20のシングル

未綯

20のシングル

「場末」という言葉が好きだ。

コロコロと色を変えるLED電球だらけの、眩しい東京の街から外れた、この薄暗い商店街がたまらなく好きだ。僕の足音だけが響く路地。いつ消えるか分からないネオンの看板、早々に閉まっていくシャッターも全部が心地いい。

上京して一年、とても充実した生活とは言えない、そこに佇んでぼんやり光っている街灯みたいな人生。田舎の暮らしが嫌だったわけじゃなくて、ここに来たら何か変わるんじゃないかなんていう、淡すぎる期待だけが先走ってしまった。


誰が悪いわけでもない。いつも1人を選んでいるのは僕だ。

結局今日も、誘いもなんも全部放って、“知らない街散策”に1人で繰り出してしまっている。

みんながキラキラしていて、楽しそうに見える大学生活。だけどその中に言い表せない“壁”を感じている。昔から人の視線とか思考に敏感な僕には、誰もが嘘とか見栄の笑顔を貼り付けて、仲良しを演じてるように見えてしまう。

周りから人が離れる、というと被害者のように聞こえるけど、実際は離れたのは僕なんだと分かってる。

もうお気づきだと思うけど、僕は“友達は狭く深く”派。たくさんの人と仲良くなれるのも才能だと思うし、いいことだと思うけど、“素直な自分”でいられない人と一緒にいたら疲れるばかりじゃないか。と、僕の人生20年のうち10年はこんな思考だから、考えが変わるようなことはもうないんじゃないかと半分諦めている。

そして見事、“対人防御壁”に囲われた田舎者となってしまった僕は、そういう現実から逃げるため、いつからか“知らない街散策”にハマっていた。


 



 「ただ時間だけが過ぎていく感覚が嫌なんだよ。もう終わりにしよう。」

昼間、僕の口から飛び出した言葉を思い出す。矛盾している、と思う。だって今は、ただ時間だけが過ぎていくこの感覚が、こんなにも心地良い。彼女と仲が悪かったわけじゃないし、大きな喧嘩もしたことない。でも、それくらいの当たり障りのない恋愛だった。

普段通らない道に行ってみる。今日はなんだか、入り組んだ路地を歩きたい気分だ。見慣れない家、川だとか橋だとかを眺めて、もっと細い道に入る。

進んでいくと少し背の高い雑居ビルと、その2階に入っているお店の看板がこれでもかと目立っている。

思わず時間を確認しようと携帯の電源を入れる。

画面には“22:33”と『12:29 ねえってば、』というメッセージ。


「…10時からやってる店もあるんだな」


【DARTS & BAR】の文字が円を描いて赤や緑に光っている。看板に書かれた開店時間からは30分しか程度しか経っていないのに、店内からは賑やかな話し声が聞こえる。


「ダーツかぁ…」


1年くらい前に“ちょっとした”きっかけで初めてダーツに触れた。それから、ちょくちょく1人で投げたりする程度の趣味に。いつもならこういうところに入るのは気が引けるのに、今日は少し違っていた。


「入ってみるか」


ドアを開けると少し窮屈そうな薄暗い店内。マスターらしき人がカウンターにいて椅子が並んでいる。5つあるダーツレーンはお客さんで既に埋まっていた。

こういうところってとりあえずカウンター行けば良いのかな…?


「いらっしゃい。お兄さん、うち初めてだよね?」


「あ、はい…あんまこういうところ来たことなくって」


「今日は珍しくいっぱいなんだよねぇ…初めてだし投げるなら1人の方が気楽よね?悪いし、とりあえず水だけでも飲んでってよ」


「いえそんな、ちゃんと飲みますよ。じゃあウーロンハイで」


「お、若いからもっと賑やかなの飲むのかと。ゆっくりしてって」


…マスターってもっとこう、堅い人だと思ってたけど違うんだ。それはそれで接しやすくてありがたい。

それにしても意外と賑やかだなぁ、と周りを見てみる。スーツのサラリーマン、年配の方々や1人で投げてる女性。いろんなお客さんがいて、みんな仲間と話したりご飯やダーツと楽しそうだ。ふと、視線を感じたので、カウンターに置かれたウーロンハイに目線をずらす。


「なぁ、さっき入って来た兄ちゃん、見ない顔だよな。こんな寂れたところに来るなんて何かあったに違いない。お前、どう思うよ」


「どうもこうもありゃ、“女にフラれた顔”だな」


「やっぱりお前もそう思うかよ。どれ、一杯…」


「ばか、邪魔してやんなよ。それにこんなジジイどもじゃ嬉しくねぇって」


「それもそうだな!」


ガハハ、と笑い声が聞こえてくる。酔ってんなぁ、ジジイども…。


「僕、そんな顔してますか?」


思わずマスターに聞くと、ニヤッと笑って答える。


「いんや、俺には違う顔に見える。むしろフってきたって顔だ。そうだろ?でもまぁ、スッキリってわけでもなさそうだな」


驚いた。フってきたことを当てられたことより、自分で気づかないうちにそんな顔してたのか。やっぱり仕事柄わかるものなんですか?と驚いた顔のまま聞き返す。


「そんな超能力みたいなもんじゃないけどな。それに何年か前におんなじ顔してた人に酒出したからね。それもウーロンハイ。 …いやぁこんなことも起こる

もんだなぁ」


と、マスターが奥のレーンを見る。視線の先で、肩ぐらいの長さの髪の女性がじっと構えている。呼吸を思い出すのに数秒、彼女のスローに合わせて時間が止まる。あっという間に3本投げ終え、マシーンのモニターには【HAT TRICK】の文

字が点滅している。


「うちの常連さん。プロやれって言ったんだけど『カメラの方がいい』ってさ。そうだ、丁度空きレーンもないことだし、ダーツわかるならあそこでちょっとやってきなよ。あ、持ってないならこれ、貸してあげるから」


「あ、いえ今日はほんとにフラッと__」


言い終える間も無く、ダーツが入ったカップを手渡される。噂には聞いてたけど、あちらのお客さんと一緒に投げてもらえますかって本当にあるんだ…。諦めてさっきのレーンに向かう。こういう時ってなんて声かけるんだ…?


「あの、マスターに一緒に投げてきなって言われて、その…」


「わ、ご一緒くんなんていつぶりだろ。ここ初めてだよね?それなのに年に数回あるかないかの満レーンの日に来るなんて、君なかなかもってるね。あ、一緒が歳上じゃ嬉しくないかな?」


「あ、いえ、さっきカウンターから投げるとこ見てて…。願ったりなんで、嬉しいです」


「おーおー、年上にそんなこと言うとお姉さん調子乗っちゃうぞ〜?」


距離が近い、というより不思議とこの人からは“壁”を感じない。


「言うほど歳、離れてないと思いますよ?」


「あはは、それもそうだね。私サチ。とりあえず投げよっか!ルール分かるよね?」











「サチさん、ちょ、ちょっとタイム!」


「あら、もうへばったの〜?でも結構やるじゃん」


「ま、まぁ東京来てからですけど、ちょくちょくやってたんで…」


ハイペース過ぎる。今まで人と投げるといっても、友達くらいなもんだったから新鮮ですごい楽しいんだけど、自分のターンが来るたびスコアに驚かされるし、サチさん投げるの早いから休む暇がない。ダーツって集中してやるし結構腕とか疲れる。ほんとに。あとは普通に緊張も。


「東京に来て地元にはない遊びを知るって、“都会に染まる”って感じがして面白い

よね。誰かに教えてもらったの?」


「大学初日に、近くにいる奴らで遊びに行こうって流れになって。もうその時のメンバーとは連絡とってないですけどね」


店に入る時に“ちょっとした”なんて含みのある言い方をしたのは、僕が次第に遊びの誘いを断るようになって、気まずくなってしまったからで、色々嫌になり始めたのも丁度その時期だったからだ。

ダーツとその思い出がセットになっているのが、少しもどかしい。


「へぇ…じゃあ誰かと一緒にやるとか、ないの?」


「なんていうか、一緒に遊ぶほどの仲でもないんですよね…。行けば会うし、終わったらじゃあなって言って帰る、みたいな。漠然とですけど、“そういう雰囲気”を今いる環境に感じちゃって…」


「だから、彼女ちゃんとも嫌になっちゃったんだ?」


聞こえてたんですね、と苦笑いする僕を見てサチさんは続ける。


「あ、いや別に悪いことだって叱るつもりじゃないよ、てかさっき会ったばっかの人間に叱る資格ないよ。でもさっき、おんなじ顔してたってマスター言ってて気になっちゃって」


それも聞こえてたのか。


「別れたのは…時間だけが過ぎてるような気がして嫌だったから、ですかね。相手の素じゃない感じっていうか、心を開かれてない感じがして。それで僕も自分

を出せないというか、色々分かんなくなっちゃって」


「好きな人にだって知られたくないような“自分”もあるんじゃない?まぁ〜いつまでもよそよそしいままだと、そう感じちゃうのも分かるけど。でもそれって向こうにだけ原因があるわけじゃないんだよ。君がいる環境にもいえる事だと思うけど」


「…はっきり言いますね」


「私も“友達は狭く深く”派の人間だからね。私がフったのはそういう理由じゃなかったけど、自分をなぞってるみたいで正直耳が痛いよ」


サチさんが言うように、僕にも原因があることは分かっている。


「君が人との間に壁を感じるように、相手も君との間に壁を感じるんだよ。素じゃない相手に素になれないのは、ほとんどの人がそうなんだからね」


「サチさんもそうだったってことですか?今はそう感じないですけど」


「そりゃ似たもの同士ってわかってたら、君だって壁を作らないでしょ?

なんとなく仲良くなれそう!って人と、話してみたら意気投合って人、色々試してみて結局ダメだった人。これだから人間関係って難しいよね。ふふ、結局歳上の説法になっちゃったね」











「サチさんはいつからダーツ始めたんですか?」


「うーんと、あの人と付き合ってる時に教えてもらったから…6年くらい前

かな?」


説法を聞いて休憩もできたということで再び投げ始めた僕とサチさん。気付くと

投げ初めてから2時間も経っていた。…ちなみにどのルールでも一回も勝てなかった。


「さっきサチさんは『カメラの方がいい』って、マスターから聞いたんですけど、カメラはお仕事ですか?こんなにダーツ上手いのに」


「あの人もお喋りだよねぇ、いい人だけど。いろんな人にプロになったらって言われたけど、ダーツは趣味にしたかったんだよ。彼に教えてもらったもの仕事にするのはちょっと気が引けたし。それはそれで面白そうだけど」


フったって言ってたし、その時の顔が寂しいような、悔しいような顔だったから何かしら事情があるんだろう。忘れないためだろうか。


「写真撮るのは学生の頃から好きだったんだよ。そのころは風景ばっか撮ってたけど」


「そのころってことは…じゃあ、今はどんなの撮るんですか?」


「こんな感じ、かな」


と、サチさんは何枚かテーブルに広げる。

転んで泣いてる子供と駆け寄る母親、結婚式で泣いてる親御さん、傘をさして座り込む女の人やこのバーでダーツをしている人たち。

他にもいろんな表情の人たちの写真があった。そして共通点があった。


「カメラ目線の写真が一枚もないですね」


「お、いいとこに気がつくね。私、『撮りますねー』って撮るの嫌いでさ。

ここに通い始めた頃、丁度君みたいに悩んでいた頃ね。自分に素直になれるってどういうことだろうとか、色々考えても分かんないから1人でダーツをしてたのよ。そしたら、お店に来てた写真家の人が私の写真を撮ったって、見せてくれたんだよ…あったあった」


そういって5年前の日付が書かれた写真を見せてくれた。

喜んでいるサチさんだ。


「めちゃめちゃ嬉しそうでしょ?マスターとの勝負に初めて勝った時の写真。これ見てさ、“飾ったり繕ったりしてない感情”だなって思ったんだよ。んで、私もむき出しの感情を撮りたい、素直な瞬間を撮りたいって思ったんだよね」


多分、サチさんがその時感じた感動を僕も味わっているんだと思う。

そしてその感動を、素直に口に出してみる。


「綺麗、ですね。どれも人と人の間にある感情って感じがして、壁がどうのって悩んでる僕がアホらしくなります」


「びっくりしたー、写真、ね。ありがとう、そういう写真を撮れてるってわかって嬉しい。…まぁ君とか私が悩んだ“素”の自分とか相手っていうのとは少し違うかもだけど、誰にでも“自分”があって、それが目に見える瞬間って案外限られてるんだよね」


そんなふうに考えたことなんてなかった。

いつも“隠された感情”のことばかり考えていたから。

感情は見えるものじゃなくて、動作とか言動に表れるものだと思っていたから。

表情なんて、いくらでも偽れるものだと思っていたから。


「カメラ向けて撮るよーって言うとさ、笑顔がぎこちなくなっちゃったりするじゃん?それって誰かを意識して自分を繕ったり、壁を作って自分と距離を作るのと似てるなーって。だからカメラを意識した写真は撮らないようにしてるんだ」


新しい価値観、考え方がぴったりと体にはまる感覚。

この人のことをもっと知りたい。そうすればきっと__


「サチさん、もっといろんなことを知りたいです。ダーツ1回も勝てなかったし、いつか僕もこんな写真が撮ってみたい」


「そうだねぇ…じゃあ、君が常連になったら教えてあげる」





「おい。さっきの彼、いい顔してんじゃねぇか。やっぱジジイどもじゃなくてよかったみてぇだな」


「それだけじゃねぇみてぇだぞ、なぁマスター?あんたも楽しそうな顔してるぜ」


「いやぁ似たもン同士だと思ったけど、ひょっとするとひょっとするなありゃ。

 なに、あんたらもすぐに楽しみが増えるよ」


「ガハハ、そりゃ楽しみだ!そうだマスター、今日も一杯賭けてどうよ?」


「よしのった!そろそろ誰かさんに負かしてもらいたいもンだよ、まったく」

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20のシングル 未綯 @minai7171

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