第4話 密室レッスン

「あははははは。はぁ……はぁ……あぁ。ビックリした」


「ぜぇぜぇ……え? もう平気なの?」


「うん。私の家。警察官も追ってきてないよ」


「そっか、良かった。……って、良くないよ! 制服で学校特定されるかも」


「学校が私を呼びだすと思う? 蛙部あべくんはどっちかって言うと被害者っぽい恰好だし。たぶん大丈夫」


「ははは。僕、目隠しされて連れ回されてるんだもんね」


「手は自由なんだからアイマスクを外せばいいのに。もしかしてガチで変態なの?」


「え? あ、ちがっ! 突然の出来事に動揺してて」


 右手は龍野たつのさんに握られていたけど左手はフリー。いつでもアイマスクを外して周囲の状況を確認することはできた。

 だけど本当にそれに気付かないくらい動揺していたんだ。突然走り出したのと、突然手を握られたことで。


「…………普通の家だ」


 久しぶりに光を浴びた瞳に飛び込んできたのは我が家と大きさもほとんど変わらない一軒家。

 学校近くの河川敷から走って辿り着いたということは龍野たつのさんは学校の近くに住んでいるらしい。

 中学の頃は電車通学に憧れていたけど遅延や混雑を体験するとやっぱり徒歩通学が恋しくなった僕にとっては理想の立地条件だ。


「だから言ってるでしょ。一般家庭の娘だって。先に行っておくけど地下室とかもないから。ほら、早く上がって」


「あ、おじゃまします」


 

 言われるがままに玄関をくぐり靴を脱いでようやく事態に気付いた。

 女子の家に上がっている!


「あの、ご家族は?」


「二人とも仕事だよ。ちなみにサラリーマンとパートだから。変な誤解はさっさと忘れて」


「ああ、うん。それはもう平気なんだけど……」


 声優志望の女の子が家に男子を連れ込むなんて、数年後にスキャンダルとして掘り起こされたら一大事だ。


「防音室ってほどじゃないけどそれなりに音は漏れにくいから歌の練習もできるんだ。と言ってもまずは演技を磨くのが先決。というわけで……」


「わぁ」


 招かれた部屋の中はヤクザ事務所とは180度真逆のファンシーなものだった。可愛いゆるキャラのぬいぐるみや美少女アニメのポスター、カーテンやシーツは優しい雰囲気のピンク色で統一されている。

 なんていうか男子が幻想を抱く女子の部屋そのものという感じだ。


「あんまりジロジロ見ないで。ほら、アイマスク」


「え? ここでもするの?」


「あと手も縛るから。蛙部あべくんは耳の感覚を研ぎ澄ませて」


「いや、さすがにここまで来たら逃げたりしないよ? さっきみたいに警察官に見つかる心配もないし」


「……でも、蛙部あべくんだって男子だし」


 相変わらず目つきは悪いけど少し潤んだ瞳は普段とは違った弱々しさを感じさせる。小動物に例えるのはちょっと無理があるけど、いつもは獰猛な大型犬がものすごく甘えてくるみたいなギャップがあった。


「あ、マスクは外していいよ。暑いでしょ? 私も外すから」


「……誰かさんのせいで手が塞がってるんだけど?」


蛙部あべくんがいつ襲ってくるかわからないから仕方ないじゃない。一度胸を揉んだことでタガが外れてるかもしれないし」


「人を猛獣みたいに言わないでよ。僕がそんな肉食に見える?」


蛙部あべくんみたいのが一番危ない。草食の皮を被った肉食。ロリコンでも安心はできない」


「ロリはリアルじゃなくて二次元の方だから。むしろリアルでは……って、なんの話だこれ。台詞の練習するんでしょ?」


 二人でピンチを乗り切ったからか不思議と龍野たつのさんから圧を感じにくくなっていた。もちろんたまに睨みつけられると恐いんだけど、地声は可愛いし実はヤクザの娘じゃない。


 むしろ彼女の夢を共有している仲間みたいな意識が芽生えていて、目隠しをして手を縛られているだけなのに夢を応援できていることがちょっと嬉しかった。


「ふぅ~~~~」


「おおおおおう!!」


「くすくす。耳に息を吹きかけられて気持ち悪い声を出すなんて情けないお兄ちゃん」


 急に始まった龍野たつのさんの練習に不意打ちをくらって我ながら気色悪いリアクションをしてしまった。

 その反応をロリボイスでいじられるのがまた格別だったりする。


「ねえ、龍野たつのさん」


「な~に?」


龍野たつのさんが受けるオーディションってどんなやつなの? ロリボイスを活かすのはわかるんだけどずいぶんとマニアックというか過激じゃない?」


「養成所の特待生枠とアニメデビューを一緒にもらえるオーディションだからあんまり詳しくは話したらダメなんだけど、私はメスガキの役を受けるつもり」


「なるほど。それで」


「お兄ちゃんはメスガキ好き? 自分よりもずっと年下の女の子に罵られて興奮する変態ロリコンだもんね」


「ドゥフフ」


「うわっ。リアルでそんな風に笑う人いるんだ」


「引くな引くな。龍野たつのさんの声はそれだけ魅力的ってことなんだから。マジで脳が溶ける。ある種のドラッグみたいなもんだから」


「あらあら。蛙部あべくんは年上に興味はないのかしら? 大人の体もとっても魅力的なのに」


「くぅ~~~~そっちの路線も良い! 龍野たつのさんは本当に声の幅が広い! 一つ提案なんだけどロリとお姉さんの中間って出せないかな。生意気なメスガキが背伸びして大人をたぶらかすみたいな」


 視界が封じられているからこそ妄想がどんどん膨らむ。たぶん龍野たつのさんの姿を見ていたらスラリと長い脚や鋭い目つきの印象が先に来てメスガキと結びつかない。

 彼女の声に集中しているからこそ、その声を十分に活かす道を見い出せた。


「こほん。やってみる。中間……中間」


 咳払いをしてチューニングを合わせるように小さな発声を繰り返す。元々の10歳くらいの声からちょっとずつ年齢が上がっていって、中学生くらいの姿が脳内に浮かんだ時に僕は叫んだ。


「それだ! ちょっとだけ大人の階段を上った中学生のメスガキ! 完全に僕の好みだけどそれが一番龍野たつのさんの声の魅力を最大限に引き出してる!!」


「こほん。この感じ? へぇ、お兄ちゃんは同級生よりも中学生が好きなんだ? 犯罪だよ?」


「そんなことない。高校生が中学の後輩と付き合うのは自然なことなんだ」


「そうやって理屈で反論するのが変態っぽい。くすくす。こんな変態、私以外は絶対好きにならないよ」


「良い……! すごく良い!!」


 良いものは素直に良いと褒める。褒めるのはタダだし、それで波に乗ってさらに供給してくれるのならこちらにとってもありがたい。

 褒めて伸ばす。演技について何も詳しくない僕が龍野たつのさんの夢を応援するにはこの方法しかない。


「くすくす。ありがとう。お世辞でも自信が付いたよ。明日からもよろしくね。お兄ちゃん」


「は、はひっ!」


蛙部あべくんは電車通学? 駅までの道がわからないだろう送っていくわ」


「ははは。普通逆じゃない?」


 アイマスクを外されるとそこには柔らかな笑みを浮かべる龍野たつのさんが居た。

 目つきは相変わらず鋭いけど威圧感はない。たぶんこれが本来の彼女の姿なんだと思う。


 もし龍野たつのさんの本当の姿をみんなが知ったら、きっと人気者になれる。それでオーディションに合格した暁にはクラスの英雄だ。


 高校生が声優として活動する上で学校では目立ちたくないかもしれないけど、彼女の魅力的な声をクラスメートが知らないのはもったいない。

 どうにかして教室でコンプレックスを克服できればいいんだけど……。

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