*18* 激流
つい先日〝
頭をやられたものの、後遺症などがなかったことが、不幸中の幸いか。
お見舞いにきて早々ひと悶着あり、床にひたいをこすりつける莇をなんとか説得できたはいいものの。
(困ったわ……)
ベッド横の椅子に腰かけた
寝ていなくてはいけないのに、莇がベッド上で正座の姿勢をくずさないためだ。
病人だという自覚がないのだろうか。これでは、治るものも治らない。
(……そうだわ!)
正面で向かい合っているから、緊張してしまうのだ。
名案を思いついた鼓御前は、すぐさま椅子から腰をあげ、実行にうつす。
「莇さん、そちらへお邪魔してもいいですか?」
「こちらに……えっ?」
「よっと。わぁ、ふかふかですねぇ!」
莇がなにを言われたのか理解しないうちに、そのとなりへ腰をおろす。
「今日はお天気もいいですし、このままお昼寝できそうです……ふわぁ」
「おっ……
「うふふ、冗談です」
「……え?」
くすくすと、鼓御前が肩をふるわせている。
莇はいよいよもって、わけがわからなくなった。
「眉間のしわ、とれましたね」
とんっと、白魚のごとき指先がふれ、一瞬、呼吸の仕方を忘れる。
「わたしもりらっくす? してるんですから、莇さんも、楽になさってくださいな」
かざりけのないその言葉に、肩の力が、胸のこわばりが、見る間にほどかれゆく。
「……かないませんね」
莇はひとつ息を吐くと、両足をくずし、ベッドから投げ出した。
その視線は、すこし伏せがちだったろうか。
「……御刀さまに、謝罪を申し上げねばなりませぬ」
「わたしに? どうしてですか?」
「〝慰〟を滅するお役目をまっとうしないばかりか、御刀さまのお手をわずらわせるなど……
「そんな。迷惑をかけられただなんて、わたしは思っていませんよ。ですから、お顔を上げてください」
莇は答えない。ただ、かぶりをふるのみだ。
哀愁をおびた横顔を前にして、鼓御前は、莇が『なにか大きなもの』を背負っていることに気づく。
「莇さん、入学試験で、莇さんがいちばんだったのでしょう? もっと誇ってもいいことだと思いますよ」
「……いちばんになっても、欲しいものが手に入らなければ、意味がない」
「欲しいもの……?」
莇をはげますつもりでかけた言葉が、余計に莇の表情へ影を落としてしまう。
「えっと……その欲しいものというのはなにか、お訊きしても? それを手に入れるのに、わたしもお手伝いできますか?」
「っ……あなたが、それをおっしゃるのですか」
そこまで言って、はっとしたように莇が口をつぐむ。それから、ふるえる息を吐き出しながら、つぶやくのだ。
「……申し訳ありません。お教えできません。それを伝えたら、わたくしはきっと、御刀さまを困らせてしまいます」
すべての感情を押し殺したような、抑揚に乏しい声だった。
「取るに足りぬ人間のたわごとなど、お忘れください。何卒……ご容赦ください」
そういってこちらへ向き直り、両手をつこうとするので、さすがの鼓御前もたまらなくなった。
「なりません」
はたと、莇は目を見ひらいた。
深々と頭を垂れるよりさきに、ほほをつつみ込むものがあったからだ。
「莇さん、思ってもいないことをおっしゃっては、なりません」
「どう、して……」
「とてもさびしそうな顔をしているように見えるからです」
「っ……!」
思わずふりあおげば、どこまでも澄んだ紫水晶の瞳に見つめられていて、莇はきゅっと、呼吸が苦しくなる。
「莇さんの瞳は、とてもきれいですね。まるで黒曜石のよう。きれいで……月のない夜のように、どこかさびしそう。わたしったら、そのことにいまごろ気づいたんです」
するりとほほをなでた細い指先が、目じりに添えられ、にじんだ視界がクリアになる。
そこでようやく、莇は泣いていたことを自覚した。
これは、いけない。
曲がりなりにも神職者が、神の御前でなんたる醜態を。
泣くな、泣くな泣くな泣くな──
「莇さん。さびしかったら、泣いてください」
「──ッ!!」
やっとの思いでたもっていた最後の砦さえも、たったひと言でたやすく決壊してしまう。
「……ぅう、ああ……!」
堪えなくてはいけないのに、意味のない母音しかつむげない。
あふれた
「ごめ、なさ……っ!」
「いいのです。だいじょうぶですからね、莇さん」
嗚咽にふるえる背へ両腕をまわし、莇を抱きしめる鼓御前。
だいじょうぶ、だいじょうぶ……と声をかけ続ければ、少年の体重がなだれ込む。
「ずっと、ずっと、がんばって、きたんです……っ!」
莇もまた、鼓御前をきつくきつく抱きしめていた。幼子のようにしがみつき、しゃくり上げていた。
「いちばんに、なれたら……そしたら、またあえるって、ずっとそばにいられるって、だから、ずっと、ずっと、がんばって、きたのに……ど、して……なんで、あいつ、なの……っ!」
「……莇さん?」
「なんで、おれじゃないの……なんで、あいつをえらんだのっ……いやだ、おれが、いい……そこに、いるのは、おれがいい……! おれをえらんで、おれをみて! つづみごぜんさまぁっ……!」
「莇さ……いっ……!」
尋常でない力で抱きすくめられ、骨がきしむ。
落ち着かせようにも、取り乱した莇に鼓御前の呼びかけは届かない。
おのれの言葉のなにがここまで莇を錯乱させたのか、鼓御前は理解できない。
(あたまが、クラクラ、する……もう、だ、め……)
荒波にもまれているかのような感覚。
さらに、息もできないほどの熱気にあてられ、鼓御前の意識が、白く遠のいてゆく。
「──だれの許可を得て
突然の解放感にみまわれたのは、完全に意識を手放す、一歩手前だった。
御刀さまと花婿たち はーこ @haco0630
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