第10話 ただ失う事のない毎日が


「コイツ、俺の記憶いじってハルキの事忘れさせてやがった」

「待て、違う! 聞け! 最初から戻すつもりで、俺はただ──」

「なら最初から消す必要なかっただろうが」

「最低男! クズ野郎! 俺とカイトの仲を引き裂こうとするなんてッ! チンコもげろ!」

「ハッ、ハルキ……」

「〜〜ッ!」


 魔族の男は、カイトの命により相変わらず床に正座をさせられていた。激怒しているハルキによって酷く煽られるものの、カイトに怒られるのは目に見えている為か、真っ赤になり震えながらも何とか堪え忍んでいるらしかった。

 何やら魔族の男とカイトとの間には色々とあった様子で、周囲の者達は戦々恐々としながら、しかし時折神子によって挟まれる暴言にプルプルと身体を震わせながらその場で俯いていた。

 アウジリオ達、近衛騎士陣も同様だ。こんなの、どうして良いかなんて判断ができるはずもない。ただ黙って、彼等の痴話喧嘩を眺める事しか出来なかった。


「ねぇカイト、何でコイツまだここにいるの、帰らせようよ」

「ああ? それ俺に言うなよ……言っても聞かないし」

「大丈夫、カイトが『帰らないと絶交!』とか言えば絶対帰るから」

「!──ッ!?」

「いや、まぁ……、ジェルヴァジオ、真面目な話、お前領主だろ? 領地はどうなってる? 戻らなくて良いのか?」


 ふとカイトは、多少なりとも反省しているらしい男に向かって声を掛けた。途端、パァッと明るくなる男の表情に、周囲は何とも言えない表情を浮かべた。

 凶暴だと言われるような魔族が、ここまで従順になるなどと、誰が想像できただろうか。


「それは心配無用だ! あのバルドヴィーノに押し付けてきた」

「仕事しろ領主。バルドヴィーノって、あれだろ……お前のとこの覗き見野郎」

「ン"ン"ッ、……そうだ、偵察に関してなら、奴に行けない場所などない。俺に貸しがあるから遠慮なく使っている」

「なら、もう気は済んだだろ、戻ったらどうだ」

「気が済む訳ないだろう。俺ら魔族は一度捕まえたものは二度と手放さない。お前が戻りたいと言ったから、俺がそれを呑んでやっただけ──」

「誘拐犯が何カッコ付けてんのさ! ショタコン! お前なんかジェル○ールで十分だ! 渓谷のジェ○ボール! 投げ込まれて溶けて泡になっちゃえ!」


 ハルキの煽りに途端、ぐふっとカイトから噴き出すような声が漏れた。しかし、他の者達にそのネタは通じない。

 カイトはその陰で、笑いを噛み殺しながらもショタコンはやめろ、とぼそりと呟いた。

 対してジェルヴァジオは、困惑しながらも罵倒されたらしい事だけは判ったようだ。キッと目を怒らせながら、ハルキを睨み付けた。

 そしてハルキは、それを最大限に利用して、更なる煽りを加えるのである。


「ねぇカイトぉ、あのマゾ恐ぁ〜い、睨み付けてくるっ」


 笑いを噛み殺しているのだろう、顔をヒクヒクと引き攣らせているカイトに、ハルキは縋るように身体を密着させる。目を潤ませて見上げ、か弱いフリをするのも忘れなかった。ジェルヴァジオに対する明らかな嫌がらせである。

 カイトは笑いを堪え切れずに漏らしながらも、不機嫌なハルキを宥めた。


「んんッ、……ハルキ、コイツも、これで一応譲歩してんだから、あんまりそうやって揶揄うのは──」

「ヤダ! 俺のカイトを傷モノにして! カイトは俺に『一生護る』って約束してくれたんだから、カイトは俺のなの! あんな知能もない凶暴な魔族なんてお呼びでないの!」

「ハルキ──、お前、」


 その言葉を聞いた途端、カイトは可笑しさも忘れ、その場で息を呑んだ。

 『────生涯お護りする事を誓います────』そんなかつての自分の言葉が頭の中でこだまする。


「全部見たよ。カイトが昔カイル=リリエンソールだった事も、そこの魔族と戦ってた事も。────昔の俺の我儘のせいで、俺を逃がしたカイルが殺されたのも全部、知ってる」

「!」

「だから、今度は俺もカイトを護るの。絶対に後悔したくない」

「***様……」


 名前を呼んだその瞬間、カイトは身体中が歓喜に沸き立つのを感じた。

 目の前に、あれ程大切にしていた人物が存在している。生きて自分の目の前に立っている。昔の約束を覚えていてくれた。それだけで、涙が溢れそうな程に嬉しい。

 今の自分がカイトである事も、この場がどこであるかも忘れ、カイトはハルキを、ただジッと愛おしそうに見つめたのだった。

 だが、そんな二人だけの世界が気に食わない者が当然、この場には居た。


「近い! 寄るな!」

「!」

「はっ!?」


 ジェルヴァジオだ。男は、二人の間に腕をぐいと差し入れたかと思うと、カイトを片手に抱き入れながら、ハルキと引き離したのだ。

 余りに突然の事に抵抗も出来なかったカイトは、そのままジェルヴァジオの胸元に抱き込まれている。

 先程までの感動はあっという間に吹き飛んでしまって、羞恥心の為か、少しばかり気恥ずかしく居心地が悪かった。

 そして、そんなカイトの様子を見てしまったハルキは、たちまち目を吊り上げながら声を張り上げた。


「わー! カイトが変態に穢される!」

「喧しいわ! 大人しく聞いていればつけ上がりやがって、コレはもう俺のだと言ったろう、気安く触れるなッ」

「そっくりそのままお返ししますぅ! 離れろ! 穀潰しッ」

「ご、ごくッ──!?」

「俺知ってんだかんね! アンタがこの百年でどれくらい領地の資金溶かしたかッ、損切りも出来ないヘタレが!」

「──ッ!?」


 声にならない叫びを上げながら、ジェルヴァジオは二の句も告げられずにハルキをカッと見た。これぞ、世界に名を轟かす“神子”の力なのである。彼には全てがお見通しなのである。

 そんな二人の間に挟まれジェルヴァジオに抱き込まれつつ、カイトはその口論、と言うよりかは単なる口喧嘩を、何とか宥めようと努力した。

 だがそれも、周囲が見えない程に過熱してしまった二人には、中々届く事がなかった。

 そんな神子対魔族の壮絶な言い争いが更にヒートアップする中。ついに、それが中断されるその時がやってきた。


「あの、お取り込み中のところ大変申し訳ないのですが……」

「ああッ!?」

「なに!」


 チンピラのような二人の声が重なる中で。そのような中にあっても、片手を上げながら穏やかな声で言ったのは、近衛騎士のセルジョだった。


「その……我々には一体、何が何だか分かりませんので、この件について説明をしていただけると、大変ありがたいのですが……」


 物腰も柔らかく苦笑する彼の微笑みに、ハルキもジェルヴァジオも毒気を抜かれたようだ。

 バツが悪そうに言い争いをピタリと止めると、ジェルヴァジオはゆっくりとカイトを解放した。

 カイトはその場でホッと一息を吐くと、セルジョを見て礼を言う。随分と久しく感じるセルジョとの邂逅に、どこか懐かしさを覚えながら、カイトはいつものように穏やかに言った。


「助かった、セルジョ」

「ッ、いえ……この場の皆が思っていたいた事でしょうし、貴方もお困りのご様子でしたので」

「ん」


 カイルだった頃の話し方に時折混じるカイトの相槌。それが、この場の何人を悶えさせるかも知らず、カイトは淡々と続けた。


「何から話すか……あ? 何だハルキ、そんな顰めっ面して」

「くっ、不意打ちの威力」

「は?」

「いや、こっちの話。とりあえずは、カイトがカイル=リリエンソールだった、って話からじゃない? そこのジェルボ○ルとやらかしてた時の事とか一応、言っといた方がいいんじゃないかな」

「笑うから忘れた頃のジ○ルボール呼びは止めろ」

「あい。……じゃあそこのマゾ」

「“く”まで付けろよこの馬鹿っ」

「……分かったよ、ちゃんと普通に呼ぶ、もう言わない」

「おう」


 相変わらず息の合った会話を挟みながら、カイトはセルジョ達へ事のあらましを話して聞かせた。

 おおむねアウジリオ達の推測した通り。二人の近衛騎士が、何かを言いたそうに目を合わせるなどしてはいたが、カイトの話やセルジョの問いかけに、横槍を入れるような輩は現れなかった。

 その場に集った者達全員が、信じられないとばかりに話に聞き入るのだった。


「────で、だ。コイツにここまで連れて来させて今に至る。すぐに領地に帰れと言うのに聞きやしない」

「かつてお前を殺した国に帰ると聞いて、大人しくしてなぞいられるか。二度と同じ過ちは繰り返さん」

「…………だ、そうだ」


 少しばかり気恥ずかしそうに頬を染めたカイトを見て、ハルキとセルジョが同じような納得のいかない顔をしている。

 そして、そんな二人を見たアウジリオとエルネスがまた、何かもの言いたげな表情で互いに顔を見合わせていたりなどした。

 そしてセルジョは、更なる質問をカイトへと浴びせる。


「っでは、魔族がこの城内に入れるのは、一体どのような訳でしょうか。大魔導師殿の結界は魔族の侵入をも拒むはず」

「それは、ここに来る前に大魔導師殿にお会いしたからだ。ジェルヴァジオに術を施し、俺の言う事には一部逆らえないようにした」

「カイト殿は、かのお方をご存知なので……?」

「ああ。カイルの頃に一度、会っている。かの人も、俺の力の事は何故かご存知だった」

「成る、程……」

「その際に次に会う時の約束事を取り付けて、今回のそれに至る。──まぁ、魔族とはいえこの男も俺が傍に居る限りここでは何もできやしない。凶暴なのは変わりないが」

「一言余計だ」

「そこは事実だろうが」

「……違いないが、人間相手とはいえ領主の体面というものがあるだろう」

「何を今更──」


 何とも、旧知の間柄のような仲を見せつけられてしまい、一同は閉口する。

 かつてどんなに殺し合おうがいがみ合っていようが、時が経てば水に流せる。そんな関係を築ける者がどれだけ貴重か。

 多くの者が、カイト──あるいはカイル=リリエンソールを少なからず羨んだ。


「それで、他に聞きたい事は?」

「……はい、では。カイト殿は、これからどうするのですか? また、ハルキ様と共に、こちらにいらっしゃるので?」


 少しだけ期待を込めたような表情で、セルジョはカイトに問うた。


「ああ。俺は今も昔も神子の従者だ。コイツが居るところならどこへでも行く」

「なら、私もまた護衛として──」

「それならば心配はいらない。俺が護衛に付く。お前達ひ弱な人間共には任せてはおけないからな、その為に来たのだ」

「…………封じられてお力が出せない割に、随分と自信がおありですね? いざという時は城内に慣れていた者の方が何かと──」

「俺の術にかかった男に気付けない時点で、貴様は頼りにならない」

「…………」

「…………」

「あーあーあーあー! もうやだなー! 俺、護衛はカイトだけでいいなぁー!」


 笑顔で睨み合うセルジョとジェルヴァジオ、そして再び騒ぎ出すハルキ。随分と散らかっているようにも見えるが、舞台は確実に終焉へと向かっていた。


「ハルキ、それは駄目に決まってる。俺だってもう筋肉ダルマじゃないんだから」

「ええー……、だってカイトの目があれば大抵は事前に何とかなるでしょ。俺と合わせて最つよ」

「駄目だ。今の俺には魔術しかないって、言ったろ。力でこられたら対処しきれない。その点、ジェルヴァジオは俺が傍に居れば便利に動いてくれるし、俺とアイツとでお前の傍にいる」

「ええー……」


 ハルキの不服そうな声と、セルジョの悔しそうな表情、そしてジェルヴァジオの勝ち誇ったような笑み。彼等の三者三様の反応に生暖かい視線が注がれつつ、彼等の騒動は一応の決着を見せる。

 そして、そんな一部始終を見届けた責任者達は、静かに、そして口々に語らうのである。


「殿下」

「ん?」

「おめでとうございます。貴方様の推理力は称賛に値します」

「ほぼお前の推理だろう。それに、ちっとも嬉しくないのだが」

「ええ。──さて、我々は陛下のところへ怒られに参りますか」

「セルジョだ、セルジョを寄越せ。お前が隣に居ると私の精神衛生上良くない」

「はっはっは、今の彼を同伴させてもネガティブが移るだけですよ」

「私も異世界へと逃げ出したい」

「馬鹿も休み休みおっしゃってください。さぁ、参りましょう」


 そうやって、エルネスにズルズルと引き摺られるようにその場を後にしたアウジリオ。可哀想なアウジリオ。


「ま、そういう訳だから──頼むから、喧嘩せずに上手くやってくれ。ハルキも、あんまり文句言うなよ。これでも一応、コイツの好意でやってくれてるんだし……。ジェルヴァジオ、アンタはいい歳してんだから、コイツの言う事にイチイチ反応するなよ。大人気ない。セルジョは、引き続きハルキを頼めると助かる」


 それぞれが大人しく返事を返し、その場は一旦、全てが終わりを迎える。


「はぁい……ねぇ、セルジョ、俺達結構いいコンビだと思うんだ。──手ぇ組まない?アイツぶっ潰すために」

「おや、それは良い考えですね。私に出来る事なら、私もご協力しますよ」

「…………おい、アイツらブッ殺して構わないか?」

「二人に手ぇ出したら痛めつけてお前だけ追い出すからな。二人も、問題は起こすなよ!」

「はぁい!」

「承知しておりますよ」

「笑みがそもそも嘘臭い……」


 そうして彼等は、騒がしくも新たな日常を歩んでいくのである。

 少しばかり違う形にはなってしまったけれども、様々な事を許され解放され、彼等はさほど日本とも変わりない自由を得たのだ。

 ハルキはカイトにとって何よりも大切だった。初めての理解者として、同じ苦しみを味わう者として。

 そしてまた、ジェルヴァジオも同様に。この男とならば、カイトは全部を曝け出す事が出来た。ハルキとはまた違った姿で、同じ視点で、見る事ができる。

 カイトは心から笑えていた。

 カイトが、カイル=リリエンソールが望んだように、少しばかり窮屈で、しかし騒がしく慌ただしい毎日が。


「またやりやがったなクソ餓鬼共ッ!」

「きゃぁ、恐ぁい! カイトカイトー! 今のマゾ野郎の言葉聞いたぁ?」

「おい、セルジョ……アンタもかよ……」

「いえ、私はただハルキ様のご命令通りに────」


 これからもずっと、続いていくのである。



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