第4話 髪

 ゆかちゃんの誕生会から数日後。

 百合子さんの部屋へ、息子と一緒に招かれた。百合子さんが振る舞ってくれるという、ごちそうを待つ。

 巧はソファで昌雄くんと漫画を読み耽っている。

 手持ち無沙汰でスマホをいじっていたら、団地ママのグループラインから退会させられていた。

 もう誰も玲香を家に招いてくれないし、すれ違っても、あいさつしてくれないだろう。

 

「ま、いっか」 

 

 巧も自分も親友ができたし。 

 

「お待たせ」

 

 キッチンから、鍋を持った百合子さんが出てくる。

 

「巧くんのママ、来てくれてありがとう。家に人をあげるなんて滅多になかったからうれしいです」 

 

 ふと、思いついた。

 

「ねえ、敬語やめない? 巧のママって呼び方も」 

「え?」

「だって私たち友だちじゃん。玲香って呼んでよ」 

 

 一瞬息を飲んでから、彼女は笑顔を作った。

 

「……うん。そうだね玲香。私も百合子って呼んで」

「うん。百合子、これからもよろしくね」

 

 二人で照れて、フフっと笑い合った。

 

「冷めないうちに食べて。玲香と巧くんのために奮発したんだ」

 

 百合子さん、いや、百合子は、鍋をテーブルの上に置き、蓋を開けた。グツグツ煮たったスープに、肉や野菜や、黒いウネウネした海藻が、大量に入っている。

 玲香は目を丸くした。

 

「わ。藻の鍋? そんな料理あり?」

「おいしいよ。髪にもいいし」

    

 百合子は鍋の具材をお椀によそい、玲香に渡した。

 かすかに焦げた臭いが漂う。

 

「あ、いけない。焦げちゃう」

 

 百合子は慌ててキッチンへ戻った。

 その背を見送り、自分の選択に満足を覚える。

 百合子はちょっと変わってるけど、まあいいや。友達だし。

 落ちた髪は落ちた髪同士、仲良くすればいい。

 渡されたお椀の汁物を啜る。ダシがおいしい。ただ、藻が少し固く、噛みきれない。舌に絡みついてくる。

 

「ん?」

 

 キッチンから、昌雄くんが皿のいっぱい乗ったお盆を持ってきた。

 

「巧も食べなよ」

 

 テーブルの前に並べられるのは。

 

「ひ……っ」

 

 豆のサラダに、鶏肉のステーキに、イチゴのケーキに、炊き立ての栗ごはん。

 すべての料理に、無数のもじゃもじゃとした、黒い糸のようなものが絡まっている。

 キッチンで料理をする百合子が、

 

「『これ』を食べてくれる人ってなぜかいなかったのよね。旦那もゆかちゃんのママも他のみんなも」

 

 まさか。

 

「生命力の塊だから一番栄養のある食材なのに。私は子供時代、貧乏で飢えて死にそうになっても『これ』さえ食べれば元気になったのよ」

「……『これ』は昌雄くんのかつらにするんじゃ……」

「そうしたいけど足りないの。毎日必要だから。はい、ソテーができたよ」


 笑顔の百合子が、皿を玲香の前に出す。

 炒められ、湯気を立たせた、黒いウネウネしたもの。独特の焦げた臭い。

 ソレはやっぱり、ソレだった。

 口内の藻を指で乱暴に取り出す。

 立ち上がり、早口で言った。

 

「ごめん、私も食べられない。巧、帰ろう」

 

 百合子は笑ったような、困ったような顔で、

 

「玲香はもう食べてるじゃない」

「は?」

「ほら。前にあげた。細かく砕いたからわからなかったかな?」

 

 記憶を辿る。

 公園で、なにか、もらわなかったっけ?

 

「『これ』を食べてくれる人なら必ず仲良くなれると思って。玲香とは絶対友達になりたかったの」


 昔のことを思い出しながら食べた、甘ったるいチョコクッキーは……。

 

「あ、ああ、あああ、ああああああ。ああああああああああああああああああ」

 

 

 

 頭皮からひょっこり生える黒い糸は、剃っても剃ってもなくなりやしない。

 鏡に映る真っ白な病室も、もう見飽きた。外に出たい。

 ガラスの扉越しに、息子を連れた夫が、医者と話しながら、気の毒そうにこっちを見ている。

 

「先生、玲香はもとにもどらないんですか」

 

 医師は首を振り、

 

「残念ですが」

 

 人の気も知らないで。私は正常だ。ただ、ひどいトラウマが刷り込まれただけで。

 

「ママ」

 

 息子がたまらずといった感で、扉を開けて玲香に駆け寄る。夫や医者が「行くな!」と止めるのにも関わらず。

 息子の頭に黒々と茂るモノを見たら、あの日の最悪の体験が理性を蝕んだ。

 なくなってしまえ。こんなもの。

 息子が痛がるのも構わず、彼の髪を引っ張り、引き抜こうとした。

 

「痛いよ! ママ……」

「玲香、やめろ」

「やめさせるぞ」

 

 夫や医師や看護師が、玲香を羽交締めにする。

 モシャモシャと集まる、黒や茶色の糸の塊が顔に触れた。

 

「ひっ。髪、髪。あ、うわあああああっ!!!」

 

 気持ち悪さに泣き喚めいた。引き抜いた息子の髪が、パラパラと床に落ちる。

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