短編・ターニングポイント

サクヤ

短編・ターニングポイント

 初めは当て付けだった。


 友達から見せられた彼氏の浮気画像、それに対する報復として、当時アプローチをかけてきたサッカー部の先輩と肉体関係をもった。


 彼氏とはまだシたことはない。だからこそ、初めてを捧げたと知った時のダメージは計り知れないものがあるはず。


 ただ、彼氏の事が嫌いかと問われればやはりまだ好きと答えると思う。そもそも、サッカー部の先輩のことは好きじゃないし。


 高校三年、先輩とは定期的に関係を継続していた。


 浮気を知ったのがニ年の頃だったから、もう一年になる。先輩との関係をバラそうとする度に彼の微笑む顔が脳裏に浮かんで躊躇してしまう。


 私の好きな彼の爽やかな笑顔をこの手で壊してしまうのかと思うと、体が震えてくる。


 恐怖を抑える為に先輩との行為で相殺する。そしてまた私の心に傷が刻まれていく。まさに悪循環というやつだ。


 先輩とは『せフレ』以上『恋人』未満で、心は未だ彼の元にある。本来、体と心は彼と共にあるべきなのだが、浮気画像の一件から変に拗れてしまっている。


 進路相談の帰り、私は先輩に呼び出された。


 臆面もなく、セックスしようとRINEのメッセージには書かれていた。

 断る理由もないので、ホームのベンチに座って電車を待つことにした。


「ちょっと良いかしら?」


 私の隣に座った、いかにもOL風な女性が話しかけてきた。


「どうかしましたか?」

「暇だからさ、私の話に付き合ってくれない? ほら、事故で電車も遅れるみたいだし」

「あ、はい。別にいいですけど……」


 女性の言うとおり、事故で電車が遅れるという内容の案内があった。

 女子高生とOL、全く面識のない組み合わせでいきなり話しかけてくるというのも怪しさ満載だけど、その女性には不思議と近しいなにか感じたので、断る機会を失ってしまった。


「浮気、したことある?」


 いきなり核心を突く内容に、呼吸が僅かに乱れ始めた。胸に手を当てて落ち着かせながら、私は小さく頷いた。


「だよねぇ〜、なんかそういう空気を感じたもん。似た者同士ってやつ?」

「似た者同士ってことは……あなたも?」

「そうだよ。もう何年も前のことだけどね」


 女性は寂しそうな表情で背もたれに寄り掛かって、天井を見上げた。


「心は彼に、体は先輩に……そうやって区別してたんだけどさ。女って、体に心が引っ張られちゃうんだよね。高校大学と長い間、浮気を続けてたんだけど……いつの間にか先輩と一緒にいる時間のほうが増えてきて。気付いたら彼はいなくなってたの」

「いなくなったとは……自然消滅ってことですか?」

「それだったら良かったんだけどね。そういうことじゃないんだよなぁ〜」


 女性は立ち上がり、自販機でコーヒーを二つ買ったあと、片方を私に渡して一息ついた。


「彼……自殺してたの」

「自……殺?」

「そう。遺書はあったけど、原因については書かれてなかった。書いてあったのは、私に対する感謝の言葉ばかり。虐められていた中学時代、助けてくれてありがとう。見捨てず傍に居てくれてありがとう。色々ありがとうで埋め尽くされていた」


 原因は書かれてないが感謝の言葉って。それはもう……女性が原因で自殺したと言ってるようなものじゃない。


「結局、最後の言葉の意味をこの間まで理解出来ずに私は先輩に捨てられちゃったの」

「捨てられた!? それに最後の言葉って……」

「寝取る気満々の男はね、女を手に入れても結局また他の女が欲しくなるものなの。信頼関係を積み上げて恋人になったわけじゃないから、それは当たり前のこと。当時の私はそんなことに気付かずにズルズルと進み続けていたわ」


 彼氏は自殺して、先輩には捨てられた。境遇が似すぎているだけに、とても他人事には思えなかった。


「最後の言葉って、なんだったんですか?」

「うん? あ〜、彼女でいてくれてありがとう……だったよ」


 きっと彼は気付いていた。長い時間悩み続けて、耐え続けて、恨み言一つ言わずに感謝の言葉を遺した。


 体の震えが止まらない。歯がガチガチと鳴り始める。自分が彼女の立場だったらとてもじゃないが耐えられない。心が壊れてしまう。

 いや、彼女はすでに壊れかけているのかもしれない。顔はやつれていて、頬は痩けている。

 化粧で目の下の隈を隠しているけど、同じ女性ならすぐに分かるレベル。


 そして女性は自嘲気味に言った。


「都合のいい女。あっちにふらふら、こっちにふらふら……本当に良い男を見失ってバカみたい、死ねばいいのに」

「な、何もそこまで言わなくても。多分だけど、二十代ですよね? まだまだ人生長いですし、また良い出会いがありますよ」

「頭では分かってる。でもね、それはきっと未来の私が言うべき言葉。あなたが口にしていいものではないよ」

「……。」


 何故だろう。フォローしたつもりなのに、女性は私を見据えて冷たく言い放った。


「私ね。彼との思い出を取り戻すみたいに彼から貰ったものを必死に掻き集めたの。押入れ、タンス、とにかく色々ひっくり返してね。そしてこの一年、ずっと泣き続けてきた」


 女性はバッグから取り出した何かを、私には見えないように、私の手を包み込むようにして何かを握らせた。

 中身を確認しようとする私を制止して、彼女は諭すように優しく言った。


「人生の大先輩からのアドバイス。きちんと彼と話し合いなさい。私のようになりたくなかったらね」

「でも、彼は浮気を────」

「見せられた浮気の証拠、それはホンモノ? それに嘘か本当かのまえに、ちゃんと彼の言い分も聞かなきゃ駄目。恋人関係って、相手あってのものだからね。あなたはまだ引き返せるから……」


 プルルルルルルルッ!!


 電車がやってきた。彼女は包み込むように握った手をゆっくりと解いた。

 私はこの電車に乗るつもりで来たのに、体が言うことを聞かない。


 私は手の中にある物を確認しようと指をゆっくり開いた。


「────ッ!?」


 心臓が止まるかと思った。何故なら、私が握らされた物は彼と初めてデートしたときに貰った小さなクマのぬいぐるみだったからだ。


 ただ、私が持ってる物と違ってこのぬいぐるみはかなり傷んでいるし、全体的に古びていた。


「あのこれって…………」


 顔をあげると、そこに女性はいなかった。


 立ち上がればすぐに分かる距離なのに、その気配を微塵も感じなかった。それどころか座っていたベンチに温もりを感じない。最初から居なかったような、そんな感じだ。

 理解できない事象に困惑していると、電車は私を置いて発車してしまった。


 それから暫くして、私は駅から出た。


「あっ……その、久しぶり」


 彼がいた。私も彼も帰り道は徒歩。それなのに彼は見つかったと言わんばかりにバツが悪そうな顔をしていた。


 気付いたら彼の胸に飛び込んで泣いていた。


「ごめんなさいっ! 私、私────ッ!!」

「ちょ、いきなり泣かれると困るよ。よしよし、家まで送るから、取り敢えず行こっか」

「…………うん」


 私が落ち着いた頃、彼に今までのことを洗いざらい全て話した。別れ話になっても仕方ないと覚悟していたけれど、彼は許してくれた。


 私はこれからの人生全てを彼のために捧げようと心に強く誓った。あの女性はきっと、未来の私かもしれない。そして彼女があの日現れたのは偶然では無い気がする。


 駅を出たら彼がいた。それはつまり、浮気がバレる決定的な日が今日ということ。やり直すことの出来る最後のターニングポイントだからこそ、未来から彼女はやってきた。


 彼女の忠告を胸に、私を許してくれた彼のことを支え続けようと思っています。本来あるはずの無いこのぬいぐるみには、そんな想いが込められている気がするのです。

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