第7話 カイル=リリエンソール


 カイルは生まれつき目が良かった。

 気が付けば、遠くのものを見通せたし、近くのほんの些細な事ですら、異常な程に良く見えた。

 小さな頃はそれがおかしいだなんて分かるはずもなく、誰も知らない土地の事を話したり、誰も知り得るはずの無い事を饒舌に話したり、周囲からは大層気味悪がられた。

 それが異常な事だと気付いたのは、6歳になる頃だった。両親を魔族が原因の不幸な事故で無くし、親戚に引き取られた時だ。

 年端もゆかぬ子供だと言うのに、彼は随分と早熟な子供だった。村の誰よりも、国の事をやけに良く知る子供だった。

 その頃、カイルはまだ、ただのカイルだった。貧しい農村だ。名字など、誰も持っているはずがなかった。


 彼がリリエンソールの名字を得たのは、十程の頃だった。その頃になると、彼自身も自分の異常性を良く理解していて、自分の知る事をうっかり周囲に漏らす事もなくなっていった。

 けれども、狭い村の事だ。神から神託を受けている子供が居ると、あっという間に噂は広がり、彼はその地方でも有名な神童と謳われるようになった。或る者は賛辞し、そして或る者は畏れた。


 そんなある日の事だった。

 それを聞きつけた伯爵だか男爵だかが、突然カイルを迎えに来たのだ。何でも、神に祝福されたその子供を養子に迎えたい、との事らしかった。そうして連れて行かれる途中の事。彼は自分の“目”で、見てしまった。村長と育ての親が、ニコニコとしながらそれぞれ大金を受け取る様子を。その“目”で、見てしまったのだった。

 彼は悟った。自分は村の生活の為に、親戚の生活の為に、氏に売られたのだと。


 カイルをむかえたリリエンソール氏は、彼を騎士にすると言った。朝から晩まで沢山の訓練を積み、“目”の良さと元々の身体能力も手伝い、彼はメキメキと頭角を表していった。

『葉の月より王城へ仕えよ』

 彼が氏にそう言われたのは、16に成る頃だった。

 何の感慨もなく、彼は指示(命令)に従った。彼はその歳頃の青年の誰よりも落ち着いていて、そして誰よりも無関心だった。


 そこでカイルはまず、騎士団入団の為の試験を受ける事となった。“博識”で、そして腕っ節も強い彼には、然程難しいことでは無かった。程々の評価に抑え、上位に食い込むか否かという、余り目立ち過ぎず、そして武勇に優れたリリエンソール家の名に恥じぬ位置を選んだ。

 そしてめでたく、彼は騎士となった。

 それも、活躍を期待される新人が入る事で有名な第一騎士団だ。国王直下の近衞騎士にも近い。

 騎士となった事で与えられた部屋で一人、カイルはようやく力を抜いた。これで、あのリリエンソール家への借りは返せたはず。そう思うとひとつ、呪縛から解放された気がした。

 氏よりの手紙からも、それが氏の満足のいく結果であった事を知り、彼はその日ようやく、安心して眠る事ができたのだった。


 彼に転機が訪れたのは、それから数年後の事だった。彼が神殿からの要人警護に駆り出された際。

 何でも、祭事の為、この世でただひとりの“神子”が、王城を訪れるのだという。狙われやすい人物らしく、頼れる警護者が必要なのだとか。

 彼は特に何の感慨を覚える事もなく、他の任務とさしたる違いも見出せずに若手としては異例の特別任務を受ける事になった。その時には同期どころか、同じ隊の仲間からもえらく妬まれる事にはなったが。

 入隊時から既に、“賤しい下民”と蔑まれ続けてきた彼にとってはその程度、何ら今迄との違いなど感じられるはずもなかった。


 祭事の間、彼は神子様と常に二人きりだった。まる十日間行われる祭事の間、彼は神子から片時も離れなかった。何でもない、いつもと同じ、命令されるがままにただ付き従うのみだ。

 ただ、首輪を嵌められた神子に僅かばかりの親近感を覚えながらも、自分はああも弱くなくて良かったなんて、そんな蔑みの感情すら覚えつつ。彼は神子の後ろを付いて回った。

 そして、運命のその出来事は、祭事の十日目に起こった。最後の日の別れの挨拶。

 神子は警護の礼と共に、彼に向かってこう、言ったのだ──。

『貴方はとても良い“目”をお持ちだ。全てを見通せてしまうこの辛さ、私も身に染みております』

 神子の言葉に、彼は雷に打たれたような衝撃を受けた。その力を見透かされたのは、この時が初めてだった。

『貴方のそれは“魔眼”の類いでしょう。似たモノ同士、どうぞ仲良くしましょう』

 まるで、本に描かれた天の遣いの如き白い装束に身を包み、ヒラヒラと裾をはためかせながら去るその背中から、彼は目を離す事ができなかった。

 初めてだったのだ。生まれてこの方、気味悪がられ蔑まれながら生きてきた彼が、初めて他人に“理解”された。仲良くして欲しいと、そう、言われたのだ。本当の意味での似たモノ同士。

 カイルはこの時初めて、秘密の仲間を得た。


 それからの彼の活躍は、傍から見ればさも目覚ましい成長を遂げたかのように見えただろう。以来、彼は隠す事をしなくなった。近衛騎士の立場をすら自ら辞し、初めて抱いた願いの為だけに戦場に出て戦い続けた。

 たった一つの願い、ただ一人に会う為だけに、彼は凄まじい程の戦いぶりで戦果を上げ続けた。この国一番の騎士となれば、ひとつ、国は何でも要求を呑んでくれる。彼はそれを知っていたのだ。

 彼の前に立ち塞がる壁は、人だろうが何だろうが、次々と粉砕された。何せ、彼には何でも“見えて”いるのだから。


 彼が願いを叶えたのは、それから僅か数年足らずの事だった。

 最早北部では敵無し、と称される程に、彼は輝かしい程の武名を上げた。そしてその時に褒美として、かの“神子様”の騎士と為る事を要求した彼は。

 晴れて、かの“神子様”の為だけに仕える専属騎士と相成ったのだった。


 久々に会った“神子”は、彼に向かって悪戯に笑いながら言った。

『貴方ならば絶対に来ると、分かっていましたよ』

 神子は未来をも見通すと言われている。初て会ったあの時にはもう、神子は彼が自分に仕える道が見えていたのかもしれない。

 彼は思わず苦笑した。神子に嵌められた事に、この時初めて気が付いたのだ。

 神子の可愛らしい企みにまんまと乗せられて、けれどもそれが何故だか嫌ではない。いっそ心地好いとすら、彼は思ってしまった。


 その場で地に跪き、神子に剣を捧げながら彼はこの時誓った。

『この身をかけて、貴方様を生涯お護りする事を誓います。何をしてでも、何があっても──』

 こうして彼──カイル=リリエンソールは、“神子”の守護者として、南部に連れ去られてからもずっと、傍に居続けたのだ。死ぬ間際まで、彼は“神子”の為に尽くしたのである。例え彼がどんな汚名を被る事になろうとも。その身体がどんな目に遭おうとも。



* * *



 カイトは不意に目を覚ました。随分と懐かしい夢を見た気がして、暗闇の中でしばし余韻に浸る。今日の夢では最後の最後まで、嫌な所を見ずに済んだ。それだけが救いだと思いながら、思い出せば思い出すほど、彼はかの“神子”が恋しくなった。


 そのままジッとしばし闇を眺めていたカイトは、はて、そろそろ起きなければ、とゆっくり動き出す。何だかとんでもない事が起こったような気もするのだが、記憶がとある所からすっぽりと抜け落ちている。

 とある令嬢から呼び出され、泣かせて、それをセルジョに咎められた所までは、彼もすぐに思い出す事ができた。

 だが、その後はどうしたのだったか。セルジョが別の近衛と交代して、それで、その後は──?

 頭は今までにない程にスッキリとしているのに、記憶だけがひどく曖昧で、彼は一度だけギュッと目を瞑った。何か思い出せないだろうかと頭を捻るも一向に何も変わらない。

 数分程そうしていたが、ポンコツらしい自分の頭が思い出す気配はない。そこでようやく諦めた彼は、ふぅと大きく息を吐き出してから、その場で上半身を起こしたのだった。

 どうやら自分は、どこかの部屋のベッドに横にされていたようだ。全く、見覚えのない部屋だ。このような真っ暗な中でも、今の彼には細部まで不思議な程に良く見渡せた。


 石造りの部屋は、あのサザンクロス王国の城と似てはいたが、何処か燻んだ色をしていて全体的に薄暗い。

 寝室の方から見て奥の部屋に見える大きな窓からは、輝かんばかりの月明かりが差し込んでおり、無骨な黒い窓枠は、およそあの煌びやかな王城とは似ても似つかない。窓辺に置かれた重厚な机も見覚えが無く、どこか南部のものとはデザインが異なる気がした。

 部屋に配置されている家具達もそうだ。どちらかと言えば、北部のそれと似ている気がする。けれどもまさか、そんな事はあり得ないだろう。彼はかぶりを振った。

 たったの半日たらずで、南部から北部へと渡る事など出来はしない。馬でも5日程駆けなければ到底辿り着かない距離だ。

 では一体、ここは何処なのだろう? 疑問ばかりが募っていった。

 何故、自分の記憶がある所からプッツリと途切れてしまっているのか。ここは何処なのか。そして何故、自分はこんな所に居るのか。考えれば考える程ドツボにハマり、カイトは頭を抱えそうになった。

 その時だった。自分の背後から、声が、した。


「ようやくお目覚めか」


 カイトはベッドに座ったまま、その場で飛び上がった。慌てて声のした方を振り返れば、そこには男が立っていた。

 暗がりの中、夜だというのに真っ黒な軍服に身を包んだその男は、背中の中程にまで到達する長い銀の髪を垂らし、冷たい蒼い目を輝かせながら彼を見ていた。


 彼は知っている。男が酷く残忍な性格であって、かつての自分が手を焼く程に、恐ろしく強い事を。そして男が、人間を異常な程嫌う事も。

 渓谷のジェルヴァジオ。魔族の一領主であり、周辺の魔族達の崇拝の対象である魔族。

 その手から放たれる魔導弾は易々と結界を突き抜けてくるし、その剣技も速度も、彼が唸る程に完璧なものだった。

 それでいて、男は何処か美しいのだ。容姿も勿論そうなのだが、男の冷酷なまでの鋭さが、まるで人を寄せ付けぬ芸術的な宝剣のようで。

 他にも強い者はいるだろうに、あの辺りの魔族達がこぞって彼を崇めるのも、彼にはほんの少しだけ分かる気がした。

 そんな男が、何故ここに居るのか。分かってはいても、混乱する頭では答えなど出てくれそうになかった。

 カイトは男を認識出来た途端、目を見開き、そして同時に呟くように言った。


「なん、で……」


 兎にも角にも訳が分からない。

 起きた途端、目の前には昔生きた頃の知人が何故だか立っているし、知らぬ誰かの──この男のものらしき部屋に居る。

 そして何よりも絶望的なのが。今の自分には目の前の男に抵抗するだけの力を失って随分と久しいという事だ。己の身体を鍛え抜いていたあの頃ならばまだしも、今や彼は、ただの一般市民とそう変わらない。魔術こそ多少は操れるかもしれないが、目の前の男からすれば只の人間の魔術ごとき、容易く対処してみせるだろう。あまりの事態に、彼の頭の中は真っ白だった。

 男が、人間を虫ケラだ何だと蔑んで殺し尽くしていたのは彼も知っている。これから自分もまた、この男に虫ケラと嬲られ好き勝手弄ばれて殺されるのか。そう思うと、背筋が勝手に震えた。

 強さこそ全て。まるで魔族のような思想すらかつては持っていた彼が、その魔族に蹂躙される事になろうとは。因果応報、全く何て自分に似合いの言葉だろう。カイトは動揺していた。


 そして、そんなカイトの考えとは裏腹に、男はただその場で笑みを浮かべるだけだった。


「お前はどこまで覚えている?」


 言われてカイトは、こんな状況だというのにポカンとした顔を浮かべてしまう。どこまで、とは一体何を指しているのか。彼は迷ってしまったのだ。

 自分がここへ何故、どうやってやってきたのかを覚えているのか否か、それを聞いているのだとすれば、答えはノーだ。記憶がない。けれどもそれを、この男に素直に伝えても良いものか。或いはこの問答すらもこの男の罠では無いのか。彼は変に、勘繰ってしまったのだ。

 しかし、そんなカイトの困惑ぶりを知ってか知らずか、男はただ、笑みを深めるだけだった。それを見ていると何故だか、彼は不安になった。


「その様子ならば覚えてはいまい」

「覚えてないって……何がだ?」


 カイトがついついそう口を出せば、男はゆっくりとカイトのベッドに腰掛けてくる。一気に、男との距離が縮まった。

 それで思わず腰が引けそうになったが、彼は己のプライドをかけて、どうにかこうにか無反応を貫いた。微かに震えた身体に気付いたかどうか。そんな事を考える暇もなく、カイトは内心では必死だったのだ。だが、そんな彼の内心とは裏腹に、男はやけに楽しそうに話して聞かせた。


「俺が、お前をあそこから連れ出してやった事だ」


 途端、カイトの口から自然と疑問の言葉が溢れでた。味方だの敵だのという考えは、すっかり頭から抜け落ちてしまっているようだった。


「連れ出す……? どうやって。あそこは大魔導師の結界で強固に護られてた筈だ。騎士達も居た。そんな事……不可能だ」


 それを聞いた途端、目の前の男はまるで待ってましたとばかりに語り出した。それは、彼の知る男の印象とは、随分とかけ離れた姿には違いなかった。


「確かに。特に、あの大魔導師の結界は強力で厄介だった。壊すのもままならないし、変に壊してあの大魔導師に目をつけられたくもない」


 そう言った次の瞬間、男はその場で顔をうんと近付けながら真っ直ぐにカイトの目を見つめ、ニヤリと笑って言った。ヒッと溢れ落ちそうになる悲鳴を、彼は必死で押し留めた。


「──だがな、俺達は魔族だ。抜け道など探す事は容易い。俺達魔族の体質は、そう、お前の、その“目”のようなもの」


 その途端、男は驚くカイトの顔をその両手の平で包み込むように拘束したかと思うと。咄嗟の事に反応すら出来なかったその顔を、自分の方へと引き寄せたのだった。

 そうして、互いの顔が触れ合ってしまう程の至近距離で見つめられ、カイトは再び息を呑む。

 微かな光を帯びたサファイアが、目の前で煌いたような気がした。


「一人一人、違う。詳しくは教えてやらんが、あの強固な結界を擦り抜けられる男が一人、居る。その男に命じてお前をこの地まで運んだ。彼奴ならば多少の距離などあって無いようなもの。カラクリは至極、単純だ」


 至近距離から見つめられ、何故だか男から目を逸らす事が出来ない。目の周りを親指でそっと優しく撫でられ混乱する。恐ろしさからでは無い。初めて至近距離から見るかつての宿敵のそのどこか嬉しそうな眼差しに、彼は何故だか動けなくなってしまった。


「俺は、お前のその目。それが欲しかった。あんな虫ケラ共の下になどあってはならない。お前があんな連中に負ける筈などない。あのような薄汚い──」


 それからも、やけに饒舌に話す男を見返しながら、彼は不思議に思った。この男は、こんなにも自分の事を──カイル=リリエンソールの事を話すような男だったのかと。

 あれ程何度も剣を交えていながら、自分は男の事をこれっぽっちも知らなかったのである。何も話せずとも剣で語らう、なんて話を聞いた事もあるけれども、やはりこうして面と向かってみないと分からない事もある。そう思い至って、彼はほんの少しだけ複雑な思いを抱えた。そして、男のそんな調子に毒毛を抜かれたような気分になったカイトは、再び男に問うた。


「だからこそこの俺が──」

「なぁアンタ、ジェルヴァジオ。お前は、俺があのカイルだと、どうして分かった? 俺の気配は、全くの別物だったろう」


 顔に貼り付いたままだった両手を剥がしながらカイトがそう問えば、ジェルヴァジオは、さも当然かのように答えた。


「俺が、お前の魔力を違うはずが無いだろうが」


 何を言っているのだお前は、なんて、そんな台詞でも聞こえてきそうな表情に、カイトは何故だか今まで以上にひどく落ち着かない気分を味わう事になったのだった。

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