五つ目 海
彼が幼い頃に訪れて、以来寄ろうともしなかった場所。
泳げない彼にとって恐怖でしかなく、友人と騒いでいる時であっても、さらわれやしないかといつもバレないように波の様子をうかがっていた。
月光だけが辺りを照らし、さあさあと、よせてはかえす音がする。
その隙間に、高い異音が挟まった。
キンキンと耳障りな幼子の声に、ふさいでしまいたい衝動を抑えていると、彼はふらりと引き寄せられた。
まるで波のように自然に寄る様子に一瞬判断が遅れ、全てを諦めて喜びに頬を染めた。
彼はじっと静かに、水面に浮かぶ自分の顔を見つめる。
いつの間にやら海は凪いでいて、一切波がなかった。
穏やかな時間が流れていき、私は黙ったまま彼に寄り添った。
彼がずっと見ていたのは、幼子だった。
ようやく揺らいだ水面に浮かんだのは、幼い頃の私。
彼の顔が明るく染まり、嬉しくなった。
「行こうか」
言うと、彼はようやく横を向き、私の目をしっかりと見つめてくれた。
「ああ」
祝福された新郎のように、鮮やかな表情を浮かべた彼と共に、私は一歩足を踏み出した。
彼にとっては苦しいものになりませんように、という願いを、胸いっぱいに唱えながら。
ここにいるよ 碧海雨優(あおみふらう) @flowweak
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