二人は涙で息をする
「なんで……勇くんは、井戸水で癒えなかったんだろう」
夏休み前の午前授業を終え、正午過ぎに澪は勇遂の病室洗面所で、花瓶の水を入れ替えながら、ふとあの日の事を振り返る。
突如降った雨によって、瀕死の勇遂が奇跡的に一命を取り留めた夜から、二週間が経った。あれから彼は順調に回復している。抜糸を兼ねた診察の為、現在病室に勇遂はいない。
「やっぱり『雨』が関係……あるのかな。それとも——」
伝承でも雨は人々を救った象徴になっており、実際勇遂はそれで助かっている。しかし、澪と礼美は井戸水によって傷が回復した過去があり、それを可能した理由はなんなのか、澪は日々考えていた。
それに加え、文化会館に隠されていた書物も気になる点である。ナキサワメと橿原の歴史や伝承には、まだまだ秘密がありそうだ。
「……いつか、分かるといいけど」
花瓶に明るい黄色やオレンジが咲くガーベラを入れて、床頭台にコトンと置く。そこにガラッと病室の扉が開いたので、振り返ると浴衣形の青い入院着を着た勇遂が帰ってきた。
「おっす。もう来たのかよ」
「期末テストも終わったからね……」
「腹刺されたおかけで、テストすっ飛ばしたからおれは気分がいいぞ」
「もう……たくさんの人に心配かけておいて、お気楽なんだから……」
澪が呆れていると勇遂が歩み寄り、入院着の左衿をめくり、自慢気に腹部を晒した。
「おい、見ろよ今日抜糸したんだ。医療の力ってすげえけど、傷跡カッコよくね?」
ホレホレと、腹の傷を勲章のように見せるが、澪の視線は彼のガッチリした胸板をとらえ、異性を意識した彼女は慌てて目を逸らす。
「よッ、よかったね……ッ……ひゃあぁ⁉︎」
上半身だけでも彼女には刺激が強いのに、突如勇遂はバッと露出狂の様に入院着を広げた後に脱ぎ捨て、パンツ一丁になる。毎度お馴染みの黒いボクサーパンツが澪の目に晒される。
「なぁ……ッなッいきなり脱がないでぇッ」
「検査で病院の奴着てたから部屋着に戻すだけだ、おれのシャツとズボンどこだっけ」
「知らないよッ! なんでもいいから早く服着てよぉッッ」
くるっと背を向けて、恥ずかしくて直視できない澪を放置し、勇遂は床頭台下からメンズスウェットと黒Tシャツを発見し、しぶしぶ着替えた。身内感があるせいか、澪に対してデリカシーが無さすぎる。
「ああもう……そんな事してたら、礼美ちゃんの彼氏はつとまらないよッ」
「はぁ? まて、なんでそうなる?」
澪は振り返り、頬を膨らませて勇遂に迫った。二人はいがみ合い、口論のゴングが鳴る。
「だって礼美ちゃんから告白されたんでしょ……まさか、まだ返事してないの⁉︎」
「なんで澪がそんな事知ってやがる⁉︎」
「キスまでされて、まんざらでもなかったんでしょ! よかったねッ女子からモテモテで!」
「み、澪には関係ねぇだろ、お前こそさっさと面倒見てくれる彼氏作れ!」
「じゃあ私、竹中くんと付き合っちゃうから!」
「何でよりにもよって竹中なんだ! おれは奴のせいで死にかけたんだぞッ……まぁ澪が竹中がいいってんなら、それでいいけどな!」
ぎゃあぎゃあと言い争いが続く。内気な澪は、あれから少し積極的になり、威圧的な勇遂は言い方がマイルドに……あまりなっていない。
二人は疲れ果て、勇遂はベッド上にドカッとあぐらをかき、澪は目の前に丸椅子を置くとふぅと腰掛けた。
「はぁ……とにかく、勇くんを助けてくれた神様には、ちゃんと感謝しないとダメだよ?」
「冗談じゃねぇよ、泣女の事はそのままじゃねぇか。クソだ、クソ」
命を救われたというのに、神への感謝や信仰は微塵もない。勇遂の言う通り、泣女は現状維持で、澪は今後も泣き続けなければならない。神に意志が届くなら、泣女の命運を終わらせたいのが彼の願いなのだろう。
「またそんな事言って……」
「これじゃあ、澪が報われねぇ。……幸せに、なれねぇだろ」
勇遂の言葉で澪は相合傘の時を思い出し、ときめきの表情を向ける。何より、澪を優先する勇遂の優しさが、彼女の頬を温める。嬉しい気持ちを噛み締め、澪は照れ隠しで髪をいじりながら、答え合わせの視線を勇遂に向けて言った。
「私は、泣女で……すごく幸せだよ? だって——」
「は? お前……まさか、死ぬスリルに快感覚えてんのか?」
「……はい?」
勇遂は病人を見る様な目で澪を眺めながら、ベッドに付属しているナースコールを掴むと、ボタンを押した。
「すいません、おれの病室に脳味噌がやべえ女子高生いるんで、今すぐ検査して貰っていいっすか?」
「勇くぅううぅんッッ!」
澪はくわっと勇遂に飛び付き、ナースコールの奪い合いが始まる。あっちこっちに手が伸び、腕が絡む度にやってることがくだらな過ぎて、二人は笑いが込み上げる。
「……ブッ……だっはははは! 澪必死過ぎだろ!」
「……ふっ……く、あはははは! 勇くん……あははッ」
二人は病室内で笑い声を重ね続ける。澪と勇遂のそれぞれの片目には、愉快から生まれた眩しい涙が浮かんでいる。
それがいつまでも続くように、二人は顔を見合わせては笑い、溜めては溢れさせた。
——心が晴れ晴れする、幸せの涙雨を。
二人は涙で息をする 篤永ぎゃ丸 @TKNG_GMR
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