第2話 幻聴

 席替えから一週間。僕はなんとか生きていた。というか、思っていたよりも平和な生活を送っていた。


 時折睨まれるだけで龍野たつのさんから声を掛けられることはないし、先生も龍野たつのさんを刺激しように授業を進めている。

 自分から刺激しなければ問題はない。そんな油断と慢心を神様が怒ったのか不運な事故が起きてしまった。


 帰宅部なのでさっさと下校しようと思ったのに忘れ物に気付いてしまった。別に明日でも構わないけど、来週期限の宿題も早めに終わらせたかったので教室に戻ることにした。


 忘れ物をしたのが不幸なのか真面目な性格が災いしたのか、教室へと続く階段の先に龍野たつのさん姿を見てしまったのだ。

 回れ右して別の階段から教室に向かう選択肢が出るくらいの恐怖に襲われる。


 同時に、見上げた先にある彼女の綺麗な脚に見惚れてしまった。鉄壁のスカートに守れてなおその妖艶さは隠しきれていない。


 あの脚に触れられるのはどんな男なんだろう。そんなことをボーっと考えていたら逃げるタイミングを失っていた。

 あまりの出来事に足がすくんで動けないというのが正確な表現だ。


 空から……いや、階段から龍野たつのさんが降ってきた。

 視覚でその情報を処理して次に飛び込んできたのは聴覚情報だ。


「うみゃーーーーーーー!!!」


 まるで小学生みたいな甘くて可愛い叫び声が脳に届いた。

 これは幻聴か? はたまた他の目撃者の声か? どちらでもいい。このロリボイスは僕の奥に眠るお兄ちゃんパワーを覚醒させるには十分だった。


 足は動かずとも反射的に腕は伸ばせた。


 が、帰宅部の階段から滑り落ちた龍野たつのさんを支えるような力はなく、重力に従いそのまま押し潰されてしまった。


「いてて……龍野たつのさん大丈夫?」


 背中から倒れたもののリュックがクッションとなって意外とダメージはなかった。それよりも結構な高さから落ちた龍野たつのさんの方が心配だ。

 ヤクザの娘でも一人の人間。異常に体が丈夫とかそういうことはないと思う。


「う、うん」


「……え?」


 問い掛けに対して返事をしてくれたのは間違いなく僕に覆いかぶさっている龍野たつのさんで、声は間違いなく龍野たつのさんの口から発せられた。

 そんな当たり前の現象に疑問を抱いてしまうのは、声があまりにも幼くて可愛らしいものだったからだ。


 アニメで声優さんが演じるような幼女の声。僕のお兄ちゃんパワーを覚醒させた脳をトロトロに溶かしそうな甘い声を龍野たつのさんが発したように聞こえた。


「あの……」


「え? うん」


 パシャッ!


「胸」


「ひゃあっ!」


 僕の体の上に仰向けに倒れた龍野たつのさんを抱きかかえた結果、この悪い手は都合よく彼女の胸を包み込んでいた。

 落下から抱き留めるならお腹とかもっと適切な場所があっただろ!


 反射的に胸を触った自分の手を褒めるよりも前にどさくさに紛れてセクハラを働いてことを叱った。


「ごめん。急だったから」


「ちゃんと証拠は撮影したから安心して」


「何も安心できない!」


 ゆっくりと龍野たつのさんが立ち上がると綺麗な脚が眼前に現れた。ヤクザなのにと言ったら変だけど校則を守った丈のスカートは鉄壁の防御を誇っており太ももから上の部分は何も見えない。

 残念であると同時に、これ以上罪を重ねなくて良かったとホッと胸を撫で下ろす。


「いつまで地面に這いつくばってるつもり? 立ちなさい」


「ひいっ! すみません」


 数回しか聞いたことがないドスの利いた声は龍野たつのさんのイメージにぴったり合っていて、さっきまでのロリボイスは幻聴だったと信じるには十分過ぎる迫力だった。

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