第14話 シュウカイドウの花は前を向く
あれから数週間。私はずっと一人ぼっちだった。
落書きは増える事も減る事もなく、私が放課後一人で消せる範囲でされている。問題になるほど大きくさせないのだ。私一人で対処できる範囲で行われるのだ。
上履きは家に持ち帰るようになってから水で濡らされる被害は無くなった。
私が今されているのは落書きと無視だけ。もともと友達も少なかったから孤独には慣れているけれど、だけど……一人ぼっちには慣れているけれど、一人ぼっちが好きな訳じゃない。
お昼休み。シュウカイドウの蕾を見つめながら一人でお弁当を食べようと花壇へ向かって歩いている。作って来るおかずも減らした。ひとみちゃんは清香ちゃん達といるようになってから明るくなったようだ。いつも4人で楽しそうにしている。私といる時はそんなに笑わなかったのに今では彼女の笑顔を良く見るようになった。陰気臭い私といると笑顔も咲かなかったのだろう。
それならひとみちゃんの為にも今の方が良いのだろう。
私が我慢すれば彼女に笑顔があるのならばそれで良い。
あっ!
シュウカイドウの花壇に着いて思わず声を漏らす。
花が咲いている。
ピンクの小さな花は、蕾の時とは違って真っすぐ前を向いていた。宮田君の言っていた通り薄いピンクの花びら。
蕾の時はあんなに項垂れていたのに、花が咲いた途端しっかりと前を向くんだ。小さなピンクの花びらはとても愛らしく儚げで、だけど不思議な力強さを感じた。
あっ、そうだ!
そう言えば教室の南西の角にあるテーブルにもうずっと使われていない花瓶があるのを思い出していた。
入学当初はそこに花が添えられていたけれど、その花が枯れると誰も世話をしなくなり、ずっと空っぽの花瓶だけがポツンとそこに置かれているのだ。
アレに挿そう。
そう思い、シュウカイドウの花を数本摘む。それを持って教室に戻り花瓶を手に取ると洗面所へ向かう。花瓶に水を入れそこに摘んできたシュウカイドウの花を挿す。うん。可愛い。
これをコッソリ教室に飾ろう。誰かに見てもらわなくても構わない。私だけが優しくするんだ。
花を挿した花瓶を両手に持って教室へ向かう。お昼休みだけあって廊下にも人がいる。ぶつからないように太い身体をなるべく小さくしてすり抜けながら教室の前まで戻って来た時だった。
「ちょっと謝りなよ!」
清香ちゃんの取り巻きの一人の安藤さんの怒鳴り声が聞こえた。ビックリしてしまって教室の手前で足を止める。廊下から様子を覗うと清香ちゃん達3人がひとみちゃんに詰め寄っている所だった。
え? なんで? なにしてるの?
「清香が宮田君の事好きなの知ってるよね? それなのになんでコッソリ宮田君と2人で一緒に帰ったりしてるの!? 信じられない!!」
他のクラスメイトがいるのにも構わず安藤さんは顔を真っ赤にしてひとみちゃんに詰め寄っている。
「ち、ちがうの。あ、あれは、たまたま、帰りの時間が一緒になって、えっと、それで……」
「はあああっ?」
しどろもどろになりながらひとみちゃんが弁解するけれど、安藤さんの怒りは収まらないうようだ。
当の清香ちゃんはと言うと、腕を組んで無表情にひとみちゃんを見つめている。その眼差しには全く熱が篭っていなくて、むしろ場を凍り付かせるほどに冷たく凍てついた眼差しだった。その瞳を見るだけで私の背中にも冷たい物が伝うのを感じた。
ずっと黙っていた清香ちゃんだけど、ちっと舌打ちをした後徐に腕を組んだままひとみちゃんに近付く。
「あんたさあ、恩を仇で返さないと死ぬ病気にでも罹ってるの?」
「え?」
清香ちゃんの問いかけにひとみちゃんは訳が解らないという表情で小さく言葉を漏らす。
「あんたの机の上に毎朝書かれていた落書き、あのデブが毎朝あんたが来る前に一生懸命消してたんだよ、バカみたいに」
「え!」
「自分の机の上に書かれた落書きは消さずに、あんたの机の落書きばっかり一生懸命に消してたんだよ、毎朝。あんたの机の落書き何なんて放っておいて自分の机の落書き消せばいいのにホントバカだよねぇ」
「そ、そんな……ひどい……」
「まあ、あのデブは昔から愚図で間抜けな所があったし? そんな事に頭が回らなかったんだろうね。せっかく一生懸命あんたの為に消してたのに裏切られて、本当バカだよねえ」
ひとみちゃんは口を開けたまま固まっている。
なんで言うの? ずっと知らないままで良かったのに。
「そのデブの恩を仇で返してあたし達のグループに入って来たのにさ、今度はあたし達に同じことすんのね……」
ひとみちゃんの唇がわなわなと震え出す。
「そ、そんな……」
「あんたなんか追放だよ。また底辺に転落させてやるよ」
清香ちゃんはそう言うとひとみちゃんの髪の毛を掴んだ。ヒっ! とひとみちゃんの口から短い悲鳴が漏れる。
「何、このベタベタの天パー。ちゃんと毎日洗ってるの? 手が汚れちゃう」
そう言いながら清香ちゃんはひとみちゃんの髪を掴んだまま腕を振った。
「や、やめて――」
他のクラスメイト達は我関せずといった感じで見てみぬふりを貫いている。教室には話題に上っている宮田君の姿は無い。
止めないと。だけど脚が震える。恐怖で喉が鳴る。だけど、ひとみちゃんは決して恩を仇で返すとかそんな子じゃない。結果的にそうなったのかも知れないけれど、意図してするような子じゃない。
花瓶を持つ手に力を込める。
止めないと。
急激に体温が上昇するのを感じる。
ゴクリと一つ息を飲み込みシュウカイドウの花を見つめる。花はもう俯くことなく、確かに真っすぐ前を向いていた。
私も真っすぐに前を見つめた。前方の4人。そしてひとみちゃん達の背後の窓の向こう。いつかヒロちゃんと見た青空が見えた。
私は扉に手をかけバンッ! と扉を開けると清香ちゃんに近付く。ズカズカと近付いてきたデブを清香ちゃんら3人は怪訝そうに見つめてきた。
「なんだよデブ!」
安藤さんが私を睨む。私はそれを気にも留めず真っすぐに清香ちゃんを見つめると、一度だけ大きく鼻から息を吸い口を開いた。
「……髪から手を放してよ……」
久しぶりに聞いた自分の声は恐ろしく無感情で温度の無いものだった。そんな私を威嚇するように清香ちゃんは私を睨み返す。
「ああっ!? うるせーなデブ、お前には関係な――」
「放せよ!!!!!!!」
そう叫びながら手に持っていた花瓶を黒板に向かって思いっきり投げつけた。
「ガッシャーン!!!!」
と大きな音がして花瓶が粉々に砕け散る。その音にクラス中どころか廊下も静まり返った。清香ちゃんは目をひん剥いて花瓶の残骸を見つめていた。その唇は震えている。
「清香ちゃん覚えてる? 小学校1年生の時、あなたが失くしたキーホルダーを放課後に私とひとみちゃんも手伝って三人で暗くなるまで探したよね?」
「な、何言って――」
私は上目遣いで清香ちゃんを睨み返す。
「もう諦めかけた時、ひとみちゃんが顔中泥だらけにして見付けてくれたよね?」
「……」
「あの頃は清香ちゃんもひとみちゃんもみんな同じ友達だったじゃん。それを転落させるって? なんで? なんで大人になるとカースト上位だとか下位だとかに分けるの? 昨日まで友達だったのに? 宮田君と仲良くしたから? バカげてると思わない? どうして昨日まで友達だった子をそうやって簡単に排除できるの? 目を覚ましてよ!」
「……」
クラス中が固唾を飲んで私達を見守る。
誰も何も発しない。沈黙だけが続く。
「ちっ。あーあ、シラケちゃった。行こ、恵美」
安藤さんはそう言うと、清香ちゃんを残し荒川さんだけを連れて教室を出て行く。清香ちゃんはずっと俯いていたけれど、しばらくして無言でトボトボと2人の後を追った。
「ゴメン……」
私はそう小さく零すと割れた花瓶を片付け始める。
少しづつ教室に喋り声が戻ってきた。
「……かすみちゃん……」
ひとみちゃんは私の側まで歩いてくると私の名前を呼ぶ。
「わ、わたしも……手伝っていい?」
ひとみちゃんの問いに私は小さく首を横に振る。
「……私といるとイジメられちゃうから、いいよ」
だけどひとみちゃんは私の答えを無視して花瓶の欠片を拾い集めだす。
「館山さん、雑巾もってくるね」
何故か周りに居たクラスメイト達も花瓶の片付けを手伝い始める。塵取りを持って来てくれる子やホウキで掃いてくれる子まで現れた。
状況に戸惑いながらも心に温かい風が吹く。
――タネも仕掛けもない優しさを見付ける事が佳澄の幸せになるんだよ――
いつかお祖母ちゃんはそう言った。
それなら、タネも仕掛けも無い優しさをみんなに与えよう。それがみんなの幸せになるのなら。
「な、なになに? なにこの状況?」
ようやく現れたクラス委員の宮田君がオロオロしだす。
宮田君を見てふっと鼻を鳴らした。
あーあ。花瓶、新しいの買ってこないとな。花も摘みなおそう。
そう思いながら花瓶の破片を塵取りに入れると、カランという音がした。
――了――
タネも仕掛けもない優しさ 折葉こずえ @orihakze
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