「多様性を認める」なんてのをどこまで実践できますか

人の外見というのは区別するのに優れていて、時にそれは差別にもなるだろう。
あまりに見た目の違う相手に何かを思わずにいられるだろうか。
肌の色や髪の質。喋り方や歩き方を心の中で指差していないか。私はあんなのでも平気だよとか気にしないよとか言ってしまわないか。
そんなところに特別に何かを思う時点で区別はしていて行きすぎたのが差別なんだろう。その境界線は?
見た目に差異があろうと心はある。同じように喜び同じように悲しむ心が。
そんな事を思わせてくれるお話ですけど、言えるのは

「さすがに下半身が蜘蛛なのはちょっと……」

これは区別だと思う。
でもきっと仲良くは出来るさ。

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