紫陽花の君
束白心吏
紫陽花の君
ポツリポツリなんて擬音では生ぬるいような激しい雨音が耳朶を打つ。
窓越しに見た外は豪雨と呼ぶのが相応しいくらいの雨だった。
「これは帰れそうにないねー」
「すまん。長居しちゃって」
「いいよ。私は嬉しいから」
言葉通り嬉しそうにそう言う
「雨、やみそうにないね」
「だな……これは歩きで変えるのはしんどそうだ」
「傘持ってきてたっけ?」
「油断して忘れてた」
降参、と両手を挙げて表現する。桔梗もからかう気はないのだろう。「まあ仕方ないよねー」と苦笑気味に呟いてクッションを抱いてテレビの内容に集中する。
そう、仕方ないのだ。何せ午前中は雲一つない快晴。天気予報も一日中晴れと太鼓判を押していた。だからここまで酷い雨が降るとは夢にも思えなかったのだ。
「梅雨も明けたーって言ってたのに、最近雨ばっかりだね。あ、明日の方が酷いって」
「マジか……」
「嫌だねぇ……」
同感だ。別に雨が嫌いというわけじゃないけど、連日降られると梅雨が戻ってきたようで自然と気分が下がる。
とはいえ今日の雨は夕立で、それももう少ししたらやむそうだ。
その情報を見て満足した桔梗はテレビの電源を切った。
「そういえば
「いいけど」
改まってどうしたのだろうか。
顔を向けると、桔梗もしっかりと、強い意志を感じさせる目で俺の目を見た。
「もっとイチャイチャしたい!」
「イチャイチャ……?」
「そう。イチャイチャ」
驚いて呆然とする俺に対し、桔梗は腕を組み、とても真面目な表情でそんなことを言う。
「私たちって付き合ってるわけじゃん」
「公にはしてないけどな」
「それは恥ずかしいからいいの。孔紅君もそうでしょ?」
「その通りです」
「で、話がそれたけど、私たちって恋人らしいことってしてる?」
そう聞かれて、俺は少し考える。恋人らしいことと言われてもピンとこないので、とりあえずは付き合う前と後で比べるように。
「……手を繋ぐ、とか?」
「他には?」
「んー……」
他……他かぁ。別に無い気がする。
俺の反応を見てか、桔梗は口を開いた。
「そう! 私たちは恋人同士なのに、恋人らしいことは一切してないの!」
「恋人らしいって……例えば?」
「え? そうだなぁ……お弁当を一緒に食べさせあったり、交換したり?」
確かに恋人がやりそう? だけど……
「それ、難しくないか? 桔梗はよく皆からお昼に誘われてるんだし」
「あくまで今のは例え! 他にも色々あるじゃん?」
「キスとか?」
「……それはー、まだ早いかな……」
耳まで真っ赤にして桔梗は言う。
たぶん、言った俺も真っ赤になっているので、この方面の話はなかったことにした。
「と、とにかく! イチャイチャしたいの! 今!」
「今?」
「そう、今!」
今、か……何ができるだろう?
「ハグとか?」
「いいね! よし――あ、ハグなら私、これやってみたいな」
そういって桔梗はスマホをいじり始める。
何かを検索しているのか、物凄いスピードで親指が前後左右に動いている。
「これ!」
「これは……」
桔梗が見せて来たスマホの画面には、一組の男女カップルのイラストがあった。小柄な女性が、ソファーの男性上に乗せられてイチャイチャしている、という代物だ。
「……これをやるの?」
「そう! どうかな?」
「……」
どうかなって……めちゃくちゃ恥ずかしいと思う。普通のハグより難易度が高いのでは? と思うくらいだけど、当の本人はやる気満々。気づいてないのか、本当に恥ずかしくないのか……。
「じゃあやってみよう」
「やったね♪ じゃあ孔紅君、準備して」
「了解」
とはいえ全てイラスト通りにやるわけじゃない。俺と桔梗の身長差はこのイラストほどじゃないから、膝上に乗るというより、膝の間に座ると言った方が正しい。
「じゃあ……どうぞ」
「失礼しまーす……案外緊張するね」
「そ、そうだな」
そう言いながらゆっくりと腰掛けた桔梗のお腹に、左手を回す。確かあのイラストでは右手で頭を撫でていたから――
「あ、孔紅君。その……両手で、抱きしめてくれると……」
「あ、ああ……」
言われた通り、俺は両腕を桔梗の前に回す。
華奢な桔梗の体は少しでも力を加えたら壊れてしまいそうだ。
速い心臓の音が聞こえるし、耳まで暑いし……真っ赤なのは、桔梗だけではないのだ。
「……」
「……」
無言の部屋の中を、外の激しい雨音が支配する。
気まずさはない。けれど辞め時を見失った感はある。
しかし時間が経ち、幾ばくか余裕を取り戻してきた俺達は、沈黙を破るようにどうにか会話を始める。
「孔紅君、髪伸びた?」
「伸びてるけど……」
言葉を続けようとしたら、桔梗が体を捻って俺の方を向き、少し目にかかり始めた前髪をいじりはじめる。
「んー、切る気はないの?」
「あるけど、まだ先でいいかな」
生活で支障をきたすほど長くなったわけじゃないし、校則に触れるほどでもない。ただもう少ししたら切った方がいいかなぁとは思っているのでそう返すと、少し不満げな反論を貰った。
「きちんと整えれば格好いいと思うんだけどなぁ」
「そうかぁ……?」
さすがに贔屓目に見すぎだ、と言いたい。
確かに俺は身だしなみに無頓着だし、整えればそこそこにはなるだろう。しかしそれ以上はないし、何より今でも十分だと俺は思ってる。変える必要に駆られない。
「ねえ、少し髪の毛とか整えてみない?」
「まあ……機会があったら」
「切ろうよ。明日にでも」
「明日? 急すぎないか?」
真面目な口調でそう言われ、少し考える。お金もあるし切れないわけじゃないけど……理髪店が近くにないんだよなぁ。
「急じゃありませんー。せっかく素材はいいんだから、オシャレしないと勿体ないの」
「それこそ贔屓目じゃないかー?」
「違いますー……ねぇ、どうしても駄目?」
砕けた口調から一転、ねだるような声と上目遣いでそう言われ、自分の中の何とも小さい言い訳は吹き飛んだ。
「ぐっ……だ、駄目じゃないけど」
「やった。私が髪型決めてもいい?」
とても軽快な様子でそんなことを聞いてくる。
「変なのは無しだからな」
「それはしないよー。私、されて嫌なことはしない主義だもん」
「知ってるよ」
そういうところは信頼している。学校で俺との交際関係を公にしていないのはその証拠だ。
だけどたまに暴走するからなぁ……。
「それじゃあ明日、一緒に理容室に行こう!」
「雨の中?」
「相合傘で、ね」
茶目っ気たっぷりに桔梗は言う。
これは豪雨でも行きそうだなぁ。なんて思いながら外を見たら、雨も弱くなって、夕焼けがさしていた。
「雨、上がったな」
「だねぇ」
「……で、この格好」
「もう少しだけ♪」
桔梗はそう言って背中を預けて来る。
結局、解放されたのは更に時間が経ってからだった。
■■■■
「日が伸びたねぇ」
玄関先まで見送りにきた桔梗がそんなことを言いながら外の様子を見る。
「夏だって実感するな」
「天気は梅雨みたいなのにね」
本当にな。
どちらからともなく苦笑しあう。
「そういえば知ってる? 紫陽花って土壌によって咲かせる花の色を変えるの」
突然、桔梗がそんなことを聞いてきた。
視線を追えば、青の紫陽花が玄関先に咲いていた。
「……酸性度で変わるんだっけ」
「え、知ってたんだ」
意外といった様子の桔梗だったが、まだ一般教養の範囲だろう。
すぐに桔梗は悪戯っ子のような笑みに変わった。
「まるで私達みたいじゃない?」
「クラスメイトのいる時と二人っきりの時で、って?」
「そういうこと♪」
機嫌良さそうに桔梗が頷いた。
確かにそうかもしれない。けれど――
「俺は桔梗にこそ似合うと思うぞ?」
「えー? それどういう意味?」
少し目を細めて不満げな声音で桔梗は問う。
「そういうとこ」
「具体的には?」
そ、それを言わせるのか!?
恥ずかしさが途端に湧いてくるけれど、それをどうにかこらえて口を開いた。
「桔梗って表情豊かだろ。笑ったり落ち込んだり」
「……情緒不安定って言いたいの?」
「そうじゃなくて」
俺は頭をかく。何と言えばいいのだろうか……自分の感覚ながら表現できないことにむず痒さに似た感覚を覚えた。
「……その、紫陽花って土によって、花の色を変えるだろ? そこから桔梗の喜怒哀楽を連想したんだよ」
「ふーん……」
言葉を吟味するように黙考に耽ること暫し。突然ニヤニヤしだした桔梗は、俺にも聞き取れないくらい小さな声で何かを呟いて、俺に言った。
「花から連想したんだ」
「う……いいだろ別に……」
「悪いとは誰も言ってないけどー?」
優位に立ったかのような――実際、遠回しに言った本心を当てられた時点で優位に立たれている――桔梗の様子に、形勢不利と悟った俺は外に出る。
雨は降っていないが、アスファルトに雨水が乾燥する独特なにおいが微かに鼻に入って来た。
「じゃあ帰るから」
「うん、また明日ね。孔紅君♪」
そう言って桔梗はヒラヒラと手を振る。俺も小さく振り返してドアを閉める。
ふと、咲いている紫陽花が目に入った。青色の鮮やかな紫陽花だ。
雨水に濡れて、夕日を反射させている紫陽花を見ていて、ふと花言葉が気になり、スマホをポケットから取り出す。
「? 桔梗からメッセージだ」
内容を開くと『私も同感♪』とだけ。
どういう意味だろう? とまあわからないことはさておき、検索で紫陽花の花言葉を調べる。
そして、納得した。
「……本当、桔梗に似合ってるな」
俺はスマホを閉じ、帰路につく。
気分は、自分で言うのもおかしいくらいに良い。そして少しだけ、梅雨という季節が好きになれた気がした。
青い紫陽花の花言葉 『辛抱強い愛情』
紫陽花の君 束白心吏 @ShiYu050766
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