キミの猫になりたい

ばーとる

本文

 三者面談で先生にぼろくそに言われた。何が「このままではむすめさんの志望する高校は厳しいと思います」だ。そもそも私が行きたいと言って決めたところではない。お母さんとお父さんの期待を、やれやれと思いながら背負っているだけだ。進路なんてだれ真剣しんけんに考えていないことなど、先生を10年も続けていればわかることだと思う。……わからないくらいにりょが浅いからだんさんにげられるのかあのオバハンは。


 私は、お母さんが運転する車の後部座席で、こんな屁理へりくつをこねくり回している。そう、これは屁理屈だ。勉強をしないといけないことは頭ではわかっている。そんなことはわかっている。


「これからはちゃんとがんりなさいよ。アンタを私立に行かせられるほどのお金は、ウチには無いんだから」


 何も言い返さない。わかっているんだよ、そんなことは。


「わかったなら返事をしなさい」


「わかったってば」


 お母さんはきょうだ。こうやってげんを取って、私の気乗りしないことでも「あのときやるって言ったでしょ?」なんて言う。似たような空約束が積みあがったせいで、私とお母さんの仲は完全に終わっている。


 ああもう面倒めんどうくさい。すべてが面倒くさい。


 家に帰り着いた。郊外こうがいに建つマンションの6階が我が家だ。一刻も早くお母さんを視界から消したくて、足早に自分の部屋に入る。心がつかれたときには、可愛いものを見るに限る。


 机から、インターネットで買ったバードウォッチング用12倍ズーム対応の双眼そうがんきょうを取り出す。本当はカメラが欲しいけど、それを買ってしまうとヘンタイになってしまう気がして、なかなか手が出せない。


 ベランダに出ると、ガビチョウやキジバトたちのさえずりが聞こえる。雲居の空は、昨日より青い。いい天気だ。


「さあて、ヒロシ君は帰ってるかな?」


 私は建物をいくつかはさんだ向こうにある、小さな一軒いっけんに照準を合わせる。2階建ての、かわらきのこじんまりとした家。新しくもないけど、ボロボロというほどでもない。


 ヒロシ君の部屋は二階の角にある。ここから見ると、ちょうど玄関げんかんの真上だ。今はまだカーテンが閉まっている。ということはまだ帰ってきていないのだろう。


 ヒロシ君は、小学2年生の男の子だ。青いランドセルを背負い、しょぶくろを手に下げて帰ってくる。何色にも染まっていない素直な心と、笑った時のくしゃっとした顔が可愛い。さらに、8さいの割にはしっかり者で、洗濯せんたくをしていることもある。両親の帰りがおそいからだろうか。


そのまましばらく待っていると、ヒロシ君が帰ってきた。油断をすると、よだれが垂れてしまいそうになる。


「可愛いなあ」


 どうにかしてお近づきになりたい。でも、きっかけがない。だからこうして遠くから見守るのが、今のところは精一杯だ。


「アンタまた鳥見てんの?」


 思わずかたねた。後ろからお母さんに声をけられた。お母さんにはバードウォッチングだと説明しているから、私のこの法律的にグレーなしゅはバレていない。


「ついさっき勉強について先生に言われたばかりでしょう。こんなことやってるから志望校がC判定なのよ」


 やはりそんな話か。


「わかってる。もう少ししたら数学やるから」


「本当にわかってるんでしょうね?」


 声のトーンが一段階下がった。最近テキトーに「わかってる」ばかり言うから、信用を失いつつある。まずいことだと分かってはいるけど、今このしゅんかんも、玄関げんかんとびらを開けるヒロシ君から目をはなすことができていない。進学とヒロシ君のどちらが大事かと問われれば、私はヒロシ君だと即答そくとうする。


 しばらくすると、お母さんはため息をついて部屋の中にもどって行った。よし、これでヒロシ君の観察……ではなくて見守りに専念することができる。受験勉強は未来の私に任せてしまおう。1時間後か、1日後か、1か月後かはわからないけれど。


 さて、ヒロシ君が家に入ったということは、もうすぐ2階の部屋のカーテンが開くはず。男の子らしい紺色こんいろのカーテン。まだ小学生なのに、朝になったら開けて、家を出る前には閉める。とてもおこうさんだ。かれの頭をでることができたらどんなに幸せだろうか。幸せで頭がいっぱいになって理性がショートしてしまうかもしれない。


 カーテンが動くのを待ち続けたが、しばらくたってもヒロシ君は姿を現さない。何かあったのかな。少し心配になる。もし、階段で足をすべらせてどこかケガをしていたらどうしよう。おうちの人は夜まで帰ってこないだろうし、下手をしたらヒロシ君が死んでしまう。心配はどんどん積もる。家に帰ったヒロシ君がカーテンを開けなかったことなんて、今までに1度もなかった。あと10分待って動きがなかったら、家に行ってみようかな。


 そんな私の心配は、あっさりと消え去った。ヒロシ君はちゃんと再び姿を現したのだ。2階ばかりを注視していたけれど、出てきたのは玄関げんかんからだ。両の手には器を持っている。私は相棒のズーム倍率を12倍まで上げた。器に入っているのは……ドッグフードかな? でも、あの家の前には犬小屋らしきものはない。ということはねこだろうか? その予想が立つと同時に、どこからともなくづやの良い黒猫が出てきた。ヒロシ君は猫のお世話もしていたのか。首の周りに赤い首輪が付いている。名札も見えるけれど、12倍ズームでは字を読むことができない。


 そして、私にアイデアの神様がりる。


 私があのねこになったら、ヒロシ君とお友達になれるのではないか。


 ヒロシ君はえさを与えながら、黒猫くろねこやさしくなでてあげている。猫がいやがりそうなことはしない。街で見かけるばんな小学生とは天と地の差がある。やはり、ヒロシ君はいい子だ。


 私は作戦を立てる。まずはねこの名前を探るところからだ。あの子の猫になるには、名前を知らないといけない。今度、こっそりとヒロシ君ハウスのそばに寄って、名前がないかを確かめてみよう。そして、名前がわかったら猫の格好をしなければならない。これはぼうディスカウントストアで猫耳を買うことで解決できる。黒要素は……私の黒いかみでいいかな。結構手間をかけて手入れしているから、さわり心地には自信がある。


「ああああああああああ!」


 ヒロシ君が黒猫くろねこをきゅっときしめた。そして、柔らかくて温かそうな黒いもふもふに、ほほけている。私も……私もヒロシ君にすりすりしてもらいたい。あそこに居る私を想像する。もちもちのっぺたを堪能たんのうしたい。あの猫がうらやましい。あの猫になりたい。


 もうじっとしていることなんてできない。よし、買い物に行こう。私は財布とスマホを持って家を飛び出す。台所に立つお母さんに何かを言われた気がするけど、そんなことはどうでもいい。私は自転車にまたがって、2キロはなれたディスカウントストアを目指す。


 そういえばねこの名前を探るのが先だった。まあ、順番はどちらでもいいか。猫になりたい気持ちがはやってしまった。そしてペダルをぐ足も速やかに、あっという間にお店にとうちゃくする。そしてコスプレグッズ売り場に直行。


 パーティー用品と並んで、ナース服や警察の制服が展示されている。その中に猫耳ねこみみもあった。色が何種類かあるけど、やはり黒だろう。ヒロシ君はかしこいから、色がちがうと、私のことを姿だと信じてくれないかもしれない。そうそう。しっぽも忘れてはいけない。これもやはり色をそろえて黒一択いったくだ。黒い耳に、黒いしっぽ、そして私の黒いかみがあれば、心配することは何もない。


 お買い物を済ませてお店を出ると、空が青からあかね色に変わるちゅうだった。家に帰ったらお母さんにおこられるかもしれないけど、無視して部屋にこもれば問題はない。


 明くる日の朝、私は学校に行く前にヒロシ君の家の近くに来ていた。目的はただ1つ。あのねこの名前を探ることだ。でも、半分野良だろうからどこをほっつき歩いているのやら見当もつかない。結局この日は猫とこんにちはすることはできなかった。


 それから数日、ねこさがあるくのが私の朝の日課に追加された。そして金曜日の朝、やっとの思いで見つけた。空地に生えるしげみの中に、黒い毛玉がたたずんでいる。首輪が赤いから、ちがいなくあの猫だ。私は少しずつ近づく。こわがらせないように。おどろかさないように。


 そして、ついに名札を読むことができた。この子の名前は「漆黒しっこくの四足歩行」というらしい。ヒロシ君……もしかして、中二病ならぬ小二病をはっしょうしている? ヒロシ君の前に出て行って、「漆黒の四足歩行です。人間になっちゃいました」って言うのはずかしい。けど……ヒロシ君と仲良くなれるのであれば、それくらいのしゅうしんえて見せる。私のヒロシ君に対する気持ちは、この程度のしょうへきには止められはしないのだ。そして、私はねこさわれる位置にまで近づいた。


「ごめんねねこちゃん。これは私がもらうよ」


 赤い首輪を外して、私は学校に向かった。


 1時間目の授業が始まる。先生の話が頭に入ってこない。


 2時間目の授業が始まる。時間がなかなか過ぎないことにイライラがつのる。


 3時間目の授業が始まる。ヒロシ君のことで頭がいっぱいになる。


 だれとも話すことなく4時間目の授業も終わってしまった。今日までは三者面談があるから、これで下校だ。


 ああヒロシ君。今から会いに行くからね。


 とはいっても、今日は中学校の方が小学校よりも下校時間が早い。だから、ヒロシ君ハウスでせをすることにしよう。私はまっすぐに家に向かう。急ぐ必要なんて全くないのに、速足で帰った。先日買ったコスプレグッズを装備して、姿見の前に立つ。猫耳ねこみみヨシ。黒髪くろかみヨシ。しっぽヨシ。ちょっとはしたない気もする。でも、ヒロシ君のためならどうってことない。最後に、猫用の首輪をブレスレットにして、私は再び家を出る。


 近所の人に見られないかどうかと考えるとドキドキする。ヒロシ君のことを考えると、もっとドキドキする。無事に、だれにも見られないようにヒロシ君ハウスにたどり着いた。静かに門を開けて、玄関げんかんの前でヒロシ君の帰りを待つ。


 なんだか手にあせにじむ。


 だいじょうだ。私はこれだけヒロシ君のことを想っているのだから、ヒロシ君も私の気持ちにきっと答えてくれるはず。


 体感で3時間くらいが経った後、その時がついに来た。青いランドセルを背負い、しょぶくろを手に下げた男の子、ヒロシ君が帰ってきた。


「お姉さんだあれ?」


 ああああああああああ!


 ヒロシ君に声をかけてもらえた! うれしい。嬉しすぎる。もう死んでもいい。いや待て、落ち着け私。危ない危ない。感情にみこまれるところだった。


「私は漆黒しっこくの四足歩行です。人間になっちゃいました」


 ヒロシ君は目を丸くした。


 私はにゃーんと鳴いた。これは結構ずかしい。


「ちょっと待っててね」


 ヒロシ君はそう言い、玄関げんかんを開けた。そして……。


「おかあさーん! 漆黒しっこくの四足歩行が人間になったー!」


 えっ? お母さん家に居るの? いつも夜になるまで帰ってこないのに?


 そしてすうしゅんのち、私はおそろしい事実を認めざるを得なくなった。ヒロシ君がお母さんと呼んだのは、私を三者面談でぼろくそに言った、だんさんにげられたとうわさの、例のオバハンだった。

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キミの猫になりたい ばーとる @Vertle555a

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