものらしい。


「規模こそ大きくはなかったものの、村や町を解放させるほどの実力はあった。何より構成員のほとんどが反エルトリア派に属する国の有権者ばかりだったからな。だが、ある時エルトリアの策略に嵌められてしまった。軍にスパイ的立ち位置の存在を忍び込ませたんだ。結果、最終戦争で隠れ家が暴かれ、構成員は全て皆殺し。リーダーだけは一時的に逃げ延びたものの、最終的には殺されてしまった。叛乱軍の記録はエルトリアの歴史に深く関わっていることもあり、各国家との話し合いの結果、リーダーの個人情報のみを削除し、他の個人情報を含めた記録を保存することとなった」

「リーダーだけ? 何故?」

「なんでも一説によれば、リーダーがそのスパイを招き入れた張本人らしい。エルトリアと繋がっていた可能性があるからだそうだ」


 誠はヴィクトルに書類の一部を渡す。


「死伝天使が叛乱軍の名前を挙げていたって話だったな? 一応その書類は、リーダー以外の叛乱軍メンバーの個人情報が掲載されている。奴がそのメンバーの関係者か、あるいは……」

「アルマやエルトリア皇帝と同じ、なんらかの理由で千年生き延びた存在か……」

「しかし、叛乱軍は皆殺しにされたのでしょう? 仮に奴が生存者だとして動機は?」

「……機械への憎悪、かもな」


 ヴィクトルが書類に視線を落としながらつぶやく。

「叛乱軍は機械帝国と呼ばれたエルトリアと戦っていたのだろう? なら、機械への憎しみは少なからずあったはず。そんな奴が今の世界を見たらどうなるか目に見えてわかる。動機としては十分な理由にはなるだろう」

「それが今の奴の行動に繋がる、というわけか……」


 誠は膝をテーブルについて思案顔を浮かべた。


「……アルマはその叛乱軍という言葉にひどく反応していたそうだな?」

「らしいです」

「……やはり無関係ではなさそうだな。記憶が戻るのも時間の問題か……」


 しばらく考えた後、誠は口を開いた。


「ヴィクトル。事件が終結次第、アルマの様子をしばらく観察してもらえないだろうか?」

「奴をですか?」

「私の直感だが、おそらくアルマには記憶復旧の兆しが見えてきているようだ。記憶の詳細次第では彼の存在も変わってくる。念のため頼めるか?」

「……了解しました」


 ヴィクトルとイサミは誠に頭を下げ、局長室を後にした。


「色々と厄介なことになっているな」

「ああ……だが立ち止まることはできん。いずれ来るであろう帝国との決着のためにも、少しでも有力な情報や力を得ないとだしな」

「確かに兵力は強化したいところだな。……我が小隊ももうじき再結集。いざとなればすぐにでも戦場に行くつもりだ」

「そうか。もうそんな時期にまで来たか……タイミングが実に皮肉だな」


 ヴィクトルは歩きながら資料に目を通す。資料に書かれているのは、構成員の画像と個人情報ばかりだった。


(叛乱軍、帝国、そしてアルマ……

 この三つの共通点は何だ……?)


 ♢


「……ムカつく」


 さっきから莉央はそうつぶやきながら、後頭部座席から運転席の後頭部を蹴っていた。黒崎が運転しているにも関わらずに。


「……蹴らないでくれる? 運転中なんだけど」


 黒崎は苦笑いしながらも注意する。予選を終え、無事に本戦に出場できた莉央は、黒崎の車で帰路に着いていたところだった。


「うるせえ。今気分が悪いんす」

「アルマのことかい?」


 莉央は足を止め、不機嫌そうに舌打ちした。


「……あいつマジで読めねーんだよ。バカかと思ってたら急に真面目になるし、嫌になるくらいに馬鹿正直だし、しかも命知らずの自殺希望者かと思えば、死にたくはないなんて言うんすよ? 矛盾が激しいとは思いません?」

「まあまあ、きっと彼にも色々あるんだよ。それにしても珍しいね。莉央がそんな風になるなんて」

「そんな風?」

「ほら、莉央って他人のことなんてどうでもいいってスタンスだろう? そんな君が誰かを気にするなんて、珍しいじゃないか」

「あ……まあ、俺にも気にすることくらいはありますよ? こいつ変だなーとか、目立ってんなーとかくらいなら……」

「その割には随分ご執心じゃないか。もしかして、彼に惚れちゃったとかっ?」


 悪戯っぽく笑う黒崎にイラついたのか、莉央は舌打ちしながら後頭部を激しく蹴った。


「あだあっ!?」


 あまりの衝撃に思わず黒崎は頭を抱えた。


「もお〜! 今は高速線だから良いけど運転中なんだからね!」

「知るか」


 そう吐き捨て、莉央は足を降ろした。


「……絶対あいつは近いうちに殺す。死伝天使を殺る前か後に絶対殺す。問題は殺し方だな……心臓を撃ち抜くか、蜂の巣にしてやるか、ナイフで切り刻むか、引きちぎって分解するか……」


 あ、これはガチだなと黒崎はそう悟った。


「まあ、殺す殺さないは抜くとして、それくらい莉央にとってアルマは強く影響を与えたんだろうね。莉央、あの予選の後、なんかいきいきとした感じがするから」

「はあ? あんた、目が節穴っすか? 俺のどこがいきいきとしてるんですか?」

「だって現に今莉央、いつも以上に喋ってるじゃないか」


 はっとなった莉央は口を押さえ、黒崎をジロリと睨んだ。


「……莉央。君は殺し屋である以前に、一人の人間なんだ。多少人間らしさを得ても、罰は当たらないと僕は思うよ」


 余計なお世話だと言わんばかりに、莉央は黒崎を睨み続けていた。


「さてと、僕はこの後用があるんだ。ちょっと莉央は同行できないから、この辺りで降りてもらえないかな? ここから家までは近いし」

「いいっすよ。俺も休みたかったし」


 車は開発地区南区の一角に止まり、莉央はそこで車を降りた。十分ほど歩けばすぐにアパートに到着した。自宅に戻ると、莉央はベッドに寝転んだ。


「人間らしさ、ねえ……」


 莉央は右手を天井にかざす。


 ──やっぱりオレ、命の恩人であるお前のこと、あんまり傷つけたくねーんだよな。


「!」


 ふと脳裏によぎったアルマの言葉に対し、莉央は舌打ちした。


「……あんなの、ただの気まぐれだ」


 そう解釈しようとした時だった。突然インターホンが鳴った。


「あ……? 誰だ? こんな時間に」


 渋々莉央は玄関へ向かう。扉のレンズを覗くと、そこにいたのは棚田沙羅だった。


「棚田……?」


 莉央はチェーンキーを外し、扉を開けた。沙羅は手持ち無沙汰の状態で立ち尽くしていた。


「どうした? こんな時間に何の用だ?」


 莉央が問いかけるも、沙羅は答えずうつむている。そのまま沙羅は莉央に接近してきた。


「おい、急に何…」


 その時だ。急に莉央の左脇腹に、痛みと熱が湧き上がってきた。


「……っ!?」


 莉央は視線を脇腹に向ける。見ると、自身の脇腹は包丁で刺され、血が滲み出ていた。その包丁を持つ手は、沙羅のものだった。


「ーっ!!」


 俯いていた沙羅の顔が上がる。その目には覇気がなく、虚だった。


「おまっ、何をっ……!?」


 突然のことに莉央は動揺しながら後退りする。心臓が早く脈打っている。沙羅は包丁を両手で持ちながら、ゆっくりと莉央に近づいてくる。


「……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい柊君……!! 許して、許して、許して許して許して……!!」


 沙羅の体は異常なまでに震えていた。


「……どういう風の吹き回しだ……!?」


 莉央は静かに問う。


「ごめんなさいごめんなさい……!! でももうこうするしかないの……!! あなたを殺せば、私は自由になれるの……!! あんな狂った家族から解放されるの……!!」

「……何でそうなるんだよ……!?」

「私に同情してくれた優しい機械人がいてね……その人が言ってくれたの……ブルーローズ、柊君を殺せば、その人が私の家族を地獄に落としてくれるって……!!迷彩のボロマントの、ガスマスクを着けた機械人……!!」

「!!」


 迷彩のボロマントにガスマスクと聞いた途端、莉央はすぐに悟った。黒崎が教えてくれた、死伝天使の特徴だった。何故死伝天使が自分を。何故沙羅に頼んだのか。動悸が速まる中、莉央は思考を巡らせる。しかし、疑問のうち一つはすぐに解決した。


「その人がね、言ってたの……ブルーローズは厄介な存在になる……早いうちに始末したいって……なんかね、無心の刃を殺すのに邪魔になるだろうからって……」

「無心の、刃……!?」


 一瞬何のことかわからなかった莉央だったが、あることを瞬時に思い出した。死伝天使はGoDに参加している。となると、奴は自分が戦っている様子を見ていたはず。無心の刃とは、戦った三人の誰かか、あるいは別の参加者ということになる。しかし、三人の内二人は予選で殺している。その中に無心の刃がいたのであれば、自分を殺す動機は消えるはず。だが今こうして狙っているということは、まだその無心の刃を殺していないということだ。無心の刃とはアルマのことか、相手していない参加者となる。自分を狙う理由はわかった。問題は何故死伝天使自らではなく、棚田沙羅に頼んだのかだ。自分と彼女の繋がりを知っている人はごくわずかのはず。どこでその情報を得たのだろうか。様々な考えが莉央の頭を巡る中、沙羅は一人言い分を続ける。


「もう嫌なの……嫌で嫌で仕方ないの……!! 何でみんなして私を見てくれないの……!? 私だって必死に頑張ってるんだよ……!?なのに、なのに……何でみんな茉莉しか見ないのっ!? 何でってだけでみんなちやほやするのっ!? あんなのただのロボットじゃない!! 棚田家の血なんて流れてないのに!!」

「!?」


 沙羅の妹はアンドロイド。それは莉央からすれば初耳だった。


「機械人は人間じゃない……たかが機械じゃないの……!! あの人はわかってくれたの……!! 機械が人間になれるわけがないって……!! ね、柊君もそう思うでしょっ? 柊君も機械が人間になれないって、そう思ってるんでしょっ? ねっ、ねっ?」


 気づけば莉央はバルコニーに続くサッシにまで追い込まれてしまった。莉央の体と沙羅が持つ包丁との距離は、もう目と鼻の先だった。刺された脇腹から血が滴る。莉央の額から冷や汗が滲み出てきた。


「……悪いが俺はどうだっていい……機械が人間になるとか別に反対しねえ……誰が何を考えてるかなんて俺には関係…」

「あるよっ!! だって柊君だけだもんっ!! 私を平等に見てくれるのはっ!!」

「!?」


 沙羅の目がギンと見開かれる。


「私を平等に見てくれる……なら、あなたは私の考えにも賛同してくれるはずだもん……!! 他のみんなは誰も私の考えに賛同どころか興味すら持ってくれないから……!! ねえ、訂正して? 機械は人間になれないって。訂正してよ、訂正してよ……!! じゃなきゃまた刺しちゃうよ……!?」


 包丁の矛先が莉央の腹部に向けられる。


「お前……っ!!」

「大丈夫……あなたは死なないよ……完全に死ぬ前に脳みそ保存して、あなたそっくりかつ理想的なロボットに改造してあげるから……!!だから死んで……私の未来とあなたのために……!!」


 沙羅の表情がだんだんと歪んだ笑みに変わる。もはや対話など不可能な状態なのは目に見えてわかった。


「死んで……死んで……死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んでええええっ!!」


 絶叫が響いた、刹那。

 一発の銃声が轟いた。


「……え?」


 沙羅は目を丸くし、そのまま倒れた。無意識のうちに莉央は、左手で刺された脇腹を押さえ、右手で懐に忍び込ませていた銃を持っていた。銃口から小さな煙が上がっている。いつの間にか発砲していたのだ。莉央は倒れている沙羅を見下ろす。どうやら腹部を撃ったらしく、彼女の腹部から血が滲んでいた。


「ひい……らぎ……くん……?」


 震えながら沙羅が顔だけ上げ、右手を莉央に向かって伸ばす。その表情は悲哀に満ちたものだった。


「……っ!!」


 莉央は顔を歪めた後、目を逸らして引き金を引いた。


「……もしもし、おっさんか? 悪い……奇襲を受けた。脇腹刺された。大至急死体の処理と応急処置を頼む」


 ♢


 最新話までご拝読、ありがとうございました!

 カクヨムでの連載はこちらで一旦終了となります。今後の詳しい情報は、近況ノートに記載していますので、是非目を通していただければ幸いです。それではまた!

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