身体のかたちは
ihana
身体のかたちは
「恋とは何か教えてくれんかの?」
たまたま下校で一緒にならざるを得なくなった彼女は突拍子もなくそんなことを言ってきた。
異種族交換留学で来た彼女は、アラクネと呼ばれる姿をしている。人の上半に蜘蛛の下半。はっきり言って気持ち悪い。シロエビグモと呼ばれる白い蜘蛛の体部分は、グロテスクで毛がモサモサ生えている。おまけに体長がニメートル近くあってでかい。
そして彼女は空気が読めない。こと恋愛に関しては。それもそのはず、彼女の種には男性がいない。
返答を拒否したいが、下手なことを言うと怒って蜘蛛部分にある殺人的な鎌で殺されるかもしれない。優真は何とか回答をひねり出すことにする。
「え、えーっと、その人のことしか考えられなくなっちゃう、みたいな感じじゃないかな。俺も恋したことないからよくわかんないけど」
背中を何滴もの汗が伝うのを感じる。少しでも歩くスピードを上げて、早く家にたどり着きたいと思う。
「交尾をしたいと言うのとは違うのかの?」
「それはたぶん、だいぶあとの話だと思う」
蜘蛛女は腕を組み難しい顔をする。
「わらわはおぬしと交尾したいと思おておるのじゃが、それは恋とは違うのかの」
一瞬時が止まったかのような錯覚を覚える。それと同時に、彼女が言った言葉を理解することを脳が拒絶している。
「おぬしは優れた個体じゃ。より優れた者と子孫を残したいと思うのは恋とは違うのかの?」
「ごめん、そう言うのはちょっと……」
それ以上言葉が出なかった。いろんな意味で怖いし、おぞましい。
優真はそれだけ言い残して、なりふり構わず走って家まで逃げた。
◆
優真は彼女のことをよく目で追ってしまう。クラス1可愛い女子で、明るく誰にでも気軽に声をかける人気者。成績もよく運動神経抜群だ。
今日の体育の授業は短距離走で、たまたま彼女と蜘蛛女が一緒に走ることになった。蜘蛛女はそもそも種族的に優れているので人が徒競走で勝てる謂れはない。だが、彼女であれば勝てるかもしれない。
スタートの号砲が鳴り、クラスの応援が始まる。みんなは応援相手の名前こそ言わないがどちらを応援しているかなんて言うまでもない。
そして100メートルを走り切り、僅差で遠藤が勝利する。クラスメイトたちはこれに大いに賑わった。種族的劣勢を撥ね退けたことや、ギリギリの勝利であったことにハラハラしたからだ。そして、一部には拒絶感の大きい蜘蛛女に勝ってほしくないと言う思いもあったからであろう。
あまり顔を向けないようにしていたが、事もあろうか蜘蛛女がこちらへやってくる。
「負けてしもおた。勝ちたかったんじゃがの」
親友たちが目に見えて距離を取ったのがわかる。
「そ、そうなんだ。なんで勝ちたかったの?」
「それはもちろん、おぬしにいいところを見せたかったからじゃ。相手にいいところを見せたいと思うのは恋の第一歩と聞いんじゃ。違ったかの?」
合っている気はするが、彼女の場合目的を違えている気がする。
友人たちのヒソヒソ声が聞こえてくる。
何でもいいからこの場を離れたかったので、優真は適当なことを言って彼女からできる限り物理的距離を取った。
それから何度かそういうことがあった。テストであったり、授業の課題であったり。その度にいちいち恋とはなんなのか、今の自分はどうだったかと聞いてきて、本心から鬱陶しかった。最近では登下校まで一緒になろうとしてくる。可能な限り彼女を避るよう何とか言い訳をつけてきたが、避けられない日も当然あった。
何が嫌かと言うと、まず目立つ。道路を歩いているだけで周囲からこちらを指さされたり、ひそひそ何か言っていたりするのが聞こえてくる。そしてたまに変な奴らに絡まれる。異種族共生は政府が国防理由に民意無視で勝手に決めたこと。拒絶感を持つ人は想像以上に多い。それに、蜘蛛女と話しているのを遠藤や親友たちに見られるのも嫌だった。
「そ、そのさ、なんで俺なんだよ。別にそんな成績も運動も顔もいいわけじゃないし、ほかにももっといいやついるじゃん」
「おぬしが優しい人間じゃったからじゃ」
「俺以上に優しいやつなんてクラスにいっぱいいるって藤原とか、金村とかさ」
彼女は首を振る。
「わらわが話しかけて、まともに言葉を返してくれるのはおぬしだけじゃ」
それを聞いて言葉を失う。確かに彼女が誰かと話しているのを優真は見たことがない。
だが、それを言ってもなお彼女は前向きな顔をしていた。
「人の世はすごい。優れた文明を持ち、見たこともない建物や機械で溢れておる。わらわはこんなすごい世界で生きる人間の友達が欲しかったんじゃ。100人くらいを夢に描いておった。じゃが、来た後で現実は厳しいと思い知った」
蜘蛛女は空へと手を伸ばす。その手の平に掴みたいものが描かれているかのように。
「いろんな努力をした。勉強も宿題もちゃんとやった。わらわが空気を読めんと言われておるのも知っておる。だから国語もいっぱい勉強した。中学生が一番気にする恋や青春と言うものも学ぼうとした。じゃが、わらわの一番の問題はこれじゃ」
そういって自身の蜘蛛の体をポンポンと叩く。
「こればっかりはどうしようもあらん。努力したところで変えられん」
蜘蛛部分は相変わらずグロテスクなので、できる限り視界に入れないようにしている。だが、彼女はそれをいたわるように優しくさすっていた。
◆
優真はその日を境に徐々に彼女と会話をするようになっていた。蜘蛛の体の部分はまだ抵抗感があるので見ない様にはしていたが、彼女と話すこと自体への拒絶感はだいぶなくなっていた。学校で話す機会もぼちぼちあったが、周囲の視線はどうしても気になるので可能な限り登下校で話すようにしている。
そんなある日、優真は遠藤に話しかけられた。
「優真君ってさ、最近よく蜘蛛のあの子と話しているよね」
ぼんやりと蜘蛛女のことを考えていた優真の顔を遠藤がいきなり至近距離で覗き込んできた。
「うわ。あ、そ、そうだね」
彼女がいたことのない優真にとって、遠藤のこの距離感にはドキドキしてしまう。
「どしたのそんなに驚いて。あ! もしかしてあの子のことが好きとか!?」
全力で首を振る。むしろ優真が異性として気になっているのは遠藤の方だ。
「そんなことないって。たまたま帰り道が一緒だから話すようになっただけだよ」
「ふーん。その割には好きな人のこと言われてるような顔してるよ」
「ち、違うって。正直、彼女には迷惑してる」
違う。
「異種族交換留学は政府が決めたことだから仕方ないけど、やっぱほら……見た目とかキモいし」
違うんだ。……こんなことを言いたいわけじゃない。
「ふーん。そうだよね。あたしもそう思ってた。いいこと聞いちゃった。またね」
遠藤は微笑しながら立ち去って行った。
◆
この日のお弁当はたこさんウインナーだ。蜘蛛女のお弁当は毎朝自分で作っている。最初に人間の国へやってきたばかりの頃は、母国と同じように生の虫やらなにやらを持ち込んでしまったのだが、今ではそれが周囲の悪影響を及ぼすことくらいわかっている。幸い彼女は雑食であるため人間の食文化に馴染むことへの苦労はそこまでなかった。
そして、ご飯を一人で食べながらぼんやりと最近よく話すようになった人間のことを考えてしまう。
「ねぇ、ちょっと付き合ってくれない?」
そんなことを思っていたら、クラスで初めて、人間の方から話しかけられた。
蜘蛛女はドキッとしながらも大急ぎで応対する。
「もちろん、もちろんいいぞえ」
人間の友達をつくりたかったからクラス名簿は全員分暗記している。この子は遠藤という女性だ。
そして、彼女に誘われるまま、校舎裏にやってきた。
自分が周囲から浮いていることや空気を読めないことは十二分に理解している。だから、ここで失敗しないようにと彼女は息巻いていた。
「あたしね、優真君のことが好きなの」
「え?」
いきなりそんなことを言われて、これがどういう前振りなのかやどういう会話の流れになるかを必死に考える。自分はただでさえ国語力が低い。いくら考えても考え足りないはずだ。
「あなた、優真君と最近仲がいいでしょ? 良かったら協力してほしいなって思って、今日はその相談をしにきたの」
この流れは……簡単そうに見える。
最近彼との会話数はだいぶ増えてきている。協力するのはそこまで難しくないはずだ。
思わず笑みがこぼれる。
「そ、そうかの。わらわでよければ力になるぞえ」
「ほんと! ありがとー!」
遠藤から感謝の言葉を述べられて、安堵したような気持ちと共に蜘蛛女の顔が緩む。
――次の言葉を言われるまでは。
「そしたら、優真君とあんまり一緒にいないでくれる?」
「……え」
「ほら、既成事実って言うの? 彼とあなたがよく一緒にいて周りがそう思っちゃったらまずいかなーって思ってさ」
これに対する答えは……簡単だ。
だが、その答えで本当にいいか迷う。蜘蛛女はすでに優真のことを友達だと勝手に思っている。だから、自分にとって彼との時間を減らすというのは苦痛に思えた。
一方、そうすることで目の前の女性も友達になってくれる可能性がある。互いに悩みを聞いたり相談に乗ったりするというのは友達同士でなければしないことだと本にも書いてあった。
「わ、わかったのじゃ。じゃが、たまにはわらわも彼と話したい。友達じゃと思おておるからして」
「え? そうなの?」
「そ、そうじゃ」
弁明するようにそう言葉を発する。
「彼、あなたの見た目が怖くて無理って言ってたよ」
私は口をつぐむ。
虚しい思いが込み上げてきて。
「じゃあ、そういうことでよろしくねー」
蜘蛛女は立ち尽くすことしかできなかった。
その日から、蜘蛛女は彼と話すことをやめた。彼はときどき自分と話したそうにしている素振りを見せてきて、胸を締め付けられるような思いをした。
この締め付けがなんであるか今はわからない。
だが、それでも我慢した。
◆
「優真君、おはよー」
「遠藤さん、おはよ」
「どしたの? 元気ないね?」
「うん。まあ、いろいろとね」
この答えはわかっている。蜘蛛女と最近話せていないからだ。前は話すことに拒否感が強かったが、いざ話さなくなると話したくなってしまう。
どうしてなのかはよくわからない。でも、彼女と話していた時間は不思議と自分が自然体でいられた気がする。
「あ、わかった。蜘蛛の子のこと考えてるんでしょ!」
意地悪な顔でそう言ってくる。
「前に見た目がキモいって言ってたじゃん!」
遠藤はわざと教室全体に聞こえるかのように大きな声で言ってくる。そして、蜘蛛女は今この教室にいる。
蜘蛛女は顔こそこちらには向けていないが、その表情がこわばっているのはすぐに分かった。
「い、いや、俺は……」
「うん? なに?」
遠藤がこちらを見てくる。周囲も見ているような気がした。
公然と蜘蛛女の悪口を言っているが、こう言ったところで遠藤の痛手は少ない。彼女に賛同する者は多いし、実際優真も少し前まではそうだったからだ。
「あ……。いや……えっと……」
「ん?」
息が上がってくる。
心臓が高鳴って、手が震えてくる。
「なんでも……ない」
優真は遠藤に反論することができなかった。
◆
「約束を……破る」
口に出して、その罪深さを自覚する。それでも蜘蛛女はどうしても確かめたいことがあった。優真と話せなくなって、彼女はより一層彼のことを考えるようになった。自然と目で追ってしまい、彼の一挙手一投足に意味を探ってしまう。
もしかしたら、これが恋というものなのかもしれない。蜘蛛女は、ここ最近彼と話せないことに悶々としていた。以前はなんだかんだ毎日話せていたからこんなことを思うこともなかった。だが、距離が空いてしまったからこそわかる。
だからこの日は、遠藤との約束を無視して普通に話しかけることにした。そしたら、彼も喜んで話してくれた。会話が盛り上がって、あっという間に昼休みが終わって、何となく彼も自分と話したかったんじゃないかと思うことで、胸の内に熱くなるものを感じた。
しかし、この日の帰り、遠藤にまた呼び出された。
「ねえ、彼に近寄らないでよ。この前私の力になってくれるって言ってたじゃん」
「そ、そのときはそう言うたが、わらわも……彼が好きなのかもしれんのじゃ。まだこの気持ちが何なのかはわかっておらん。じゃが、それをちゃんと確かめたいんじゃ。じゃから、すまんが力にはなれん」
遠藤は鼻で笑う。
「あなたもなんだ。へぇー。なら彼のこと考えてあげたら? 蜘蛛の見た目じゃちょっとねぇ」
「見た目は関係あらん!」
「あるよ。はっきり言ってあんたは怖いしキモいの。優真君だってそう言ってたじゃん。彼があなたの蜘蛛の体を見ていることってある?」
蜘蛛女は自分の唇を嚙む。
たしかに彼はいつも自分の人部分の体しか見てくれていなかった。いつも自分を見上げて来て、決して視線を下には動かさない。
この体が悪いのか。
この見た目が悪いのか。
生まれ持って得た自分が悪いのか。
体が震えて、吐き気のようなものが押し寄せてきた。
どうしようもない悔しさと、自分の想いの行き場のなさが胸の中をのたうち回る。
この日、蜘蛛女は家に帰って包丁を取り出した。そして、それを自分の蜘蛛の体の付け根に――。
突き立てた。
◆
蜘蛛女が救急搬送されたことが先生より伝えられた。優真は心配でならなかった。どうしてそんなことになったのか。昨日せっかく楽しく話せたのに、どうして今日は話せないのか。優真はその話を聞いた途端、ホームルームも授業も無視して走り出した。途中で遠藤が止めに入ったけど、軽く突き離してきてしまった。
ああ、これでクラスからは除け者だろうな、と一瞬思ったが、そんなことよりも大切なことがあった。
病院について、病室に入ると無事な姿の彼女がいた。
安堵の息を漏らす。
「優真……かの、授業はどうしたんじゃ。今日は学校じゃろ?」
「そんなことより、どうしたんだよ! 救急搬送されたって!」
彼女はため息を漏らす。
「この蜘蛛の体を切り離そうとしたんじゃがの。包丁刃が折れてしもおた。わらわの種は頑強じゃからの。そのときに刃が体に刺さったまま取れなくなってしもおての」
彼女が乾いた笑い声をあげる。
「そうじゃない! なんで、なんでそんなことをしたんだ!」
「この下半がなければ、優真にキモいなぞと言われんで済むと思おたからじゃ」
その言葉を聞いて、優真は心臓を握りつぶされるような思いをした。
そうじゃない、そうじゃないんだ。
「リューナ、違うんだ……! 俺は……違うんだ」
優真はいたわるように彼女の蜘蛛の体に触れる。
暖かい。
それに柔らかい。
同じだ。
人間と同じなんだ。
優真の言葉を聞いてリューナは茫然としながら、涙をこぼす。
「……初めて、わらわの名を呼んでくれたの」
そんなことを言うもんだから、優真はさらに言葉に詰まる。
「ごめん、本当にごめん。俺は、お前のことを」
涙は溢れてくるのに、言葉は全然出てこない。
そんな優真の口に、彼女は指を添えてくる。
「言葉にせんでも大丈夫じゃ。おぬしが何を言いたいかはもうわかるようになった。国語はちゃんと勉強しておるからの」
そういってお茶目に笑みを浮かべてくる。
そして、しばらくの沈黙の後、リューナはこんなことを言ってきた。
「優真、今なら、わらわがおぬしと交尾したいと言うたら応じてくれるかの?」
顔を赤らめて、もじもじとしている。
以前の彼女であればこんな姿は見せなかったであろう。
だからこう答えた。
「……ごめん、そう言うのはちょっと」
リューナはこれに少しだけ悲しそうな空笑いを返してくる。
「そ、そうじゃよな、わらわもそう思おて」
今度は優真が彼女の口に指を添える。
「その……手をつなぐところから、くらいなら」
そう言って彼女に手を差し出す。
彼女の不安は蜘蛛の子を散らしたように消えていった。
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