あやしあやかけ
日本のどこか、その存在は祖母とぼくにしか知らない秘密の場所。
山の中、獣道を通り、その先の小さな平原で遊ぶ子供たち。草履を履き、和風の着物を着ている。服装はどれも少し古く、今の時代とは異なるような感じだ。少年たちはぼくを見かけると、手を大きく振って誘ってくれる。
祖母は足が動けないのか、ぼくの背中を押して見送ってくれる。そんな祖母を見る度に胸が苦しくなる。きっと祖母も子供たちの円に混じりたいんだろう。
祖母を見ることなく少年たちはぼくの手を引っ張って森の奥へと連れていかれた。
少年たちと同じ仮面をかぶり、和風の着物を着せられる。草履は岩に隠してあったものを取り出し履かせてくれる。少年たちと同じ見た目となった。周りは気づかれないのだと、少年は言うのだ。ただ着せ替え人形みたいに楽しんでいるのではないかと少し思ったりもした。
獣道を進み、林に入り込む。木々の間をすり抜けるとそこは大きな町が広がっていた。大きな山々に囲まれ、その中心に川が流れている。
見たこともない景色だ。こんな場所、グーグルマップでも見たことがない。まるで夢か幻でも見ているみたいな気分だ。もっと景色を見たいとお面に手をかけたとき、少年のひとりがぼくの手を止めた。
「だめ」
少年の手がガクガクと震えている。何かに怯えているみたいだ。
ぼくはお面から手を離して、「わかった。やらないよ」と伝えると少年は胸を撫で下ろすかのように安心していた。
少年たちの後を追って町に入る。少年たちと同じ、この町の人たちはみんなお面をかぶっている。顔や模様がないのっぺらぼうのお面もあれば、動物や虫の絵で描かれたものもある。お面の形、絵は人それぞれで違っていた。
「みんな、違うんだね」
「まあね」
「なにか、意味があるの?」
「生まれたときからこういう形だって決められているんだ。女の子が生まれたら、父親に。男の子が生まれたら、母親にって、この絵も母さんが書いてくれたんだ」
少年ははっきりと面を見せるように深くかぶった。お面は意外と風に揺られやすく顔が見えやすい。息が吹けばお面は上部へ揺れ、顔が見えてしまう。少年たちは鼻の上までお面をかぶるようにしていた。
少年のお面には黄色に塗られていた。黒い二つ目が覗いているが、本物ではなく面に書かれた絵だ。
顔に顔で描く。少し不気味にも思えたが特に大して気にすることなかった。
「そういえば、ぼくのお面の持ち主は」
ぼくの面を引っ張り、少年に見せる。
「それは、昔遊んでくれた女の子が書いたものなんだって。今は、どこにいるのか分からないけど、また一緒に遊ぼうって約束しているんだ」
その女の子、もしかしたら――言いかけたとき、サイレンが鳴り響いた。川の上流からけたましいほど鳴り響く。そのサイレンを聞くに少年はぼくの裾を引っ張って「走って」と来た道を戻り始めた。
林を抜け、獣道まで戻る。
少年がいなかったら今頃迷子になっていただろう。
「いったい……なにが……あった……ん……」
息を切らせながらその場にへたりこむ。ずいぶんと走った。足がガクガク震えている。胸の鼓動が激しく泣きわめき、肺というポンプが新鮮な空気を欲しがるように何度も訴える。
「早く、逃げなきゃ」
少年がなぜこんなにもぼくの手を引っ張るのか、理解できない。けど、少年が慌てている様子は、明らかに休んでいる暇を作ってはいけないと言っている。
ガサガサと音が来た道から聞こえてきた。振り返るとクワやカマを持った大人たちが着ていた。皆一同に仮面をかぶって表情は見えない。
「轟(とどろき)、ダメじゃないか! よそ者を招いたりしたら」
この子の名前なのだろうか。轟はびくりと震えながら「ごめんなさい」と謝った。
「さあ、こちらへ。悪い子じゃないだろう」
轟に手を伸ばそうとする大人。その様子を見て、ぼくはどうしたらいいのか分からないでいる。轟はどうしてぼくの手を引っ張ってまで逃げようとしたのか、どうして大人たちは轟に助けようとしているのか。
ぼくは轟に目をやると、微かだが顔が見えた。整った顔。男か女か分からないほど美形だ。そして目からこぼれ落ちる涙に、やることを決めた。
「さあ、帰ろう。そして、後のことは大人たちに任せなさい」
「いやだ」
「大人たちを困らせるな。そこにいる人は悪い人なんだ」
「だって…」
轟は今にも泣きそうだ。ぼくは、轟の手を引っ張って逃げようと一緒に走った。
「あっ! この盗人が!! 殺せーー!!」
後ろの方から明らかに殺意を向けられている。ぼくが無我夢中に走った。追いかけてくる大人たちがぼくたちから消えてくれるまで必死に走った。
祖母と別れた平原まで戻ってきていた。どのルートを通ったのか覚えてはいない。ただ、轟が導いてくれていると思い、必死で走ってここについた。
周りを見渡すが祖母はどこにもいない。もう帰ってしまったのか。
「ここでお別れだね」
抱きかかえていた轟はぼくの手から離れて地面に足をついた。
「え…ちょっと待って」
「ここは人間が近寄ってはダメ。君がいる世界とここの世界は違うんだ。だから、お別れだね」
振り返ると平原の外で大人たちがこちらに視線を向けていた。不気味なほどに平原を取り囲むようにして武器を持った大人たちが立っていた。
「じゃあね」
「待ってくれ。ぼくは千夜(せんや)。君の名は……」
風が突然吹き荒れた。草が風にあおられ顔に降りかかる。目を離した一瞬をついて、目の前に広がっていたはずの平原は草木が覆いつくされ、あの美しかった光景はどこにもなくなっていた。
あれは…夢だったのだろうか。
家に帰ると、祖母はいなかった。家族によればひと月ほど前に実家に帰ったという。その間、ぼくは独り言をつぶやくかのように誰かに話しかけるように一人芝居していたのだという。意味が分からない。まるで現実的じゃない。いったい、何が起きて、なにが変わったのか。
ぼくは実家に帰った祖母に電話を掛けた。すると、信じられないことを耳にした。
「祖母が失踪!?」
「ひと月前の話だ。あの日、君と祖母と一緒にいるところを見たっていう人がいて」
「ちょっと待ってください、話しがよく――」
「見つけたよ」
その声の主は電話の先からではなかった。後ろから聞こえた。この声を聞いたことがある。胸の鼓動が激しく揺れる。恐る恐る振り返るとそこにいたのは、仮面をかぶった大人のひとりが立って、こうつぶやいた。
「見つけたよ」
あやしあやかけ 黒白 黎 @KurosihiroRei
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