踏み出せない三角

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短編

虹春こはる、王子と同じクラスになったんでしょ? いいなぁ」


 高校二年生の授業初日の朝、登校中の並木道、りみちゃんが私に言ってきた。


「でも、りみちゃんは秋野くんと同じ演劇部じゃん」


「いや、うちの演劇部、部員30人もいるからさ、なかなか王子と二人きりにはなれないんだよ」


「そうなの?」


「うん。それに、女子の先輩達も王子を狙ってるからさ、あたしの片想いは前途多難なのよ」


 りみちゃんは、同じ演劇部の秋野くんのことを王子と呼ぶ。


 秋野くんは王子と呼ばれるにふさわしい眉目秀麗びもくしゅうれいなイケメンだ。


 りみちゃんは一年前の高校一年生の時から、私に秋野くんへの恋心を打ち明けていた。


 私とりみちゃんは小中高と同じで、親友だ。


 私はりみちゃんの片思いをそっと見守っているつもりだった。


 私が秋野くんに恋するまでは。



 高校二年生になった授業初日、学級委員を決めることになった。


 立候補したのはたまたま私と秋野くんの二人だけで、二人で学級委員を任されることになった。


 まさか、秋野くんと学級委員をやることになるとは思わなかった。


 翌朝、そのことをりみちゃんに言ったら、また羨ましがってた。


 数日後の放課後、生徒の宿題を集めるよう教師から指示をうけた私と秋野くんは、放課後、教室に残って宿題を集める。


 教室には二人きり。その時、秋野くんが私に話しかけてきた。


「ねぇ、立花さん。中学のとき不登校だったって本当?」


 突然の質問に一瞬、私は面食らう。


「え、誰から聞いたの? 秋野くん」


「同じ演劇部の、りみから」


「あぁ、りみちゃんか。うん、私、中学三年生のときは、不登校、だった、よ」


 私はたどたどしく答えた。


「今回、学級委員なんてやって大丈夫なの?」


「うん、秋野くんには迷惑かけないようにする。迷惑かけたらごめんね」


「いや、そんな風には思ってないよ。ごめん、立ち入ったこと聞いて。でも何で学級委員に立候補したのかな? て思って」


「──から」


「え?」


「自分を変えたかったから。新しいことに挑戦しようと思ったから」


 私は恥ずかしくてうつむいていた。本当は不登校だったことはクラスの人に知られたくなかった。


「すごいね」


「え?」


「自分を変えたくて一歩踏み出すなんてさぁ、なかなか出来ることじゃないよ。オレ、尊敬しちゃうな」


「あ、ありがとう」


「応援するよ。でも無理しないでね。何かあったらオレを頼ってくれ」


 秋野くんは笑顔で言った。


 私はその笑顔が眩しくてドキッとした。


 もしかしたらこの時から私の恋は始まっていたのかもしれない。



***



 それから、私と秋野くんは何度も放課後に二人きりになることがあった。


 秋野くんは演劇部で脚本担当だという。話題は自然とお互いの好きな本に移っていった。


「立花さん、本読んだりする? オレ、脚本書いてるから他人が読む本に興味あるんだ」


「私、ラノベなら読んでる」


「オレも結構、ラノベ読むよ。好きなタイトルは?」


「知ってるかなぁ。『奇跡の航跡』」


「マジ? それ、オレの読んできた本の中の最高傑作!」


「嘘! 私もそう思ってた」


「まさか、『奇跡の航跡』好きがクラスにいるなんてな! 飛行機と恋愛が絡む話で、素晴らしいプロットなんだよな」


「うん、主人公がヒロインにプロポーズするシーンがすごく泣けた!」


「オレも泣いたよ」


「え、男の子でも泣くんだ?」


「当たり前だろ? 良いシーンすぎて何回も読み直したよ。オレ、あの作者の作品が好きでさ、あの作家の作品全部持ってるよ」


「すごい! でも私は『奇跡の航跡』しか読んだことなくて……」


「他の作品、貸してあげようか?」


「え、でも汚しちゃったら悪いし」


「ははは、オレ何回も読んでるから既に汚れてるし気にしなくていいよ」


「そ、そうなんだ。じゃあ、借りようかな……」


「うん、読んで感想聞かせてくれよ」


 秋野くんはいつも通り素敵に微笑んだ。


 それ以来、二人の間では本のやり取りがされ、話題に事欠かなくなった。



 私が恋に落ちる明確ななきっかけがあったわけではなかったと思う。


 ただ、私は秋野くんと好きな小説の話を重ねるうちに、秋野くんの仕草や笑顔にドキドキするのを感じていた。


 そして、秋野くんは学級委員でいつも私をサポートしてくれる。私を助けてくれるとき、いつもキュンと私の胸は締め付けられた。


 学校からの一人の帰り道、私はふとつぶやく。


「好きだなぁ、秋野くん」


 って口に出してはっとした。初めて自分の想いを自覚した。


 ──私、秋野くんのことが好きなんだ!?


 ──まずい! りみちゃんも秋野くんのこと好きなのに!


 ──ダメ! 私の恋、止まって! 親友と同じ人を好きになんかなっちゃダメなの!


 私は頭の中でもがいたが、四六時中、秋野くんのことが頭から離れなかった。


 私は誰にも言えない恋をしてしまった。



 私はそれ以来、秋野くんから本を借りるのをやめた。秋野くんとの会話も避けるようになっていった。


 ──私は身を引かなくちゃ。


 でも秋野くんは戸惑っているようだった。


「立花さん、なんかオレを避けてるよね?」


「え? そんなことないけど……」


「何でもう本借りてくれないの?」


「あ、秋野くんは、女子から好かれてるし、他の女子から嫉妬されちゃうかもしれないから……」


「りみとか?」


「え?」


「二人が親友なの知ってるし、りみがオレのこと好きなのも気づいてるんだ」


「そ、そうなのかな……?」


 私はりみちゃんの気持ちがバレないように、何も知らないフリをした。


「でも、オレ、他に気になってる子いるから」


「え、そ、そうなんだ……」


「だから立花さんは気にしなくていいよ」


 ──これって、私もりみちゃんも失恋しちゃったってこと……?


「あ、うん。でもじゃあ、その子に悪いから、あまり秋野くんと親しくしないでおくね」


「そ、そうじゃないんだけど」


「え?」


「……あのさ、立花さんっていつも学級委員頑張ってるよね」


「う、うん」


「慣れない仕事に一生懸命な姿が素敵だって思うよ」


「え? どうしたの? 急に」


「い、いや、何でもない。とにかく、今まで通り、普通に接してくれるとありがたい」


「うん。出来るだけ普段通りにするよ」


 その日の帰り道、私の足取りは重かった。


 告白してもいないのに失恋した自分と、りみちゃんを思ったら涙が出てきた。



***



 イチョウが色づく二学期。文化祭まであと二週間。


 文化祭は、クラスでお化け屋敷をやることに決まっていた。私は学級委員として大忙しの日々だった。


 中学三年生に不登校だった私にとって、文化祭の準備を順調に進めるのは至難の業だ。


 おまけに、いつも頼りにしていた秋野くんは演劇部の芝居の準備で、あまり学級委員として顔を出せなくなっていた。


 私は一人で、スケジュール管理や物品管理をし、てんてこまいな日々が続いた。


 夜遅くまで残って、ダンボールの装飾を手伝う。


 昼休みも利用して暗幕の準備を手伝う。


 授業も休めないし、宿題もある。


 私は激務で次第にやつれていった。


 ある日の放課後、私は教室で倒れた。きっと過労と寝不足からくる貧血だ。


 私はすぐさま、保健室に連れて行かれた。



 保健室のベッドで目を覚ますと、保健室の先生が優しく介抱してくれた。


「頑張りすぎね。文化祭の季節になると毎年何人かは運び込まれるから、気をつけないと」


「はい、すいません……。学級委員になって初めての文化祭だったんで、気負いすぎました」


 すると、バタバタと廊下を走る音がして、保健室のドアが勢いよく開かれた。


「立花さん!」


 入ってきたのは秋野くんだった。


「こら! 廊下は走らない」


 保健室の先生は秋野くんを叱った。


「すいません。先生、ちょっと立花さんと話してもいいですか?」


「5分くらいならいいわよ」


「ありがとうございます」


 そう言うと秋野くんは私のベッドに向き合って立った。


「立花さん、大丈夫か?」


「うん、少し休んだからもう大丈夫」


「ごめん。オレが演劇部にかかりっきりになってたばっかりに」


「そんな、秋野くんのせいじゃないよ。私の自己管理不足」


「──そういうとこなんだよな」


「え?」


「オレ、ずっと学級委員を頑張ってる立花さんを見てきた」


「はぁ」


「不慣れなのに頑張ってるんだな、って思ったらいつしか、立花さんのことが頭から離れなくなって」


「え?」


「オレ、頑張ってる立花さんが好きだ」


「え、え?」


「オレ、気になってる子いるって言ってたよね?」


「うん」


「あれ、立花さんのことだから」


「え、えー!?」


 ──それってこ、告白? いきなり?


「答えなくていいんだけど、立花さん、オレのこと好きじゃない?」


「そ、それは……」


 ──私の想い、気づかれてたの!?


「オレは立花さんのことが好き。でも告白はできない」


「は……?」


「だって立花さんと、りみって親友だろ? オレが立花さんに告白したら、二人の仲をいてしまうから」


「う、うん、そうだね」


「告白は出来ないけど、文化祭の芝居を見て欲しい」


「え?」


「今回の芝居の脚本、オレが作ったから。オレの立花さんへの想いを乗せたから」


「ちょ、ちょっと頭が追いつかない……」


「当日、芝居見てくれたらわかるから。じゃ」


 そう言って秋野くんは保健室を去っていった。



***



 文化祭当日が来た。


 一日目、私のクラスのお化け屋敷は盛況だった。父兄やカップルが来てくれて、怖がったり驚いたりして、楽しんでくれたみたいだった。

 

 そして放課後、クラスのみんなで今までの苦労をねぎらいあった。私も頑張った甲斐があって嬉しかった。


 二日目は体育館を使った出し物がメインだ。


 声楽部の合唱、吹奏楽部の演奏、軽音部のライブ、そして演劇部の芝居。


 演劇部の発表のとき、私は観客席のフロアに置かれたパイプ椅子に座っていた。


 舞台の幕が上がる。


 舞台には何人かの役者が出てきた。一人はりみちゃんだ。


 時代設定は大正時代か昭和初期のようで役者は皆、詰襟つめえりの学生服やはかまを着ている。


 登場人物のアヤメ、優子、山下は、通う高等学校は違えど、近所に住む幼馴染という設定だ。


 アヤメと優子が夕日を見ながら二人きりで話す。


「アヤメ、私、山下さんのことが好き」


 女学生、優子役のりみちゃんが言う。


「私、優子の恋を応援するわ、親友だもの」


 同じく女学生、アヤメ役の女子生徒が答えた。


 でもその後の展開で、アヤメは密かに山下のことを好きになってしまう。


 そして山下も、アヤメと会う回数を重ねるうちに次第にアヤメを好きになっていく。


 ──これって。同じだ。私とりみちゃん、秋野くんとの関係と。


 舞台には山下とアヤメが二人きりの場面になった。


「自分、アヤメさんが好きです」


 山下役が告白すると、アヤメ役が応える。


「私も山下さんのことをおしたいしています。でも優子も貴方のことが好きなんです。私、優子と親友だから山下さんと一緒になることはできません」


「自分は、君を優子から奪ってしまいたい」


「嬉しい、けど、駄目です。どうか優子を選んであげて下さい」


「"瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢はむとぞ思ふ"」


「え?」


「国語科で習った和歌が頭に浮かんだ」


「それは?」


「"川の瀬の流れが早くて岩にせき止められた流れが分かれたのちにまた一緒になるように、今はあなたと別れても再びあなたと逢いたい"。自分は今はどちらも選ばない。けれど、いつか貴女と一緒になりたいです」


「山下さん……」


 そこで幕は降りた。


 切ない三角関係の芝居だった。最後は誰も結ばれなかった。



 土日の文化祭も無事終わって、振り替え休日をはさんだ火曜日、朝、私はりみちゃんとまた学校への並木道を歩く。


「ねぇ、文化祭の芝居どうだった?」


 りみちゃんが私に聞く。


「うん、すごく良かったよ。切ないラストだったね」


「うん。王子の脚本、良かったよね。でも、あたしだったら、親友に想いを隠さず、男女二人で幸せになって欲しいと思うな」


 ──りみちゃん……。


 ──言った方がいいの? 私も秋野くんを好きって。


 ──そして秋野くんも私のことを好きでいてくれるって。


 ──私は。


 ──私は。


 ──やっぱり、りみちゃんには言えないよ。


 並木道ではイチョウがすっかり黄色に染まっている。


 冬がすぐそこまで来ていた。

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