立花夫妻の勝負録 〜立花誾千代はナチュラルに煽ってくる夫を負かしたい〜

灰猫

第1話 立花誾千代は『剣術』で負かしたい

 うららかな、のどかな風が頬をくすぐる。

 館の縁側で、のんびり空を眺めるには絶好の快晴の空の下で。


「──婿殿。剣術で勝負しましょう」


 鈴の音のような凛とした声に、青年が振り向く。

 艶やかな黒髪と雪化粧のような肌。一国の姫にも関わらず男装の衣装に身を包み、自信に満ちた勝気な笑みを浮かべているのは、立花誾千代ぎんちよ

 彼女の手には二本の木刀が握られていた。


「また唐突だね、誾千代ぎんちよ。別に僕は構わないのだけど、これで何度目だい?」


 そんな彼女に呆れた様子でその夫たる青年──立花統虎むねとらは、苦笑する。


「百を超えたあたりから数えていません、そんなの」


「なら、相当やっているわけだよね……いつになったらやめる気なのかな」


 そう、すっとぼける誾千代ぎんちよの言葉に統虎むねとらはため息をこぼした。

 ふんと鼻を鳴らして、その慎ましい胸を反らした誾千代ぎんちよが告げる。 


「当然、私が勝つまでです」


「じゃあ、一生終わらないね……」


 今度はため息だけでなく、肩まで落とした統虎むねとらの言葉に、誾千代ぎんちよがその真珠のような黒瞳を釣り上げた。


「は? 喧嘩売っているんですか、婿殿。私が婿殿に一生勝てないとでも言う気ですか?」


「そうだけど。直接言わないと分からないのかい?」


 統虎むねとらの発言に、誾千代ぎんちよの顔がみるみる赤く染まっていく。ちなみに統虎むねとらは、煽っている気はまったくない。


「あははははははは……昔はあんなに泣き虫だったのに、婿殿も言うようになりましたねぇ?」


「そりゃ、僕だって色々な戦場を経験してきたからね。誾千代ぎんちよに負ける気はしないよ」


「は? は? どの口が言っているんですか、婿殿。私と婿殿の勝負、ずっと引き分けですよ。そのくせに『負ける気はしない』とか、よく言えますね!」


「言葉の通りでしょ。負けてはいないじゃないか」


「その言い方は、『いつでも勝てる』と言っているのと同じです!」


「同じじゃないよ。誾千代ぎんちよ、大丈夫かい? 剣術勝負の前に、日本ひのもと語の勉強をした方がいいんじゃないかな。僕が教えようか?」


 意図せず煽り文句を並べる統虎むねとら

 念のためもう一度言うが、彼に決して悪意はなく、純粋に心の底からくる言葉であった。


「ふ、ふふふふふふふ……相変わらず達者なようで……今日も調子が良さそうですねぇ、婿殿」


「うん? すこぶる良いよ。体は軽いし、今日は天気が良い。仕事もある程度片付けたことだし、こんな日は領内を散策してもいいね……あ、誾千代ぎんちよも一緒に来るかい?」


 完全に統虎むねとらの言葉に振り回された誾千代ぎんちよが、ふかーっと怒った猫のように食って掛かる。


「そういう意味で言ったんじゃありません! あと一緒にも行きません! ほんっと自由な人。婿殿って昔から自分勝手ですよねっ?」


「そんなことを言われるのは心外だな。誾千代ぎんちよだって、まったく人の話を聞かないじゃないか……『慎み人の話を聞く』っていう想いを込めて、『ぎん』の字を付けてくれた和尚に申し訳ないと思わないのかい?」


「今、その話は関係ないでしょうっ? というか、婿殿には言われたくないです! ──あぁ、もう! 腹立たしい人ですね、そんな婿殿は私が叩きのめしてあげますっ」


 堪忍袋の緒が切れた誾千代ぎんちよが持っていた木刀を乱暴に統虎むねとらに投げつける。それを統虎むねとらは軽々と受け止めた。


「えぇーー……結局、やるのかい? 僕は散歩の気分なんだけどな」


「問答無用っ! 早く構えなさい、婿殿!」


「……はぁ。仕方ないなぁ」


 これは相手をしないと終わらないなと観念した統虎むねとらが重い腰を上げ、中庭の中央へと歩いていく。その後ろから木刀を持った誾千代ぎんちよも続く。

 そうして、互いに向かい合うように立った。


「ふん。それでいいんです。さぁ、婿殿。今日こそ私が勝ちますからね」


「それ、いつも言っているよね。もう聞き飽きたよ」


「うるさいですよ! ──いざ、参りますっ! やあぁっ!」


 木刀を構えた誾千代ぎんちよが振り上げた剣先を大きな踏み込みとともに振り下ろす。それを統虎むねとらは正面から受け止めることはせず、身体を傾けて一重に躱した。


「お、良い太刀筋。あと相変わらず、掛け声が愛らしいよね」


仕合しあい中に何を言っているんですかっ? その態度が、頭にくるんですよ!」


「うーん、そう言われてもね……おっと、危ない。誾千代ぎんちよの剣術って型にはまっていてお手本みたいだね」


 相変わらず木刀を交わすことはせず、ひょいひょいと軽い身のこなしで躱していく統虎むねとらが、感心したように口を開く。


「そういう婿殿の剣術は無茶苦茶ですよね!」


「うん。戦場じゃあ型にはまった剣術はあまり意味がないからね……だから、こんなこともする」


「うわっぷっ! ……え? 砂っ?」


 唐突な反撃に面食らう誾千代ぎんちよ誾千代ぎんちよが横薙ぎに放った太刀を屈んで避けた際に、掴んだ砂を顔に向かって放り投げたのだ。


「そうだよ。戦場では正々堂々とかないからね……さて。いい加減、僕も面倒になってきたところだし、そろそろ勝たせてもらお──」


 そう告げて、怯んだ誾千代ぎんちよの頭を軽く小突くつもりで木刀を振るう統虎むねとら──だったのだが。


「──婿殿っ! 女子おなごの顔に砂をかけるとは何事ですか!?」


「……んん?」


 突然の𠮟責に今度は統虎むねとらが面食らい、その場で固まってしまう。


「それでも男の子おのこですかっ? 立花の名に恥ずべき行為……婿殿、そこになおりなさいっ」


 頬を膨らませて、持っていた木刀の先で地面を指す誾千代ぎんちよ

 いやいやと、統虎むねとらは首を横に振った。


「いや、誾千代ぎんちよ。これは仕合しあいなんだから、それぐらいは──」


「な お り なさい、婿殿」


「………………はい」


 有無を言わさない気迫に、粛々とその場で正座する統虎むねとら

 こうなるから、いつも引き分けで終わるんだよなぁ、と。

 統虎むねとらは肩を竦めるのだった。




 今回の勝敗──誾千代ぎんちよを怒らせてしまったので仕合しあい中断のため、引き分け。

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立花夫妻の勝負録 〜立花誾千代はナチュラルに煽ってくる夫を負かしたい〜 灰猫 @urami

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