夏、窓に映るは

曹灰海空

夏、窓に映るは

「それで? そんなに辛そうな顔してどうしたの?」


 盆休み最後の日、実家に帰省した私は全て知っているような顔をした姉さんにそんなことを聞かれていた。

 遠くから聞こえる祭り囃と花火を背後に、良く澄んだ姉さんの声が胸に刺さる。


「…………」


 職場でのこと、上京後の私生活のこと――もやもやと辛くて吐き出したいことはたくさんある。

 でもそれを言葉にするのは難しくて。


「今まで全然話もしなかったくせに……」


 開口一番に出たのは、思ってもいない憎まれ口だった。


「それなら久しぶりの会話ってことでどうかしら?」


 けれど、そんな私の憎まれ口なんて気にもせず、姉さんは私の目を真っ直ぐ見つめてくる。

 昔から私はそんな姉さんの目が――私と瓜二つの顔をした双子の姉が苦手だった。


「姉さんはいいよね、頭も良いし周りからちやほやされてばっかりだったし」

「周りからの評価が良いからって、それで全て良いって訳でもないわ。評価なんてたまたまそこに境界線があっただけのことよ」

「それ、評価がもらえる人だから言える決まり文句なだけでしょ?」

「……そうね、確かに良く聞く言葉だったかも知れないわ。でも――」


 知って欲しいことがあるの、と姉さんはそこで一瞬目を伏せる。

 いつも誰かに褒められていた姉さんのそんな表情を私は始めて見た気がした。


「あのね……評価されてもそれが偽りの自分だとしたら、結局自分なんて何も残らないの」

「……え」


 部屋の温度が急に下がった気がした。

 それは、誰にでも好かれていた姉さんからは想像も出来ない言葉で。


「最近ようやくわかったのよ。自分が本当にやりたかったこと、残したかったこと、何一つやれて無かったなって」

「やれて、なかった?」

「そう。比べられることばかり、周りから認められることばかり考えて生きる毎日」

「…………」

「本当はね、いつからか分からないけど妹のあなたがうらや――」

「嘘よ!」


 気づけば声が出ていた。


「私の上位互換でしかない姉さんが――いつも周りに認められてた姉さんが――」


 抑えることが出来なかった。


「私に――私に――欲しがるものなんて何も無いくせに……!」


 戻らない言葉と自分の卑しさに思わずぎゅっと目を閉じる。

 吐き出したはずなのに、胸が痛くて苦しくて。

 熱くなった目を隠すよう下を向いた私に遠い花火の虚しい破裂音だけが聞こえてくる。


「……夢よ」

「え……?」


 何発もの花火の音を聞き流した後、ふいに姉さんの呟いた言葉が響き私は顔を上げた。


「夢――それが私にはなくて、あなたがいつも持っていたものよ」

「ゆ、め……?」

「うん。私と違ってあなたはいつも自分がやりたい何かを、残したい何かを必死に追って生きていたから……」


 窓越しの打ち上げ花火に重なって見えるその姉さんの顔は、なぜか少し泣いているようで。

 その言葉に何故か胸の痛みが薄れていった。


「ごめんね。あなたの創った作品――あんな風にバカにしてたけど、本当は夢がこもってて好きだったわ……」

「…………」


 思い出されるのは小説家を目指していた頃のこと。

 最初は姉さんと比べられることがない秘密の趣味として始めたのが、気付けば私の人生は執筆という色無しでは描けないと感じるまでになっていた。

 自分だけの世界を書いている時は、周りの目なんてこれっぽっちも気にならなかったから。

 でも、社会人になってあんな事が起きて――


「遅い、なんてことないわ」

「え――」


 ふわり、と。

 風に乗ってなのか、目の前に一枚の紙が飛んでくる。

 少し古びたその紙には忘れられない見覚えがあって。


「私の――」

 小説、と言葉が続かなかった。


 それは書きかけでなくしたと思っていた、私が一番最初に創った小さな世界のかけら。

 小学校の夏休み、祭りへ行くのも忘れて夢中で書いた冒頭部分だけの私の世界。


「あなたにはまだ時間が――やりたいことを、夢を追える時間があるじゃない」

「夢を、追える……」


 遠くで大きく打ち上がった花火の光に、手に持った世界のかけらが淡く輝く。


 ああ、そういえば。


(初めて創った世界の始まりは、幼い頃姉さんと見た花火を元にしたシーンだったっけ……)


 窓に映る私の顔が――嫌いだった筈の姉さんの顔が頬を伝う何かで歪んだ。


「私が持てなかった夢を、短かった人生で後悔したことを、妹のあなたには捨てないで欲しいの……」

「姉……さん……」


 姉さんが、私が、互いに触れようとした手は硬くて冷たい硝子の感触を返すばかりで。


 祭りのフィナーレを飾る眩しい花火の後に残ったのは、泣きじゃくる私とそれを反射する窓硝子、そして――


「夏、窓に映るは――」


 続きが決まった手の中の夢だった。

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