第05話


 「【我ら人類の原初の力・其れは命を燃やす業火と成りて・我が敵を滅せよ】ッ…!!」


ラミスフェリの力強い声が、周囲に響き渡る。


 レイが講義室に顔を出さなくなってから、既に数日が経っていた。

団員たちはレイが来る前の生活リズムに戻っており、新人のラミスフェリもその輪に加わっていた。


────現在、第一魔導訓練場。

 魔導士達には、それぞれ専用の訓練施設が存在している。

まあそうと言っても、ただ壁で仕切られているだけなので専用という言葉は似つかわしくないのだが。

 その一角でラミスフェリは第五位階魔法【インフェルノ・フレイム】の詠唱に挑戦していた。

「うーん、やはり駄目ですわね…」

ラミスフェリの眼前にある訓練用の案山子は傷一つ付いておらず……、というか魔法は発動すらしていなかった。

完全な失敗である。

「第五位階…、やはり難しいですわね…」

 第四位階の魔法を既に半分近く習得しているラミスフェリにとって、次の大きな課題は第五位階の魔法である、と本人は思っていた。

事実、第四位階の魔法に比べて詠唱が複雑化していて、込める魔力量の感覚もつかめないでいる。

第四位階魔法までしか習得できずに死んで行った先人達を心の中でバカにしていたラミスフェリだったが、その気持ちも今なら理解できる。

「うーん、魔力の練り方が悪いのかしら…」

行き詰まったラミスフェリは横に置いてあった魔導書を手にとって、【インフェルノ・フレイム】の解説ページに目を向ける。

そのまま暫く目を通していたが、特段の解決策は見つからない。

「うーん、詠唱内容は合ってると思うのですけれど…」

 どうやら、まだ彼女には早かったようだ。


「おーい!ラミィ!」


と、本に目を落としていたラミスフェリの背後から、メアリーの声が飛んできた。

ラミィとは、彼女の愛称だろう。

「あら、いかが致しましたの?」

ラミスフェリは本を閉じて、いつの間にか背後まで来ていたメアリーに振り返る。

当のメアリーはラミスフェリの質問を聞いて、不思議そうに首を傾げた。

「およよ?もうお昼だよ?」

「あら、もうそんな時間でして?」

ラミスフェリが外に出て空を見上げると、確かに日は既に真上を登っていた。

訓練場の中に居ると時間感覚がつかめない。

ラミスフェリの他にも何人か夢中になっていて気が付かなかった人は居たようで、メアリーの声を聞いてハッとしたように食堂へ向かっていく。

「私達も行こー!」




 食堂に入ると、既に席はほとんど埋まっていた。

「あちゃー、やっぱ遅かったかー」

「申し訳ありません。私のせいで…」

食堂の席争いは戦争である。

入団する新人の少なさを嘆いていたラミスフェリも、昼食の時間ばかりはその人数の少なさに感謝する程だ。

とは言っても、今日は来るのが些か遅すぎた。

何せいつもの倍は人が集まっている。

一見しただけでは空いてそうな席も、よく見れば埋まっていたり、一人分のスペースしか無かったりするので、動くに動けない。

「うーん…」

 一応、一人分の席なら空いてる箇所は複数あるのだが…。

せっかく二人で来ているのに別々に食べるのは寂しいものだし、一緒に食べたいところだ。

二人は、先に注文だけ済ませて椅子が空くのを待つことにした。

 「お、あそこ空いたよラミィ」

と、メアリーがラミスフェリの服の袖を引っ張った。

「あら本当で────」


言いかけて、止まる。


確かに空いている。

それも、二人分。

だがよく見ると、空いた席の向かい側にはあの無能────レイが座っていた。

しかも行儀悪くカレーをバクバクと食い漁っているではないか。

「なんてはしたない…」

「まあまあ、あそこしか無いし♪」

明らかに嫌がる態度のラミスフェリに対して、存外乗り気なメアリー。

まあ、席が埋まってしまったのはラミスフェリが時間を忘れていたのが原因だ。

完全な自業自得。

 それに、自分を呼びに来てくれたメアリーをこのまま立たせておくのも忍びない。

そう考えたら諦めがついたのか、ため息一つついて「背に腹は替えられませんわね…」と呟いた。

 二人は急いでその席について、とりあえず座れたことに安堵する。

もっとも、この男の前ではなければ尚良かったが…、とは敢えて言わない。

それは淑女としての礼儀に反するのだから。

ラミスフェリは気にしない素振りで食事に手を合わせた。

「ところでラミィは何の訓練してたの?」

どうやらラミスフェリの熱中ぶりに興味が湧いた様子のメアリー。

「ん?ああ、実は第五位階魔法に挑戦していたんですのよ」

と、ラミスフェリの何気ない発言に、周囲にいた数人がどよめいた。


「だ、第五位階ッ…!?」


それはメアリーも例外ではなく、食堂全体に響く大声で復唱した。

 繰り返しになるが、ラミスフェリは天才である。

既に第四位階の半数を習得した、伯爵家の御令嬢。

何気なく彼女の口にしたその言葉も、常識とは少し格別された発言だった。

そう。第五位階ともなれば、本来は40代の後半になってやっと習得する魔法のレベル帯だ。

それを、18歳という若さで既に挑戦しようというのは一般人からすれば相当に異常なことであった。

なにせ、同期のメアリーは未だに第三位階に挑戦してるレベル。

第五位階なんて、とてもではないが口に出すのもおこがましい難易度である。

「ちょ、声が大きいですわよっ…!」

メアリーの声はよく響く。

案の定、それを聞いて「何事か?」と周りの人間は皆振り返ってラミスフェリを見ていた。

ただ、そんな中でもレイだけは興味なさそうにカレーを頬張っていたが。

シン…と静まり返る食堂。

 ここで、メアリーが確信に迫る。


「で、どうなったの!?」


天才少女と言えど、この状況で失敗報告をするのは恥ずかしかったのか、顔を真っ赤にした。

そのまま蚊の泣くような声で

「も…、勿論失敗しましたわ…」

と、一言。

これでは一種の拷問である。

辱められたラミスフェリは、少しでもそれを隠すように…と昼食に手を付けた。

 一連の流れを見ていた周囲の人間も、失敗という言葉を聞くと安心したように、そして何事もなかったかのように会話に戻っていく。

「そ、そうなんだ…。なんかごめん」

「いえ、いいんですのよ…。でも、上達の糸口が中々見つからなくて…」

「そうなの?」

「ええ。魔力の練り方を変えてみたり、呪文の読み方を練習してみたりと色々してるのですが……」

と、そこまで言ってハッとする。

そういえばそうだ。

目の前に指南教官がいるではないか。

そう思って、二人はほぼ同時にレイを見た。


「「………………」」


気にする素振りもなし。

本当に教官か、こいつは。

 まあ、元より大したアドバイスは期待していなかったので、二人は食事に視線を戻した。

「私も第三位階でとまってるよぉ~」

「あら、第三位階なら簡単ですわ!!」

「え、ほんと!?」

「ええ。第三位階の魔法の殆どは魔力を良く練って、相手に弾き飛ばす意識さえ持っていれば詠唱に細かな気を使わなくても問題なくってよ!!あとは機械的に読み上げるだけですわ!」

自慢気に説明するラミスフェリに、目を輝かせるメアリー。

更に、ラミスフェリはレイに聞こえるように言葉を続けた。

「まあ、どこぞの無能な教官には難しい芸当かもしれませんわね(笑)」

ラミスフェリにしてみれば汽車に乗っていた時の罵り合いの、本当に軽い延長線のような煽りだったのだが、メアリーや周囲の団員はそんな事は知らない。

 再び食堂は一瞬にして静まり返り、正面で聞いていたメアリーの顔は真っ青になった。


「ん?どしたの?」(ニコッ)


しかし、当の本人は全く聞いていなかったようで、不思議そうに周囲を見渡している。

メアリーは命拾いした…と安堵したわけだが、ラミスフェリの方はそうでもなかったようだ。

どうにも態度が気に食わなかったらしい。

彼女は、今度こそ単なる煽り行為ではなく、レイの教官として不適切な態度に対して物申した。

「いえいえ。貴方のように魔法の基礎すら知らない偽教官様には関係のない話ですわよ。私はせいぜい新しい教官が一刻も早く派遣されることを願っておきますわ」


ザワッ…


普段のラミスフェリから想像もできない淑女にあるまじき煽り行為に、メアリーは青ざめて困惑する。

周囲も、上官に対する過度な煽り行為なんて騎士らしからぬ言動に懲罰を覚悟する者さえいた。

 しかし、ただ一人そうではない者もいたらしい。


「その通りだ!!」


全員が一斉に声の方に振り返る。

─────ガイルだった。


 彼はそのまま立ち上がり、レイに向かって歩み寄りながら続けた。

「貴方は指南教官という立場で、民が必死に働いて納めた血税を給料として受け取っておきながら、その責務を全うしようという意志が欠片もない!!」

ガイルはそのまま何枚かの羊皮紙の束をレイに押し付け、「読めッ!!」と怒鳴りつける。

 レイは無言でそれを開いてしばらく沈黙した。

 


○月✕日

本日のレイ教官の講義は(略)で、その態度はまさに(略)と言わざるを得ない。

更に彼は(略)にも関わらず、今度は一転して(略)


夜、彼は就寝前に(略)



 

レイは読み終わると、覇気のない声で「んだ?こりゃ」とガイルに投げ返した。

「ただのストーカー日記じゃねーか」

羊皮紙には『レイを監視して見つけた、だらしない箇所』なるものが本日の今に至るまで無数に書き連なっており、確かにストーカー日記のような代物であった。

 当のガイルは、レイの態度の急な変わりようにやや焦ったものの、すぐに切り替えてみんなの方を見た。

「魔導士の皆さんはなんとも思わないのですか!!このまま彼の様な無能が教官で満足できるんですか!!」

ガイルのその言葉に、周囲がざわつく。

ガイルの発言を聞き、「確かに別の人に変わってほしいかも…」という雰囲気が流れ始めたのがレイにもわかった。

少しザワついた周囲の反応を見て、我が意を得たり…とばかりにガイルは両手を広げて仰々しく話を続けた。

「我々にも教官を選ぶ権利はあるッ…!!優秀な魔導士である我々には、我々が知りたい事を的確に学ばせてくれる優秀な─────」



「────じゃあ、お前が知りたい事ってなんだよ…?」



ゾクッ


それまで黙っていたレイが、言葉を遮るように低い声を発した。

その異様なまでの圧に、思わずガイルは口を閉ざす。

(ま、またですわ…!)

ラミスフェリはその感覚に、体を強張らせた。

あの、背筋に刃物を突き付けられているかのようなヒリつく空気感。

間違いなく実技試験のときの感覚である。


 今度こそ食器の音すらしないほど完全に静まり返った食堂で、レイはゆっくり立ち上がる。

「なあ?教えてくれよガイル。お前が知りたいことって何だ?」

「それは─────」

「第五位階魔法のコツでも聞きてえのか?それともまさか、この前の『自然調和が~』とかいう下らねえ内容を本気で聞きたかったのかよ?」

レイのいつになく真剣な眼差しに、ガイルは腰を抜かして食堂の床にガタンッと音を立てて座り込む。

 「あぁ…ここ数日、お前らの訓練や座学を見ててよくわかったよ。お前らはやっぱりクソだ。魔導士ごっこしてるだけのお遊び集団。頼むから、自分達の事を『優秀な魔導士』なんて間違っても言わないでくれ。というか、願わくば今ここで全員死んでくれ」

ラミスフェリはレイの事はこの騎士団にいる人間よりほんの少しだけ早く知っている。

彼の発する言葉はどれも口先だけで実力の伴わない戯言だと思っていた。


けれど今日ばかりは、そんな考えは微塵も浮かばなかった。


 どれだけ取り繕っても、心の奥の部分は変えられない。

優秀だ、天才だと言われて育ってきた魔導士の彼らにとっては「魔導士ごっこ」なんて言葉には耐え難い屈辱があった。

野蛮な本性を持つ彼らが、その言葉を聞いて黙っているわけがない。

その証拠に、一人の男が肩を震わせながら「ふ、ふざけるな…」と呟いた。

と、それを皮切りに…、まるで瓦解したダムから溢れる水のように、あらゆる罵詈雑言がレイに向かって飛び出した。

「聞いたぞ!!お前、一般魔導士の試験に落ちたんだってなッ!!」

「そうだそうだ!!そんなやつに教わる内容なんかあるかッ!!」

「お前が死ね!!」

「魔導学の基礎すら知らん間抜けがッ!!」

王国に雇われた正規の魔導士とは到底思えない醜態だが、いい加減なレイのこれまでの言動に、皆少なからず文句を抱えていたらしい。

際限なく降り注ぐ暴言の中、レイはゆっくりと手を前に差し出した。


「【我ら人類の原初の力・其れは蒼き水を模して・我が眼前を彩り給え】」


レイが呟いた途端、淡い青の輝に包まれた水の渦の様な物が、食堂のあらゆる箇所から出現。

突然の出来事に、固まる一同。

それらは、まるで生き物のように2秒ほど不規則に空間を駆け回った後に、何事も無く、そして前触れもなくパッと消滅した。

その様を例えるのであれば、水竜が優雅に水中を踊っているかのような…なんとも形容し難い美しさであった。


「さて、この中の誰か一人でもいい。今の魔法が『どんな魔法で』『どんな効力を持った』『第何位階の』『どんな性質を付与された』魔法なのか、正しく回答できるやつ、いたら出てこい」


「「「……………」」」


沈黙。

見たことのない魔法現象に、解答するものは一人もいなかった。

「おいおい嘘だろ?『魔術の基礎を正しく理解した優秀な魔導士(笑)』の方々が60人近く集まってて、答えられるやつ一人もいないの?」

煽り散らかすレイだったが、今回ばかりは何も言えない。

事実、レイの魔法を見たことがある者はこの中に一人もいないのだから。

しかし、ガイルは負けじと口を開いた。

「水系統のオリジナル魔法で、恐らく第七位階付近の─────」


「み、水系統wwwwwwうひゃひゃひゃ!!wwwし、しかも第七位階のオリジナル(笑)って、冗談だろお前?www」


レイはひとしきり笑ったあと、急に真顔になって「他に分かるやつは?」と辺りを見渡した。

誰も目を合わそうとしない。

「はぁ…。ただの一人も────」

「だ、第五位階の【インフェルノ・フレイム】の詠唱と、最初の一節が同じように存じますわ…」

レイの発言を遮るように、ラミスフェリがおずおずと解答した。

しかし、これはレイも意外だったようで「へぇ…」と興味深そうにラミスフェリを見た。

「ま、流石は天才と噂されるラピスラズリだな。100点満点中の4点くれてやる」

「なッ…」

「残念ながら第五位階以降で第1節目に【我ら人類の原初の力】という文言を使う呪文は腐るほどある。やり直し。他にわかるやつは?」

「「「………………」」」

今度こそ、回答できるものは居なかった。

「チッ。やっぱりゴミじゃねえか。正解は────」


「─────第五位階、【インフェルノ・フレイム】」


堂々と言い放たれたその解答に、ラミスフェリが待ったをかけた。

「ま、待ってください!!【インフェルノ・フレイム】はそんな詠唱ではありませんわ!!」

この中で唯一、第五位階魔法について勉強し始めているラミスフェリのその訴えに、全員が振り向く。

「それに『赤き業火で敵を焼き尽くす魔法』と魔導書には記されています!全然違いますわよ!!」

「確かにそう書かれているぞ…!」

 確認すると、確かに魔導書の【インフェルノ・フレイム】の項目には『赤き業火で敵を焼き尽くす魔法』という一文が記載されている。

対して、先程レイが使った魔法は水の様な青い光の渦で、そもそも赤くは無いし、何かを焼き尽くすような効果があったようにも見えない。


「じ、じゃあどこが【インフェルノ・フレイム】なんだ…?」

魔導書との食い違いに、また疑問が湧き出始める。

しかし、レイはそれを無視して続ける。

「いい機会だ、無能な偽魔導士達に課題を出してやるよ。今の現象について正しくまとめた論文を提出しろ。日時は来週の朝の講義開始時刻まで。その講義で正解発表してやる」

一方的にそう告げたレイは、カレーの食器を回収口に置くと、「あぁ、もちろん自由参加な」と付け加えて去って行く。


レイが立ち去ったあとの食堂は、異様なほど静かだった。







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王立魔導士の指南教官 猫の尻尾 @sinsenkimuti

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