第6話 この手に掴む為なら幾らでも


 別に、カイトはふざけている訳でも相手を馬鹿にしている訳でもなかった。ただ、こんな中ではやる気が起きないだけ。ここはいかんせん、平和過ぎるのだ。


「うっせぇぞクソガキが。目ぇ腐ってんじゃねぇの? 俺もアイツと同じモン付いてるっての。今ここで見せてやろうか、ああ? 寝ぼけた事言ってんじゃねぇよ」


 そう、いつものようにカイトが言い放てば、その女性はワッと泣きながら走り去って行ってしまった。フンッと彼が鼻を鳴らせば、その後ろではセルジョが渋い顔をしつつ頭を抱えている。


「カイト殿、お願いです……忠告するにしても断るにしても、もう少し、穏やかに、柔らかくお願いします……」


 最早ここ最近の名物にすら成り果ててしまっているカイトと彼ら彼女らとの言い争いは、今のところカイトが全勝を飾っている。

 と言うのも、カイトが正式に神子の従者としての役目を負う事になってからずっと、こうやって彼は何度もやんごとなきところの子女に呼び出されているのだ。身分云々でいえば、カイトはどうしても下手に出ざるを得ないのであるが。しかし彼にとっては、その呼び出しの理由がそもそも気に食わなかった。

 『神子の従者の役目を降りろ』だの、『自分の方が生まれも育ちもお前より優れているのだから従者の役目を寄越せ』だの、何人もが口を揃えたように同じ事ばかり言い放ってくるのだ。今度こそは、別の理由でもって自分を呼び出してくれたのでは、と多少期待しながらわざわざ話を聞いてやるのだが。結局はいつも、彼らは同じネタを喋ってくれる。それを聞くたび、カイトは酷くガッカリした。まだ自分が高校生だった頃の方が、彼らは多彩な理由でカイトを蹴落とそうとしてきたものだ。そちらの方が余程愉快で、暇潰しには最適だった。何せ、勝つのは必ずカイトの方だと決まっているのだから。無駄に顔立ちの整った親友がいる事で、妙なやっかみを受けるのは、どうやらどこの世界でも変わらぬようだ。


「は? 向こうに言ってくれねぇ、それ? 下手に出てりゃ調子に乗りやがる。ああいうのには優しく何言っても無駄なんだよ。どうせ結果は同じなんだから、少しでも早く解放されたいだろ、あんなの。いちいち付き合ってられっか」

「ああ…………」

「本当は一発グーパンでもかましてやりたいんだけど、我慢してんだろ」

「……女性にも?」

「──まぁ、女の子は平手打ちで勘弁してやる。男女びょーどー」

「…………」


 神子と揃いの服を靡かせ振り返りながらあっけらかんと言ってのけるカイトに、セルジョは最早諦め顔だ。化粧を施されている為、どう見てもお淑やかな淑女にしか見えないところが余計に頂けない。暴言は最低なのに、愛らしい笑みを浮かべながら振り返られると、何故だか許してしまいそうになる。セルジョは困惑するばかりだった。

 これで十数回程、彼は同じ事を忠告しているのだが。これ以上言っても彼には無駄なのだろう、セルジョはそう悟ってしまったに違いなかった。


 それからもいつも通りだった。カイトが呼び出されるのは決まって、城の居住スペースからは遠く離れた玄関ホール付近である。時々、開放された中庭や、王城の正面に広がる大庭園を指定される事もあったが、城から離れる事はあまりなかった。

 これはカイトは知らされていない事であるのだが、彼には必ず近衛の誰かが付く事になっている。つまりは王族や神子と同等の扱いで、毎度毎度、随分と丁重な扱いだなと驚いたものだが。彼は深く考えるような事はしなかった。

 何せ神子様の正式なお付きなのである。そのような特別扱いがあっても不思議ではないのかもしれない、と、カイトは納得していた。

 理由がそれだけでないのは、彼だけが知らない。

 そんな、呼び出しからの帰りの道中だった。突然、彼らは予想外に足止めされる事となった。


「セルジョ隊長」


 声をかけたのは、セルジョと同じ近衛兵のひとりだった。神子を迎えに出た際、カイトも見た顔である。セルジョはカイトに一言断りを入れると、彼の方へと寄って行った。カイトはその間、呼び止めた男を観察する。

 赤茶の短髪に深い掘りの入った顔立ちで、その奥から覗くのは翠の目。セルジョ程のカリスマ性はなかったが、鍛え上げられた肉体と洗練された動きに、精鋭である事は十分に窺い知れた。

 二人に対してニコリともせず、随分と無愛想だったが、それが彼の通常なのだろうと特に気にも留めなかった。


「ヴィットリオか、どうした?」

「任務中に申し訳ありません。アウジリオ殿下がお呼びです。私が代わります」

「殿下が……?任務中に呼び出しとは、珍しい。──仕方ない、分かった、行こう。頼めるか?」

「ええ、もちろん。承知致しました」


 そんな会話を交わした後で、セルジョは再びカイトへと向き直った。眉尻を下げ、少しばかり申し訳なさそうな表情だ。


「済まない、カイト殿。殿下に呼ばれたのであれば行かなくては。代わりはこのヴィットリオが務める。彼もまた、優秀な騎士だから心配無用だ」

「ん、分かった」

「ああ、済まないな……ヴィットリオ、くれぐれも頼んだぞ」

「はい」


 そう言って、小走りで踵を返したセルジョを見送ってから、カイトは新たに付けられた護衛を見上げた。セルジョも大きいはずだが、彼はまた随分と大きく見えた。筋肉の厚みが違うせいか。そんなどうでも良さそうな事を考えながら、彼は未だ無言を貫くその男へと声を掛けた。


「えっと……あの、部屋までお願いシマス。俺、まだ道がさっぱりなので」


 ほとんど初対面の彼には丁寧に、きちんとお願いをする。ヴィットリオは無言のまま、コクン、と頷いたのだった。

 その様子が、体格の割にどこか小動物じみていて、カイトは何故だか肩の力が抜けるような気分を味わったのだった。



「カイト殿は、18歳なのですか?」


 歩き出してしばらく経った後の事だった。突然、前を歩くヴィットリオに話しかけられる。きっと、他愛も無い世間話のつもりなのだろうとカイトは察して、素直に答える事にした。


「うん、18だ」

「そちらの世界でも、大人の扱いをされるのですか?」

「まぁ、ほとんど同じ扱いではある。正式には20歳」

「成る程、興味深い。──では、あちらでは家族は? その年代では、お一人で住まわれるのですか?」


 家族──あまり予想していなかった彼の質問に、カイトは少しだけドキリとした。

 こちらの世界でも敢えてその話題を避けていたし、積極的に聞かれる事もなかった。いつもハルキが隣に居て、さりげなくフォローをしてくれる。だからカイトは答えずに済んだ。けれども今、ハルキは隣に居ない。それが今は心細く感じられた。

 けれども、今更天涯孤独である事をウジウジと悩むような年頃でもないし、第一、今の自分の精神年齢では二十歳も多分に過ぎている頃の筈。近しい人間の死なんて、あの頃は特に何度も繰り返していた筈だ。だからもう、カイトは一人で立てる。立たなければならない。

 意を決して、彼は問いに答えるのだ。18歳らしく見えるように。未だ燻る物悲しさとは決別するように。


「──いない、皆死んだ。強いて言えば、ハルキが家族かも。一時期一緒に住んでた」

「すみません……」

「や、別に……もう、ずっと前の事だし」


 まるで自分に言い聞かせるようだ。そんな感想を持ちながら、カイトはその後もヴィットリオの淡々とした質問に答えていくのだった。反応は薄いけれども、どうにも憎めない性格で、カイトは彼の背後でこっそりと苦笑するのだった。


 だがそんな時。カイトの違和感は突然、その場にやってきた。

 ひたすら質問に答えていたところで、カイトはまた、あの魔族らしき魔力の気配を感じたのだ。先程まではまったく感じられなかったと言うのに、一体どういう訳だろうかと。

 ここ最近はずっとこんな調子だった。時折フッと魔力の感じられたかと思うと、あっという間に消えてなくなってしまう。それは城の至るところで起こり、しかし一向に手掛かりが掴めない。

 余程隠すのが上手いか、それとも何処からか漂ってきたものが城内へと入り込んだのか。理由は分からなかった。だが、今やその筋の専門家では無くなってしまったカイトには、ソレについて調査する事もままならない。

 何せ、一日中何かを警戒するようにセルジョやらが張り付いているからだ。辟易するがしかし、そこでカイトが拒否するのも不自然で。彼は渋々受け入れるしかなかった。

 お陰でストレスは溜まるし、面倒だし、件の魔力の調査など出来るはずもなかった。何とも、自分は何処へ行っても、生きづらい。カイトがそんな事を考えていた時だった。不意に、ヴィットリオに声をかけられた。


「カイト殿? ──大丈夫ですか?」


 その声にハッとして、カイトが顔を上げると。自分のすぐ目の前に、ヴィットリオの顔があった。思っていたよりも随分と近くに顔があり、思わずギョッとして一歩飛び退いてしまった。その瞬間、彼は少しだけ悲しそうな顔をしたので、カイトはほんの僅かに申し訳なく思ったのだった。


「ご、めん、ボーっとしてた。んで、何だっけか──」


 と、言いかけた所で。カイトは、はたと気がついた。ここは一体、何処だろうか。


「いえ、それなら良いのです」


 そう言って、屈めていた腰をゆっくりと伸ばしたヴィットリオ。その顔には、先程までは決して見せる事の無かった笑みが浮かんでいて。カイトは途端、悪寒を感じた。

 まるで別人。別の誰かが、ヴィットリオの中にいるようだ。カイトはそう直感した。


「あの……ヴィットリオ、ここ、何処だ? 部屋に、戻るんじゃあ──?」


 言いながら、カイトはジリジリと後退していく。およそ逃げられそうになど無かったが、彼の身体は勝手に動いていた。

 そして同時に、カイトはようやく気付く事になった。

 今自分は、あの宝物庫の目の前に居る。知らず知らず、ヴィットリオに連れられやって来てしまったのだ。ハルキには行かない方が良い、と散々注意されていた、あの宝物庫に。

 彼自身ですら確かに妙な感じがして、いつもその付近は避けていたはずだったのに。けれども今、カイトは連れ出されてしまっていた。


「大丈夫。お前のモノを一緒に取り返しに来てやっただけだ」


 突然、ガラリと口調を変えたヴィットリオだったその男は。そう言うや否や、あっという間にカイトの腕を捕まえてしまった。足を突っ張って、体重をかけながら逃れようとするもビクともしない。カイトはそのまま、ズルズルと宝物庫の方へと引き摺られて行ってしまった。男は無言で、カイトを引き摺ったままに宝物庫の扉を潜る。

 いつも居るはずの衛兵は、不思議と誰も、その場には居なかった。


「な、んだよッ、俺の物って……知らね、──ッ放せ!」


 騎士達の中でもトップクラスで体格の良いヴィットリオだ。今のカイトがそれから逃れる事は難しい。そもそも、彼は武器すら持ってはいないのだ。一応は攻撃出来ない事もないのだが、それでは彼が無力ではない事が知れてしまう。それは、避けるべきなのではないか。そう、カイトは一瞬、迷ってしまったのだ。

 だが、その迷いはすぐに、間違いだったと知る事になる。

 ヴィットリオだったその男は、迷わずあの扉の前へとカイトを引き摺っていくと。

 懐から不思議な気配をする鍵を取り出して、扉を、何の苦労もなく、開けてみせた。

 バチンッと、何か──魔術が爆ぜる音がしたかと思うと。扉はひとりでに開いていった。

 その途端にだ。カイトはまたしても、雷に打たれたような衝撃を受けた。一歩も、その場から動く事ができない。

 分厚い扉が、ゆっくりと部屋の内側に向かって開いてゆく。

 その扉の隙間から徐々に見えて来るその内部から、カイトはどうしてだか目を逸らす事が出来ない。

 その奥に一体何があるというのか。

 漠然と、知っている気がするのだ。

 知っている、なんて生易しいものではない。

 身をもって理解しているような気分だった。


「見ろ。アレがお前の────」


 眼だ。

 茶色だか黒だかの台の上、丸いガラスのような入れ物の中に眼玉が2つ、浮かんでいた。

 琥珀色のような色の虹彩を持ち、時折、虹のヴェールがかかったように不思議な色合いを放つ。魔力を内包しているのは、傍目からでも良く分かった。恐らくこの世で唯一無二であろうその眼は。

 見間違う訳がない。彼がその気配を違う筈がない。だってあれは──、


「お前が、生きていた頃のものだ、カイル=リリエンソール」


 その名を聞いた途端、無意識にカイトの背が跳ねた。

 この男は何故、自分がその男だった事を知っているのだ。

 カイトはよっぽど叫んで言ってしまいたかったが、今、そんな余裕は微塵も無かった。その眼玉から、何故だか目を逸らす事が出来ない。

 あんな狭苦しい所に百余年も閉じ込められて、あの眼がカイトを呼んでいるのかもしれない。戻りたがっているのかもしれない。

 けれども、あの力を再び手にしてしまったが最後、カイトは──カイル=リリエンソールだったものは再び、闘争の中に身を置く事になるに違いないのだ。自分達を利用しようとする数多の勢力と戦う為に。

 嫌だ、戻りたく無い。このままハルキと共に何事もなく、あの地球にいた頃のように過ごしたい。嫌だ──。

 内心では拒否したいのに、身体はアレと一体になる事を望んでいる。その衝動を押さえ付けるように、カイトは歯を食い縛った。


 そんな彼の内心を知ってから知らずか。ヴィットリオだった男は続けて言った。


「不遜にも程がある。お前だったものの残骸を暴き、抉り出し、こうして戦利品かのように飾り立てる。全くもって腹立たしい。薄汚い、人間共め──ッ」


 その一言で、カイトはフッと何かを思い出した。

 昔々、南部へ連れて来られるよりも前。カイル=リリエンソールは北部で、残虐な魔族達と常に戦い続けていたのだった。その中でも特に、その地の領主は冷酷無慈悲な事で有名で、沢山の人間達が彼の率いる軍隊によって惨殺された。それを食い止めようと、彼も彼の主人も、頻繁に各地へと派遣されたのである。

 領主との戦では必ず、彼は領主の足止め役を担った。彼にしか務まらなかったのだ。荒ぶる領主の暴虐さは常軌を逸し、只の兵士が突っ込もうものならば一瞬で肉塊に変えられた。それ程に、どうしようもない魔族だったのだ。

 そしてその領主は、彼と戦う度、口癖のように何度も何度もそう言った。今しがた目の前の男が口にしたそれを。

『薄汚い、人間共め──ッ!』

 この男に混じる微かな魔力の気配も今や、カイトには覚えがあった。間違いでなければそう、その男の名は。


「“渓谷の、ジェルヴァジオ”」

「ッ──!」


 必死に衝動を堪えながら、ハッキリとそう口にした途端。男はビクリと身体を揺らし、突然、言い放った。


「ああ、我が、愛おしの宿敵よ……この時を俺は、今か今かと待ち望んでいたのだ────」


 それは、恍惚感に酔いしれる、熱に浮かされたような声音だった。その声音の妖しさに、カイトはゾクリと背筋を震わせたのだった。


 だがその次の瞬間だった。

 宝物庫の出入り口にあたる扉が、勢い良く開け放たれたのだ。


「カイト殿──ッ!」


 そんな大声と共にバタバタと、騎士達が一斉に雪崩れ込んでくる。カイトはその気配を背中に感じ、ああ、助かった、とほんの僅かばかり気を緩めてしまう。

 けれども男──ジェルヴァジオは、用意周到だった。騎士達が駆け付けるよりも早く。その男は、魔族らしい魔力弾による一撃を、その眼玉が入れられた容器を目掛けて撃ち放ったのだった。

 バキンッと、嫌な音を立てて容器が砕け散る。しまった、とカイトが逃げるよりも早く。砕け散った容器の中から、自ら飛び出たその眼玉が勢い良く、カイト目掛けて飛来したのだった。

 避ける暇などありはしなかった。

 避けられる筈もなかった。

 その力はただ、元の身体へ戻ろうと引き寄せられただけなのだから。


 途端、バチンッという音と衝撃と共に、カイトは目の前が真っ白になった。ぐわんぐわんと頭の中が揺れ、最早カイトは足元も覚束ない。耐え切れず、その場にドサッと倒れるように座り込む。

 クラクラとしながら顔を上に向ければ、両目から何かがドロリと垂れてきた。血の匂いがする。カイトはどこか冷静な部分で、そんな事を思った。


「カイトッ!」

「ッ神子様、駄目です!近付いては──ッ」


 最早現場は阿鼻叫喚。

 ヴィットリオが暴れ回るそこは、味方同士による乱闘の様相を為す。まるでどこかの戦場のようだ。

 けれども尚、目を開く事すらままならないカイトはただ、その場に座り込んでいる事しか出来なかった。この目に映ってしまうだろう光景が恐ろしくて。一歩も動けない。踏み出せない。


 そして後に、これらの所業を企んだ男は、この戦闘のフィナーレだとばかりに高らかに宣言した。


「ハハハハッ! カイル=リリエンソールは我が手中にあり! バルドヴィーノ、連れて来いッ!」


 そうしてカイトは、碌に目も開けられぬ中で。

 城から瞬く間に連れ出されてしまったのであった。自分を抱き抱える誰かにやはり既知感を覚えながら、カイトは己の無力感に苛まれた。



 そして、それらの騒動の後。カイトが姿を消した宝物庫内では。

 ヴィットリオの身体が瞬く間に力を失い、ドサリとその場に倒れ伏してしまった。誰かが慌てて駆け寄るも、彼は青白い顔で目覚める気配は一向にない。ヴィットリオが今しがた味方に斬りかかって暴れ回っていたのも、まるで夢か幻だったかのようだ。

 誰も彼も、一体ここで何が起こっていたのかも分からぬまま。容疑者すら不明のまま、漂う喪失感と敗北感に、彼等はただ打ち拉がれるのだった。


「カイト……」


 ポツリ、呟かれたハルキの声は、宝物庫内にやけに大きく響いた。

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