第5話 すき
相変わらず教室では一切喋らないので表面上は何も変化がないけど一つだけ変わったことがある。
ガタッ!
帰りのホームルームが終わるなり
なぜらしいのかと言えば理由は簡単。
そんな
なぜ教室に残るクラスメートの件も伝聞なのかといえば、僕は
放課後は毎日自宅に連れ込まれて台詞の練習に付き合っている。
竹田だって
「
学校では声を出したがらないので校舎を出て周りに生徒が居ないのを確認してから話し掛けた。
目つきの恐さも今となってはシンプルにカッコよく見えて羨ましく感じている。
「教室でも声出していこうよ。可愛い声がもったいない」
「今更キャラ変とは無理でしょ。みんな私をヤクザだと思ってるし。特にチャラい男子は絶対からかう。舐められないためにも学校では睨みを利かせ続ける」
「う~ん……」
中学生くらいまでならそういう男子もいるだろうけど、高校生にもなるとむしろ女子に媚びるというか、嫌われるようなムーブは避けると思う。
声優さんはラジオで学生時代の闇エピソードを語ることが多いけど、その一方で親友もいる場合が多い。
僕だってクラスカーストは低いけど竹田とオタトークできるおかげで楽しく過ごせている。
演技力を磨く意味でも女子の友達が一人でもいた方が良い。素人の僕でもそういう発想に至るくらいなんだから
「もしかして私の練習に付き合うのが嫌になった? こっちには
「違う違う!」
ギロリと睨まれて咄嗟に否定した。その鋭い視線だってMっ気の多いオタクに刺さるだろうし、そこから繰り出される甘いロリボイスはすごいギャップだ。
顔を出して歌って踊るのが当たり前の声優にとって
「
「褒めても動画は消さないから。まあ、
「だったら教室でも声を出してみようよ。ヤクザの娘っていう誤解も解けるしさ」
「…………」
最近はマスク越しでもほんの少し表情が変わる瞬間がわかるようになってきた。
アニメみたいな学園生活を想像したのかちょっとだけ頬が緩んだ。
今までがクールで恐い印象だっただけに、そのわずかな笑みもギャップの大きさから愛おしく感じる。
「もしこの声で私がクラスでさらに孤立したら責任取ってくれる?」
「もちろん。っていうか絶対孤立しない。むしろ人気者になるね」
「……なら、明日から」
「そこをどけっ!!」
良い感じに
「ちっ。邪魔なガキど……ひぃ!!」
「くそっ ならお前だ」
「え?」
おじさんはポケットから小さなナイフを取り出して僕の首元に近付けた。小さくてもその鋭さは本物だ。キラリと光る刃が僕の血の気を引かせた。
「へへ。これでゆっくり逃げられるぜ」
「あ……あ……」
恐怖のあまり助けを呼ぶこともできない。そもそも助けを呼んだところで期待はできそうになかった。スマホを向けて撮影する人はいても警察に通報してそうな素振りの人は誰もいない。
SNSにアップすればバズり、テレビ局から取材依頼も来るかもしれない。だけど、それでは僕は助からないし、このおじさんを現行犯逮捕するこもできない。
きっと誰かが通報しているだろ。しかし、誰も通報していないのである。ネットミームの一場面を見事に再現してしまっていた。
「妙なマネしたら首切るからな。へへ。一躍有名人だぜ」
首筋に刃物を突き立てられている以上、下手に動くわけにもいかずおじさんの言葉に対して何のリアクションもできない。
それが逆鱗に触れたらどうしようかと不安もよぎったけど、当の本人は独り言のようにつぶやいているだけ僕の反応はどうでもいいらしい。
「おらっ! どけっ! このガキ殺されたくなったから大人しく通せ!」
ナイフを見せつけるように大声を上げると通行人はサーっと引いていく。
ひとまず安心なのは僕が人質になったことだ。もしナイフで喉を傷付けられて声質が変わっても世界に大きな影響はない。
もし
どうやら僕はよっぽど
もしかして走馬灯ってやつかな? この2週間はあまりにも幸せ過ぎた。運を使い果たしたのかもしれない。
ああ、せっかくならアニメでも
「てめえ、ここが誰のシマかわかっとんのか? あ゛あ゛!?」
そうそうこういうやつ。はは、あまりの恐怖で妄想が具現化しちゃったかな。
「ひっ! す、すみません……って、ヤクザなんていねえじゃねえか」
おじさんと一緒に振り返る形になり、僕だけは状況を把握することができた。今のはこの辺を仕切るヤクザではなく
周りの人もスマホで撮影するのに夢中だったせいか声の主を特定できず、どこかにヤクザがいるんじゃないかと辺りをキョロキョロ見渡している。
「くそっ! タチの悪いイタズラだ」
再び逃げようと方向転換すると別の声が聞こえた。
「きゃあああああ!! 変態!!! 誰か助けてええええ!!!」
子供よりも子供っぽい甲高い声が響いた。
おじさんに変態の自覚はないのかあまり気にしていない様子で逃走を続けようとしている。
だけど、僕を人質として抱えたまま走るのは難しいらしくその歩みは遅い。
あくまでも変質者に絡まれた子供が助けを呼んだだけ。おじさんはそう考えているみたいだが、世界はロリに優しい。
刃物を持った男が男子高校生を人質に取っても助けを呼んでもらえないが、幼女が助けを求めれば多くの人が飛んでくる。
「貴様! そこで何をしている!」
「なっ! お前ら変態を捕まえにきたんじゃ」
「まず目の前の現場を優先する。当然だ」
「このガキがどうなってもいいのか!」
警察官の登場によって興奮状態になったおじさんは僕の首にナイフを当てた。まるで命が奪われていくように刃のひんやりとした感触が全身をかけめぐる。
その絶望感を大きくしたのは警察官の表情だ。この世の終わりみたいに口を大きく開けて茫然としている。
頼りにしている警察官にそんな顔をされたら僕だって諦めるしかない。せめて
死を覚悟した時、最後の最後で天の声が聞こえた。
「うふふ。私とエッチなことをしたい人は手を挙げて」
こんな痴女みたいな人は二次元にしかいない。そうわかっていても手を挙げたくなるほどに艶やかな声。
人質に取られているにも関わらず反射的に手が動くと固いものにぶつかった。
「がっ!」
おじさんは万歳したまま倒れてしまった。人の心があるので頭をぶつけていないか心配だ。
「って、
「犯人が油断するかなって。まさか
ふふっと笑みを浮かべる
「いやいや危ないでしょ! ケガしたら大変だって!」
「練習相手に死なれる方が困るの。文句ある?」
「あ、いえ。すみません」
ヤクザボイスで睨むのはやめてほしい。そっちの道の人じゃないとわかっていても単純に目の前に恐怖が降臨している。
「キミ達、ケガはないか……って、この前の」
「あ……」
「え?」
2週間前よりも力強く握られたその手は簡単にほどけそうにない。
「待ちなさい! 顔は覚えたからね! あとで事情聴取させてもらうからね!」
「あはははは。私達、指名手配されるのかな」
「学校には連絡行くだろうね」
「あーあ、学校で声を出さなきゃいけないのか」
「最高だ。
僕らは何も悪いことをしていないのに事件現場から逃げたせいで面倒なことになりそうだ。
だけど、それも
「そういえば
「え……あっ」
「お兄ちゃんは変態ロリコンじゃなかったの?」
「違うんだ。あれは死の淵に立たされて気の迷いというか」
「そうなの? 私は本気でオッケーだったのに」
「ふぇっ!?」
「女なら誰もいいのかよ。クソが」
「ひいっ!」
ロリ、お姉さん、ヤクザ……3人の声に耳に犯されながら自分の限界以上の速さで走っているといよいよ思考力が低下していく。
脚はもう限界を超えているのに声でエネルギーを注入されて無理矢理動いている。
そんな感覚だから僕はこの言葉の意味をきちんと咀嚼することができなかった。
「好きだよ」
僕の脳は彼女の声によって完全に溶かされていた。
ドラゴンブレス くにすらのに @knsrnn
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