第3話 夢みたい

「えっと……これは?」


 夕方の河川敷に女子と二人きり。これだけならまるでデートなのに僕はそんな風には全く思えなかった。その理由は手を縛られて目隠しをされているからだ。


 一応足は自由なので逃げられなくもないけど、この姿で走っても車に撥ねられておしまい。そもそも僕は足が遅い。龍野たつのさんの長い脚なら余裕で追いつけるだろう。


「私の秘密を知られたからには協力してもらう」


「……龍野たつのさん、だよね?」


「そうよ! 地声はこんななの! 悪い!?」


「悪くないです可愛いですロリボイス最高!」


「は? 蛙部あべくんロリコンなの?」


「…………」


 ヤクザの娘と噂される眼光鋭い龍野たつのさんがロリボイスの持ち主という驚愕の事実と、自分がロリコンかと問われた時の適切な回答が思い浮かばなくて思考が停止してしまった。


 たしかにアニメではロリ系のキャラを好きになることが多いし、声も脳を溶かすような甘々なものが好きだ。


 だからと言って成熟した女性が嫌いというわけではない。肌色だらけのシーンを艶のある声で演じられたらそれはそれで堪らない。

 つまり僕は可愛くて美しい声ならなんでも大好きなのだ。


「本当のことを言ってほしいな。言ってくれななきゃ……殺す」


「ひいっ! ロリコンです!!」


 可愛らしい脳トロボイスを耳に吹きかけてきたと思ったらドスの利いた声で脅迫されてしまった。視界が遮られているからこの場に龍野たつのさんともう一人いるんじゃないかと感じるくらいの声の違いだ。


「えっと……僕と龍野たつのさんしかいないんだよね? 他の人は聞かれてないんだよね?」


「うん。私だって蛙部あべくんと二人きりのところを見られるのは困るから」


龍野たつのさんは平気でしょ。変な噂を流したら組の人にお願いして消してもらえばいいんだから」


「……みんな勘違いしてるけど、私はごく普通の一般家庭の子だから。ヤクザじゃない」


「本当に?」


「ヤクザの娘が声優を夢見るわけ……ないって否定はできないけど、デビューしてから高校時代のスキャンダルで炎上したくないの!」


「クラスメートを縛り上げてる時点で炎上どころか補導事案だと思うよ」


「私の胸を揉んだのだって十分問題じゃない。これは取引よ。お互いの秘密を守るための」


「はは。声だけ聞いてると小学生みたいで可愛らしいな」


「あっ? 殺すぞ」


「すみません。ごめんなさい。申し訳ありません!」


 龍野たつのさんの顔とロリ声は全然結びつかないけどドスの利いた声は余裕で解釈一致する。地声がロリ声なんじゃなくてヤクザボイスが地声だと訂正してほしいくらいだ。


龍野たつのさん十分声の幅が広いからオーディションも受かるんじゃないかな。詳しいことはわからないけど」


「全然ダメよ。可愛い声の子もハスキーな声の子もいっぱいいる。私はたまたま声質に恵まれてるだけで演技力は全然なんだから」


「そうなんだ。だったら演劇部に入れば良いのに。って言っても、去年はあんまり部活できなかったけどさ」


 そもそも授業がオンラインだった時期もあって想像していた高校生活とは全然違ったものになってしまった。とは言え、クラスメートに目隠しされて脅迫されるのは意味が違う。


 一部の変態には最高のシチュエーションだろうけど残念ながら僕にそういう趣味はない。僕は甘々な恋愛をしたいタイプなんだ。


「だって、みんな私を見ると恐がるから……」


「そりゃ龍野たつのさんに睨まれたら誰だってビビるよ」


「あっ?」


「それだよそれ! 絶対こっちが地声でしょ!」


「違うよ。こっちが地声。今のは相当頑張って作ってるの! 勝手にヤクザの娘とか噂されてからかわれるから、舐められちゃいけないと思って恐い声を出す練習をしたの」


「……逆効果じゃない? それ」


「でも、私のこの見た目でロリ声は絶対笑われるもん。特にバカな男子に」


「あー……それはたぶん、龍野たつのさんのことが好きなんじゃ……」


「よくある話のやつだよね。好きな子の気を引きたくてからかうってやつ。でも私は騙されない。自分の外見と声が合ってないって私が一番わかってるから」


 目隠しをされているので龍野たつのさんの表情は見えないけど、その言葉に込められた真剣さが伝わってくる。自分の声がコンプレックスで、それでも声優になりたい夢を抱きながら努力をしてきた。

 同じクラスで席が隣になって、たまたま階段から落ちた龍野たつのさんを受け止めた時に胸を触ってしまったがために脅迫されているだけだけど、このロリボイスが世界中のオタクの脳をトロトロにするのを見たい。

 そんな熱い感情が自分の中に芽生え始めていた。


龍野たつのさんにいろんな事情があるのはわかった。その声を声優界で活かせないのは世界の損失だ。龍野たつのさんの最古参オタクとして協力するよ」


「…………ありがと。変態ロリコンのお兄ちゃん」


「おおおぅふ」


 耳元に優しく吹きかけられた罵倒が脳を揺らした。たぶん本物の小学生はこんなことを言わない。だからこそフィクションは最高なんだ。

 小学生よりも小学生らしい声を出せて、ロリコンの心をくすぐる言葉を選択できるのが声優という職業。


 龍野たつのさんはオタクの需要をよく理解している。本人は演技力に自信がないみたいだったけど、僕からすればもう十分合格点を与えたいレベルだ。


蛙部あべくんリアクションが単調すぎ。もっと改善点とか教えて」


「改善点って言われても。龍野たつのさんの声が可愛すぎて、そんなのを耳元でささやかれたらあんな声しか出せないって」


「そ、そう……でも、可愛いだけじゃダメなの。そこから頭一つ、ううん。二つでも三つでも抜けるような人が声優として生き残れる。蛙部あべくんみたいなオタクを悶絶どころか昇天させないとダメ」


「しょ、昇天!? 僕、最終的に殺されるの!?」


「必要なら、ね」


「おおう。その声も良い!! 恐怖と愉悦を同時に味わえる。何かに目覚めそう!」


 秘密組織の幹部みたいな妖艶な低音が突き刺さった。脳をトロトロに溶かす以外の武器も持っているなんてあまりにも強すぎる。

 龍野たつのさんは絶対に声優になるべきだ。そして世界中のオタクをその声の虜にしてほしい!


「すごいよ龍野たつのさん。ネットでセリフ配信とかしたら絶対バズる。そしたら逆に事務所からスカウトが来るかもしれないよ」


「そ、そうかな。最終手段として考えておく。両親を説得するには実力でねじ伏せるのが一番だから」


 口には出さなかったけど素直にカッコいいと思った。ネットで活躍して、すでに一定の人気を得ている人をデビューさせるというのは今やどの業界でもやっていることだ。


 これはこれで実力を認められているのだろうけど、オーディションや試験に合格したのとは違うルートだ。

 正々堂々と真正面からオーディションに立ち向かおうとする姿勢はクラスメートの誰よりも大人で覚悟を決めていると思った。


「っていうか蛙部あべくん、ただ私のセリフを満喫するだけじゃなくてちゃんとダメ出しもして。本当にこのレベルなら全国にたくさんいるんだから」


「わかった……と言いたいところだけど、ただのオタクに演技指導はむずk」


「キミ達、そこで何をしてるんだ」


 演技指導なんて難しいと言おうとしたタイミングで威圧的な男性の声が耳に入った。いくら龍野たつのさんの声幅が広いと言ってもおじさんの声は出せないはずだからきっと第三者だ。


 知らない人に目隠しプレイを目撃されてしまった。これはマズい。龍野たつのさんとの関係を疑われるし、将来スキャンダルや黒歴史として晒されてしまうかもしれない。


龍野たつのさん逃げて! 僕は絶対に口を割らないからってえええええ!!」

「こっち。走って」


「走ってって前見えない!!」


「大丈夫。私がリードするから。とにかく足を動かして」


「恐い恐い恐い恐い」


「口を閉じて。まるで私が犯人みたいになっちゃう」


「実際犯人みたいなものじゃん。目隠しして連れ回してる」」


「黙ってて!! 警察官に追われてるの!」


「ええええええ!?」


 周りの景色が分からないまま走るというのはとても恐くて、だけどすれ違う人の視線は気にならない。

 龍野たつのさんの手は冷たくて、僕の体温がどんどん彼女に流れていく。


「「あはははははは」」


 どちらともなく二人の笑い声が重なった。

 警察官に追われているというピンチにも関わらずなぜか楽しいのは、きっと龍野たつのさんの夢への熱量が僕に流れてきたからだ。


 夢を追うって、すごく楽しい。

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