第9話 殿下と騎士と三つ巴

 随分と疲弊したような表情で、アウジリオは執務室でうなだれていた。


 城内の警備は勿論、重要人物の警護者達を取りまとめる責任を負った彼は、先日の魔族による宝物庫襲撃と誘拐事件について、王から直々に厳しい叱責を受けた。

 王族としての身分もあって、直接的に罰を受けたり、他の誰かに何かを告げられるような事はなかったが。どこからともなく流れた噂は今や、城中の誰もが知る話だった。

 口に出すのも憚られるようなものから下世話なものまで語られ、アウジリオは城内を歩くだけで、まるで針のむしろに座らされている気分だ。

 荒唐無稽にも関わらず、今まで大きな失敗など犯した事もなかった優秀な彼の大失態とあって、誰もが面白おかしく騒ぎ立てた。

 さらにはこれに乗じ、入城を許可されている者達の中で、代々の神子の信奉者達までもが騒ぎ出したのだ。

 アウジリオがどういった人物かを忘れてしまったのか、神子の為にどうしろだのと口を出す者が後を立たず。彼が直接その対応に追われる現状は、流石に堪えた。

 自分でなくとも、あんな襲撃を防ぐ事なんて誰にも出来やしなかっただろうに。その減らず口を叩けぬように締め上げてやろうか。

 そんな事を考えもしたが、彼の側近からの進言もあり、アウジリオはそれらの一連の苦行に耐え続けていた。


 執務室の自席に座り、ジッと俯いていたアウジリオは不意に呟いた。


「エルネス、セルジョは?」


 最早外面を整える事もできず半目になりながら、アウジリオは近衛騎士の名を呼ぶ。その途端に、静かに彼へと近寄ってきた騎士──エルネスもまた、その顔に疲れを滲ませていた。


「はい、セルジョはかの大臣達の護衛として駆り出されております」

「そうか。──あのような無能共、誘拐どころか殺す価値もないだろうに。死んでくれれば私がその仕事を引き継いでやる」

「本当の事でもそれは口に出してはなりませんね。殿下、少しはお休みになられては?」


 予想通りの状況に、アウジリオは半ば吐き捨てるように言った。それを嗜めるような言葉を吐くエルネスだったが、それを咎める気が全くないのは声音からも明らかだった。

 それに続けて、全く覇気のないやさぐれたようなアウジリオの愚痴が続く。


「ふむ。眠っている間にカイト殿が戻ってくるのであれば、喜んでそうしようか」

「またまた、ご冗談を……」


 そうして酷くぎこちない笑みで互いに笑い合った後で。唐突に真顔に戻ったアウジリオが言った。


「それで、ハルキ様のご様子は?」

「……相変わらず、食も細くお部屋に篭っておられると。セルジョとは何か話されていたようでしたが」

「常に誰かと共に居るように調整しろとは命じたが……本当に、あいつは随分と懐かれているんだな」

「ええ。最近のハルキ様の供はいつも彼です」

「……専属だな。あのセルジョが、気味の悪い程だ」

「そうおっしゃらないでください。殿下が命じられた任務でしょうに。……それはそうと、セルジョはもしや、カイト殿の事を多少特別扱いされていたりとかは……」


 そんなエルネスの言葉に、アウジリオは沈黙した。そんな彼の反応に、エルネスは何かを察したらしい。信じられない、と言いたげな表情で言葉を返した。


「まさか、本当に? あの堅物セルジョが?」

「それは……まぁ、セルジョに直接聞いてやらんと何とも言えないが。確かに、カイト殿が拐われて一番動揺していたのは奴だろうな」

「直前まで共にいたのは彼ですからね。同じ騎士として、その気持ちは良くわかります。ですが、ハルキ様は……? あのお方は一番、彼の事を良く知ると伺っておりましたが」

「それなんだが。あの方はやはり、どこかそうなる事を分かっておられたようなご様子だった」

「……“神子様”の御力はさすがですね。けれど知っていて尚、事件を止められなかったというのは────未だ神子様の御力がまだ完全ではない、という事なのでしょうか」

「恐らくはな。警告は散々されていたし、ご本人も気付いておられた。──だが、我々はあと一歩のところで間に合わなかった」

「ええ。そうですね。神子様もまだこちらへ来て数ヶ月しか経っておりませんから……」

「そこを、狙われたのかもしれんな。“神子”の力が完全ではない内にと……忌々しい」


 そこで一度会話が途切れ、ほんの僅かにその場が静まり返る。


「ところでエルネス」


 不意にそこで、アウジリオが軽い口調で男を呼んだ。先程の真剣な声音とは少しばかり違う。エルネスは気の抜けたような声で返事を返す。


「はい?」

「セルジョはフられると思うか?」


 突如ぶつけられたこの場には似つかわしくない、いささか下世話な質問にエルネスの動きが止まる。


「藪から棒に何です」

「いやな、あれだけ外面が良くて手慣れたセルジョが、ああやって右往左往する姿は見ものだと思うんだが」

「……こんな事思っている上司、私は嫌ですよ」

「冗談だ。本気にするな」

「はっはっはっは、面白いですね、その冗談。顔も家格も良いのに器用貧乏すぎてモテない殿下のひがみにも聞こえましたが」

「……お前の皮肉は毎度容赦がない。心を抉られた。今すぐセルジョを呼んで来い」

「大臣達に小一時間文句を言われて時間を無駄に過ごしても良いのなら連れてきますが?」


 無駄に遠慮のない言葉の応酬に、緊張感が僅かにほぐれる。しかしそんな雰囲気も、次のエルネスの言葉ですぐに終わりを迎えた。


「────そろそろ、現実逃避は終わりにしましょうか」

「そうだな」


 後ろ髪を引かれつつも静かに頷いたアウジリオは、その場で気を引き締めるように姿勢を正した。


「カイル=リリエンソール について、何か分かったか? どういった経緯であのようなものがあそこに封印される運びとなったのか」

「ええ。国の禁書棚の記録に、それらしきものの記載が」


 言いながら、エルネスは懐から手元に小さな手記を取り出すと、アウジリオの要求に応えるように、端的に述べていく。


「内容は?」

「カイル=リリエンソールは神子を“連れ去った”大罪人、と」

「“連れ去った”か……その時に男は死んだのか? 身体の一部が武器として保管なぞされていた理由は何だ?」

「この国に都合の良い部分のみを選んだような描かれ方ではありますが……記述には、『あと少しの所で間に合わず、神子様を異空間へ放り投げた所で男を捕獲した』と。『その目に不可思議な力が宿っている事を目視で確認、その場で問いただしていたが、負った傷の深さから助からずにその場で死亡』と」

「……それでなぜ、その目を抉り出す事になったのかは?」

「────『その目は死後もしばらく七色に輝き続け、近年稀に見る特異な性質が見られた。この国の発展の為、研究の貴重なサンプルとして保管、他者に移植──』」

「もういい、エルネス。分かった。……その先は聞かずともわかる」


 聞くに耐えかねたのか、アウジリオはエルネスの言葉を遮り手を上げて静止させる。だがエルネスはそれでも尚、言葉を続けた。


「ええ、そうですね。──結果としてそれは、いつまで経っても朽ちる事なく魔力を内包し続けた。まるで主人の帰りを待つかのように」


 そうしてしばらく、二人の間には沈黙が走った。彼等の頭の中には、恐らく同じ人物の姿が思い描かれている事だろう。神子と共に現れ、かの事件で連れ去られた、くだんの青年。

 彼はやはり、そのカイル=リリエンソールと何らかの関わりが──いっそ同一人物だと思って良いのではないか。

 ほとんど確信を持ちながら、彼等は更に話を進める。


「──それなら、あれを引き起こした者についての情報は? あんな芸当、到底人間にできるものではない。十中八九、魔族だろう」

「ええ、それについても調べました。カイル=リリエンソールと神子様は元々北部に居られた人間だと。そして当時、その北部で幅を利かせていた魔族がおり、男とその魔族は頻繁に対峙していたと。魔族の名は、通称、渓谷のジェルヴァジオと呼ばれ恐れられていました。当時死亡した北部の人間の多くが、彼の手により惨殺されたと言われ──」

「当時? 恐れられていた?」


 そこで突然、アウジリオが遮るように言った。抑えきれない疑念が声に混じる。


「その頃の魔族はまだ生きているだろう? 今はそのような話、てんで聞かんぞ」

「ええ。奴等の寿命からして、まだ存命はしているはずです。ですが……、今はもう、南部どころか北部でもほとんど名前を聞かない程に大人しくなったそうです。当時は南部の人間ですら名前を聞けば皆震え上がったらしいのですが……」


 アウジリオと同じく、エルネスもそればかりは分からないのか、言い澱んでいるようだ。すかさずアウジリオは言葉を重ねた。


「あの魔族だぞ……? 何故だ?  一体何故、それほど凶暴な魔族が急に大人しくなど……」

「記録には、カイル=リリエンソールとその魔族が共謀していた、などと書かれてはいますが」

「…………それは、真実だと思うか?」

「あんな事が起こった後では何とも……。ただひとつ、当時の北部ではカイル=リリエンソールが唯一、渓谷の魔族に拮抗できる存在として英雄視されていたのも事実です。彼が現れてから、北部の民間人の被害が格段に減った事も良く知られています。そして、かの魔族が酷い人間嫌いだという事も」

「……何だそれは。益々、理由が解らんぞ」

「ええ。ですので、今になってそんな難ありな魔族を仲間に引き入れるというのも、いささか考え難く……」


 互いに困惑したような声音で、一旦彼等の会話が止む。推測の域を出ない考えでは、ただ無駄に時間が過ぎるだけだ。

 だがそこでエルネスは、まるで手探りで言葉を選び出すかのような調子で、しかし続けざまに言った。


「ええ、それはもう、殿下のおっしゃる通りで。……ただひとつ忘れてならないのが、あの国が滅びカイル=リリエンソールが南部に来てからというもの、あちらでの魔族による襲撃がほとんど止んだという点です。国が滅びたのなら、魔族が侵攻の手を緩めるのはますますおかしい。…………ここでひとつ、敢えてその理由を挙げるならば、こう考えてはどうでしょう? 

『渓谷の魔族はそのカイル=リリエンソールと会う為だけに北部への襲撃を繰り返し、あまつさえその強さに惚れ込んだ。それが故、南部に男が連れて行かれた事を知った魔族は、北部での襲撃を止め、男と接触する期を伺っていた。しかし男は、魔族が接触する機会を得ずして南部で命を落としてしまっていた。──そして今回、その男が再びこの地に戻った事を知った魔族は、こちらが油断している隙にと、早々に彼の誘拐に踏み切った』と。

 それならば、ヴィットリオを乗っ取った者の『カイル=リリエンソールは話が手中にあり』という捨て台詞にも納得がいきます」


 憶測に過ぎませんがね、とエルネスがそんな言葉を付け加えながら言葉を切る。そして途端に、二人の間にはまたしても奇妙な沈黙が流れた。

 互いに何やら言いたそうな表情で見つめ合い、無言のまま言葉を交わす。言わずとも、互いに言いたい事が分かってしまったのだ。

 ──本当にか? 本気でそう思うか?

 いやでも、もしかしたらまさか──

 これぞ以心伝心。そんな奇妙なやりとりはしばらくの間続いた。

 そんな中で、そのような空気に耐えかねたアウジリオがとうとう、投げやりに言い放った。


「三つ巴か?」

「やめてください」

「ハルキ様を入れるとそれは何──」

「本気でよして下さい。本当にそうなったらどうしてくれるんですか。言霊にも魔力は宿るんですよ」


 すかさずエルネスは嗜める。だが今更、導き出してしまった答えのひとつを忘れる事なんて事もできず。その場で二人は大きくため息を吐いた。


「…………仕事に戻るか」

「ええ、そうしてください。これから北部への人員増員の手配を──」


 そこで二人は、ようやく動き出したのだった。話し出す前よりも疲れが滲んでいるのは気のせいではないだろう。

 どうにか普段通りに振る舞おうと、アウジリオが姿勢を再び正して命令を下し、エルネスは持ち場に戻ろうと部屋の扉へと向かっていた。

 しかしそんな時だった。

 突然、部屋の外が騒がしくなったかと思えば、くだんの近衛騎士、セルジョが室内へと転がり込んできたのだ。

 アウジリオもエルネスもギョッと目を見開く中、珍しくも随分と慌てた様子で彼は、二人に向けて言い放ったのだった。


「無礼かとは存じますが、至急ご報告にッ! 彼が、カイト殿が戻られました────!」


 事態急変とはまさにこの事で。セルジョにつられるように、アウジリオもエルネスもすぐに、その部屋から飛び出したのだった。




 果たして、セルジョに連れられアウジリオ達が駆け付けたその現場は、阿鼻叫喚の如き様相を呈していた。


「──はぁ!? そんなの俺許した覚えないし! 勝手な事言わないでよ!」

「フンッ、貴様のような人間に許されてたまるか。そんなもの俺様のルールで──」

「ジェルヴァジオ煩い。お前、少し黙れ。俺は許してないからな、この前の事も」

「ま、待て、だがこの男だって────ッ」

「す・わ・れ。口を開くな」

「…………」

「プププーッ、いい気味」

「ハルキも、あんま煽んな」

「だって、俺とカイトを引き離そうとしたコイツが悪いッ」

「…………」


 長髪の魔族らしき男と、神子であるハルキ、そして一連の出来事に深く絡むそのカイトが、その場で言い争っているようだった。

 ハルキとカイトは、再会を喜ぶように両手を繋ぎ合い向かい合って立っている。

 そして、そんな二人を恨めしげに眺める男は、眉間に濃い皺を寄せながらも何故だか、その場で正座で座っていた。座らされていた。さながら、飼い主に叱られ反省する大型犬のように。


「いや待て……、何だ、これは一体、何が起こっているんだ?」


 理解の追いつかぬまま呆然と呟いたアウジリオに、エルネスがまるで追い討ちをかけるかのように言った。


「ほら、俺、さっき言ったじゃないですか。言霊にも魔力は宿るんですよ? これは殿下のせいじゃないんですかね」


 違いない。そう自分でも思ってしまったものの、負けを認めたくないアウジリオはただ、その場で立ちすくむのだった。

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