狼のまゆげ(日本の昔話より)

つきの

ひとのこころ

「狼のまゆげなど知らなければ良かったのかもしれない」


 洗濯物を干しながら、サナはポツリとつぶやいた。


 今日も夫は町へと行商に出かけている。

 二人の暮らしは貧しかったが、それに不満を持ったことはなかった。


 けれど……。


 ◆


 昔、風に飛ばされた狼のまゆげが、サナの手のひらにフワリと落ちてきた時……。


 サナは相次いで両親を亡くし、親戚間のもめめ事に巻き込まれ、友人からも裏切られ、すっかり人間不信になって、それでも生きるために町へとでてきていたのだった。


 サナがそれを手にした時、どこからか声が聞こえてきた。


『それは、不思議な狼のまゆげ。まゆげをかざしてみれば、その人間の内面が姿となって現れよう』


 サナは首を傾げながらも、試しに声の言う通りに人混みに向けてまゆげをかざしてみて驚いた。


 そこにいたのは、二本足で歩いている獣たちだった。


「何?これ?」


 サナは震える手で、もう一度、別の方向を歩く人たちに狼のまゆげをかざしてみる。


 同じだった。

 まるで自分が獣の群れのなかに一人取り残されたような気がした。


 サナは、すがるような思いで何度も何度も狼のまゆげをかざしたけれど、人の姿をしたものは、どこにもみつからなかった。


 そんな獣ばかりのなか、みつけたのが若いひとりの青年。

 今の夫だった。


 サナは不躾ぶしつけを承知で、その場所で唯一、人間に見える青年に声をかけた。

「もし、突然ですみません。慣れぬ町で道に迷って困っております。この辺に口入れ屋はありませんでしょうか」


 これがきっかけとなり、青年とサナは夫婦になった。



 狼のまゆげは婚礼の朝に風に飛ばした。


 ◆


 夫は普段は穏やかで優しかったが、それは自分に余裕がある時のことで、細かいことが気になるたちだった。

 予定通りに事が進まないと不機嫌になる。反省より周りのせいにする。

 純粋は世間知らずと裏表だし、優しさは言い換えれば優柔不断ということだった。

 そして、何より他人の悪口をいう時の夫の物言いの冷たさがサナの気持ちを萎えさせた。


 ◆


 今ならわかる気がする。

 人の本性など、そんなに決まりきったものではない。

 ある時は人にみえていても、次の瞬間に獸面に変わることだってあるし、その逆に獣が考えることを知り、人性を取り戻すこともあるだろう。


 わたしたちは自分で思うよりも、ずっと脆く、揺らぎながら生きる存在なのだ。


 ◆


 今、この瞬間、誰かが狼のまゆげで、わたしをみたとしたら、わたしは人の姿をしているのだろうか。自信はない。


 良くも悪くも人は変わっていくものだから、人の姿も獣の姿も、どちらもひとりの人間のなかにあって常に変化している。


 狼のまゆげが教えたかったのは、そういうことではなかったのか。


 ◆


 洗濯物を干し終えたサナは、大きく伸びをしてから考える。


 わたしも夫も、多分、あの時にみた町の人たちも、みんな獣と人の両面を持っている。

 不平不満ばかりで向き合ってしまえば、お互いに心は荒んでしまう。

 なら、ささくれだった獣の心に同じ気持ちをぶつけるのでは無く、優しい気持ちで寄り添ってみよう。



 そうだ、今日は夫の好きな山菜の煮物でも作ろう。


 そんなことを思いついて、サナは空を見上げて微笑んだ。



(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

狼のまゆげ(日本の昔話より) つきの @K-Tukino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ