双葉
去る大寒の雪の日だった。シュリという少女を家に迎えたのは。薄桃の背まで伸びたゆるやかなウェーブの髪に菫色の大きな眸。初めて見た時の感想は手入れの行き届いた生身の人形。愛嬌はあったが、それも培われたもので自然なそれとは少し違う。俺の店に所属している女たちと同等の対価に差し出すタイプの愛嬌。
ひとつだけ違ったのは、それを苦にしていないということ。生きるためにそうあるべきことをまるでおかしいとは感じていないということだった。
【里親制度】の期間は原則として十八を迎えるまで。十七歳だと名乗った彼女との契約期間は一年。
その時ピンと来たのは、彼女がこの先自立して生きて行くには性産業に携わるのが最も効率的でその能力を活かすに易いということだ。だから、面白いと思ってその場でサインをした。
俺の仕事は雑居ビル一つ丸々を買い取った娼館の経営。部屋の一つ一つで客を取り、ひとときの癒しと情を売る女たちを抱えて客との間を持つ。
シュリをその花形に育てられたならいいのじゃないか。
ソロバンを弾く悪癖は今までそう悪い結果を生み出したことがなかったが今回は違った。
「オーナー、最近難しい顔してる日多くない?」
ウェアラブルの画面を前に仏頂面を決め込んでいたらしいことを指摘される度にまずいな、と思う。
女たちは馬鹿なようで敏い。馬鹿の振りをするのがうまい連中がうちには多く居た。
「そうかも。雨の日の客足伸ばしたいから、何か新しい限定サービスでもはじめようかな」
「めんどくさいのはパスね。……今日新人入ってくるってボーイから聞いたよ」
「ああ、そうだった。うっかりしてた」
「いつもなら楽しみにしてるのに? 調子でも悪いの? まさかインポになった?」
「うるさいよ、客つけないぞ」
冗談ではあるが、軽口を返したら大体は手の平を返したように大人しくなる。何だかんだでこの客商売は雇い主にいかに気に入られるかが大事だと彼女たちはよくわかっている。
新人の入って来る日、それは新人教育としてイロハを教えるという名目でその覚悟を問う儀式を行う日だった。
彼女の言う通り、いつもならそれは楽しい仕事だった。男の往なし方、接客の仕方を手取り足取り教えながら俺は商品の魅力とその潜在能力を測る。文字通り肌を合わせて。
楽しいはずだった。
今日新しく迎えたキャスト候補の女は、水商売に触れたこともない本物の初物。何故、どうしてと人は問うだろうがこうした人間は少なくない。うちで扱うのはかなり久々ではあったものの。
「どうしてこの仕事を選んだの」
大概はのっぴきならない経済的理由が背景にある。説教をするつもりは毛頭ないが、意思確認はしっかりと行う。どうやってどんな風に金という対価を得るのか。そこに覚悟がなければ続けられた仕事じゃあない。
稼ぐだけなら昼の真っ当な仕事でだってできる。それで賄えない額の何かを持つということが、どういうことなのかを文字通り体で知ってもらうということが残酷だとは俺は思っていなかった。
シュリを家族に迎えるまでは。
目の前の震えて俯いたままの女は答えない。しばらく振りの初心な反応を前に俺は煙草に火を点けた。
「脱いで。……脱げないならそのまま帰ったっていい。自分が商品として見られることに抵抗があるなら向いてないよ」
煙草が燃え尽きるまでがタイムリミット。正直なところ、今回に至っては彼女がその決断を出来ずにこの場を去ることを俺は願っていた。
育成が面倒だ。というと聞こえは悪い。そこにシュリを重ねずに居られないのが今の心境だった。らしくもない、私情を挟みすぎている。
意を決したように女がブラウスのボタンに手を掛けた時、図らずもため息が紫煙と漏れた。
私情を燃やして残りを灰にする。
多くを語ろうとしない彼女の内情は知れず仕舞いのまま、商品としての価値を見出した俺は一時間後にはウェアラブルに『フタバ』のキャスト要項を増やした。
初心さはそれ自体が売り文句になる。そうして初めのうちに群がった客を捌いて、新人は玄人に育って行く。
そういうものだ。
「てんちょ、『イズミ』ちゃんまた出勤してこないですよぉ」
「半日予約御礼にしとけ。あとで連絡付けるから」
「お願いしますゥ、電話繋いでくれなくって」
日常のやり取りが億劫になり始めているのはいい傾向じゃない。俺にもう少し冷徹さがあれば、そんなことを考えずにシュリを色街の指折りにすることだけを考えて嬉々としていられたろうに。
しばらくは『フタバ』を横目に続きそうな葛藤だった。似ていないが、ある意味では似ている二人。『フタバ』の成長が目に見えたその時、俺はシュリに対する考えを変えられるのかも知れない。
希望と呼ぶにはあまりに脆い、砂の城。今はまだなだらかな山でしかないそれを、見守ることにした。
ネクタ・ボーイズ 紺野しぐれ @pipopapo
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