呪いで爆食い幼女になっちゃったけど幸せです
刀綱一實
第1話
目の前に置かれたのは、大牛の肉一頭分。それをリジュは、きらきら光る金貨と交換しようとしていた。
「へへへ、まいど」
目の前の男はほくそ笑んでいる。リジュは、男の脳味噌の中身が手に取るようにわかった。子供はちょろい、得な取引だ、この金で何を買おうかと考えているに違いない。普通、乳が出ない食用牛は金貨三枚あれば二頭買える。一頭にそれだけ出そうという客は、そうはいない。
リジュだって、限界でなければこんなことはしない。リジュは今すぐ食べないと、本当に消えてしまうのだ。
男が消えてから、リジュは手で印を組む。
炎の魔法を唱えると、あっという間に牛肉が香ばしく焼き上がった。そこに塩と胡椒をかけ、ナイフでざくざくと切り分け豪快に頬張っていく。レアに焼いた肉からしたたる肉汁で口元が汚れたが、リジュは構わずがっついた。
異様な光景だった。十になるかならないかの年頃の女の子が、肉の塊にかぶりついている。しかも、牛一頭分の肉を丸ごと平らげようとしているのだから。しかしこれには、特殊な事情があるのだ。
リジュは孤児だった。両親の顔も知らなかったが、村の人たちに見守られすくすくと成長した。しかし十五になった時、その世界は一転する。
「……この村には、百年に一度、疫病が起こるという呪いがかかっている。それを鎮めるには、若い乙女の生け贄を捧げるしかないのだ」
その生け贄に選ばれたのはリジュだった。村長がそう告げた時、村人の表情は一様に凪いでいた。それを見た時、リジュは全てを悟った。自分はこの日のために「飼われて」いたのだと。
だからといって、逃げだそうという気にはならなかった。リジュは世界を知らない。この村から出たことなど、一度もなかった。外の世界に適応できるとも思えなかったし──人間そのものに絶望していて、これ以上生きていたいとも思わなかった。
粛々と儀式は進み、リジュは全身がどんよりと重くなっていくのを感じていた。これが「呪い」であり、贄がそれを身に宿したまま死ぬことで、村に起こる災いを防ぐのだという。
とうとう息苦しくなってきて、リジュはあえいだ。いくら呼吸しても、空気が体に入っていかない。ジワジワと絞め殺されるような苦しさは、想像を遥かに超えていた。
「……た、すけて」
気づいたら、命乞いをしていた。村の者は早々に立ち去っているし、リジュがこもっている洞窟の入り口は岩でふさがれたはずだ。誰もいるはずがないのに、そうせずにはいられなかった。
するとその時、近くで何かが動く気配がした。
「あらまあ、若い娘さんがかわいそうに」
老婆の声だった。そしてその声の持ち主が、近付いてきてリジュの背中にそっと触れる。途端に、リジュの呼吸が楽になった。リジュはもぞもぞと動き、恩人に礼を言おうとして振り向く。
その時ふと、リジュは異変に気づいた。儀式の時にまとっていた着物が、肩からずり落ちて床にたまっている。
呪いを受け、一瞬で痩せてしまったのだろうか? そう思ったリジュは、己の手を見つめて仰天した。掌が明らかに小さくなっている。これではまるで、子供のようだ。
「驚いたかしら? ごめんなさいね、こうするしかなかったの」
リジュが顔を上げると、目の前に老婆が立っていた。すらりと背が高く、薄紫色のドレスをまとっている。一度だけ村に旅の劇団が来た時、お嬢様の教育係の女がこんな服を着ていたとリジュは思った。
「あの……助けていただいて、ありがとうございます」
そこまで言って、リジュは口をつぐんだ。声まで、子供の頃のように高くなっている。
「どういたしまして……と言えるかわからないのだけれど。とりあえず、外で話しましょうか」
老婆がそう言った次の瞬間、まばゆい光がリジュの全身を包んだ。思わず目を閉じ、次におそるおそる開いた時には──リジュは、見たこともない部屋の中にいた。
調度は落ち着いた茶色でまとめられ、覆いが掛かった寝台がある。壁際にはびっしりと本が詰まった棚が並んでいた。村では見たこともないような数の本を見て、リジュはたじろいだ。
「まずはあなたのお召し物をなんとかしなくてはね。ええと、ドレスの予備はここに……」
ぽかんとしているうちに、リジュは老婆によって着替えさせられていた。紺色のふわりとしたスカートに白のブラウス、髪には青いリボンが結ばれる。
最後に鏡の前に立たされ、リジュは自分の全身をまじまじと見つめた。本当に、子供に戻ってしまっている。身長も縮み、顔立ちも幼くなっていた。
しかし老婆はそんなことを気にした様子もなく、てきぱきとお茶の準備を進めていく。村では見たこともなかった金細工のカップを、リジュはおそるおそる持ち上げた。
「私は魔術師のマリアよ。自由に空間を移動できる魔法で、あちこち出歩いて人捜しをしているの」
「それで私を見つけてくださったんですか」
「ええ。偶然ね」
「呪いを祓ってしまうなんて、強い魔術師なんですね」
お世辞抜きでリジュがそう言うと、マリアは苦笑いした。
「完全には上手くいかなかったわ。あなたが子供に戻ってしまったのも呪いの影響ね」
「それくらいなんでもありません。死ぬところだったんですから」
「……それだけで済めば良かったのだけど」
「え?」
リジュがその続きを聞こうとしたとき、ぐううっ、と低い音が鳴った。それが、己の腹から出ていると気づくのにしばらくかかる。
「い……異様に……お腹がすいてきました……」
「あら、そう出るのね」
マリアはつぶやきながら、大量の焼き菓子を出してきた。ざくざくとした食感の菓子はとても甘くて美味しかったが、通常なら一・二個食べれば満足してしまうはずだ。しかし、いくら食べてもリジュの空腹はおさまることがない。結局、十七個も平らげてようやくひと息ついた。
「これはなんですか!?」
リジュがマリアに詰め寄ると、彼女は額に手を当ててため息をついた。
「呪いは今もあなたの中に根を張っているわ。私の魔術で多少抑えてはいるけれど、隙あらば大きくなって、あなたを食い尽くそうとしている」
「じゃあ、この空腹は……」
「あなたを衰弱させて、乗っ取りやすくしようとしているんでしょうね。対策は、ひたすら食べること。今はそれしか思いつかないわ」
リジュの顔から血の気が引いていった。これから馬のように食べ続けていなければ、結局自分は死んでしまうのだ。
「そんなお金、どこにもありません」
「心配しないで。あなたが稼げるようになるまでは、鍛えてあげるから」
それからマリアは、リジュに魔術を教え始めた。最初は尻込みしていたリジュだったが、元々素質があったのがすぐにいくつかの魔法を覚える。
するとマリアは冒険者ギルドにリジュを連れて行き、登録を済ませた。モンスター退治やアイテム探しを請け負えば、報酬がもらえるという。他に行く当てもなかったリジュは、小さな依頼でも真面目にこつこつとこなしていった。
そのおかげで、リジュは二年経った今では中堅の冒険者だった。見た目でぎょっとされてしまうこともあるが、繰り返し依頼してくれる人間もいるので金には困っていない。
……ただ、その稼いだ金はほぼ、飲食代に消えてしまうわけだが。
「うーん、どうにかならないかな、これ」
リジュは悩みつつも、なんとかギルドの分署がある村まで辿り着いた。牛一頭分の肉はきれいに消化されてしまい、早くも胃袋が空になりつつある。リジュは迷うことなく宿屋へ向かった。宿屋には食堂が併設されているからだ。
「あ、リジュちゃん! ちょうどよかった!」
しかしその前に、ギルドマスターに呼び止められてしまう。一刻も早く食事を詰め込みたかったリジュは、露骨に顔をしかめた。
「いい話があるんだよ! 今すぐ広場においで」
言われるがままについていくと、広場には多数の村人が集まっていた。その輪の真ん中には横に長い木卓と椅子が置いてあり、卓の上には香ばしく焼き上げられたパンや肉がたっぷり載せられている。
思わず食べ物に駆け寄ろうとするリジュの襟首を、ギルドマスターが素早くつかんだ。
「今からね、大食いコンテストが行われる。あの卓の上のパンを、時間内にいくつ食べられるかを競うんだ」
なんでも、物好きな貴族が「大食いな人間」を探しているのだという。彼らは金を払って村人を動員し、この場を整え食料を用意させた。
「どうして大食いを探しているのですか?」
「そこまでは教えてくれなかったよ。相手がお貴族様だから、こっちからほじくるわけにもいかなかったしね。でも、優勝者は館に招いて歓待してくれるそうだ」
「ふーん」
「おまけに賞金も出るんだよ。金貨三枚。勝負に参加するかい?」
「やります」
リジュは間髪入れずに手をあげた。食べまくってしかもお金までもらえるなんて、リジュにとっては夢のような話だ。この話を逃す手はない。
「よし、じゃ決まりだ。頑張って、ライバルに勝ってくれよ」
程なくして、リジュは四人のライバルたちとともに卓についた。ライバルたちは男三人、女一人。もちろん全員大人で、がっちりとして体格が良い。集まった面々がはやしたてるが、リジュの勝利を期待している人間は誰もいなかった。
しかし勝負が始まると、状況が一変する。
「お……おい、あの小さい子、見てみろよ」
「もう十個目! 大人に全然負けてない!」
予想外の健闘をみせるリジュに対し、しきりに歓声が飛ぶ。リジュはそれに軽く手を振ってこたえ、卓の上に視線を戻した。
勝負の対象になるのはパンの個数のみなのだが、卓には肉や魚料理が並んでいる。もちろん勝負には勝ちたいが、これを食べないなんてあまりにももったいない。リジュはそう考えていたので、自分でパンに具をはさみ、オリジナルサンドを作って食べていた。
「みんなも食べればいいのに」
両隣に向かってそうつぶやいたが、返答はない。ライバルたちはひたすら、加点につながるパンしか食べていなかった。
だが、その戦法には大きな欠点がある。パンだけを食べていると、どうしても味に飽きてくる。それを押し込もうとして水を飲むと、ますますお腹がいっぱいになって食べられなくなくなるという悪循環になるのだ。
制限時間の後半になると、大人たちの手が完全に止まってしまった。せっせと一定のペースで食事をしているのは、リジュだけである。
「そこまで!」
制止の声がかかったときには、リジュは大人たちの倍の皿を積み上げていた。歓声が高くあがる。
「……もう一皿食べちゃダメ? パンは食べないようにするから」
リジュはそれにまぎれて小さく審判に聞いてみた。すらりとした優男の審判が、当然のごとく厳しい目でにらんできた。
一番を勝ち取ったリジュは貴族用の豪華な馬車に乗せられ、街道を走っていた。都が近くなってきて、馬車が使えるようになったのは実にありがたい。村から大きな街までは、馬に乗るしかなくて閉口したものだ。
「馬上で飲食しない!」
そう言って怒っていた審判役の真面目そうな男──シーナも、馬車になったら文句を言わなくなった。外から見えていなければいい、ということだろう。
「まだ着かないの? 林ばっかりじゃない」
出された干し肉を囓りながらリジュが聞くと、もう都の近くまで来ているという。今は朝だが、貴族の屋敷には昼くらいには着くのではと言われていた。
「じゃあ干し肉もっとちょうだい」
「本当によく食べますね……」
呆れた表情でシーナがつぶやいた次の瞬間、馬車が大きく揺れた。小柄なリジュは振動で体が浮き、壁に当たってうめき声をあげる。
「敵襲! 敵襲! 術士は結界を張れ!」
護衛をしていた兵士たちの声が響く。リジュはシーナの目を盗んで、そっと窓から外を覗いた。
急停車した馬車の周りに、ぼんやりと光る結界が見える。結界に何度か炎が当たって砕けるのが見えた。
炎の数は多いが、あまり強い術ではない。おおかた金持ちの馬車とみてとった盗賊だろう。護衛の方が優秀な術士がそろっているため、問題なく迎撃できそうだ。リジュが首をすくめた時、視界の隅を何かがかすめた。
「出して!」
「何を言い出すんだ」
急に身を乗り出したリジュを見て、シーナが整った顔をしかめる。
「結界の外に、人影が見えたの。助けなきゃ」
「どうせ、賊の一員を見間違えたんだろう。座ってろ」
「そうかな。あんなに太った賊はそうそういないと思うけど」
リジュが太った、という単語を口にした瞬間、シーナの顔が激しく強張った。
「あのバカ!! 術士、俺が出る。結界を一部解除!!」
「どうなさいました!?」
「エリクがいる。いつもの悪い癖だ!!」
それ以上の反論は出なかった。シーナが馬車を駆け下りると、結界の一部分だけが丸く開放される。リジュはシーナと一緒に結界から出て、背の低い木の間に体を隠した。
ここから見ると、林の中にやたら丸い背中がうずくまっているのが見える。太っていて男性か女性か分からない。丈夫な布で作った作業服をまとっていた。
「エリク、こっちだ」
シーナが近付いて立たせようとしても、彼か彼女かは立とうとしない。夢中になってひたすら手を動かしている。
何をやっているのかと目をひそめた瞬間、リジュはシーナたちを狙っている術士に気づいた。炎の術はすでに放たれている。
「アイスシールド!!」
リジュはとっさに氷の盾を作り、攻撃を防ぐ。炎に表面をとかされた氷が砕け散り、派手な音をたてた。
「え? え? なにこれ」
「すまん、助かった!!」
その音でようやく顔を下げた作業着の人間とは反対に、シーナは素早く剣を抜いて術士を打ち倒した。
「まだいる、援護頼む!!」
シーナの声が聞こえる。リジュは次の敵に狙いを定め、木々の中をこそこそと進んでいった。
「……さて。無事に賊を撃退できたことをまずは喜ぼう」
襲撃を切り抜け、近くの街門の前まで来てほっとした一同に、シーナが言った。動き回ってかなり体力を使ったリジュは、力なくうなずく。
「いや、ありがとうありがとう」
呑気にリジュの横で拍手をしているのは、作業着の男──エリクだ。短く刈った栗色の髪と、のど仏で女性ではないとわかる。
彼は一目でいいものを食べているとわかるほど、肌がつやつやとしていた。目元が肉で埋もれているので、常に笑っているように見える。人に敵意を感じさせない風貌の典型といった感じだ。
しかしその彼の胸元を、シーナがねじりあげる。
「くくく苦しい」
「この程度で済んで幸運だと思え!! また死ぬところだったんだぞ!!」
エリクはごめんごめんと謝っていたが、シーナの責めはなかなか終わらない。常習犯のようで、話の終盤になるとシーナの声がかすれてきていた。
「……いや、死ぬつもりはなかったんだけど。新しい子が来るっていうから、何か特別な料理をと思ってだね。キノコのいいのを探してたら、つい夢中になっちゃって」
「そのクセをやめろ!!」
「ご自身で料理をされるんですか?」
リジュが思わず聞くと、エリクは本当に嬉しそうな顔をした。
「そうだよ。こんなに楽しいことはないね!」
聞けば、エリクは小さい頃から親の目を盗んで料理をしていたという。成長してからは料理人になりたいと本気で考えていたが、両親に泣いて止められ思いとどまったと彼は語った。
「お前を雇ったのも、こいつの料理の食い手を探してのことだ。前の使用人が、そろそろ年で食べるのがきつくなったというんでな」
「料理の……食べ手?」
「料理は美味しく食べられてこそさ! 僕はいい顔でたくさん食べてくれる人が好きでね」
夢のような話に顔を上気させているリジュに向かって、シーナが冷ややかな視線を向けた。
「楽な仕事だと思うなよ。こいつの作る量は半端ないから、毎日続くと嫌になってくる。前の使用人は長くいてくれたが、その前の奴は三日で辞めた。それに、材料集めと称して狩りに連れ出されることもあるしな」
「絶対に大丈夫です。だって私は……」
リジュはここで、エリクたちに本当のことを話しておくことにした。常に食べ物がないとまずい体なのだと聞いて、エリクは目を輝かせる。
「僕にぴったりの子が来てくれたよ! 絶対に後悔させないからね!!」
「はい、私も頑張ります!!」
盛り上がっているエリクとリジュを見て、シーナが理解できないものを見た時の顔になった。
「旦那様! 今日は大海のヌシがとれましたよ!」
「よくやったリジュ! さっそくさばいてソテーにしよう!!」
雇われてから三年。リジュは屋敷にすっかりなじんだ。エリクの料理の腕はますます上がり、仕事がおろそかになるのではと当初は心配されていたが、素晴らしい料理の腕は思わぬ副産物を生み出した。
エリクの料理を食べてみたいと、他の有力貴族たちがパーティーに押しかけるようになったのだ。顔が広がると集まる情報も増え、適切な行動が取れるようになる。結果、エリクの父は有用な官位を得てほくほくしていた。
リジュの体は相変わらず小さいままだったが、今の境遇にはこの上なく満足していた。ただ時々、使用人たちから「幼妻」「いやそれはちょっと」という会話がもれ聞こえてくるのが気になるが……どんな意味か、後でマリアに聞いてみようとリジュは思った。
「お招きありがとう。あら、何か聞きたいことがあるのかしら?」
「師匠! お会いしたかったです!」
久しぶりに姿を現したマリアに向かって、リジュは大きく手を広げてみせた。
呪いで爆食い幼女になっちゃったけど幸せです 刀綱一實 @sitina77
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