第4話

 検査結果に特別な異常はなく、上条も両親も胸を撫で下ろしたが、入院自体は一週間続いた。バイト先や大学に連絡を入れ、見舞いにきた大学の友人と話し、竜二さんは来てくれるかなと待っていたが来なかった。既読もつかなかった。しょんぼりしたが、忙しいのだろうと楽観的に考えた。

 入院費は両親が出してくれた。予想外の出費にならず助かったが、大変だとは知っているので甘えてもいられない。

 倒れたからにはバイトも詰められないが、さてどうしよう。

 上条は病院を出ながら色々思案した。足は無意識に進み続けて、占い館へと辿り着く。体は何よりも正直だった。とにかく榊に会いたかった。

「榊さんですか? 今日はお休みですよ。というかまだ開店前なんですけど」

 中に入るが別の占い師にそう言われた。えっほななんで返事ないんやろ? 困惑しつつ、今度はアパートへと足を向けたが不在だった。メッセージを送る。既読はつかない。電話をかける。出ない。

 出ないが、正直な体は優秀だった。

 部屋の中で一瞬、着信音がした。

「竜二さん!! 居留守なんですか!?」

 どんどんと扉を叩く。近所迷惑かと思ってボリュームは落としたが、しつこく何回か呼び掛けてインターホンを再び押した。反応はない。スマホを忘れていっただけなのだろうか。いやでも、着信音が一瞬だったから、慌ててマナーにしたんやないか?

 なんで避けられているんだろう? 上条は扉を叩く動作を止めて、自分の行動を振り返る。心当たりはあった。ストゼロだ。

 そうだ竜二さんは酒を止めた方がいいと忠告してくれた。居酒屋でまたしこたま酔って、流石に引いてしまったんじゃないだろうか?

 落ち込んだ。物音を不審に思って覗いた隣人が困惑するほど、あからさまに落ち込んだ。

 ここまで避けられているからには、やはり嫌われてしまったのだ。上条は恥も外聞もなく泣きそうになり、踵を返しかけたが引き止められた。

 扉が開いた。完全に寝ていた表情の榊に、上条は全てを察してスマホを覗いた。まだ昼になっていない。そういえば、店にいた占い師にも開店前だと怒られた。

「やっぱり陸か……」

「あっ、名前、呼び捨て嬉しいです」

「お前ほんま……いやええわ、入れ。話があんねん」

「入ります! おれも色々話したいことが、まず入院してたんですけど親も心配してきてくれて」

「入ってから喋れや!」

 怒られたのでまず入った。様相は変わらないので既に慣れたものである。唯一の踏み場とも言える布団の上へと、榊に誘導されて従った。

 向かい合わせで座った。榊は上下黒の部屋着を着ており、髪は全て下ろされているので真っ黒だった。顔に被さる前髪の隙間には、いつも通り端正な顔が覗いている。

「前置きせなあかんから先に言うけど」

「あ、はい、なんですか?」

「別れよう」

「えっ…………」

 ぶわりと肌が粟立った。次いでボロボロと涙が出始めてボタボタ落ちた。

 榊は上条の様子に眉を寄せたが、ある程度は予想していたのか落ち着いた様子でティッシュを出した。

「前置きや言うたやろ、嫌いになったとか酒乱すぎて付き合い切れんとかやっぱり男は趣味ちゃうとか後ろ向きの理由ちゃうねん、ちゃんと聞いてくれ」

 言い方は相変わらずだがどこか穏やかな声だった。上条は鼻をかみつつ、一応頷く。それを見て榊はほっとしたように息を吐き、煙草を一本引き出した。

「まずな、お前が泥酔して来た日に手相見たやろ?」

「はい、見てもらいました」

「それが結構、まずかったんや」

 榊は煙を吐いて、一旦煙草を置いてから上条の手首を掴む。

「ここ、生命線」

「うわーおれ生命線長いですね」

「うん長い。長いんやけど、これ、ここ、変な線あるやろ?」

「あ、うん、なんやこれ」

「これ多分俺やねん」

 竜二さん? 意味がわからず問い直すと、榊はぽいと手を離してから煙草を一口吸い込んだ。

 この線が竜二さん。上条は自分の掌をじっと見つめる。手首まで到達した生命線を分断するような、濃い斜線が確かにある。しかし何故これが彼なのか。占い自体がわからない上条には、目の前の恋人と掌の斜線をうまく結びつけられない。

「わからんかもしれんけど」

 その様子を見ていた榊がまた話し出す。

「俺ははじめ、その斜線はもしかしたら、俺に振られて落ち込んだお前がやけを起こすんやないか、って方向で読み取った。今思えばそれも俺が軸の占いなんやから間違ってもないけどな。実際は違うかった。陸が倒れて、どうもバイトを詰め込んでたみたいで、その中で無理やり俺に会う時間やら連絡する時間を絞り出しとったらしいって、お前の病室にいた友達から聞いたんやけど」

「えっおれのお見舞い来てくれたんですか!?」

「話の腰を折るなアホなんか?」

 怒られたので、小さくなりつつなんとか黙る。とにかく、と苛立ったように榊が言って、灰皿に押しつけられた煙草が煙を吐き出しながら鎮火する。

「俺と付き合うことがお前の過労に繋がったんやから、結局俺の判断ミスなわけや。だからもう別れよう、バイト三昧で学費稼がなあかんのはしゃあないとして、そこに俺まで乗っかってたら次いつ倒れるかわからんやろ」

 シリアスなムードだとはわかっていた。しかし上条の中にふつふつ湧き上がっているものは、確実に喜びの形をしていた。

 竜二さんがおれの心配をしてくれて、おれのために別れようと言ってくれている……。

 最高の気分だった。堪える暇もなく涙がまた溢れ出し、榊はギョッとしたように上条を見たがショックで泣いたのだと勘違いをした。

「泣くな泣くな、別にお前が嫌いなわけちゃうねん、むしろ結構おもろいと思うてるわ。神上陸って読み方ができるふざけた名前もおもろいし、ほんまに犬みたいで可愛がりたい気持ちはあったんや、けど、っうお!?」

 慌てて宥めにかかる榊を力任せに押し倒した。バイトで鍛えた腕力は細身の榊を組み敷くには充分で、荷物運びばかりやらせてきたバイトの先輩ありがとうと心の中で感謝した。

「竜二さん!!」

「な、なんや」

「おれの童貞捧げさせてください!!!!」

「なんて!?」

 あからさまに動揺している榊の部屋着をせっせと脱がす。やめろとか本気かとか口では抵抗しつつも榊は随分おとなしく、のぼせ上がった上条もちょっと不思議に思って手を止め様子をうかがった。

 驚いた。榊の顔は真っ赤だった。乱れた長髪からちょんと覗いた耳まで赤く染まっていた。

「み、見んなや、なんやねん」

 そう言って目を逸らされた瞬間、上条の理性は終わった。

 独居用のアパートの一室で、真っ昼間から盛ってしまった。


 夕方過ぎ、散々致した汚部屋の真ん中に、二人は寝転がっていた。榊は上条に背を向けていたが、上条は構わず絡みつき、めっちゃ好きです最高でしたとしつこく愛を囁いていた。

「竜二さん、もしかして押しに弱いんですか? ほな別れへんって駄々こねまくったら通りませんか通るやろ、別れません、過労はただの不注意やし、学費は大変やけど親もできることは援助するって言うてくれてるし、授業の単位は完璧なんで大丈夫ですよ別れません、というか、竜二さん初めてちゃうかったんですか? もしかして前から男ばっかり付き合ってる感じですか? せやったらちょうどええやないですか! おれ竜二さんのことめっちゃ愛しますよだから」

「あーあーあーもうええもうなんも言うな抱いたんやからわかったやろなんも口に出すな」

 げんなりした顔で振り向いた榊に上条は満面の笑みを向ける。榊はまだ少し顔が赤い。とても可愛い、綺麗でかっこいいだけではなく死ぬほど可愛いなんて最高の人すぎる。

 榊は照れ隠しのように舌打ちし、再び背を向けて寝転がる。

「……別れる気があらへんのはわかったわ」

「はい!」

「腰折るなよ、聞けよ」

「は、はい」

「別れへんのやったら、別の話をせなあかん」

「なんですか? 頑張ります」

 身を起こして覗き込む。気だるそうに見上げてきた榊の瞳は相変わらず綺麗で、だけど少し、様子が違った。浮かぶ色が憂いを帯びていた。

「占い結果を正しく伝えすぎて、人を傷つけてもうたことがあるねん。どうにかしようとしたけど、なんもできんかった。占いなんて道筋の示唆程度しか意味はない。せやから今度は、今度こそは、悪いことになりそうなやつを助けたいと思ったんやけど……やっぱりあかんかったな、陸、お前の運勢を俺が歪ませてたとしても、俺の恋人でいたいんか?」

「いたいです!」

「即答やんけ」

 ああもうアホらし。榊は溜め息混じりに言ってから、困ったように眉を下げて笑った。

 初めて見るその表情はやっぱり可愛く、上条はますます榊を好きになる。

「なんかわからんけど、おれ竜二さんとハッピーライフ過ごすために頑張ります!」

「いや頑張り過ぎて過労で倒れたから別れようって話をはじめにしてたはずなんやけど」

「えっ、ほな程々に頑張りながら生命線に生きろって祈ります、っていうか竜二さん? を模しているらしい斜線に乗っかられてるとかおれの生命線羨まし過ぎませんか? ずるいわ、今度おれにも乗ってください」

「お前ほんまに飲んでなくても頭おかしいな!?」

 榊の叫びも意に介さず、上条は笑顔のままで何度も頷き、細い体をぎゅっと強く抱き締めた。


 おれにとっては竜二さんが神ですよ。ふらふら酔っ払ってるおれの世界にやってきた、なんでも占える神様です。人身御供みたいなもんやん、おれがおれを捧げたらずっと竜二さんとおれるんやろ、最高に幸せやないですか。

 背後で話し続ける上条の声を、榊は黙って聞いていた。ちょっと泣きそうになったことは言わず、押し倒されて本気で恥ずかしかったことも言わず、お前がその気なら死ぬまで付き合ってやってもええと、伝えようとしてやっぱりやめた。

 以前傷付けた相手は唯一付き合っていた人なのだとも教えずに、今度こそどうにかしたるわとだけ、意味が通らないよう呟いた。


 前途多難な二人だが、ともあれ始まったばかりなのだった。

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酩酊占い 草森ゆき @kusakuitai

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