髪
Meg
第1話 変わったママさん
髪の薄いママが、床のホコリの中から、髪の毛を一本一本探り出している。くすんだ茶のニット帽を被った子供と一緒に。
ママ友たちが静まり返る中、
ここは陽光が差し込む団地の一室。駆け回り、遊び回る子供だらけで、おもちゃが散らかっている。大人の雰囲気なんて感じてないようだ。
「……あの、こっちに来ませんか?」
ようやく、勇気を出して声をかけた。
今日は巧の誕生日。最近引っ越してきた玲香一家の歓迎会も兼ねて、団地のママ友が集まってくれた。食べ物を持ち寄り、お誕生会を開いていたのだが。
髪の薄い彼女は、玲香と目を合わせた。色白で、若くもなく、老けこんでもいない。丸い顔に、優しい笑みとも、困り顔ともつかない表情を浮かべ、
「すみません。もう少しいいですか」
「ご飯冷めちゃいますよ。それに……」
汚いですよ、とは、なかなか直接は言いにくい。
「あ、私、
玲香の言い淀みを、名前がわからないせいだと勘違いしたのか。百合子さんはいたって親切に自己紹介をした。
「そ、そうですか。さっきからなにしてるんですか?」
名前より、そっちのほうが気になる。
百合子さんは屈託なく、
「髪を集めてるんです」
と、床から拾った長い髪をつまみ、玲香に見せてくれた。
「ママ、もう一本あったよ」
ニット帽の子供、
なんで? どうして? ここは他人の家ですが?
いろんなことを言いたいが、どの言葉も、放った瞬間カドが立つのは目に見えている。
どうすべきか悩んでいると、ママたちが引き攣った笑みで、
「巧くんのママって髪きれいだよね。シャンプーなに使ってるの?」
「ね。私なんか超癖毛で毎月ストパーかけてて。旦那に金使いすぎ!って怒られたよ」
話題が変えられる。玲香はすかさず飛び乗った。
「へ、へぇ。旦那さんひどいですね。ストパーくらいいいですよね」
「ていうか敬語じゃなくていいよ。私たち友達なんだし」
髪を拾い続ける百合子さんなんて、最初から存在していないかのように、会話が広がっていく。
ぼんやり思う。
確かに百合子さんは変わってるけど、こういう空気、なんか苦手。
『三田さんの髪ってなんか変じゃない? ハブろう』
セットになって、学生時代の嫌な記憶が蘇るから。
日中、玲香は仕事をしている。巧の通う小学校まで、夫の会社より自分の会社のほうが近いので、送り迎えは玲香が担当していた。
夕刻になると、小学校の門は、生徒たちの元気一杯の笑い声や泣き声で溢れる。
息を切らせた玲香は、走って門へ飛びこんだ。残業で遅くなった。巧が心配だ。
「巧くんのママ! 息大丈夫?」
同じように我が子を迎えに来ていたママ友に声をかけられ、玲香はうなずいた。
「うん。残業で。巧どこにいるかわかる?」
「あ、うん……」
気の毒そうなママ友の視線が、夕日で赤く色づいたグラウンドの、男の子の集団に移った。
目に敵意を剥き出しにした男の子の集団と、巧が対峙している。
「え……?」
巧の背後で頭を抱えた、くすんだニット帽の昌雄くん。しゃがんで昌雄くんを抱きしめている、髪の薄い百合子さん。かたわらには、サッカーボールが落ちていた。
巧は毅然と、
「謝れよ。ボール当たって昌雄くん痛がってただろ」
男の子たちは憮然と、
「そいつと仲いいの?」
「仲良いとか関係ない」
「そいつと仲良くしたら巧もハブるから」
玲香はゾッと恐怖を感じた。ずっと昔の記憶がフラッシュバックする。制服。教室。『ハブろう』という同級生の声。嘲笑いで剥き出しになっていた、矯正ワイヤーのついた歯。
「巧!」
トラウマに突き動かされた玲香が駆け寄ると、男の子たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
しゃがんでいる百合子さんが顔を上げ、笑みを作った。
玲香は百合子さんと話そうとする。が、ママ友に二の腕を軽く叩かれ、ヒソヒソと、
「昌雄くんのママと関わるのはやめな。変わってるから」
「でも……」
「あなたもつまはじきにされるよ。髪の人って。すっごい嫌ってる人もいるんだから」
それは、確かにそうかも。
昌雄くんは泣いている。百合子さんは彼の頭をさすり、慰めている。
かわいそう。けど、なすすべはない。
巧に「帰ろう」と言おうとした。
が、巧は自分が思う以上に勇敢だった。
泣いている昌雄に一言、
「ごめんな」
自分が恥ずかしくなる。6歳の子供より、人間的に下なのを自覚したら。
ママ友はため息をつき、さっさと玲香から離れていった。
人として恥のない生き方をしたい。けれど、強すぎる孤独な気持ちは、自分にそれを許してくれないかもしれない。
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