第一話

 カツカツとチョークで黒板をなぞる音がする。

 日に日に秋が深まっていく十月上旬。私――橿原 梓幸は何の変哲もない学校生活を、ひっそりと過ごしていた。

 教室を見渡せば、真面目にノートを取っている人。頬杖をついて寝ている人。こっそりとスマホを隠しながら弄っている人など、多種多様に授業を受けているクラスメイトがいた。

 そんな教室の片隅で、私はペンを握りノートに字を走らせる。

 授業を頭に入れて、少しでも家で勉強しなくて済むように。



「はい、今日はここまで」

 先生の締めの言葉と同時に、キーンコーンカーンコーンと間抜けたチャイムの音が鳴った。

 その瞬間、待ってましたと言わんばかりにあれほど授業中静かだった教室が、一瞬にして活気で満ち溢れた。

「ねね。今日みんなで遊びに行かない?」

「え、いいよ。でもどこに遊びに行くの?」

「んー、カラオケとか?」

「いいんじゃない。みんなはどう思う?」

 私の隣の席では、クラスのリーダー格と呼べる女子二人が中心となって、何人かで遊ぶ約束をし始めた。

 そのリーダー格の女子の一人は実は私の幼なじみで、昔はよく遊んでいたけれど今は少し疎遠になっている。

 私はそんな女子たちを横目で見ながら、眠いし、一眠りしようかなと考えていたそのとき、ある人から話しかけられた。

「ねえ、橿原さんも遊びに行かない……?」

 酒井さかい 陽葵ひまり――先ほど話していたリーダー格の女子の一人で、私の幼なじみの人だ。

 私はまさか話しかけられるとは思っていなかったので、慌てて返事を返す。

「え、いいよ別に私を無理に誘わなくても。それに私、早く家に帰らないといけないから遊びに行けないし……」

 私は愛想笑いを浮かべて、手を横に振る。

 本当は久しぶりに遊びに誘われて、嬉しい、遊びに行きたいと思った。でも、私にはそれができない。

 なぜなら、私はお母さんの代わりに家事をしなければならないから。

「……そっか、そうだよね。いきなり話しかけてごめん。今のはなかったことにしていいよ」

 酒井さんはそう言うと、どこかぎこちない笑みを浮かべて、私の元から去っていった。

 私の周りでは、相変わらず楽しそうにクラスメイトたちが会話に花を咲かせている。

 その中で私はポツンと机の足元に落ちている消しゴムみたいに、どこかに取り残された気分になった。



 それから私は四時間目、五時間目、六時間目と授業を終え、帰りのHRを迎えていた。

「今日の掃除班は一班、二班だ。くれぐれも掃除をサボらないように」

 先生のその言葉に、一班と二班の生徒は顔を曇らせた。どうやら掃除があることに不服らしい。

 ちなみに私は二班なので掃除があるようだ。

 本当は早く帰ってスーパーに行きたいけれど、無理みたいだ。

「気をつけ、礼。さようなら」

 先生の話も終わり、クラス全体が口を揃えて帰りの挨拶をする。

 私もそれに合わせて、小さく「さようなら」と言った。

 私は帰りの挨拶を済ませた後、なんの仕事をするのか確認するため、掃除ロッカーに貼ってある表を見に行った。

 一班はほうきとちりとり。二班は――机運びだ。

 机運びはほうきとちりとりが終わるまで仕事がないので、邪魔にならない教室の端っこで、私はボーと突っ立っていた。

 班の他のメンバーは友達と雑談していて、とても楽しそうだ。私とは大違い。

 どうせなら、ほうきとちりとりがよかった。だって、ずっと掃除が終わるまで働いていられるから。

 そんな事を考えながら、待っては机を運ぶ動作をただただロボットのように掃除の時間、私は繰り返すのだった。

「はい。じゃあこれで掃除終わり」

 それぞれの掃除班のリーダーが掃除の終わりを宣言すると、班の男子たちは「やっと終わったあ!」と言って勢いよく教室の外を出ていった。

 そんな男子を見て、小学生みたいだなあと思いながらも、男子に紛れて私は同じように勢いよく教室を出た。

 ここで勘違いしないで欲しい。私はあの男子共と同じようにやっと帰れると思って教室を出たのではなく、スーパーに行く時間の遅れを取り戻すために勢いよく出たのだ。お願いだから、あそこら辺の男子と一緒にしないで。

 そんな風に私は学校を出たあと、途中にある坂を下り、全力ダッシュで駅に向かった。

 運良く乗りたい電車が来ていて、空いている席に私は座り混む。

 座ったのと同時に、スマホをサッと取り出し、慣れた手つきであるものを調べ始めた。

 今から行くスーパーの特売情報だ。スーパーに行くときは必ずこれを調べると決めている。

「えーと、今日安いのは玉子。十個入りで一パック百三十円!!えっ、絶対買お」

 スマホを穴があくほど凝視する私。

 それはまるで、虎視眈々と獲物を狙う獰猛な動物のようだった。

『次は○○駅~』

 私の降りる駅が呼ばれた途端、私は勢いよくスマホから目を離し、顔を上げた。その間0.01秒。

 私はスマホをバックの中に仕舞い、気を引き締め始める。

 そのときの私はきっと、これから戦場へと向かう人のような面持ちをしていたことだろう。

 実際スーパーは私にとって戦場のようなものだ。

『○○駅、○○駅~』

 殺伐とした雰囲気には似合わない腑抜けた駅のアナウンスが鳴る。出陣の合図だ。

 私は椅子から立つと、ドアへと向かい、呼吸を整え、構える。今の私はオリンピックの陸上選手。誰にも負けない気がした。

「ガチャン」

 私はホームのドアが開いた瞬間、スーパーへと駆け出した。

 全てはスーパーで欲しい食材を安く手に入れるために!



「はあ、いっぱい買っちゃったな」

 私はスーパーの特売商品争奪戦という戦いを終え、両手を食材がドッサリと入った買い物袋で塞がれながら、閑静な住宅街をゆっくりと歩いていた。

 火のように真っ赤な薄い雲の層が混じった夕焼け。

 中身のない、空っぽみたいな音を鳴らす少し肌寒い秋風。

 点滅する白光の街灯。

 そんな風景をぼんやりと見回していたら、学校帰りであろう中学生たちが向かいから歩いてきた。

「でね、――てことがあって、めっちゃおもろかった」

「マジか。うちも見たかったなあ」

 他愛のない雑談で楽しそうに盛り上がっていた。

 懐かしいな……。

 そんな中学生たちを見ていたら、中学生のときの楽しい記憶がコマ送りのようになって流れてきた。

 体育祭、文化祭、修学旅行。

 思い出せば思い出すほど記憶に呑まれそうになり、私は首を横に振って記憶を振り払う。

 思い出したって切なくなるだけだ。もう昔には戻れないんだから。

 私はなるべく中学生たちを見ないように、横を通り過ぎる。時刻は午後六時を迎えようとしていた。

「早く帰ろ」

 あまりにも真っ赤な夕焼けの空に、何となく不気味とも言い難い変な感じがして、私は歩くスピードを速くする。

 早く家に帰って、夕食を作らないと……。そう思いながら。

 


「こんにちは、そこのお嬢さん。少しお話ししていかない?」


 逢魔が時。人と魔が交わる時間帯。

 桜柄の着物を羽織った八歳くらいの美しい少女が、私の目の前に現れた。











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稲荷さまの幸福定義 鳥栖 瑠璃 @ranunculus1125

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