第8話 渓谷のジェルヴァジオ


『俺が、お前の魔力を違うはずが無いだろうが』


 そう言ったジェルヴァジオの言葉に、嘘はないように思えた。そんな些細な嘘を吐くような男ではない。それはカイトも知る事だった。


 初めて剣を交えた時。彼には男の暴虐さが見えた。次に剣を交えた時、男の慎重さを目にした。

 そして、剣を交えるたびに次々と見えて来たのは、男の様々な一面だった。

 人を強く憎む反面、男の部下やその他の魔族達へ向ける眼差しの中には微かながら慈愛が混じった。最初は見間違いではないかと彼は思ったりしたが、そこには確かに、人間とも変わらない上に立つべき者──領主としての姿があった。

 時には短い会話を交わす事もあった。大抵、一方的にジェルヴァジオが喋って、彼が短く応えるようなそんなものだったが、男は確かに、人間のような一面も持ち合わせていたのだ。

 冷酷で残虐で暴虐な君主を、彼は到底許す事は出来なかった。けれども、剣を交え会話を交わすたび、そこには言葉にし難い何かしらの繋がりを感じていたのである。

 いつかはどちらかが先に死ぬ。どちらかに殺されてここで死ぬ。分かりきっていた事ではあったが、そこには確かに、二人にしか判らぬ何かがあった。それは結局、叶う事はなかったが。

 しかしだからこそカイトには、男の嘘くらいは見抜けるつもりでいたのである。その目に嘘はない。それは確信だった。


 俯くようにして目を逸らしながら、カイトは今しがた言われた事をじっくりと噛み砕いていく。先程のジェルヴァジオの言葉はまるで、この男が自分の事をずっと見てきたような口振りで。

 カイトはどうしたら良いのかわからなくなってしまった。

 この地でずっと自分の事を殺そうとしてきた宿敵が、百年程離れただけで、外側が変わっただけでそんな事を言うのである。信じようにも信じられなかった。

 しかも、その言葉に嘘はない、と確信できてしまう自分自身すら信じられなかった。カイトは、酷く混乱していた。

 延々と考え、結局カイトの口から出てきた言葉は、余りにもみっともないものだった。


「何が目的だ。お前は俺の何を知ってる。お前は俺に、何をさせたいんだ」


 不安が表に現れてしまったような声音だった。この男に弱味を見せるなんて、とそう思ってはいても、カイトは今やただのちっぽけな青年なのである。強かったあの頃とは違う。

 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか。ジェルヴァジオは落ち着いた様子で、静かに答えた。今までに聞いた事の無い程、どこか気安い口ぶりだった。


「お前が何を勘違いしているのかは知らないが、俺は魔族の“領主”としてお前に話してる訳じゃない。ただのジェルヴァジオとして言ってんだよ」


 そんな男に、カイトは思わず目を丸くする。そして更に、男の言葉は続いたのだ。ゆっくりと、まるで独白のように、ジェルヴァジオは話し始めた。不思議とカイトも、惹きつけられるような話しぶりだった。


「お前が欲しかった。ただ、それだけだ。別に、お前が以前程の力を失っていたとしても、国に負けていたとしても、何だって構わないと思った。その“目”の力だって、無かったら無いで構わないんだ。ただ──、お前のものが他者に好いように扱われるのは我慢ならん。アレはお前の一部。他の誰のものでもない。だから、お前の元に戻しただけだ。力を利用するなぞは考えもしない」


 そう言って訴えてくるジェルヴァジオを、カイトはただ、信じられないものを見るような気分で黙って聞いた。


「俺は……お前が、俺のしてきた事を嫌ってたのも知ってる。俺があのクソ共を殺すたびに、お前の怒りが膨れ上がったのも知ってる。──だが、アイツらはお前をただ利用してるだけだった! お前のように強い者を好き勝手に使い、全部己のモノにしようと企んでいた! 奴等こそが傍若無人!」


 段々と声を荒げ始めた男はしかし、そこで一旦言葉を切ると、自らを落ち着けるように再び声を落として話した。

 相変わらずカイトは何も言えない。ここまで感情を顕わにするジェルヴァジオを、初めて見た。


「お前のような男が、あんな蛆虫共に使われるのが我慢ならなかった。だからこの俺が、お前を解放しようとしてただけなんだ。だから、今は、あんな派手な事はしない。──お前に嫌われたくない……それに、聞いたろう? 俺はもう、以前程人間達を殺してなんかない。お前がこうして戻ってくるまで、ちゃんと大人しくしていた。だからそんなに、」


 嫌わないでくれ──。

 その一言に、カイトは目の前の男が本当に自分の知るジェルヴァジオなのかどうか、信じられなくなってしまった。余りに男は感情的だった。

 仲間が死のうと己に刃が突き立てられようと表情を崩さなかったこの男が、跡形もない。そしてその慟哭のような訴えは、酷くカイトの心を刺激するのである────。


「お前が南部に連れていかれた時も、お前が人間共の禁を犯し、その人間共に殺されたと聞かされた時も──、信じられない気分だった。あの時、自分が何もしなかったのをどれ程悔いた事か……お前が連れていかれたあの時に、こうしてしまえば良かったんだ。お前が嫌がったとしても、ふんじばってでも連れて来れば良かった」


 こんな事を面と向かって吐露された経験は、カイトにもカイルにも無かった。

 だからだろうか。無意識に、顔に熱が集まるのが分かった。何と素直な、そして情熱的な告白だろうか。そう思ってしまったが最後、カイトは耐え切れなくなってしまった。自分の顔が顔が真っ赤になっている自覚があった。慌てて顔を俯けるもしかし、男──ジェルヴァジオはそれを許さなかった。

 カイトの顔をその両手で再度捕まえると。またしてもその顔を寄せて、静かに、訴えかけるように言った。そこにはもう、彼の知る冷酷な暴君の気配などはなかった。ただひとりを恋しく思う、男の


「お前にはただ、俺の側にいて欲しい。以前のお前では無いんだと言われたって構わない。力が無くたって構わない。だが、お前でないと駄目なんだ。俺がお前に、魅せられてしまったんだ────」


 真剣な目で、立て続けにそんな事を言われてしまって、もう、カイトは駄目だった。

 何故だか胸が一杯になって、次々と涙が溢れてくる。ぼろぼろと零れ落ちる涙をどうしてだか止められなくて、カイトはただ、その場で涙を流し続けたのだった。


「おい、まて、何故泣くッ────、悲しいのか? そんなに、俺が嫌か……?」


 ただ無言で涙を流し続ける彼の目の前で、ジェルヴァジオがひどく狼狽えたような声でそんな事を言う。涙を男の指で拭われながらも、カイトは首を横に振って即座に否定した。カイトにも良く解らなかった。けれども、悲しみの涙では無い事だけはハッキリと分かっていた。

 とめどなく流れる涙に、不安が全部溶け出していくような気がしていた。


 どんなに強くても唯一無二の力を持っていても、カイト──或いはカイル=リリエンソールを認めてくれる者は少なかった。今も昔も、彼には“神子”だけしかいなかったのだ。

 子供の頃からずっと、カイルは友人ですら作る事ができなかった。表面上ではにこやかに接してはいても、自分の方に隠し事がある中ではどうしたって、後ろめたさが付き纏った。

 その後ろめたさは何も、彼自身の隠し事のせいだけではなかった。カイルは無意識のうちに、人々の秘密すら目にしてしまう事があったのだ。

 表では分け隔てなく接するような人気の騎士は、裏では盗賊団と繋がり便宜を図る代わりに多額の金品を受け取っていた。

 領内外からの人望も厚かった大貴族は、裏で違法奴隷の商売にたずさわり、莫大な利益を得ていた。

 うっかり目にしてしまったそんな光景の数々はいつだって、カイルを酷く失望させた。人間なぞ、どいつもこいつも変わらない。汚らしくて醜くて信用に値しない。

 彼は子供ながらにそれを知ってしまったのだった。

 その内に力の使い方にも慣れ、子供の頃のようにうっかり見てしまう事も減ってからもしかし、カイルは人を信用出来なくなっていた。

 そして、そんな時に出会った神子は、自分と同じ異質な存在だったのだ。彼にとってはまるで、その神子が救いの手であるかのように思われたのだ。心酔するようになるまではあっという間だった。


 そして今、縋る先を失ってしまったカイトにはもう、それらを打ち明けられる人間は居なくなってしまった。ひとりで抱えるしかなかった。だからこそ余計に、カイトは救われてしまったのだろう。

 この世界に来てからずっと、カイトは不安だった。凶悪な犯罪者としてレッテルを貼られてしまったかつての自分。もし、カイルの事がおおやけになってしまった時、自分達は一体どうなってしまうのか。神子を護り切る事は本当に出来るのか。考えれば考える程、不安はいつでもカイトに付き纏って離れなかった。無意識に過去の自分を羨み失ってしまった自分を蔑み、他の何かに縋る事で不安を忘れて自分を保つ。

 そんなカイトだったからこそ。前世の自分をも知るこの男の言葉が、嬉しくて堪らなくなってしまったのだ。

 力が無かったとしても、強くなくても、自分の存在を認めてくれる者。それがまさか、こんな所に居ようとは。


 ジェルヴァジオはカイトの涙が落ち着くまでずっと、その場に留まった。何も話せないでいたカイトの涙を時折拭いながら、相変わらずおろおろと挙動不審に手を彷徨わせていた。

 そんな男のさまが随分とらしくなくて、カイトは微かに笑った。


「アンタの事が嫌だとか、そういうものじゃ、ない。……そう言われたのは、初めてだったから。目の事はずっと、カイルの頃から隠してきた。アンタに気付かれているとは思ってなかった。いつだ? アンタはいつ、気付いた?」


 言いながら彼がジッと見つめると、男は目を逸らしながらポツリと呟いた。男には似合わない、照れ隠しのような、どこかぶっきらぼうな言い方だった。


「お前と初めて剣を交えた時だ。魔力の気配には、敏感だからな」

「そんなに前から……」

「──それに、俺の能力がお前には効かなかった。それが決定打だ」

「アンタの、能力?」

「俺の魔力には、他者を従わせる力があるんだよ。大抵の奴らは、戦闘中だろうが平時だろうがそれに引っ掛かる」

「さっき、話をしていた能力の事か」

「ああそうだ。俺のような高位魔族の魔力に抵抗できる人間など、普通はいない。だから、それにも引っ掛からないお前には何かがあると思った。それに──、お前、気付いてるか? お前の目は戦いの最中、虹色のように美しく輝く」


 突然そんな事を言われて、カイトは目を丸くした。本人も知らなかったのだ。力を使う最中、目が輝くなど。

 ジェルヴァジオは、驚きをあらわにするカイトの様子に気を良くしたのか、再び視線を上げて、どこか嬉しそうに声を上げた。


「誰も、それに気付かなかったのか?」

「……誰にも、指摘された事は無かった。────そう言えば、俺がこの目の力を使った時、戦った者は皆、殺してきたかもしれない。死ななかったのは、アンタだけだ」

「そいつは光栄だ」


 そう言って最後に、嬉しそうに微笑んだジェルヴァジオの顔面の破壊力たるや。

 カイトは思わず目を逸らしてしまった。なまじ男の戦闘中の、ブスッとしたような顔や冷徹にニヤリと笑う顔しか知らなかったものだから。何やら見てはいけないものを見てしまったような気分で、カイトは耐え切れなくなってしまったのだ。

 それを誤魔化すように、彼は慌てて口を開いた。


「ッそれで、俺の目が普通じゃないとアンタは思ったって訳か。あの方には、これは“魔眼”の類いだろうと言われた。……ずっと疑問だったが、人間にそんなものが備わる事なんてあるのか? この目は本当に、“魔眼”なのか?」


 そう言いながら再びジェルヴァジオに視線をやれば、男は思案するような素振りを見せた。彼等は長寿で、そして魔力についてもより詳しい。カイトは縋るような思いだった。神子でもなしに理由もなく、こんな力を授かるなど普通ではない。ずっと、その訳を知りたかった。普通ではないものに、確たる名前を付けたかったのだ。

 だが、そんな彼の思いとは裏腹に、男は言った。


「俺が知る限りの話だが、人間にそう言った能力が備わる事はゼロじゃあない。少なからず、我ら魔族と人間は関わりがあるし、血が混じる事もあったろう。魔眼で間違いはないとは思う。……そもそも、お前達人間には“神子”の力だって発現するんだ。別の何かに目覚める者があっても可笑しくない。大魔導士も、アレだって元は人間だ。お前が考えた所で意味のない話だ。この世界の理そのもの」


 そう言って言葉を切ると、ジェルヴァジオは不意に、カイトへと顔を寄せた。


「それよりもだ。魔眼には種類があると聞いた。神子と同類の先読みの力、目に見えないものを見る力、限界を超えた視力を持つ力──お前のは、どれだ?」


 愉しそうに目を細めながら、カイトの目の前で男が言う。

 もうこの時、カイトはダメだと思った。この男に、囚われてしまったと思ったのだ。

 ジェルヴァジオは何でも、自分の欲しかった言葉をくれる。この力を利用するつもりがないのも、肌で感じてしまった。自分の為にわざわざ、南部から連れ出してくれた。忌々しいばかりだった力に、意味を与えてくれた。

 もう、ここから逃げ出す理由なんてどこにもない。もっともっと、男の言葉が欲しいとカイトはそう、思ってしまった────。


「…………アンタは、どれだと思うんだ?」


 その眼差しから目を逸らす事が出来ずに。まるで気を引く為に質問を投げかけるかのように、カイトはそう言ってしまった。きっとその時、彼は誘うような顔をしていたに違いない。


 一瞬、そこでピクリと反応したジェルヴァジオは。フフ、と優しく微笑みながらそのまま、カイトへと顔を寄せた。


「どれでもいいさ。後で、また聞こう」


 唇同士が触れるか触れないか、そんな距離で囁くように言ってから。

 男は、カイトへと唇を寄せたのだった。男の印象とはまるで真逆の、啄むような優しい口付けだった。


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