第3話

 ――指輪が普通なんだろうけどさ。デザイナーの明美に、俺が選んだリングを喜んでもらえる自信が無くてね。その代わりに、新居の鍵。……そんな興味なさげな返事しなくてもいいじゃねえかよ。物件選びは自信があるんだぜ? 合鍵もさ、関係を分かりやすく形にしたシンボルというか、そういうもんじゃん。使うことがなくても持っていてくれとか、使わなければその辺に捨ててもいいとか、そういうもんでもないよな? 俺との結婚が嫌なら、遠慮なく突き返してくれていいから。


 明美の脳裏に、俊哉の声だけが再生される。その時の俊哉がどういう表情だったのかは思い出せない。自分が何と応えたのかも。テレビに夢中だった自分を、明美は悔いた。

「ごめんね、俊哉……」

 そう言って突然泣き出した明美の肩に、俊哉は優しく両手を置いた。

「いいよ。ちょっと覚悟はしてた。今は仕事に集中したいんだろ?」

 うなだれる俊哉に、明美は顔を上げて何度も首を横に振った。

「違うの。バカな私で本当にごめん! いや、あの……。テレビ観てたから……。私の部屋の鍵、突き返されたのかと……」

 俊哉にはその言葉と明美の表情で、全てが理解できた。

「そんなところまでカワイイって思っちまうから、もう末期だよな、俺。……明美、俺の嫁さんになっとけ。多分楽しいから。俺が」

 今度は明美の頭が何度も上下に動いた。

 その動きも次第にゆっくりとなり、再び俊哉を見つめた明美の目に、また涙が溜まり始めた。

「俊哉……。本当にごめん」

「今度は何?」

 相変わらず優しく微笑む俊哉に、明美は申し訳なさと、自分の間抜けを超えた愚かさに、思わず視線を逸らした。

「鍵……落としちゃった」


 シャッターの閉じた駅の前。ふたりを待つ裸の鍵は、アスファルトの上で、何度もヘッドライトを反射して小さく輝いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スペアキー 西野ゆう @ukizm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ