最高の自信作

@tetsuzin7

最高の自信作

 [1]

  扉の横に小さなランプが灯っているだけの、看板も何もないその扉に手をかけた。キィっという小さな軋み音とカラランというカウベルが迎えてくれる。

 路地の奥に見つけた謎のお店は、どうやら喫茶店のようだった。

「いらっしゃいませ」

 そう声をかけてくれたのは、カウンターの中でコーヒーカップを磨いている、白いワイシャツに黒いパンツ、腰から下に焦げ茶色のエプロンをした、年齢は30代半ばくらいだろうか、緩くウェーブのかかった長い髪を後ろで一つに纏めている、キリっとした美人さんだ。

「ここは、喫茶店ですか?」

「はい、そうです。アルコールの提供は致しておりませんがどうされますか?」

「あ、大丈夫です」

 ニコリと意外にも優しい笑顔で案内してくれた席は、1人がけのソファだった。珍しい作りだなと、よく店内を見ると5つあるテーブルに全て椅子は1つだけ。カウンターは窓際に3つだけの小さな店だった。目を引くのは、テーブルの形が様々なことだ。学習机に高そうなオフィスチェアもあれば、ソファに小さな机だったり、丸テーブルにカウンターチェアだったり。それをパーテーションでいい感じに仕切ってあって、半個室空間になっている。壁面にはたくさんの本が並んでいる。好きに読んでいいみたいだ。ここはどうやらおひとりさま向けの店らしい。

「ご注文はどうされますか?」

「あの、コーヒーじゃなくてもいいですか?」

「もちろんです」

「じゃあロイヤルミルクティーお願いします」

「かしこまりました」

 程なくして運ばれて来たロイヤルミルクティーを口に運ぶ。

「美味しい」

 思わず声が洩れてしまった。甘くて優しくて、こんな状況なのにほっこりと幸せな気持ちになる味だ。オマケに添えられたパウンドケーキも美味しくて、何だかホっとする。



 別れは突然やってきた。いや、こちらがそう感じただけで、向こうはそうではなかったのかもしれないが。長い付き合いで、そんなつもりはなくても甘えてしまっていたのかもしれない。

「他に好きな人ができたから、結婚する」

 たった一言で4年と3ヶ月の付き合いはアッサリ終わりを告げた。引き止める気力も、自信も、何もなくなってしまっていた自分に愕然としつつ、どこかでそれを客観視している自分もいた。

 仕事不安定だし仕方ないよね、とか。好きな人が出来たんだもん、仕方ないよね、とか。付き合ってても結婚出来ないんだもん、仕方ないよね、とか。そんなどうしようもないことを延々と考えてしまい、そこにロイヤルミルクティーの甘さも加わって、涙腺が一気に崩壊してしまった。


 この気持ちは後悔なのか未練なのか。


 声を殺して泣き続け、涙も枯れ果てた頃、そっとカウンターにいた彼女が空になったカップを下げに来た。

「ハーブティーです。よろしければどうぞ」

 と、代わりに置いてくれた。

「ありがとう・・・ございます」

「ツラい気持ちは置いて行ってくださいね」

「え?」

「ココは、そういうお店なので」

 そう言うと頭を下げてカウンターへと戻って行った。


 そうだ、終わらせなきゃ。



「ごちそうさまでした」

 2杯分の料金を払おうとしたが、ハーブティーはサービスです、と1杯分しか受け取ってもらえなかった。不思議なことに、ハーブティーを飲み終えた頃には随分と落ち着いていた。

 不思議と居心地のいい空間だった。


 店を出て路地を抜けると、随分と人通りが減っていた。腕時計で時間を確認すると、もう始発が出る頃だ。

 ふと振り返ると、路地の奥にさっきまで見えていた灯りが見えなくなっていた。朝が来たから看板を下げたのかな。






[2]

 好きな仕事をできるなんて幸せだね?

 とんでもない!フリーのカメラマンなんて仕事がなければ生活もできない。

 フリーカメラマンと印字されている下に、鳴海薫という名前と電話番号を載せているだけの名刺を見つめる。何の肩書きもない、何の宣伝効果もないただの味気ない名刺。少し前までは写真スタジオでアシスタントをしていたのだが、このままではダメだからとフリーになったが、中々最初は厳しかった。

 好きな写真を撮って生活出来たらいいけど、来るのはラーメン特集とかカフェ特集が中心の雑誌の仕事だとか、学校行事に帯同するイベント撮影ばかり。それが嫌なのかと問われると、別に嫌なわけではない。ありがたいことにそれなりに忙しくはさせてもらっているから生活も何とか出来ているので文句は言えない。

 でも仕事のチャンスはどこに転がっているかわからないから、Nikonの一眼レフは常に持ち歩いている。

 が、それとは別に常に首から下げているのは、かれこれ70年程前に作られた二眼レフのフィルムカメラだ。

 生まれるずっとずっと前に、こんなにカッコいいカメラが作られていたのかと思うと感動してしまい、手を尽くして何とか手に入れたローライコード。本当はローライフレックスが欲しかったが、中々手に入らない上に、とんでもなく値段が高騰していたので、50000円でローライコードを手に入れた。

 それからは宝物だ。

 このデジタル世代に何でそんなめんどくさいフィルムカメラなんだ?と言われることもあるが、フィルムにはフィルムの良さがある。ザラリとした荒い質感。柔らかな色合い。露出など計算はしているが、現像が上がるまでどういう写真になるのかわからないドキドキ感。

 一本のフィルムで12枚しか撮れない不経済さはあるけれど、それでもやっぱり好きなので、一枚一枚を大切に撮りたい。


 まぁ、仕事で使うなら結局はデジタル一眼レフになってしまうのだが。






[3]

 恋人と別れて心機一転、薫が引っ越して来たのはすごく都会でもなければすごく田舎でもない、中途半端に栄えている街だが、交通の便も悪くなく、家賃相場もそれほど高くない、意外と住みやすい街だった。

 中でも面白いのは、古民家を改装したカフェや美容室や雑貨店など、町おこしの一環なのかそういったお店が多いこと。

 見た目は古いのに中はオシャレだったりとSNSで話題になり、最近は若い子が増えているようだ。あのカフェもそうだった。

 ただ、あのカフェは夜しかやっていないし、場所もわかりにくいし、お酒も出してないし、お一人様限定なので騒がしくは決してならない。

 それが有り難かった。

 何せ、この街に引っ越して来ようと思った最大の理由があのカフェだったから。

 友達も特にいない、恋人とも別れ、仕事はフリー。せめて自分の居場所くらいちゃんとしたいと思いつつ、30になった今でもフラフラしている自分を変えたくて、今度こそはと引っ越しを決意した。


 探検がてら、カメラ片手に近所を散歩してみた。旅館なのかどこかの寮なのかアパートなのかわからない建物。どこにあるのかわからない予備校の看板。コンテナに二段ベッドを入れ、そこを席にしてある変わった喫茶店。入口がわかりにくいプリンの専門店、昭和時代の懐かしいアイテムを揃えた雑貨屋、大きめの道に看板は出ているが、店は路地の奥を探さなければ見つからない和菓子屋など、見ているとワクワクする場所でシャッターを一枚一枚丁寧に切る。

 そしてまだ開いていないハズのあのカフェに足が向かう。

 グレーのスウェット上下姿で、カフェの窓や扉を何だか嬉しそうに一生懸命掃除している彼女がいた。思わずファインダーを覗き、シャッターを切った。最後の一枚だった。古いカメラにありがちな、カシャンという小気味のいいシャッター音に気づいた彼女が振り返って、いぶかしげに首を傾げる。

「あの・・・?」

「あ、すいません!勝手にシャッター切ってしまって!つい・・・」

「いいけどさぁ、あたしスウェットなんだけど?せめてもう少しちゃんとした格好の時にしてくんない?」

 口をへの字にしてクレームをつけられた。怒る所そこ?でも悪いのはこちらなので、素直に深々と頭を下げる。

「すみませんでした!!」

「で?うちに用事?」

「はい、以前一度来させてもらったんですけど、ハマっちゃって近くに引っ越して来ました」

「へ?わざわざ?」

「ダメ、でした?」

「別にダメじゃないけど、変な人だね」

 クスクス笑い、カメラに目を向けた。

「かわいいカメラだね?イイ音してたし。仕事?趣味?」

「どっちもです。フリーのカメラマンだけど、このカメラは趣味です」

 ローライコードを持ち上げる。

「そっか、もしかしてフィルム?」

「そうです」

「そっかぁ、じゃあどんな写真撮ったのか見せてってわけにはいかないね」

 残念そうに笑うから、きゅっと拳を握りしめて、何度か深呼吸をする。

「あの、プリントしたら持ってきていいですか?」

「え?くれるの?」

「もちろんです」

「やったぁ」

 パァッと目を輝かせて笑う彼女に、心臓がトクンと小さく跳ねた。

「楽しみにしてるねっ」

「はいっ!あ、今からお店ですか?」

「あ、うちは夜中しかやらないんだ。開店は21時で閉店は朝の5時。お酒は出さない喫茶店だよ」

「変わってますね」

「まぁね、でも需要あるみたいで、それなりに人は来るんだよ」

「居心地いいですもんね」

「ありがと、また営業時間にも寄ってよ」

「はい!」

 名刺サイズのショップカードを貰い、頭を下げて帰ろうと踵を返した瞬間、不意に声をかけられた。

「ねぇ、もう大丈夫なの?」

「え?」

「もう泣いてない?」

「覚えて・・・?」

 それには答えず黙ってニコリと笑い、雑巾片手に小さく手を振る彼女を見つめた。

「またね、カメラマンさん」

 それ以上何も聞かず、もう一度頭を下げて今度こそ歩き出した。


 店の名前と定休日、営業時間が書いてあるだけのシンプルなカードを見つめる。彼女の名前などの印字はない。

 また会いたいな。






[4]

 まゆみがこの仕事を始めて5年になる。最初は不安だらけだったが、溜めた貯金をはたいて買ったおかげで家賃はいらないし、この街の雰囲気にも合っていたのか、細々とだが今でも続けられている。

 不特定多数というより、常連さんに支えられている。常連といっても名前もどこで何をしているのかもよく知らない。知っているのは好きな飲み物とか、どの席が好みだとか、その程度だ。ただ時々フラリと入ってくる新規のお客様もいる。

 先日、初めてお客様の職業を知る機会があった。それこそ初めて来た女性だったが、うちの店を気に入ってわざわざ引っ越して来たという変わった人だった。あの時は長かった髪が、ザックリとカットされてショートヘアになっていたので一瞬わからなかった。

 普通だったら無断でカメラのシャッターを切られたら不愉快になるはずなのに、すぐに謝ってくれたし、悪気はなさそうだったし、何よりスマホじゃなくて古いフィルムカメラを手にしていたから、プリントが出来たらくれるということで手を打ってしまった。

 少し年下に見えた彼女の職業はカメラマンだった。

 そんな彼女が1週間後に再びやってきた。おそるおそるドアを開け、覗き込んでキョロキョロと見渡している。そんなに広い店じゃないんだけどな。

 他にもお客様がいるから、いつものようにいらっしゃいませと声をかけると、ぺこりと小さく頭を下げて入ってくる。彼女が前に座ってた場所が丁度空いていたので案内しようとするが、モジモジと言いにくそうに言葉を濁している。

「ん?」

「あ、あの、別の席でもいいですか?」

 意外なことに以前のソファ席を断られて驚いていると、恥ずかしそうに笑う。

 あの時、号泣していた姿を思い出した。別にお客様のプライベートに関わるつもりも、相談に乗る気もない。流せばいいだけだ。黙って別の席へと案内した。

「ありがとうございます」

「今日はどうしますか?」

「カフェオレでお願いします。あと何か食べるものありますか?」

「オムライスとかパスタとか、簡単なモノでしたらありますよ」

 メニューを広げて見せる。

「あ、じゃあオムライスで」

「わかりました」

 たったそれだけの会話。本来そういうコンセプトの店だしね。店を開くにあたって、たくさんの喫茶店を巡った。美味しい店には何度も通ったし、研究もした。結構美味しく淹れられるようにはなったと思っている。

 カフェオレを持っていくと、うちの本棚から持ってきた小説を読み始めていた彼女が顔を上げた。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 最小限の会話が続く。

 カウンターで食器を磨きながら店内を見渡した。今いるのは彼女ともう1人の男性。彼はいつも終電で帰ってしまうので、そろそろだろう。そうすると今度は終電乗り過ごし組がやってきて、最後に夜の仕事終わりの人たちだ。

 なんだかんだと忙しいが、店内は静かだ。まゆみはこの空気が好きだった。


 彼が帰ってしまい、一度お客様の波が途切れた。店内は彼女だけになった。ゴソゴソと動く気配がして、彼女が立ち上がった。帰るのかな。

「あの、ご馳走様でした」

「いえ、ゆっくりできました?」

「はい、あ、あの、コレ」

 小さな封筒を差し出されて受け取る。

「見てもいい?」

 恥ずかしそうに頷く。封筒を開けると一枚の真四角の写真が出てきた。先日撮られた写真だ。店の前で何だか楽しそうにドアを磨いている姿が遠目に撮られている。

「すいません、望遠レンズついてなくて顔はそこまで写ってないんですけど」

「え?いいじゃん!店もちゃんと写ってるし。っていうかあたしこんな楽しそうに磨いてた?」

「はい、すごく楽しそうでした。ステキだなと思って気づいたらシャッター切ってて」

「そっか、何か嬉しいな」

 今まで写真を撮ることなんて少なくて、スマホが普及して誰でも簡単に写真を撮ることができるようになっても、撮るのは店の宣伝の為のメニューやお知らせくらいで、ましてや自分が写真に写ることなんて滅多にない。

 だからすごく新鮮で、その写真を気に入ってしまった。

「今度スウェットじゃない時に、店の前で撮ってくれない?ちゃんと料金払うからさ」

「お金なんていいですよ!是非撮らせてください」

「そういうわけにはいかない。払わせてくれないなら頼まない」

 そこは頑なに譲らずにいたら、動揺した彼女はなぜか頬を染めて、何度も小さく頷いた。

「えっと、はい、じゃあ、ありがとうございます」

 可愛い人だな。






[5]

 彼女の写真を撮らせてもらえることになった。お金なんていらないと言ったが、頑なにそこは譲ってくれなかったので、有り難く受け取ることにした。

 毎週月曜日が休みらしく、その日に撮ることになったので準備を始める。

 仕事用のデジタル一眼レフに、50mmの標準レンズと70-200mmの望遠レンズ、ストロボと折り畳み式のレフ板を用意した。

 どういう風に撮ろうか想像しているのがもう楽しい。


 月曜日の2時に店に行くと、以前のようなスウェット姿ではなく、いつもの制服姿で待ってくれていた。身長は172cmある薫より10cm程低いが、スラっとしたスタイルにはよく似合っている。

「気合い入りすぎかな?」

 照れたように笑う彼女。その瞬間パシャリとシャッターを切った。

「えぇ?もう?」

「ふふっ、かっこいいですよ」

「プロに撮ってもらうなんて、初めてだからさー」

「緊張しなくていいですよ」

 なるべく自然な姿を撮りたくて、いつものように動いてもらうことにした。

 まずは店の前の掃除らしい。掃き掃除に拭き掃除がやっぱり楽しそうに見える。よっぽどこのお店のこと好きなんだろうな。

 シャッターを切る。

 ドアの前に立ってもらい、店の全景と一緒に撮る。中に入り、コーヒーを淹れる姿や食器を拭いてる姿、ぼんやりと頬杖ついて休憩している姿など、彼女の普段の姿に触れられることが嬉しくて、ついたくさんシャッターを切ってしまった。こういう時デジタルカメラだと助かるなと思いながらまた一枚。久しぶりに楽しい仕事だった。

 さっき淹れたコーヒーを、せっかくだからと頂き、2人で休憩しながら、持参したパソコンに取り込んだ写真を見せる。

「流石だよね!自分で言うのも何だけど、いい写真じゃん」

「モデルがいいからですよ」

「お世辞でも嬉しいわ」

「お世辞じゃないですよ、オーナーの表情ってくるくる変わるから撮っててすごく楽しいです。たくさん撮っちゃった」

「そ?やったぁ。あ、あたし赤城っていうの。赤城まゆみ。オーナーでもいいけどさ」

「あ、えっと名刺名刺」

 パタパタと上着のポケットや内ポケットを叩きながら探し当てた名刺を差し出した。

「鳴海薫です。よろしくお願いします」

 これだけ話していて初めて自己紹介している現状に何だか笑えてしまった。






[6]

 特に何かに使用する予定はない写真だったが、プロのカメラマンの力はすごいなと、もらった写真を丁寧にアルバムに挟んでいく。

「どうですか?」

「どうって?」

「気に入ってもらえましたか?」

 自信なさげに反応を伺う薫。

「もちろんだよ!こんなにキレイに撮ってもらえるなんて思ってなかったし」

「ホント?よかった〜」

 心底ホッとしたのか、冷めかけたコーヒーに口をつける。開店前だからサービスだ。

「あたしが今死んだら絶対遺影写真にしてもらいたい」

「縁起でもないですよ!」

「冗談だって!や、写真はホントにめちゃくちゃ気に入ったけど」

「それならよかったです」

 満足げに笑う。

「薫さんは普段どんな写真撮ってるの?」

「仕事では雑誌の取材に同行したり、ラーメン屋特集とかカフェ特集とかね、あとは学校写真とか、呼ばれたらどこにでも行きます。前はスタジオでアシスタントやってたんだけど、独立したくて。まぁ中々仕事来ないから売り込まないといけないんですけど」

「そっか、大変なんだ」

「ん、だから今回みたいな仕事は珍しいんだけど、楽しかったです」

 ぺこりと頭を下げる薫さん。

「SNSとかはやってないの?」

「いえ、でもそろそろやった方が宣伝にもなるかなと思っているんですけど」

「もし、あたしの写真が薫さんの役に立つなら、使ってくれていいからね」

「いいんですか?ありがとうございます」

 カメラマン業界のことはよくわからないが、こんなに素敵な写真を撮ってくれた薫さんには頑張ってほしい。こんなにお客様と密に関わることなんて今までなかったから、不思議な感覚なんだけど。

「ね、どうしてカメラマンになろうと思ったの?」

 頬杖をついてしばらく黙って宙を見つめていた薫さんが、不意に口を開いた。

「昔、使い捨てカメラってあったじゃないですか?そのまま現像に出せるヤツ」

「あったねー」

「あれを親に強請って買ってもらったことがあったんですよ。それでよくわからないクセに沢山写真撮ってたの。空だったり公園の遊具だったり、野良猫だったり近所の人たちだったり、なんでもない写真なんだけどそれがまた楽しかったんですよね」

「へぇ〜面白いね。好きがずっと続いてるってステキじゃない?」

「ん、子どもがやることだからか、よく笑ってくれる人がいて、それがまた嬉しくて、下手な写真だったけど今でもその時の写真置いてあるんですよね。これでいいのかな?とか迷った時にそれ見て思い出すんです。純粋に写真が好きだった頃の自分を」

 好きなことを一生懸命話す姿に、何だかほのぼのしてしまう。本当に好きなんだな、写真撮るの。こういうカメラマンに撮ってもらえてよかったな。

 俄然薫さんに興味が湧いてきた。

「ねぇ、薫さんどこに住んでんの?」

「そこの角曲がってしばらく歩いたところの茶色いマンションの3階です」

「すぐソコなんだねホントに」

「ん、まゆみさんは?この上ですか?」

 初めて名前で呼ばれてドキっとする。誰かに下の名前で呼ばれたのは随分と久しぶりだった。

「そうだよ、住居兼店なんだ」

「そっかぁ、ご近所さんですね」

「今度ごはんでも行こうよ」

「はい」

 なるべく人に深入りしないようにしてきたのに、休みの日に誰かと出かけようとするなんて、しかも自分から誘うとか、どうかしちゃったとしか思えない。






[7]

「薫さんこっち」

 駅前集合と言われたので、てっきり電車で出かけるのかと思ったけど、手を振っているまゆみさんは自転車を押していた。

「自転車?」

「乗れる?」

「乗れますけど」

「そこで借りられるから借りてきてくれる?」

 駅前の無人レンタルサイクルで電動自転車を借りると跨った。自転車なんて久しぶりに乗るなぁ。

「ちょっと走るよー」

 出発すると、駅からどんどん離れて行った。住んでいる町はそれなりに都会っぽいところはあるけど、少し離れると大きめの公園があった。引っ越ししてきてから一度探検がてら来たくらいで、ちゃんと来たのは初めてだった。 

「いいところですよね」

「だよねーたまにお弁当持って1人で来てたんだよね」

「そうなんですか?いいですよねぇのんびりできるし」

 まゆみさんの自転車の籠に積んである大きめのバッグにはどうやらお弁当が入っているらしい。芝生にレジャーシートを敷くと四隅に拾って来た石を置いて飛ばないように止めてから靴を脱いで座る。

「おいでよ」

 レジャーシートをポンポンされ、同じように靴を脱いで腰かけた。お弁当の風呂敷を開けると、中から2段の重箱が出てきた。中にはおむすびや卵焼き、唐揚げやサラダなど、様々なおかずが彩り良く並んでいた。

「これ、まゆみさんが作ったんですか?」

「え?うん。料理は案外好きなんだよね。オムライス美味しかったでしょ?」

「はい!すごく!わーっ美味しそう」

「そ?ありがと。作りすぎちゃったから、いっぱい食べてね」

 割り箸をもらい、いただきますと頭を下げて卵焼きにお箸を伸ばす。

「美味しい〜」

 ダシの効いた甘めの味付けは、薫の好みだった。俵型のおむすびは塩、梅、昆布、ツナの4種類。唐揚げもジューシーで美味しい。サラダのドレッシングは手作りらしい。

「よかった」

 保温ポットから食後にあったかいコーヒーを注いでもらった。鰯雲の並ぶ秋の空を見上げてボンヤリする。

「秋だねぇ」

 ゴロリと横になるまゆみさんに習って同じように寝転ぶ。

「そうですね」

 久しぶりにこんなにのんびり過ごしている気がする。仕事の少ないフリーカメラマンなんてしょっちゅう休んでいるようなものだと思われがちだが、休みが多いと収入も少ないし、逆に忙しい時は休みもない。毎日不安だらけだ。

「久しぶりだなーこんなに休みに何も考えずにのんびりするの」

「そうなんですか?」

「んー、まぁねぇ。休みの日に一緒に出かける友達も恋人もいないしね。大体家事で終わるかな」

「すいません、休みなのにご飯作ってもらっちゃって」

「いいって、久しぶりに誰かの為に作ったし、美味しいって言ってくれて嬉しかった」

 不意に先程まゆみさんが口にして気になった言葉を掘り返した。

「まゆみさんて、恋人いないんですか?」

「いないよーもう随分とね。薫さんは?あ・・・」

 聞いてはいけないことを聞いてしまったというように、口を閉ざす。

「ふふっ、別れたところです」

「ごめん」

 気まずそうに俯くまゆみさん。

「気づきますよねぇ、あんなに泣いちゃって」

「まぁ、そうなのかなぁ程度だけど。あれから指輪もしてないし」

「よく見てますね。正解です、あの指輪はもう捨てちゃいましたよ。今は仕事頑張りたいんです」

 カメラを空に向けてシャッターを切る。

「頑張ってね」

 その後、食後の運動にと、一体どこに持っていたのかバドミントンのラケットを取り出し、子供のように夢中で遊んだ。あまりのラリーの続かなさに笑い転げたり、10回続いては喜んだりしながら遊んだ。キャッチボールやフリスビーなど、大きなカバンから色んな道具が出てきては遊んだ。


「あーっ楽しかった!」

「ねーっやっぱり身体動かすと気持ちいいよね!」

「ですね!今日は誘ってくれてありがとうございました」

「こっちこそ付き合ってくれてありがとね」

 レジャーシートを片付けると、紫色になりつつある空を見上げた。身体を動かして、ぼんやりして、美味しいものを食べて、今日一日で色んなモノが浄化された気がする。まゆみさんといると自然体でいられるなぁ。

「帰ろっか」

「はい」






[8]

 久しぶりに身体を動かして、2日経った今でもまだ若干筋肉痛に頬を歪めながら今日も仕込みをする。店で出すのは軽食程度だけど料理は嫌いじゃない、寧ろ好きな方だ。でも自分1人の為にすることはあまりなく、お客様に食べてもらいたいからする程度。だから昨日は久しぶりにお客さまじゃない誰かの為にお弁当を作った。美味しそうに食べてくれたので大成功だった。

「楽しかったなぁ」

 ポツリと呟いた。あんなに笑ったのはどれくらいぶりだろう?人に振り回されるのがイヤでこの仕事を始めた頃を思い出す。

 若い頃はそれなりに友達や彼氏がいて、ごくごく普通に暮らしていた。それなりに幸せだったし、それなりに別れも経験して、それなりにめんどくさい事も経験して、流れ着いたのがこの仕事だった。

 だから昨日のまゆみはどうかしていたと思う。でも、正直楽しかった。ぼんやり空を見上げて黙っていても気まずくないし、一緒にぼんやりしてくれるから。

 お客様と仕事以外で会うなんて、考えたこともなかったのにな。

 そういえば、薫さん今日来るって言ってたけど遅いな。

 時計を見ると、来ると言っていた時間を30分ほど過ぎていた。






[9]

「薫」

 暗がりからそう呼ばれて振り返り、目を丸くする。

「美弥?どうしたの?どうして?」

 混乱している薫を他所に、世間話でもするかのように話を続ける。

「髪、切ったんだね」

「どうしてここがわかったの?引っ越したのに」

 誰にも言わずに引っ越したし、名刺にも載せてないから知らないハズなのにと、驚きを隠せなかった。

「最近SNS始めたでしょ?」

 宣伝も兼ねて確かにSNSを始めたけれど、まさか。

「そのまさかよ」

 心の声を読まれたのか、ニヤリと笑う。

「何年付き合ってたと思ってるの?薫の考えてることくらいわかるわよ」

 悔しいけどぐうの音も出ない。

「薫、あんな写真撮るようになったんだね」

「仕事だから」

 まゆみさんの好意に甘え、お店の宣伝も兼ねるということで写真を公開させてもらった。外観もバッチリ写ってるし、探そうと思えば探せるのだろう。ココに来たら会えるかもしれないと思ったようだ。

 まさか美弥が見ているなんて夢にも思っていなかった。

「ちょっと悔しいな。薫、あたしのことあんな風に撮ってくれたことなかったし」

 確かに、スマホでチョロっと撮ることはあっても、ちゃんとカメラで撮ったことはなかった。なんとなく、だ。よく見ると、髪型や雰囲気が変わっている。黒髪ストレートは彼氏・・・もう旦那さんなのかな?の好みなのかもしれない。

「美弥さ、そんなこと言いに来たの?」

「え?」

「急ぐから、じゃあね」

 これ以上話していられなくて、逃げるように背を向けた。

「薫!あたし結婚やめたんだ」

 息が止まりそうになる。今、何て言った?

 ゆっくりと振り返る。

「結婚、やめたの。だから薫・・・」

 ドクンドクンと心臓の高鳴る音が脳内に響き渡る。何を言う気なんだろう?

 全身が石になったように固まって動かない。

 その時だ。カラランと音がしてお店のドアが開いた。

「薫さん?どうしたの?こんなところで」

 なぜか箒を片手に出てきたまゆみさんが目を丸くする。

「まゆみ・・・さん?」

「外が騒がしいなと思って。今から出るって言ってたのに中々来ないから、何かあったのかと心配しちゃった」

 恥ずかしそうに箒を背中に隠す。もしかして助けてくれようとしたのかな。

「うるさくしてごめんなさい」

「友達?」

 隣に来て美弥と薫を交互に見る。

「ううん、なんでもないよ。道聞かれただけだから」

 再び背を向けると、まゆみさんより先に店に向かう。

「え?」

「ちょっと薫!」

 何かを感じ取りながらも、心配そうに何度も美弥を振り返りながら駆け寄って来た。

「薫さん?いいの?」

「はい」

 もう未練は断ち切ったんだから。






[10]

 オープンしたてでまだ誰もいない店内に響くのは、コーヒーを入れるコポコポという音のみ。1番奥の席に黙って座る薫さんにどう声をかけていいのかわからず、まゆみはコーヒーに集中する。

 明らかに薫さんの様子がおかしい。道を聞かれただけとは思えないし、多分知り合いだろう、しかもかなり親密な。

 チラリとぼんやり座っている薫さんに視線を向ける。

 彼女が何者なのか、薫さんとの関係はどういったモノなのか、気にはなるけど立ち入るほどの関係なのかと問われると悩んでしまう。

 そもそもただの喫茶店のマスターとお客様なんだもん。そう、ただの・・・ただの?本当にただのお客様?


 入れたコーヒーを持って行く。薫さんはいつもの本も読まず、ただ黙って俯いていた。コトリと目の前にコーヒーを置くと、ハっと気がついたように顔を上げたその瞳は少しだけ潤んでいる。見て見ぬフリをしたいのに一瞬釘付けになってしまった。逃げるように俯く薫さんから慌てて目を逸らし、背中を向ける。見てはいけない気がして。

「ごゆっくり」

 カウンターに戻ろうとした。

「まゆみさん」

 呼び止められ、ゆっくり振り返る。

「別れた彼女なんです」

「え?」

「ここに初めて来た日にフラれた相手です」

 黙って聞いていた。驚きすぎて声が出なかったせいでもあるけど。

「結婚するんだって・・・彼女元々ノーマルだから・・・男の人と」

「そうなんだ・・・」

 悲しそうに苦笑いをする薫さんに、何と声をかけていいのかわからず、当たり障りのない返事をしてしまう。

「なのに結婚、やめたんだって」

 そのまま黙ってしまった薫さん。元サヤに戻りたいのだろうか?

「彼女、帰しちゃってよかったの?」

「いいんです、もうわたしは前向いて進んでるんで」

 言葉とは裏腹に俯いて膝の上で拳を握りしめている薫さんは、まだ立ち止まっている気がする。

 どう言葉をかけていいのか悩んでいると、カランとカウベルが鳴った。天の助けだ。

「いらっしゃいませ」

 お客さんを迎えにカウンターに戻った。

 1時間ほどして、薫さんは机の上にコーヒー代をピッタリ置いて黙って帰って行った。






[11]

 まともにまゆみさんの顔を見ることができなかった。気づいていたのかはわからなかったけど、自分からカミングアウトしてしまった。困った顔をしていたまゆみさんの顔が忘れられない。そりゃ困るよね、急にそんなこと言われても。

 あれから1週間、あの店には行けていない。


 正直、美弥のことはもう忘れかけていた。仕事も忙しくなりつつあるし、何より今は居心地のいい場所がある。恋人ではもちろんないし、友達とも言っていいのかわからない、ただの喫茶店のマスターとお客さん、カメラマンと依頼人だ。

 だけど、今の薫にとってはたまらなく居心地のいい場所だった。

 なのに美弥の思いがけない来訪のせいで、また失うのか。

 ぼんやりとベッドに寝転んで天井を見上げる。涙が溢れて来た。

 あの時美弥が発した、だから薫・・・の続きは何だったんだろう?まさかヨリを戻すとかいう話だろうか?あまりにも突拍子もない考えに、頭を振る。そんなわけないよ。今更だし。


 グゥ〜


 お腹を押さえる。こんな時でもお腹は空くのかと笑ってしまう。冷蔵庫を開け、何もないことを確認し、財布を持って買い物にいく準備をしていると、インターフォンが鳴った。

 カメラ付きなどといいものはついていないので、玄関先に出て声をかける。

「どちらさまですかー?」

「・・・」

「あの、どちらさま?」

「薫・・・」

 息を呑む。どうして家がわかったのだろう?混乱で頭がぐるぐるする。

「薫、開けてくれない?」

 いつものキツめな言い方ではなく控えめな声。黙ってドアを開けて外に出ると慌てて背中で閉める。今家に入れたらダメな気がする。

「美弥・・・何?こんなところまで」

「薫、この間ちゃんと言えなかったから」

 黙って耳を塞ぎ、目を閉じる。

「薫!聞いてよ!」

 両手を耳から外された。その衝撃でピアスのキャッチが外れて飛んでいく。買ったばかりなのになとその行方を冷静に見つめる。

「今更何を聞けばいいの?勝手に結婚するからって出てったのそっちでしょ?」

「ごめん、どうかしてた・・・どれだけ薫のこと好きだったか・・・後で気づいた。もう遅いとは思ったけど、でも薫のSNS見てたらやっぱり悔しくて・・・手放した自分に腹が立って」

「手放したって、わたしは美弥の物じゃないよ?わたしの意志だってあるんだよ?」

「ごめん・・・」

「とにかく、もう終わったんだから帰って」

「ヤダ!」

 薫より随分と小柄な美弥が必死で食い下がってくる。胸倉を掴まれ、強引にキスをされた。流石に舌は入れて来ないか。昔は好きでたまらなかった美弥とのキスに、もう何の感情も湧かなくなっていた。

 頸に触れる美弥の手にゾワリと背中が粟立つ。

「どうして髪、切っちゃったの?」

「別に、邪魔だったから」

「薫の長い髪、好きだったのにな」

「知らないよ、関係ないでしょ」

 冷たく突き放すが、中々離れてくれない美弥と押し問答を繰り返す。

「ね、あたしたちやり直せない?」

 とうとう口に出してしまった。返事なんてもちろん決まってる。口を開こうとした時だ、カタンと音がしたので視線を向けると、息を飲む。

「え、まゆみ・・・さん?どうして?」

「や、最近全然姿見せないから心配になって。ごめん、邪魔するつもりなかったんだ」

 手のひらに拾ってくれたピアスと持ってきたらしい紙袋を乗せ、踵を返して駆け出していくまゆみさんを慌てて追ったが、無情にも目の前でエレベーターのドアが閉まってしまった。






[12]

 ビックリしたビックリしたビックリした。キス、してたよね?前後の状況はわからないけど、やっぱりあの2人はそういう関係だったんだ。

 本人から聞いていたし頭ではわかってたけど、実際見ちゃうと流石に動揺してしまう。薫さんの家から逃げるように走って来たが、店に戻る気にはなれず、気がつくと公園に足が向いていた。

 ベンチに腰掛けるとボンヤリと空を見上げる。

「薫さん、元に戻るのかなぁ」

 誰に言うでもなくポツリと呟く。

 もうバドミントンもキャッチボールも出来なくなるのかな。

 いや、でも薫さんが幸せなことが一番だよね。うん、元に戻るだけの話だ。お客様として接したらいいだけの話。

 よし!

 パンっと両手で頬を叩いて立ち上がる。

「店戻ろ」

 振り返るとギョっとした。苦しそうに息を切らせた薫さんが膝に手を当てて呼吸を整えていた。

「どうしたの?薫さん」

「あのっ、はぁっはぁっ、まゆみさんっ、はぁっ」

「走って来たの?」

 大きく息を吸い、吐き出した薫さんは困ったように眉を寄せて笑う。

「探しちゃった。ごめんなさい、驚かせちゃって」

「え?あ、いや、うん、大丈夫」

 でもないけど。

「あとコレ、ありがとう」

 薫さんが手に持っている紙袋を持ち上げた。さっき無理矢理渡して来たお弁当だ。

「あ、うん、ごめんお節介で。いらなかったら捨ててくれていいよ」

「そんなわけないじゃないですか」

 若干怒ったように眉をつり上げると、ベンチに座って紙袋を開けた。お箸を手を合わせた親指と人差し指の間に挟んでぺこりと頭を下げる。

「いただきます」

「ここで?」

 隣に腰掛け、黙々と食べる薫さんの顔を覗き込む。

「どう?」

 コクコクコクと頷きながら食べる薫さんは、何だかハムスターのようでカワイイ。妙齢の女子にカワイイはどうかと思うが、何だか笑ってしまった。

「あのさ、あたし謝りたくて」

 モグモグしながら首を傾げる薫さんに話を続ける。

「薫さんが、多分すごい決心で話してくれたのに、どう答えていいのかわからずに逃げちゃったこと」

 ゴクリと卵焼きを飲み込んで真っ直ぐ見つめられた。

 視線から逃げるように俯く。

「泣いてた薫さんを、あたし見てたのに。相手が男でも女でも、辛いことには変わらないのに。でも驚いちゃって、何も言えなくてごめんなさい」

 素直に頭を下げる。やっぱり薫さんをただのお客様とは思えなくて、このまま来なくなるんじゃないかと思うと寂しくて。その感情が何なのかよくわからないが、ただそう思ってしまった。

 薫さんが幸せならそれでいいと思っているのは確かだ。

「ふふっ優しいんですね、まゆみさん」

「え?」

「いい人だなぁ」

 ポタリポタリと雫が空になったお弁当箱の中に落ちていく。薫さんが大粒の涙を溢れさせていた。

「ちょ、ちょ、薫さん?大丈夫?」

 慌ててハンカチを差し出したが、受け取らず自分の服の袖で拭うから、思わず肩を抱き寄せてしまった。

「まゆみさんの服、濡れちゃう」

 グスグス鼻を鳴らしながらそんな気を使う薫さんの背中をポンポンとあやすように叩く。

「洗えばいい」

「鼻水ついちゃうよ」

「もうついでだから涎も垂らせば?」

「それはヤダよぉ」

 泣きながら笑う薫さんに、少しだけホッとした。






[13]

「鍵、開けっぱなしで来ちゃった」

 慌てていたから、美弥を放ってサンダルのまま走って来ちゃったと、両足を持ち上げて言う。

「バカ、呑気にお弁当食べてる場合じゃないじゃない」

 立ち上がると腕を引っ張られた。一緒に家に戻ってくれるようだ。以前は自転車で来たくらいの場所から歩いて帰るのは大変だったけど、まゆみさんと一緒だから靴擦れも苦にならない。

 時間をかけて戻ると、もう美弥はいなくなっていた。

「どうぞ、入ってください」

「いいの?じゃあお邪魔します」

 興味深そうに部屋を見渡す。8畳ほどのダイニングと2部屋だけの2DKだ。一部屋は機材や服、季節モノの使わない家電置き場と化している。

 自分で撮ったお気に入りの風景写真をいくつか飾っているのを、ジっと見つめているまゆみさん。

「お茶でいいかな?コーヒーはインスタントしかないし」

「あ、うん、お構いなく」

「そうだ、まゆみさん上着脱いでください、洗濯しちゃうから」

「別にいいのに」

「いえ!させてください!」

「そう?んじゃお願いしようかな」

 受け取ったカーディガンを丁寧に畳んでネットに入れる。幸い洗濯機で回せるタイプらしくて助かった。でも乾燥機はないから乾くまで時間かかっちゃうな。

「薫さんさ、やっぱり素敵な写真いっぱい撮ってるね」

「そうですか?ありがとうございます」

 さっき食べて空にしたお弁当箱も洗って乾かすと、2人掛けテーブルの向かいに腰を下ろした。

 この家に誰かがいることに違和感しかないが、それがイヤかと言われると全然そんなことはなくて。

「彼女と別れてココに引っ越してきたの?」

「まぁ、そうですね」

「もしかして、初めてのお客さん?」

「はい、美弥が来た時は驚きましたけど、入れてないし」

「そっか」

 両手で包み込むように湯呑みを持ってお茶を飲む姿は丁寧で何だかキレイだった。ボケっと見惚れてしまう。

 しばらくたわいない話をしていると、洗濯機がピーピーと終わったことを告げた。

「そろそろ帰らなきゃ、店開ける準備するわ」

「あ、カーディガン乾かして返します。代わりにコレ着てってください」

 洗い立てのパーカーを差し出す。

「え?すぐそこだしいいよ」

「ダメです!風邪ひいちゃったらどうするんですか?」

「大丈夫だろうけど、まぁ、じゃあ借りとく」

 素直に袖を通してくれた。少しブカブカだけど小さいよりはマシだろう。

 じゃあねっと袖に隠れた手を振って帰っていくまゆみさんを見送った。

 あまりにもカワイイ姿に悶絶しそうになってしまった。






[14]

 店に戻ると、開店前なのに人が立っていた。美弥と呼ばれていた薫さんの元カノだった。

「まだ開店前なんですよ。9時からなんで」

 頭を下げて知らないフリをする。

「知ってます、薫のSNSに書いてあったから」

「そうですか。何か用事ですか?」

「薫が撮った写真の女がどんな女か見たかっただけ」

「すいませんねー年増の大した女じゃなくて」

 店の鍵を開けながら答える。

「そんなこと思ってないくせに」

「思ってるよ、あなたみたいに若くもないし特にキレイでもないしスタイルもよくないし」

「そう思ってるなら薫を返して」

「や、返しても何も薫さんはモノじゃないし、そもそもあたしが返すとか返さないとかおかしいでしょ」

「でも、薫はあなたに心開いてる」

「そりゃ嬉しいなぁ。んじゃ準備あるんで」

 店に入るとパタンとドアを閉めた。彼女がそれ以上追って来ることはなかった。心臓がバクバクする。シレっと答えたつもりだったけど、中々の緊張感を味わってしまった。何を勘違いしたのか突っかかってくる彼女はまだ薫さんに未練があるのか何なのか。そもそも薫さんの気持ちはどうなのか。

 薫さんの香りがする洗い立てのパーカーの裾をキュッと握りしめた。






[15] 

 こんな時に限って仕事が忙しくなってしまったせいで、カーディガンを返すタイミングを逃していた。1週間経ってやっと顔を出せた時には、なぜかお店が人で埋まっていた。

「え?満員?」

「あ、いらっしゃいませ、って薫さん?ごめん今いっぱいなの」

「あ、はい、大丈夫です、また来ます」

「ごめんね」

 一度家に帰り、仕事を片付けているとピロリンとスマホが鳴った。まゆみさんだ。


『やっと落ち着いた』


 と、一言だけ。すでに0時を回っていた。出かける用意をして再び家を出る。店はいつもの雰囲気に戻っていた。

「ごめん薫さん」

「いえ、どうしたんですか?」

「薫さんのSNSのおかげみたいなんだよねー」

「え?そうなんですか?」

「としか思えない。ここ3日くらいの話なんだけど、急にこんな場末のよくわからない店があんなに繁盛するなんて思えないし」

 自虐ネタで笑わそうとしているようだが、疲れ切っているのか力がない。

「すいません」

「いやいや、寧ろありがとう」

 頭を下げ合う。ハっと手に持っていた紙袋の存在を思い出した。カーディガンとお弁当箱だ。それに仕事で出ていた地方のお土産を入れて渡す。

「どっか行ってたの?」

「はい、修学旅行の帯同で京都です」

「いいなぁ、ありがとね。あ、今日早めに閉めるから上がって待ってる?」

「いいんですか?」

「ん、パーカーも返さなきゃだし」

 店の奥に暖簾で隠してある階段があった。ココ階段だったんだーと手前で靴を脱いで上がらせてもらう。昔の作りなのか急で狭い階段だが、上がると一階と同じ広さのだだっ広い部屋があった。まだその上に部屋があるようだが、真っ暗だしどうやら使っていないらしい。2階の部屋にはベッドと備え付けのクローゼットにコタツ。テレビに本棚というアンバランスだけど妙に落ち着く空間がそこにはあった。

 コタツに入って本棚から本を抜き出すと、読み始めた。






[16]

「ごめんごめん、お客さん中々ハケなくて」

 2時間ほど待たせて上がると、コタツに入って寝転んでいる薫さんが目に入る。返事はない。

 もしかして、と覗き込むと案の定スヤスヤと寝息を立てていた。

「あー待たせすぎちゃったかなぁ」

 邪魔をしないように右90度の位置に座り、眠っている薫さんを見つめる。すごいな、完全に無防備。今あたしが何しても気づかないんじゃない?コタツから出ている肩に、薫さんのパーカーをかけてあげるついでにポンポンと頭を撫でてみる。

「んっ・・・?あれ?まゆみさん?ゆめ?」

「寝ぼけてる」

「???」

「ココ、あたしんちだし」

「ふぇ?」

 慌てて起き上がり、キョロキョロと部屋を見渡す。

「わたし・・・寝てた?」

「うん、すっごい寝てた」

「すいませんっっあまりにもコタツが気持ち良くて!」

「いいよいいよ、忙しかったんでしょ?」

「はい、珍しく」

「よかったね、おつかれさま」

 頭を撫でて上げると嬉しそうに笑う。

「あ、このパーカー?」

「ありがとね、ちゃんと洗ってあるよ」

 なのになぜか鼻を近づけ、クンっと匂いを嗅ぐ。

「ちょっと!ちゃんと洗ってあるってば!」

「でも、まゆみさんの匂いがする」

 ドキっとした。動物なの?確かに昨日まで着てたけど!でも今日洗ったばっかだよ?何で気づくかな?不思議そうに首を傾げている薫さんの頭を小突く。

「着心地いいから、昨日まで着てたの!今日洗ったから大丈夫だよっ」

「そっか」

 なぜか嬉しそうに笑って袖を通す。

「いい匂い」

 何か可愛くない?ちょっとドキドキするんだけど?え?あたしソッチだっけ?落ち着け落ち着け、薫さんは、薫さんは・・・何だ?

 動揺を悟られないように立ち上がり、ミルクティーを入れる。美味しそうに飲む薫さんを見ているだけで和む。


「じゃあそろそろ帰りますね。また来ます」

「ありがとねーまた」

 見送ると、返してもらったカーディガンを出してハンガーにかける。思いついてクンっと鼻を近づけてみる。


「薫さんの匂いじゃん」






[17]

 薫さんからメッセージが届いた。自宅で作業中だったがひと段落したところだったので開く。


『今時間ある?大丈夫なら店に来てほしいんだけど』


 何か用事かな?珍しいなまゆみさんから店に来てほしいなんて。すぐ行きますとだけ返信をしてから部屋を出た。

 店はまだ開店前のはずだ。

 カラランと音を鳴らせて店に顔を出して、愕然とした。

「あ、薫さん、何とかしてくんないかなぁ?」

 困ったように眉を寄せてなぜか笑っている。

「どうして美弥がいるの?」

 カウンターの中で仕事をしている前に立っているのは美弥だった。

「薫に会いに来たんだけど入れてくれないから」

「当たり前でしょ?だからってまゆみさんに迷惑かけないでよ!」

「薫さ、こんな年増女のどこがいいわけ?」

「な、何言ってるの?失礼なこと言わないで!」

「ホントのことでしょ?」

 頭がクラクラしてしまう。いつも自信満々で、若くてキレイで、わたしには勿体ないくらいで眩しかった。だけど今はそんな彼女も燻んで見える。

「帰ってよ」

 精一杯の怒りを込めて睨む。

「もう二度と来ないで」

 腕を引っ張り、店の外に出そうと追い立てる。

「好きなの?その女のこと」

「だったら何?」

「あたしより?」

「比べられるわけないじゃない?いい加減にしてよ!」

 後ろから覗いているまゆみさんを睨みつけて指を突きつける。

「アンタ、薫の何を知ってるの?薫は女しか愛せないんだよ?わかってるの?カメラマンだって言ってるけど全然売れないし、仕事だって生活するのが精一杯。あたしがいなきゃ何も出来なかったじゃない。あたしがいないと生きていけないって言ってたよね?」

 その決して間違ってはいない言葉に黙って俯くわたしを見て、まゆみさんがカウンターから出てくるとポンポンと背中を叩く。

「薫さん、いい?」

「え?」

「もう巻き込まれてるみたいだから、あたしにも話す権利あるよね?」

「あ、うん」

 動揺しているわたしの手を離し、押し退けると美弥を真っ直ぐ見下ろす。深呼吸をすると、ニヤリと笑った。

「クソくらえだね!!」

「は?」

「え?」

 呆然としている美弥に人差し指を突きつける。薫も唖然として見ていることしか出来なかった。

「女しか愛せないからって何?それ犯罪?しかもそれをアンタが言う?ふざけんな!売れないカメラマン?これから売れたらいい!あんないい写真撮るんだから売れるよ!ってかそれを知ってるからって何?薫さんの努力、1番近くで見てたんじゃないの?彼女を甘やかすことで自分の存在価値認めたかっただけじゃないの?自分の自尊心の為に薫さんのこと利用すんな!」

 捲し立てるように言うと、気が済んだのか笑う。

「いやー元カノがアンタみたいなクソでよかったわ!あたしてっきりヨリ戻したいのかな?って思ってたけど、心置きなくいただけるわ!」

「あの、まゆみさん?」

「薫さん!や、もう薫って呼ぶ!」

「は、はい!」

 ピンと背筋を伸ばし、気をつけの姿勢になると、襟を掴まれ踵を上げたまゆみさんの唇が触れた。

 驚いて固まる。横目で見ると美弥が悔しそうに唇を噛んでいる。目を閉じるとぬるりと舌が入ってきた。

 あ、もうダメだ、理性が吹っ飛びそう。

 離れたまゆみさんがペロリと舌舐めずりをする。

「ごちそうさま」

「へ?」

「ってことでアンタの出番は終わり、結婚でも何でもすればいい。薫はもらってく」

 最後通告のように言い放つと、流石の美弥も黙るしかなかったようだ。






[18] 

 目の前で撃沈している薫の前に、今日はロイヤルミルクティを置いた。

 顔を上げる。今にも泣きそうな、情けない顔をしている。

「どした?」

「あの、すいません、あんなことさせちゃって」

「あんなこと?」

「あの、キス・・・とか」

「あぁ、別にしたいからしただけなんだけど」

 まゆみはサラっと本音を洩らした。

「え?あの、したいから?え?」

「あのさ、アレ演技だとでも思ってる?」

「違うんですか?」

「演技だったらもうちょい上手くやるって」

 今更ながら恥ずかしくなってしまい、ごまかすように自分のコーヒーに口をつける。

「まゆみさんのこともこの店も居心地よくて好きなんです。でも自分が女の人しか愛せないとか言えないし、まゆみさんに知られて気まずくなって来られなくてなるくらいなら黙ってよって思ってた。でも結局知られちゃって、また自分の居場所なくなっちゃうのかなと思ったら悲しくなっちゃって」

「今まで何か言われたことあった?」

「普通の人の会話聞いてるとやっぱり自分から話すこと出来ないし、だから肩身は狭くて」

「普通の人って」

 笑ってしまった。でも薫にとっちゃ大きな壁だったんだろうな。

「そか、あたしをそういう偏見じみた人たちと同じように思ってたんだぁ」

 ワザとイヤミったらしく言ってみた。

「そ、そんなわけじゃないけどっ!」

 慌てる薫が面白い。

「あはは、冗談だって。とにかく!あれは演技じゃない!キスだって好きでやった!文句ないよね?」

「あの、それって・・・」

「ん?薫のこと好きだってことだけど?え?伝わってない?」

「あ、いやいやいや、ありがとうございます!」

 コクコクコクっと何度も真っ赤な顔で頷く。

 やっと止まった薫の頬っぺたを両手で挟み込む。

「あの、まゆみ、さん?」

 カウンター越しにまゆみの名前を呼ぶ唇にキスをした。その唇で他の女の名前をもう呼んでほしくない。

「あたしは女の子初めてだけどさ、悪くないね」

「まゆみさぁん」

 途端に情けない顔。

「あたしにはこの店がある」

「うん」

「薫が売れようが売れまいが、あたしは変わらない」

「うん?」

「あたしはあの女みたいに甘やかさないけど、いい?」

「もちろんですっ、わたしも、変わらなきゃいけないから」

「うん、そうだね」

 ポンと頭に手を乗せて、クシャリとかき混ぜた。

「でもまゆみさんはいいの?わたしなんかじゃなく、もっとイイ人いるんじゃない?それこそ結婚だって・・・」

 言ってて落ち込んだのか、俯いて肩を落とす。上がったり落ちたり忙しい子だな。

「あたしさ、もう38なのよ。あの子の言う通り年増だよ。この店始めたのが33の時。それまで必死で働いて貯めたお金全部使った。女がお金持ってるとロクな男が寄って来ないからさ。結婚詐欺に遭いそうになるわ、嫁がいるくせに黙って付き合ってて、バレたらあたしのせいにして慰謝料払わされそうになるわ、幸いなことにどっちも弁護士立てて争ったから、大事には至らなかったけど、弁護士料って高いのよ!知ってる?」

 ポカンと口を開けて話を聞いていた薫が小さく首を横に振る。

「だからさ、あたし結婚に夢見てないの。自分が好きなことして生活出来ればいいと思って店始めたの。何とか5年続いてる。それに・・・」

「それに?」

「実は薫が撮ってくれた写真をSNSに載せてくれてから、地味にお客さん増えてる。ありがたいよ」

「そうなの?」

「うん、もう夕方から開けちゃおうかなと思うくらい」

「まゆみさんの役に立てたんならよかったです」

「薫はあたしのこと騙したりしないよね?まだ隠してることある?何か変わった性癖あるとか?」

「ないもん!普通だし!」

「薫も普通の人なんだね」

「うっ・・・」

「じゃあもう他人のこと普通の人って括りで見るの、やめな」

「え?」

「恋愛対象が異性でも同性でも、ちゃんと相手のこと思いやれるなら他人と比べる必要ない。まぁベラベラ喋るようなことでもないだろうけどさ。自分で肩身狭くする必要はないよ」

「まゆみさん・・・大好きです」

 突然の告白にまゆみの目が丸くなる。次いで吹き出してしまった。

「ふははっありがと。めちゃくちゃうれしー」






[19]

「ちょっとまたぁ?どんだけいんのよ!隠してないって言ってたじゃん!」

「か、隠してたわけじゃ・・・忘れてただけで・・・」

 DMに返事をしようとするのを止められた。

「やめな!キリがない!」

「はい!」

 まゆみさんの家の3階に一部屋余っているとのことで、同棲するようになったのは、付き合い初めて半年経った頃だった。

 その頃から徐々にカメラマンとして薫の名前が売れ始めていた。すると途端にDMにメッセージを送ってくるようになった美弥以外の元カノたち。美弥ほど長くはなかったし、なんとなく別れちゃった人たちだったから忘れかけていたと話してまゆみさんには呆れられていた。

「一切返事しちゃダメだからね!ったく、油断してたわ。薫って相当人タラシだよね」

「そうかな?よくわかんないけど、でもずっとフラれてばっかりだったよ」

 思い出してみたが、最初はなぜか寄ってきてくれるけど大体最後にはみんなフラれて終わってた気がする。いつまでも売れないし、何がしたいのか、何が言いたいのかわからないって。

 流されるまま生きてきた証拠だ。まゆみさんに出会わなきゃ変われなかった。

「浮気したら別れるからね」

 キツい言葉なのにだらしなく薫の頬が緩む。嫉妬されてるのが嬉しくてたまらない。

「しないよっ」

 カメラを構えてカシャンとシャッターを切る。

「ヤキモチ妬いてるまゆみさん」

 付き合い始めてから毎日まゆみさんの写真を撮るようになった。毎回タイトルを口にしては呆れられているが、満更でもなさそうで。

「こんなに毎日写真撮りたくなったの、まゆみさんが初めてだもん」

 今までこんな風に恋人の写真を撮ったことはなかった。それくらいまゆみさんは魅力的だ。

「そういえばこの間、整理してたら出てきたんだ、コレ」

 古いアルバムを差し出した。ピントの合っていない風景写真。ブレブレの人物写真を首を傾げながら捲っていくまゆみさん。

「初めて撮った写真」

「あぁっ!コレが!」

 どんどん捲っていくと、最後の一枚に目を留めた。小学校高学年くらいの女の子の写真だ。幼馴染の近所のお姉ちゃんだった。

「コレって・・・」

「ステキでしょ?いい笑顔だよね?このお姉ちゃんこの後どこかへ引っ越しちゃったんだよね。焼増しした写真、今でも持ってくれてるかな」

「・・・」

「あ、こんな昔の写真に嫉妬しないでね?」

 揶揄うように言ったが、ただ黙ってその写真を見つめていたまゆみさんが顔を上げた。

「コレ、あたしだわ」

「は?」

 思いがけない言葉に目を丸くする。

「あたしも持ってる、この写真」

「え?え?」

 混乱している横でゴソゴソとクローゼットを漁り、昔のアルバムを引っ張り出してきたまゆみさんの横にくっついて覗き込む。

「ホラ!これ!確かにこの後親の転勤で引っ越したもん!最後にコレ貰ったの」

 呆然と見つめる。確かに同じ写真だ。丁寧に貼り付けられているところを見ると、大切にしてくれていたみたいだ。

「いやーこんな偶然ってあるんだねーまさかあたしが薫の将来決めちゃってたなんて、思いもしなかったよ。運命だねー」

 笑って見上げられた途端ガバっと抱きついた。嬉しくて堪らなかった。他にこの感情を表す術がわからなかった。

「ちょ、薫?何?」

「一生大切にするから!まゆみさんのこと。ありがとう!大事に持っててくれてありがとう!」

 泣きながら何度もありがとうを繰り返す。

「わたし頑張るからね!絶対まゆみさんに自慢してもらえるように頑張るから!」

「ん・・・頑張れ」

 背中をポンポンとあやされる。

 まゆみさんにフラれないよう、ちゃんと生きよう、一生大切にしよう。

 薫は心に誓った。






[20]

「個展、明日から?」

「うん」

 まゆみさんに聞かれて頷く。あれ以降少しずつ仕事の依頼が増えた。主に女性の人物写真の依頼が増えたのは、まゆみさんのおかげだ。

 今回、個展をやりませんか?と声をかけられた時には驚いた。でもこのチャンスは逃しちゃいけないとまゆみさんに背中を押された。

「まゆみさん、見に来てよ」

「もちろん!」

 個展の内容は今まで撮ってきたたくさんの人物写真が中心だ。その中でもワガママ言って作ってもらったスペースがあった。まゆみさんには内緒だ。

「楽しみだなぁ。ねぇ、この特別展示スペースって何?」

 チラシの隅に書いてある小さな文字をめざとく見つける。

「それは来てのお楽しみだよ」

 えー?なにそれー?と唇を尖らせながらも瞳を輝かせるまゆみさんが愛おしい。


 小さなスペースだけど、大切な人の写真を自慢したくて作った、最高の自己満足だけど、最高の自信作たちを飾るつもりだ。


 アルバムを捲る。真っ白なスペースに、明日のまゆみさんを思い浮かべる。


「また自信作が増えちゃうな」

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