第2話 科学部、非科学部に改名?

 放課後の薄暗い廊下。省エネで照明は消えている。

 ひんやりした廊下を進むと、例の『転ぶトイレ』が見えた。

「そのトイレよ」

 と、あや子が言うと、1年生の茉莉まつりが周囲を見回しながら、

「なんか緊張してきました」

 と、言った。

「ほら、貴美香きみかが変なこと言うからぁ」

 溜め息交じりに、あや子が言った時だ。

 天井のスピーカーから、キーンコーンカーンとチャイムが鳴り響いた。

 4人は驚いて跳び上がった。

「……ビックリしたぁ」

「チャイムよ、チャイム。3時45分!」

 腕時計を見ながら、あや子が転ぶトイレの扉に向かった。

 押して開けるタイプの扉だ。4人は、恐る恐るトイレに入った。

 片側の壁には鏡の貼られた水道が並び、正面には擦りガラスの窓がある。反対側の壁には手前に掃除用具入れがあり、その向こうに個室トイレが3か所並ぶ。

 洋式トイレの階もあるが、ここは全て和式トイレだ。

 貴美香は入り口で足を止めた。

「……あー、なんだ」

 入り口のすぐ横に、汚れた白っぽい服の女が座り込んでいた。

「このトイレ、初めて入りました」

「他の階のトイレと同じですよね」

「床の感じも同じに見えるわよねぇ」

 床に目を向けている貴美香の横を通り越して行き、3人はトイレの中を見回している。3人とも、座り込んだ女が見えていないらしい。

 見える性質たちの貴美香にとっては、いつものことだ。

 貴美香は、女から一歩離れて見下ろしてみた。

 よく見れば、座り込む女の下に床が透けて見えている。半透明な姿だ。

「窓、開くかなぁ」

 茉莉と砂羽さわが、トイレ奥の窓を見上げた。

 鍵を開け、擦りガラスの窓を開けてみるが、5センチほどの隙間で止まった。

「あー、やっぱり少ししか開かないかぁ」

「転落防止で、換気する隙間以上は開かないようになってるらしいね」

「へー。うちのマンションが見えると思ったのに」

 あや子が、一番奥の個室に入った。

「ほら、調べるよ。ここに入って、出る時に転んだの」

 と、言いながら戸を閉めて鍵をかけ、しっかりと水を流してから個室の戸を開けた。

 足元を見ながら出て来るが、あや子に転びそうな様子はない。

「転ばないですね」

「あんたたちも、やってみなさい」

「はーい」

 茉莉と砂羽も、開いている個室に入ってみている。

「別に床は滑りやすくもないですよね」

「ペダルが濡れてるわけでもないし」

「あー、ペダルが濡れてれば、流した後に滑っても不思議じゃないか」

 戸を開けたままの個室で水を流す3人を貴美香が眺めていると、座り込んでいた女が突然立ち上がった。

 そして3人に見えない女は、個室の前にベタッと、うつ伏せで倒れ込んだのだ。

 ――うわぁ、ベタッと。

 貴美香は目を丸くした。私立校とはいえ、トイレの床は決してキレイではない。

 ふと思い立ち、貴美香は腕時計に目を向けた。

 3時50分。トイレに入ってから5分だ。

「入って5分後に寝そべるの?」

 床を見るふりをしながら屈み込み、貴美香は小声で聞いてみた。

 うつ伏せのまま、女は頷いた。問いかけに答えるタイプの存在のようだ。

「なるほど。トイレが長いと引っかかるのね」

 両腕を伸ばし、うつ伏せで寝そべる女に、3か所の個室のどこから出ても引っ掛かりそうだ。

 個室では水を流す音が続く。

「何回か続けて流してても、ペダルから水漏れとかもしないわよね」

「そうですねぇ」

 流水音で声を紛らわせるように貴美香は小声で、

「子どもを転ばせてないで、このトイレから出て行って」

 と、女に言ってみた。

 ゆっくりと、女は起き上がった。

 よろよろと歩き、トイレの窓の隙間に頭頂部を押し付ける。

 擦りガラスの窓が、ガタガタと揺れた。

 個室にいた3人も顔をのぞかせ、窓に目を向けた。

「今の、風の音ですか?」

「窓、開けたらまずかったかな」

 もう一度ガタガタと窓を鳴らして頭頂部を押し付けると、するりと吸い込まれるように、女は細い隙間から窓の外へ抜け出した。

 貴美香が外を覗くと、女はふわふわと空へ昇っていく。

「窓、閉めちゃおう。解決、解決」

 と、貴美香は窓を閉めた。

「なにが?」

「うちらがトイレに入って5分経ったら、女の人の霊がこの辺りの床に寝そべったの。うつ伏せでベタッて。だから、5分以上個室に入ってると、出る時に引っかかってたみたい」

「……」

「……」

 3人は、ぽかんとした顔で聞いている。

「出て行ってって言ったら、窓から出てってくれた。窓をガタガタ言わせながら、スルッて抜けて行ったよ」

 窓を指差して、貴美香は話した。

 砂羽の後ろに隠れながら、茉莉が、

「先輩、怖いです……」

 と、つぶやいた。

「たぶん、もう転ぶ人はいないよ。転ばせる原因が空に昇ってっちゃったから」

「……」

「……うちは科学部なんだってば」

「もちろん。十日後にまた保健の先生に聞いてみよう。来週は、そこの多目的室で3年の進路説明会もあるから、このトイレを使う人も多いはずでしょ?」

「……転ぶ人がいなくなっても、非科学部には改名しないからね」

 と、部長のあや子が言う。

「非科学部になっちゃったら、私この部活やめますぅ」

「私も退部しますよ」

 茉莉と砂羽が言う。

「困る困る。うちは科学部よ」

 と、言って、貴美香は笑った。

 しっかりと水道で手を洗い、4人はトイレを後にした。


 5分後に女が寝そべった理由は謎のままだ。

 しかし、そのトイレで転ぶという話を、それ以降聞かなくなったのは事実だ。


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学校の転ぶミステリー 天西 照実 @amanishi

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