図書室で、また

ひの 朱寝

第1話


 この高校には探偵さんがいるらしい。それも、助手までつけたなかなか本格的なものらしくて。噂の類に疎いわたしの耳にも入るくらいなのだから、かなり有名なのだろう。ちょうど今朝も、花壇に身半分を埋めては何かを探していたところを見た。まあそれでも、声をかけるでもなく、長雨のこの時期によくやるなと思いながらその後ろをわたしは通り過ぎて教室へ向かったのだけれど。教室に着いて濡れたスカートを二回払う。重たい机に鞄を置き、一限目の準備を済ませて頬杖を着いた。窓際の席からよく見える曇った空を見れば、相変わらず雨が強く強く降っていて、窓を打つ雨の音がわたしの中の何かをノックした。なんだろう、ここ最近は雨が降るといつもこうだ。

「……探偵さんなら分かるのかな」

 なんとなしにつぶやいた言葉。それをキャッチしたのは、いつからここに居たのか分からない例の探偵さんだった。

「そのお悩み、わたしに解決できませんか?」

 自分のことを「わたし」と呼ぶ、男子高校生にしては珍しいタイプの人。けれどそれは探偵さんの物腰の柔らかさの一端を担う部分のような気がして、初めて話すのにも関わらずわたしはなぜだかその呼び方が気に入ってしまった。背は少し低くて、けど後ろにいる助手さんは背がすごく高い。見るからに凸凹なふたりが違和感なくこの場に溶け込んでいるのは、この学校が既に探偵さんを受け入れているということなのだろうか。特段、クラスメイトも騒ぐことはなく、探偵さんに興味は持ちつつも各々がそれぞれに授業の準備を進めていた。わたしと探偵さんたちだけの時間が止まったように無言が続き、無音がわたしたちを包む。長いようで短い時間。後ずさりをして机に足をぶつけた音をきっかけに耳に入ってきた雨音。それにはっとしたわたしは、ようやく口を開いた。

「難事件とかじゃないんですけど、大丈夫ですか?すごく……すごく些細なことだから」

「些細もなにも、悩んでいるのだったらそれは立派な困り事。わたしに解決のお手伝いをさせてくださいな」

 小さく頷く助手さんと、英国紳士のようにお辞儀をする探偵さん。幾度もこんなふうにしてきたのだろう、それはすごく様になっていて、そしてかっこよかった。それに合わせてわたしも深々とお辞儀をして返す。

「じゃ、じゃあ放課後に図書室で。そこでお話します」

 それでは、とだけ口にすると颯爽とその場を後にする探偵さんたち。場は荒れることなく、いつも通りの教室に戻っていく。近くの席のゆっこに何を依頼したのかを聞かれたが、笑って誤魔化していたらそれもすぐに終わった。

 止まない雨が教室内を少しだけ騒がしくさせていく。チャイムが鳴って始まる一限目。放課後まではまだまだ退屈そうだ。


 何度意識を手放しそうになったことだろう。この日は座学ばかりが重なる時間割り、それに加えて雨だから。生あくびばかりが出ては目を潤ませた。か細いメモ書きのような、板書を写したノートを閉じて席を立つ。重たい眠たさを抱えたままの放課後は、どこか少し静かだった。

 わたしは急いで支度をして探偵さんたちと待ち合わせをしている図書室へと向かった。この雨で中止になる部活動も多くあり、校内はいつもより少しだけ寂しげだ。いつもと変わらずに活動を続ける文化部だけが静かに雨が上がるのを待っていた。

 ガラガラ、と鈍い音を立ててドアを開ける。建て替え工事の済んでいない旧校舎にあるこの図書室は、歩けば床がギシギシと軋んでやたらとうるさい。本を読んだり読書をしている人の邪魔にならないように、わたしがなんとなく覚えている順番で真四角のパネルを踏んでいく。1度だけ間違えて鳴った木の音は、他の誰を振り向かせるでもなく探偵さんたちを振り向かせた。

「やあ。それじゃあ、聞かせてもらおうか」

「はい」

 部屋の隅の席に座り、わたしはふたりに悩みを打ち明けた。それは本当に些細な悩みで、というよりも、気がかり、と言った方が正しいくらいのもの。

 一か月前。授業に使う本を図書室で探していたわたしは、窓際で本を読むひとりの女の子にふと視線を奪われた。話したことのない、おそらく他のクラスの女の子。背筋を無理なく伸ばして等間隔のペースでページを捲るその仕草に、どうしてだか釘付けになった。気づけばその子の近くに席を取って勉強をしたり本を読むようになり、けれど話しかけられないまま月日は過ぎていった。どんな本を読んでいるんだろう、何組かな。あ、まずは名前を聞かないと。そう思うのに肝心なところで怖気付いてなにも話しかけられない。もっと知りたい、そう思うのに、そう思えば思うほどにモヤがかかったように思考が止まって、ただその子の横顔を眺めるだけになってしまう。

 これではまるで恋だった。だから、探偵さんに頼むほどのことでもないのだ。恋なんてものには、あまり興味が無いし、それでももし仮にそんな気持ちが自分に芽生えたのだとしてもそれはきっと自分でどうにかした方がいい。だからもしかしたら、この依頼もそうかもしれない。探偵さんたちに話しながらそう思った。

「知りたいのにそれができないなんて話、依頼されても困りますよね、すみません」

 しばらく黙ったままわたしの話を聞いていた探偵さんたちは図書室を見回して私をまっすぐと見据えた。その目は、わたしをやさしく諭すようでなんだか逆に居心地が悪かった。まだ振り続ける雨が図書室の窓に当たってノイズとなる。何秒かに一度だけ強く当たる雨粒がわたしを急かして、焦らせた。

「その女の子っていうのは、今日も来ているのかい?」

「え、あ、はい。あそこの窓際で本を読んでます。ここからだとギリギリ声が届くので少し声を小さくしないと聞こえちゃうんですけど」

 わたしが声を抑えて話すと、その声の大きさに合わせて探偵さんも話し出した。

「君は、その子の何を知りたい?」

「何をって――」

 何を?わたしはあの子のことなら何でも知りたい。知りたいけど、でもその気持ちはすぐにぐにゃりと溶けて消えてしまう。知りたいのに、分からない。

「じゃあ質問を変えよう。何故、知りたい?」

「……分かりません。全部、全部知りたいです。けど、それがどうしてなのかは分からない。分からないのにどうしても気になるんです。声をかけたくて、しょうがない。こっちを向いてほしい」

 ひとり、ひとりと減っていく室内の人数。それでもあの子はまだ、暗くなりかけている窓際で本を読んでいた。今日は何を読んでるんだろう。今日は、と言っても、この一ヶ月間何を読んでいるのかすら分からなかったのだけれど。

「最後の質問だよ」

 探偵さんはそういうと、席を立って窓際へ向かった。そして一歩、一歩とあの子へ近づき、あの子の隣の席へと座ってしまう。

「いいかい、よく聞いて。君は、何故この子を知らない?」

 何故?何故って言われても、他のクラスの。え、あれ、おかしいな、そうだった、生徒数の減ったうちの学校は、去年からどの学年も一クラスになったんだった。じゃあ、あのわたしと同じ色のリボンを付けている女の子は誰?

「もう気づけるはずだよ」

「……や、やっぱり帰ります」

 鞄を持って席を立とうとするわたしに、大きな影が覆いかぶさった。助手さんだ。助手さんがドアの前に立って通せんぼをしている。嫌だ、帰りたい。知りたくない。何か嫌な感じがする。ざらざらと振り続ける雨がわたしを削っていく。嫌だ。

「何の本を読んでいるのか、その子に聞いてあげたらどうだい?」

 酷くやさしい探偵さんの声が図書室にすっと染み込んだ。少しだけ雨音との間に空間ができた気がして、息がしやすくなる。何の本を、読んでたんだっけ。あの子はいつも何の本を。

「……っ、ぐ、っぐす、わあああっ」

 止まらない涙。その理由はわたししか知らないはずなのに、探偵さんも助手さんも、やさしく見守ってくれている。

「いつも、同じ本ばっかり読んでて、同じ席で同じ姿勢で、けどそんな姿を見ながら勉強するのが好きで」

「うん」

「けどっ、もう居ないから……もう、そこには千歌はいないからっ」

「……その子の名前、千歌さんと言うんだね」

 探偵さんは自分の座る隣の席を優しく撫でて、溜まっていた埃を払った。しばらく誰も座ることのなかった、あの子だけの特等席。その机の右奥には花瓶に入った花が寂しげに置かれていた。

 千歌は、わたしの親友だった。半年前に下校中の事故で亡くなるまではずっと一緒で、放課後もここでいつも過ごしていた。決まって座るのはあの席で、わたしはその斜め向かいの席。千歌はここで聴く雨の音が大好きだって言ってたっけ。そう思い出した途端にこのうるさい雨音がやさしく聴こえてくるのは、都合が良すぎるかな。

「蓋をしてしまっていたんだろうね、君は。嫌な思い出から逃げたくてその事実を封じ込めた。けれど君と千歌さんが過ごした日々の方が強かったんだ。だから幻覚として千歌さんは君の目の前に現れた。でも、悲しい出来事を思い出したくなかった君は千歌さんのことを上手く認識できないままでいた」

 窓の外を見ながら話す探偵さんは、あえてわたしと目を合わせないようにしてくれているようにも思えた。

「……ありがとうございました。いっつも読んでた本の名前まで、きちんと思い出せました。今日、借りて帰ろうかな」

「ああ、とても君らしい弔いの仕方だと思うよ」

 探偵さんに続いて助手さんも頷いてくれる。カウンターまで行き、角が擦り切れた単行本を借りて鞄にしまう。ずしっと重くなったその肩の重さに、泣いてしまいそうになる。いつもはこっち側に千歌が居て、それで。

 零れそうになる涙をこらえて、探偵さんの方へ振り向き挨拶をする。

「本当にありがとうございました。千歌のこと、辛くてもずっと覚えてようと思います。もう、忘れたくないです」

「そうだね」

「事件、また解決ですね、探偵さん」

「今回は少し違うかな」

「え?」

「いいんだよ、解決なんてしなくたって。君の中で折り合いが着くまでずっと悩み続けていいことだ。それに、これは事件なんかじゃなくて、もっと君にとってはもっと大切なことだったはずだからね」

 ぽた、ぽた、と古い床を丸く濡らす涙。ツンとした鼻で返事をすれば声は変なふうになってしまう。

「……はいっ。ありがとう、ございました」


「おや、雨も上がったようだよ」

 窓の外を見れば、雲間から光が射して明るく図書室を照らしていた。一番強い光は、千歌がいつも座っていた席を照らしてそこだけをあたたかくする。引き込まれるように席まで歩いたわたしは、持っていたハンカチで机を綺麗に拭き上げ、埃を取った。ふわふわと舞う埃に光が当たってきらきらしてキレイだった。ああ、これも千歌が言ってたな。チンダル現象って言うんだよって。

「探偵さん」

「もちろん、いいとも。それじゃあわたしたちはそろそろ失礼することにするよ」

 わたしは探偵さんたちにお辞儀をしたあと、千歌の座っていたいつもの席に座り、ボロボロになりかけている千歌のお気に入りの本を開いた。


 舞う埃を外へと逃がしてやるために窓を開ければ、雨上がりの匂いがふわっとわたしを包む。なにも急くことはないと言ってくれているような、そんな安心する匂い。そういえば雨上がりの匂いが好きだって千歌も言ってたっけ。雲から斜めに射し込むあたたかくてやさしい光に包まれ、わたしたちはふたりだけで静かにページめくった。踏み込む、物語の中。主人公の語りから始まるその本にわたしたちは手を繋いで飛び込んでゆく。


「ねえ千歌、どこが好きか教えてよ」


 上がった雨の後に虹がかからなくたってきっといい。雨上がりのまま、泥だらけで雨に濡れたままでも、覚えていたいことがわたしにはあったんだ。

 涙で本が濡れてしまわないように、時折空を見上げながら文字を追っていく。少しずつ晴れていく空が、やさしく吹く風が、みんなみんな千歌みたいで。


「千歌、久しぶり」


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