第2話 黒いクッキーと黒い記憶
日曜日になると、団地の前の公園は活気に溢れる。
色とりどりの遊具が、初夏の日差しを受けて輝き、元気一杯な子供たちの陽気な笑いが、風に乗って響いた。
主役は子供。大人は脇役。
ママたちは公園の端に集まり、楽しくおしゃべりをしている。
なのに、公園に玲香と巧が来た途端、空気は一瞬にして冷えきった。
子供たちは逃げ去り、ママたちもそそくさと姿を消す。
息子と残された玲香は、寂しさを感じながらも、ブランコを揺らした。
「しょうがないね。ママと遊ぼうか」
「うん」
息子の返事は明るいが、どこか悲しさも感じる。心が痛んだ。
巧があの人の子と仲良くするのを、止めなかったせいで。
なにが正解なのだろう?
不意に、柔らかな声がした。
「こんにちは」
くすんだ茶のニット帽の昌雄くんと、手を繋いだ百合子さん。
「あ、どうも……」
「この間はありがとう。これはお礼です」
百合子さんは、かわいい装飾の、小さな包み紙を差し出した。
受け取って開けると、黒いクッキーがきれいに並んでいる。
「おいしそう」
でも食べたら、遠巻きに様子をうかがっているママ友からは、完全に百合子さんの仲間とみなされる。そしたら今以上に……。
が、昌雄くんが無邪気に、
「ママと2人で作ったの。巧と巧のママと仲良くなれるように」
と言ったので、ありがたく頂戴することにした。
温かい好意を断るのは罪悪感があったし、純粋に嬉しかった。
話してみると、百合子さんは団地の一階で、美容院をやっているらしい。
特別に格安で施術をしてくれるというので、好意に甘えて店へ入った。ちょうど美容院の予約も考えていたし。
白のカットクロスを上半身に被せられ、手際のいいハサミさばきにより、チョキチョキと髪を切られる。
「きれいな髪ですね。よく手入れしてるんですか?」
「いえ、そんな」
切られて落ちていく自分の髪を、百合子さんが手早く箒で集めているのを見て、少し気が重くなった。
美容院代は結構高いから、格安で切ってくれるのはありがたい。でも、当然集めるつもりだったんだろう。
二人の息子は、百合子さんのチョコクッキーと、棚の漫画に夢中だ。
巧は誰とでも仲良くなれるから、昌雄くんとも打ち解けている。
「昌雄、その帽子この漫画に出てきてるのとそっくりじゃん。俺にも被らせてよ」
「だめ。ママが編んでくれたの」
昌雄くんは両手で帽子を庇った。
巧はじゃれるように帽子をひっぱるが、昌雄くんは断固として守る。
ムキになったのか、巧はとうとう、昌雄くんの帽子を無理やり剥ぎ取った。
「ぎゃああああああああっ!!!!」
昌雄くんの絶叫に、巧はのけぞった。
玲香は急いで立ち上がる。息子への怒りをこめ、
「巧!」
「ごめんなさい!」
ワンワン泣く昌雄くんを、百合子さんがなだめ、頭にニット帽を被せて直してやっている。
「大丈夫よ。パパはもういないの。髪の毛引っこ抜かれたりしないからね」
衝撃的なセリフに、ハンマーで殴られたような気分になった。
「それって……」
百合子さんは笑ったような、困ったような、なんともいえない表情で、
「私のせいなんです。貧乏な実家から早く出たくて、初めて私に優しくしてくれたあの人と結婚しました。でも……」
訥々と話してくれた。
別れた夫が異常なほど潔癖症だったこと。
フケやホコリがつくからと、百合子さんや昌雄くんの髪の毛を無理やり引っこ抜いたこと。
そのせいで、昌雄くんは人前で頭部を晒すことに恐怖を覚え、帽子を外せなくなったこと。
辛い辛い過去に息を飲み、同情の念に駆られた。
昌雄くんのニット帽も気になる。
「思ってたんですけど、その帽子ってもしかして……」
「ええ。拾った髪の毛で作りました。本当はかつらを買ってあげたいんですけど、うちにはお金がないから」
そうか。かつらを作るために髪の毛を集めていたんだ。
「私の髪をかつらにしてあげられたら一番いいんですが、夫に抜かれ続けてから生えにくくなってしまいました」
「そんな……」
「髪は生命力の象徴でしょ。私のせいでこの子が生命力の証を失ったなら、私が取り戻さないと」
玲香はうつむいた。
正直、人の髪を拾い、帽子やかつらを作るなんて気持ち悪い。
けれど、気持ち悪いで片付けてしまうには、あまりにやるせない。
百合子さんは寂しそうに、
「巧くんのママ。どうして落ちた髪は仲間はずれにされるんでしょう?」
「え?」
「もとは同じ生命力の塊なのに、落ちた途端異質なもの扱いされるなんて、なんだかおかしくありませんか?」
カットされ、床に落ちた自分の髪を見下ろす。やたらツヤツヤとして、目立つ髪。褒められるときもあれば、悪目立ちするときもある。嫌な過去の記憶が頭をもたげた。
夜はあっという間に訪れる。
美容院を出ると、外はとっくに暗くなっていた。
昌雄くんに抱きつかれた百合子さんが、手を振って見送ってくれる。
「すみませんね、遅い時間まで」
「いえ。髪もスッキリしたし。ありがとうございました。クッキーまでいただいて」
百合子さんは巧にも、
「よかったら昌雄と仲良くしてくれるかな」
「うん。昌雄、また遊ぼうぜ」
昌雄くんは百合子さんに抱きついたまま、コクっとうなずいた。
玲香はほほえみ、家に戻ろうと、巧と歩こうとする。
「ねえ、巧のママ」
呼びかけてきた昌雄くんの声に、振り返る。
「ママのお友達になってあげて。ママ、巧のママなら仲良くしてくれるかなって、いつも言ってるんだよ」
「こら、昌雄」
百合子さんは昌雄くんを叱る。照れているのか、珍しく強い口調で。
じつのところ、玲香も気恥ずかしかった。大人になってから、こんなにまっすぐな好意や、純粋な友情を示されたのは、久しぶりだから。
玲香はほんのりと笑った。
「ええ。喜んで」
電気のついていない家へ戻ると、夫のいびきが轟いていた。
巧も歯磨きをする前に、コテンと寝てしまう。
暗いリビングで、スタンドの明かりだけをつけ、玲香は百合子さんからもらったチョコクッキーをボソボソと食べた。甘い香りが立ち込める。
頭が冴えて眠れない。妙に昔を思い出す。
『三田さんの髪ってなんか変じゃない? ハブろうよ』
ああ。嫌な記憶。
今日、百合子さんの話を聞いたとき、無性に思い出された。
学生時代、人と髪質が違うというだけで、クラスメイトの輪から排除された。
仲のよかった子も、玲香が除け者にされているのを見ると、仲間はずれにした。
担任の先生も、学年主任も、教頭も校長も、誰も助けてくれなかった。つまり全員が、玲香を異質な汚いものとみなしているってことじゃないか。
世界中の全員から、自分は嫌われているんだと、当時は本気で思っていた。
涙がホロリと溢れる。
自分も他の子も、同じ人間なのに。なぜ一度仲間から外れると、気持ち悪いものとして扱われなければならないのか。どうして仲間外れにされなければならないのか。
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