第六話
いつの間にか地下鉄の駅に近づいていた。
E管区には地下鉄が張り巡らされている。シャロゥグも例外ではなく、主な公共交通機関は地下鉄だった。狭い土地を効率的に使うためと、しっかり汚泥避けをしているので、囚人の影響を受けづらいこともあるらしい。制限はあるが、隔てられた区間同士の移動にも使われている。
そのため、ウィステリアは当然として、ユーレッドなどの獄卒達も、普通に使う。
しかし、この日は、もう終電の時刻でもあったし、ウィステリアの家も歩いてもさほど遠くないし、ユーレッドの向かう獄卒街の方に向かうには歩いて行ったほうが早い。
二人は今のところ、徒歩の予定で地下鉄を使わないつもりであった。
「あっ!」
が、ユーレッドが、駅を見た途端、思い出したように声を上げる。素で何か忘れていたらしい声だ。
「ちょっと待て! 預けていた荷物取ってくる!」
そういってユーレッドは、駅に走っていく。どうやら、地上部分にあるコインロッカーに向かったらしい。
「荷物?」
スワロとウィステリアは、きょとんとする。
「荷物ってなに?」
きゅー? とスワロが首を傾げる。
珍しい。
あのユーレッドが何を預けてきたというのだ。持ち歩く荷物などないような人なのに。
と、二人が不思議がっている間に、ユーレッドは、あっという間に布製のトートバッグをとって戻ってきた。何の変哲もない、折り畳めばちいさくなるもので、携帯性に優れていて、彼が持ちやすいものだ。
「珍しいわね。預け物なんて」
「まあな」
声をかけると、ユーレッドが何やらバッグから更にクラフト紙の一回り小さな袋をとりだしてきた。飾り気のないクラフト紙の袋は、ちょっとしわになっている。
「そういや、マフラーみてて、スワロにもプレゼントあったなーって思い出した。俺もマフラー買ってきてたんだぜ」
といってユーレッドは、袋の中から、リボンつきのビニール包装をされたマフラーとふわふわのファーのついた帽子を出してきた。
きゅっ、とスワロが喜びの声をあげる。
本来、戦闘補助もするような獄卒用のアシスタントにとって、余計な装飾は邪魔以外の何物でもない。あたたかなマフラーは排熱の邪魔だし、帽子に至っては視覚を遮るものだ。
だが、ユーレッドは、スワロには何かとかわいい格好をさせる。パフォーマンスの低下は、彼にとってもよろしくないことだろうが、基本は合理的な彼に珍しいことだった。
「あら、かわいいわね、スワロちゃん。良かったね」
ウィステリアがそれを付けてやりながら、思わず笑みをもらす。
きゅきゅっと、スワロがうれしそうに鳴いた。普段は効率を優先する真面目なスワロだが、こうやってかわいい格好をさせてもらうのは嫌いではないらしく、割と喜ぶ。
スワロがお礼を言っているらしいのをみて、ユーレッドが何故かドヤ顔でふふんと鼻で笑う。
「ふん、俺の好みじゃねえんだけどよ。俺の好みのにすると、スワロが怒るから。ま、でも、これも似合うかなーってさ」
「本当にかわいいわ。スワロちゃんによく似合ってる。後でお写真撮りましょうね」
ウィステリアがそう言うと、スワロはきゅっとうれしそうに鳴いて、くるっと一周まわる。かわいらしくてほほえましい。
そんなスワロに思わず素直に相好を崩していたユーレッドは、ぽろっと漏らすのだ。
「ま、どのみち、スワロには、今夜はサンタクロースも来るんだけどな。帰ったら早寝しろよ。寝ないとサンタクロース来ないんだからな」
(サンタさん、来るんだ!)
このご主人、意外と優しいな。
どうもユーレッドは、スワロにサンタクロースを信じさせているのかもしれない。
そういう時のユーレッドの視線は、色眼鏡のレンズの上からでもわかるほど優しい。
スワロに性別があるのか、それすらもわからないけれど、ユーレッドは少なからずスワロを娘のように扱っている。
かわいい格好をさせるのも、プレゼントを与えるのも。
かつて、悲しい過去のある小鳥のスワロをネザアスが人間のような扱ったように。
そんなスワロには、サンタクロースは来るのだ、きっと。
そういうときのユーレッドの視線は、かつてのネザアスのように優しい。
(なんか。スワロちゃんは、いいなあ)
と、不意にウィステリアはうらやましいような気持ちになる。
大人の自分はユーレッドから、あんな優しい視線で見られることはない。そんな風なユーレッドとスワロを見ると、かつて少女だったころの自分とネザアスのまなざしをむやみに思い出してしまう。
けれど、そう。もうあれは、過去のことだ。
ユーレッドは、ネザアスそのものではないのだろうから。
雪がふわふわと彼らの間に降ってくる。
雪は気持ちを感傷的にさせてしまう。冷たい空気に、一瞬、気持ちが過去に向かう。
そうしてぼんやりしていたウィステリアに、ユーレッドが視線を向ける。
「何ぼさっとしてんだ、お前」
彼はスワロへのプレゼントが入っていた紙袋を、不意に持ち上げる。それでぺんとウィステリアの頭をはたいた。
どうもまだ何か入っている。
「いたっ。何するの」
「やる」
「は?」
「お前にもやるっていってる」
ユーレッドはぶっきらぼうに言う。
思わず理解できなくて、きょとんとしているとユーレッドは左手で顎をなでやった。
「俺のこと見かけが寒いっていうけど、お前こそ、いつも肩出ししてるだろ。あれこそ、見た目に寒いからやめろ」
「えっ、あれはステージ衣装なだけで、普段から、そんな露出の高い服きてないわよ? 今日はステージからそのまま来たけど、ちゃんとコートを羽織っていて……」
「とにかく見た目寒いからやめろ。それやるから。それならステージでも使えるだろ」
「えっ」
ようやく、そこでこれが自分あてのプレゼントなのだと理解して、ウィステリアはクラフト紙の袋と彼を交互に見やった。
「あ、あたしに」
無言でちょっと視線で頷くユーレッド。
「あ、ありがとう」
「ん」
ユーレッドはそれ以上言わない。変な間が空きそうになって、ウィステリアが慌てて尋ねた。
「あ、開けていい? のかな?」
「さっさと開けろって」
ユーレッドがそっけなくいう。
ウィステリアが、いそいそと紙袋の中から箱を取りだす。中をそっと開けてみると、見覚えのある高級ブランドのロゴの入った大判の薄紅色のショールが入っていた。
ウィステリアは、それをおそるおそる持ち上げる。
「こ、これ?」
思わずユーレッドの顔を見上げる。
「ん? 意外と似合ってるじゃねえか。お前、そういう色似合うよな」
ユーレッドは、なんでもないような顔をしてそんなことを言う。
「えっ、で、でも」
そう言ってウィステリアが、少し狼狽えるとユーレッドはそれをどうとったのか、ふむ、とうなった。
「気に入らねえか? だったら質屋に入れてもいいぜ。それなりにするやつらしいから、小遣いには」
「き、気に入らないはずないでしょ。すごく、……綺麗で、かわいい色だし、で、でも、これ……」
ユーレッドは相変わらずの態度だが、ウィステリアはちょっと動揺していた。
「でも、その、あ、あのね」
「ん?」
「このブランド、すごく高いんじゃないの? こんなの」
「お前、俺がいつでもスカンピンみたいな言い方するんじゃねえよ」
ユーレッドは、不機嫌を装う。こういう時のユーレッドは、わかりやすく嫌な顔をするのだが、本気で怒っていないことがなんとなくわかる。
「昨日からバカヅキしてたから余分に金があってな。どうせ泡銭だし、変な使い方すると確実にスワロに怒られるし。ま、たまにはいいかなって」
こほんと咳ばらいをしつつ、ユーレッドは言った。
「まあなんだ。たまには功徳になることをするのもいいかなーとおもってよ」
「えっ? ほ、本当にいいの? あたしがもらっちゃっても」
「は? 俺が一度やったものを返せとかいうかっての。もってけ泥棒」
ユーレッドは、ちらっとウィステリアを見て。
「そんかわり、ステージであんな寒い恰好すんなよ。体冷えると歌えなくなるぜ」
「う、うん」
ウィステリアは、コートをはだけて、そっとショールを肩にかけてみる。
スワロがよく似合っていると言いたげに、きゅっと鳴いて肩にとまった。
そんな様子を見て、内心満足しているらしいユーレッドが、ぶっきらぼうにバッグにのこっていた何かの箱をウィステリアに渡す。
それこそ、ぺらぺらの、ちょっと古いに味気ない紙箱だ。
「あと、ほら。その、スワロと違って、お前にはサンタクロース来ないだろうから、特別におまけだ」
「えっ? おまけ?」
ユーレッドは、トートバッグを畳んでポケットに突っ込みながら言った。
「それは拾いもんだから。でも、お前、そういうガキっぽいもの好きそうだしな。見つけたからやるよ」
ウィステリアが箱を開けてみると、中に入っていたのは手のひらサイズの置物だった。
「これって」
ウィステリアは息をのむ。
「スノードーム」
そのスノードームには灯台がある。雪の日の灯台で男女が二人立っている姿を表した物だった。男の方が傘をさし、女の子に見える女性がそばにいる。
そこにサンタクロースがやってくる。
(これ、前に、見たことあるような。でも、その時は壊れてるのしかなくて……)
ウィステリアは、かつて、ネザアスと交わした会話を思いだす。
「そういうガキっぽいもん、お前、好きだよなー」
記憶をたどるウィステリアを阻害するように、ユーレッドはあえて意地悪な言い方をしてきていた。
「そんな置物、どうせ使い道ないだろうけどよ。売っても価値ねえだろうし、まー、文鎮か漬物石にでもしろよ」
そう言われて、ウィステリアははっと我にかえった。
「旦那、これ、どこで手にいれたの?」
ウィステリアが尋ねると、ユーレッドがどきりとした様子になった。
「んっ、ど、どこで?」
ユーレッドはちょっと焦りつつ、
「え、あー、あー。まあ、なんだ。俺の隠れ家の一つの机の引き出しにあったんだよ。ま、ま、前の住人の、忘れモンだと思うんだけどよー。だ、だから、その、いやなら捨てろよ」
なぜか動揺しているユーレッド。
「ううん、捨てたりしないわ」
そんな彼に詳細を尋ねる気にはなれず、ウィステリアは首を振った。
「ありがとうね、ユーの旦那」
「ん……。別に」
ユーレッドはちょっと苦笑する。
「礼言われるほどのもんでもねえけどなあ」
ウィステリアは、そっとスノードームを手のひらに乗せて空に掲げる。
スノードームの中では、いつぞやの日のように、雪の中、灯台で誰かみたいな二人が歩いていた。
それはネザアスとあの頃のフジコのようでいて、灯台の島で過ごしたユーネとウィステリアのようでもあった。
*
「ちッ」
駅の近く。
そこには大きなクリスマスツリーがあって、なんとなく人がたまっている。
ウィステリアとスワロは、そこで写真が撮りたいらしい。
スワロには撮影機能があるのだが、スワロの方が写真が欲しいらしく、ウィステリアはスワロの写真を撮ってあげているようだった。
まるで子供みたいにはしゃぐ二人を遠目で見るユーレッドは、人気のない建物の壁に背をつけて、例によって電子煙管をふかしている。
「あいつら、浮かれやがって」
ユーレッドは、彼女たちに聞こえないように小声で舌打ちした。
そしてもらったばかりのマフラーをつまんでもてあそびつつ、ため息をつく。
「ちッ、全くいつまで経ってもお嬢様なんだよなー。無駄に心配させやがって」
そして深くため息をついた。煙だけでなく息は白くなり、空にのぼっていく。
「好きなもん言えば、本当に今ならなんでも買ってやったのに。こんなこともうねえかもしれないのにさあ。馬鹿なやつだよ」
ユーレッドはそう言って、目を伏せる。
「まあ、いいけどよ」
そして、白い煙を吐きながらぼそりと小声でつぶやいた。
「Happy Holiday, My dear Lady」
A共通語のその言葉を、誰が聞くこともない。
と、その時、不意に警報の音が響いた。
その警報の意味をハローグローブの住人はよく知っている。
クリスマスツリーの周りの人々も、それを聞いてわっと声を上げながら、慌てて屋根の下に逃げていく。
ふと雪の降り方が変わっていた。
「あーあ。本物の雪が降ったか」
ユーレッドは空を見上げて、左手をひろげた。手のひらに降りかかる雪は黒みを帯びている。
汚泥の汚染に強い獄卒のユーレッドは、そんな様子を見ても、他の市民と違い、特に慌てたそぶりはない。手の上で溶ける黒い雪を払いのけつつ、ユーレッドは肩をすくめた。
「つくりもんの雪降らせてたのに、マジな奴が降ってきたか。こんな夜に汚染降雨警報とは、風流もへったくれもねえなあ」
「ユーさん!」
たたっとウィステリアとスワロがかけてくる。ウィステリアは携帯用の折りたたみ傘を持っていたらしく、すでにそれをさしていた。
「本物の雪が降ってきたわね」
「こんなに寒いんだからな。道草くってる場合じゃなかったな」
うん、とウィステリアは頷きつつ、傘を差し出した。
「これ使う? あたしはここからなら、タクシー捕まえて帰れるけれど、旦那は傘必要でしょ?」
汚泥汚染された降雨の警報が鳴ると、近距離でもタクシーは重宝される。
獄卒のユーレッドや強化兵士であったウィステリアには、雨や雪くらいではそれほどの脅威はない。一般市民でも、怖がるほどの影響はないものの、気持ち的なものもあって雨を避けるのだ。
「馬鹿だな、お前。ここからなら歩いたほうが早いだろ? タクシー乗り場、この感じだとすんげえ並ぶぜ。日付変わっちまう」
「それはそうだけれど。あたしはそれで帰れるけど、ユーの旦那は傘がないと困るでしょう? コンビニの傘もすぐ売り切れちゃうし」
獄卒街の果て、廃墟街に住処のあるユーレッドは、タクシーでは帰れないだろう。廃墟街は囚人も紛れ込む危険地帯だ。そんなところまで行くのを了承するタクシー運転手はいない。
一方、タクシー乗り場は屋根がしっかりと作ってあるのでウィステリアは待ちさえすれば、安全だ。
しかし。
「屋根はあるけど待ってたら寒いだろ」
ユーレッドはため息をついて、ウィステリアから傘を奪い取った。
「しょうがねえから、今日は家まで送ってってやるよ。どうせ帰り道だし」
そういってユーレッドは、ウィステリアに傘をさしかける。
「あ、ありがとう。でも、いいの? 旦那は遠回りでしょ?」
ユーレッドは苦笑する。
「ふん、甘やかすのは、今日だけだぜ」
そんなユーレッドが一瞬優しいまなざしをしたのを、ウィステリアもスワロも気づかない。
ユーレッドは言い訳するように言った。
「今夜は特別な夜だからな」
贈り物は雪の日に 終
夢見る獣は入江にまどろむ ーナラクノネザアスー 渡来亜輝彦 @fourdart
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