第38話 物足りないのは
夏休みが明けて初日。チャイムがなる少し前に教室に着くと、初ちゃんと心春ちゃんに笑顔で迎えられた。
「久しぶり、小松ちゃん!」
「元気だった?」
いつも元気いっぱいな初ちゃんと、体調を気にしてくれる心春ちゃん。ふたりとも今見る分には元気そうで何よりだ。
「久しぶり、ふたりとも!」
元気だったことも伝えると、心春ちゃんはひとつ頷いた。その様子はまるで子どもを見守るお母さんみたいで、心春ちゃんの方が私より大人に見えた。私よりだいぶ年下なのに。私が子どもっぽいだけなのかと少しだけ落ち込んだ。
「夏休みに部活あっても会わなかったね。会いたかったなぁー」
寂しそうに会いたかったと口にしてくれる初ちゃんが可愛い。なんて可愛い生き物なんだ……
「同じ校舎内でも、時間帯が合わないんでしょうね」
「でも1回も会わないってすごいよね」
あくまでも冷静な心春ちゃんの言葉に頷きながら、会わなかったことに感心する。しかし言葉にしてから、ふとそうなのだろうかと疑問に思った。
同じ校舎の中で部活をしていても、心春ちゃんの言うように時間帯が違っていて、たとえ同じぐらいの時間に終わったとしても片付けやらで時間は変わる。それに人が集まれば集まるほど見慣れた相手も見失うことがある。そうなるとただ単に、
「見つけれなかっただけかもね」
「あ! 確かにそうかも! うちの部員多いし!」
初ちゃんが同意してくれて笑顔になったところで始業のチャイムが鳴る。それを聞いた私たちを含めた生徒達がバタバタと席に着く音が教室に響いた。
その途中、さっと見回した中に榎本くんの姿を確認してから前を向いた。
───
「紗綾さんの薔薇園、どうなるのかしら」
美術室で絵を描く準備をする傍ら、栞さんが少し楽しそうに呟いた。
私の前に置かれた絵には薔薇が描かれているが、今はまだ完成には遠く、来月の文化祭までには完成する予定だ。
なぜ栞さんが私の絵を楽しみにしているのか。もとから楽しみしてくれているのもあるが、もうひとつ、栞さんの家の薔薇園を参考にしたからだった。
きっかけはもちろん榎本さんの家に行って見た薔薇園。とても綺麗で感動したことを今でも鮮明に覚えている。特にゲームだとスチル確定の薔薇園を背景にした栞さんの姿は、忘れようにも忘れられない。いや忘れたくない記憶である。ちなみに頂いた写真は大切に保管させていただいております。榎本家には足を向けて寝られない。いやお手伝いさんに金一封を差し上げたい。
……話が脱線してしまったが、とにかく今年の文化祭展示で描くのは薔薇園に決めたのだ。もちろん許可も取ってある。
「よかったら、栞さんの家の薔薇園を描かせてもらえないかな……」
薔薇園を見た日からもう私の中で決まっていたが、勝手に描くのもどうかと悩んだ結果。部活後の廊下にて唐突に口にしてしまった。
ほら、考え過ぎてもういいや!ってなる時あるでしょう? それが私にも起きまして、言ってから固まった。
それにしても突然過ぎやしないか!? 文脈もなにもなかったんだけど!?
そんな風に自分にツッコミをしながら、内心冷や汗をかくこと数秒。
「……じゃあ写真を用意してもらいましょうか」
「え、それじゃあ!」
「ええ、いいに決まってるわ」
にこにこと笑った笑顔が可愛い……なんだか栞さんも喜んでくれているみたいで私ばかり幸せだ。
それに加えて薔薇園の写真をくれるというありがたい申し出であったが……
「あ、あの! 写真はとってもありがたいんだけど、感じたままの……私の記憶の中の薔薇園を描きたいんだ……」
もちろん忠実に描いてもいいんだけど、その時の私は思い出の中にある幸せな記憶をそのまま写し出したい気持ちであった。その方が今の私には上手く描けそうだという確信があったのもある。
「──ええ、もちろん」
そんな私のわがままとも言える言葉に、目を見開いた後、栞さんは穏やかな笑みで頷いてくれた。
そうした会話を経て今は色を着ける段階に入っているのだが、なぜかしっくりこない。いや、思い描いていたようにできているし順調ではある。だけどやっぱり違和感があって。それが明確に言葉にできなくてもやもやする。
何が違うんだろう……
そんな思いが募る中、家に帰って部屋に入るとこの前もらった写真を取り出した。
数枚ある写真の中で一際、私の目を引くのは件の薔薇園と共に写る栞さんであった。この時の感動を表現したいのに、何かが足りないような……
そしてふいに気がついた。心動かされたのは薔薇園だけれど、本当はそれだけじゃなくて。私が描きたいのはきっと──
「これ、スケッチの段階なんだけど見てくれる?」
翌朝、栞さんの元へ行った私は、彼女に1枚の絵を渡す。
「これは……私?」
栞さんが目を瞬かせてこちらを見つめる。
私が渡した絵は、あの写真を描いたものだった。
「うん。何か違うなって思ってたんだけど、栞さんがいなかったからみたい」
私の言葉が聞こえているのかわからなかったが、栞さんは手元にある絵をじっくりと眺めていた。
「栞さん、こっちを描いてもいい?」
この時、なぜか緊張はしていなかった。受け入れてもらえる自信があったわけじゃない。あの薔薇園だけの絵もいいと思う。だけど、私が描きたかったのはこっちだった。もし断られても提出したりせずに家に仕舞っておくつもりで、最後まで描き上げようと思っていた。
「……私も完成した絵を見てみたいわ。だから描いて、紗綾さん」
この時の栞さんはいつもの凛とした雰囲気というよりも、喜びを表に出した年相応な姿に見えた。それはあまりにも綺麗で、そして可愛らしい笑顔だった。
それから急ピッチで作業を進め、なんとか文化祭までに完成させることができた。展示された自分の絵を見ても、やっぱり栞さんがいる方がいいなとひとり頷く。
初ちゃんや心春ちゃんも見に来てくれて、みんな栞さんを描いたことに気づいてく。私が栞さんを大好きなことが伝わっていそうで少し恥ずかしさもあったが、褒めてくれるから嬉しさもあった。
榎本くんも一目で私の絵の人物が栞さんであることに気づいたようで驚いた顔をしたのが目に入る。声をかけようとしたところで呼び止められ、榎本くんのことを気にしながらもそちらに歩みを進めた。
「……やっぱり勝てそうにないな」
そんなため息と共にこぼれた榎本くんの言葉は、私を含めた誰の耳にも入ることなく消えていった。
推しの弟に懐かれました 伏見 悠 @sacura02
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