僕の、私の戦う理由
しらす丼
第零話 戦いの火種
僕らは無害な生物なのに、それでも奴らは僕らを排除しようとする。
絶対に許さない、ゼッタイニユルサナイ――
これは、戦争の始まり。僕らとあいつらの。
春――それはいろんな種族が命を輝かせる季節だ。
僕は太陽を燦燦と浴びながら、愛おしい彼女を原っぱで待つ。
温かな陽射しを浴びているとついウトウトとしがちだけれど、そんな恥ずかしい姿を彼女には見せたくはない。
僕は眠気を飛ばそうとモゾモゾと身体を動かしながら、ひたすら彼女の到着を待った。
「ヤスオさん、ごめんなさい! 私からお呼びたてしたのに」
しばらくして彼女は小走りで僕のもとへとやってきた。申し訳なさそうに言って、最後にニコっと笑う姿はとても可憐だなと思いつつ僕は彼女を見つめる。
笑顔が素敵な彼女――ヤスコさんは、数日前にこの辺を散策していたところで出逢った女性だった。
「ヤスオさん?」
「あ、ははは。いいんですよヤスコさん。それで、今日はどうしたんですか?」
僕が尋ねると、ヤスコさんは少し表情を暗くした。
「ええ、そろそろ雨季が近いですよね。だから、会えるうちにちゃんと会っておきたいなって思って……」
「そう、ですか」
雨季は僕らの一族にとっては乗り越えなければならない重要な時期だ。一族の存続にも関わってくる。そんな雨季がまもなく訪れようとしていた。
「だから今日は思う存分話して、お互いの雨季に備えましょう。そして、雨季が明けたら……」
もじもじと恥ずかしそうに言うヤスコさんの足を取った僕は、
「ええ、必ず今度の雨季を乗り越えましょうね!」
と彼女を見つめながら言った。
それから僕らは原っぱで駆け回り、草花をめで、太陽の下で多くを語らい、笑い合った。
雨季を乗り越え、きっとまた会える。僕たちはそう信じていた。
そしてとうとう雨季が到来する――
「昨日の雨はひどかったな……」
ヤスキ兄さんは顔をしかめて言った。
「でも、家族みんな無事だったのはほっとしたよ。急に雨脚が強くなった時は、正直ダメだと思った」
昨夜の雨を思い返しつつ、僕はヤスキ兄さんに言う。
「そうだな。俺たちは幸運だったんだと思う。けど、ヤスオ聞いたか。ヤスコさんの……」
「――兄弟たちを避難させるために犠牲になったんだろう。知ってるよ。ヤスコさんの弟から聞いた」
そう。ヤスコさんは昨夜の豪雨で命を落とした。あの日が本当に最後になってしまうなんて誰が予測しただろう。
いや。僕は分かっていたはずだ。こうなる可能性があったことを。
明日は我が身――もしかしたら、僕が昨日の豪雨で命を落としていた可能性だってあったんだから。
「それでなんだが、近場に雨除けにちょうどいい場所があるんだ。それでみんなでそこに行こうって話なんだが……ヤスオはどうする?」
「僕は……」
ヤスコさんと過ごしたこの地を離れるってこと――?
僕が躊躇っていると、ヤスキ兄さんは僕の背にそっと足を乗せる。
「きっと、ヤスコさんもヤスオが生きることを望んでる。だから、行こう。みんなで」
「ヤスキ兄さん……わかった、行こう」
僕がそう言うと、ヤスキ兄さんは嬉しそうに笑った。
それからその日のうちに荷物をまとめ、僕らは故郷を離れた。
ヤスコさん。僕、強く生きます。だから、また来世で会えたら今度は――
「へえ。思ったより良いところだな」
「先住民がいるから、それだけは注意しないとね」
ヤスキ兄さんと共にやってきた雨除けの場所は、確かに良いところだった。
地面から少し浮いた位置に木の板が広がっていて、見たことのないざらざらとした素材の壁(先住民が加工したものとヤスキ兄さんが言っていた)がそこここにある。
「雨が降ってきたら、避難できそうだな。あのざらざらした壁はつかまりやすそうだし」
「でも、たくさん先住民たちがいるけど、僕らは排除されないかい?」
大きな身体をした先住民たちをこの場所に来てから何度も見かけていた。
直接僕らに危害を加えてはこないが、いざとなったらわからないだろうと僕は少しばかり危惧している。
「さあな。でも、今のところは何もされていないって先に来た奴らが言ってたぞ」
「そっか。それなら安心かもね」
そして僕らはこの地に住み始めた。どこから噂を聞きつけたのか、続々と仲間たちがこの場所へやってきて、そこら中に僕らの仲間たちであふれかえっていた。
巨大な先住民に踏みつぶされる仲間もいたが、気をつけて歩いてさえいれば、自分の身の安全は保障できた。
雨とは無縁の場所。少しの注意をすれば平気だと誰もがここでの暮らしに安堵していただろう。
しかし、こんな平穏な日々はずっと続くことはなかった――
僕らが住み始めて数日が経過した頃。昨夜から続く雨をよけようと、僕はざらざらした素材の壁に昇って、雨をしのいでいた。
すると、
『
『ああ、これはひどい』
『明日までに何とかできる?』
『はい! 任せてください』
先住民が僕らを見ながら、何かを言っていた。もちろん、僕には言葉の意味は理解できない。
今まで僕らを見ながら会話する先住民たちの姿を度々目撃していたので、この日もそんな感じだろうと僕はたかをくくっていた。
そして翌日。この日に全てが終わった――いいや、始まりと言ってもいいかもしれない事件が起こる。
「ああ、今日も雨か……」
僕は今日もまたざらざらとした壁によじ登って雨をしのいでいた。
「それにしてもヤスオ。ここでの生活がこんなに快適でいいのかよって感じだよな」
ヤスキ兄さんの声が僕の頭上から降り注いだ。ヤスキ兄さんは僕よりも高い位置で壁につかまっていたのだ。
ちなみにここ数日、兄さんは別の場所にいたらしく、会話をするのはここへ避難してきた日以来だ。
「仲間たちも増えてきたし、そろそろ何かあるかもしれないよね。気を引き締めていこう」
「まあ大丈夫じゃないか? 今日まで何ともなかったし、今回の雨季は乗り越えられるだろ」
そうだといいけど――
僕がそう言いかけた時、どこから仲間たちの悲鳴が聞こえた。
「はあ!? な、なんだ?」
ヤスキ兄さんはきょろきょろと辺りを見渡す。
「あっちの壁の方じゃない」
僕は叫び声が聞こえているであろう隣の壁の方を差した。
「今の声、どういうことだよ!?」
ヤスキ兄さんは困惑した声で言う。すると、
シューという音の後に、「ぎゃああああああ」と叫ぶ仲間の声が再び響いた。
あの壁の向こうで一体、何が起こっているんだ!?
僕は生唾を飲み、何も見えない壁を見つめ続けた。
『効果てきめんだねえ。逃げても無駄ですよー』
先住民が何か言って――
「おい、ヤスオ! どういうことだ!!」
その声にはっとして、僕は兄さんを見上げた。
「わからない。でも、逃げたほうがいいかもしれない」
「逃げるってどこに?」
兄さんに言われ、下方に視線を向ける。
直接見えないが、昨夜から続いている雨で土の上は水浸しだろうということは容易に想像できる。
「上へ行こう。下は水浸しだから、溺れちゃうよ!」
僕がそう言うと、兄さんは視線を上へ向け、「わかった」と言って歩き出した。
それから僕らは上へ上へと向かって歩く。
天井まで行けば、きっと助かるはずだ。そんな希望を僕は抱いていた。
しかし、僕らの歩く速度よりも速く、先住民の気配が近づいてくるのを直感的に僕は感じた。
下卑た笑い声、ミシミシという何かが軋む音。
速く逃げなければならないのに、深い沼にはまってしまっているかのように足が重かった。
速く、もっと速く逃げないと――
『さあて。ここが最後だね』
そして先住民はついに僕らの前に姿を現した。
『あ! そんな高いところにのぼって! もう!』
先住民は何かを発したかと思えば、ヤスキ兄さんに何かを向ける。
シュー、という音ともに白い粉が噴射されると、
「ぎゃああああああ!」
ヤスキ兄さんは声を上げて、地面に落下した。
「ヤスキ兄さん!」
落下したヤスキ兄さんを見て、僕は目を見張った。
微かに兄さんの足先は動いている――あれは痙攣か。
それからはっとして、悪寒が走った。
あの白い粉――もしかして、毒ガスか!?
ここで足を止めれば、僕も兄さんみたいになる……ヤスコさんに誓ったんだ。僕は必ず生き残るって!
僕はそれから目的地である天井を見据えた。そしてその場に向かって、再び足を動かし始める。
止まるな、振り返るな――僕は己を鼓舞しながら、ただ見据えた天井を目指して進む。
そして時々背後から聞こえる仲間たちの悲鳴に、胸が打ち付けられるような思いをしながらも、僕は振り返らずにただ上を目指して進み続けた。
ごめん、ごめん――みんな。逃げることしかできない僕を許してくれ。
徐々に天井が近づき、僕はさらに足を速めた。
このまま僕だけが毒ガスから逃れ、ここを脱することができれば、一族は存命できる。あと少し、あと少しなんだ――
しかし。
『あれー、まだ生き残りがいるじゃん! 私って意外と完璧主義だから、一匹残すなんて慈悲深いことはしないんだよね。いや、むしろみんな一緒に逝けた方が幸せか』
背筋が凍るような視線を感じる。殺気だった気配が確かに僕の背後にあるのだ。
次の狙いは、僕か――
それでも僕は懸命に足を動かし続けた。
きっと逃げ切れる。天は僕の味方をしてくれるはずだ。
そう。だって僕らは、先住民の奴らに何の悪いこともしていない。
ただ雨除けに住まわせてもらっただけ。それだけのことなんだから。
だから、僕らが殺される理由なんて――
『はい、さようなら』
それからシュー、という音と共に白い粉が舞った。僕は瞬時に息を止める。
くそ、なんでだ――!! 耐えろ、今は耐えるんだ。
僕は毒ガスが止むのを待った。
少し耐えれば、きっと助かるという根拠のない自信があったからだった。
『しぶといなあ。えいっ』
しかし、噴射はいつまでだっても止むことなかった。
とうとう息が続かず苦しくなった僕はついに吐き出し、思い切り息を吸い込んだ。そして同時に毒ガスも体内に取り込んでしまう。
「ぐううううう」
毒ガスを吸い込んだ途端に全身が急にしびれだし、意識が朦朧とし始めた。
「僕は、こんなところで……」
掴んでいた壁から足が離れ、僕の身体は勢いよく地面に落下する。
地面にたたきつけられると、周囲に僕と同じように落下した仲間たちの死骸が見えた。
「ヤスキ、兄さん。それに、昨日一緒にご飯を食べた、ヤスタロウ君もいる……」
身体も動かない、思考もままならない。けれど、わかる――あいつらを絶対に許してはならないということだけは……
『よし、これで全部かな』
僕は視界のほとんどを占めている先住民を睨みつける。
「許さない。僕らはお前たちに何もしてないのに、一方的に、こんなことを……許さない。絶対に、許すもんか」
朦朧とする意識の中、僕は呟き続けていた。
来世では、絶対に復讐してやる――
* * *
「
現場事務所の所長――田中さんに背後から声を掛けられて、私は振り返る。
「はい! 男子トイレのヤスデは一網打尽にしときました! あとは予防として周囲にも虫コロリをまいておいたので、しばらくはこれで対策できると思います」
私は渾身のドヤ顔で、右手に持つ虫コロリを田中さんに突きだした。ずっと噴射していた虫コロリの缶は、キンキンに冷えたビール缶のように冷たく、少し汗をかいている。
「いやあ、良かった。遅い時間に行くとさ、トイレの壁中にヤスデがくっついてて気持ち悪かったんだよねえ。いやあ、これでようやくゆっくりと用を足せるよ」
用を足すとか、結婚前の女性社員にいうのはいかがなものかとは思いつつも、男性多しの職場では当たり前のことなのかなと軽く流して会話を続けた。
「それは良かったです! でも、毎年雨季に外のトイレがヤスデまみれになるのは嫌ですね」
「まあ、そん時は
「いやいや、私、ヤスデ駆除業者じゃないんですけど」
おい、田中。虫、苦手って前に言ったよね? 事務所に入ってきた蜂と交戦していた時も変な悲鳴あげてたじゃん! その時のひ弱な私の姿を忘れちゃったわけ?
内心そんなことを思いつつも、言えないので私は苦笑いをしておく。
「それも仕事のうち! じゃあ、よろしくちゃーん」
田中さんはそう言って事務所に帰っていった。
私も事務所に戻りたいところだったが、トイレ以外の場所もヤスデの駆除をお願いされていたので、ため息一つついてから次の戦場へ向かった。
「どれくらい駆除したら、私の戦いは終わるのかな……」
そして一工事現場の現場事務員、
のちに「ヤスデバスター
これは、その前日譚。きっかけの物語――
というわけでもない。
僕の、私の戦う理由 しらす丼 @sirasuDON20201220
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