バスと神保町と僕し

@BarkMoon

最終話

大学を出る。

本郷からバスに乗り、秋葉原へ向かう。

なかなか外に出る機会もないので、

こういうチャンスにはちゃんと遊んでおいた方がいい。

遊びもまた大学生の本分だから。


バスに乗った自分は少し疲れていた。

疲れていたから、三四郎のラジオのきんに君回を聴くのだ。

さっきまでの大学の疲れと、きんに君回の疲れ。

これらをぶつけることによって相殺する作戦だ。


バスは公共交通機関なので、あまり大声では笑えない。

笑いは噛み殺したとて顔に出るので、

そういう意味ではコロナ禍でマスクを付けていて良かったということだ。


きんにの奇行を聞きながらTwitterを眺めていたが、ふと気づく。

このバスは御茶ノ水のあたりでルートが分かれるらしい。

知らなかった。


バスは秋葉原からそっぽを向いて、神保町を通過していた。

まずい。目的地から離れていってしまう。

目的地から離れてしまうということは、歩かなければならないということなのだ。

歩かなければならないということは、体力を使ってしまうということなのだ。

体力を使ってしまうということは、遊びの余力が減るということなのだ。

せっかく秋葉原までバスに乗って、210円払って、わざわざ遠回りまでしたのに、

着いたら遊ぶ気力が残り少ないなんていうのは悲しいことなのだ。


ああ、降りよう。降りなければ。

降車ボタンを押す。ピンポーン。

いつもの音が何か憎たらしい。はよ降ろせ。


次のバス停までは5分ほどだった。いや、5分もかかっていないかも。

しかしその間、自分の頭の中は『ダイ・ハード』のように、

バスの窓をぶち破って御茶ノ水に降り立つことばかり考えていた。

まあ、事実になるわけないんだけど。


「窓をぶち破って外に出た」その後のことにまで妄想が及ばないうちに、

バスは停まってしまった。

なんだよ、もう少しで華麗なアクションをお見せ出来たのに。

そして僕は、神保町のビルの間、小さなすき間に降り立った。


地球の上を回る衛星から見れば、都心はどこだってすき間なのだ。

いや、実際は普通の道路沿いなんだけど。


御茶ノ水に近い神保町は、思っていたよりも新しい街だった。

神保町といえば古書店。古書店といえば神保町。

古書といえば太宰治の初版本なのである。

そんなことはいいとして、神保町はビルだらけなのだ。

古書店の街でも、やっぱりビルのすき間に自分はいるのだ。


ま、そんなことはどうでもいいんだけど。

秋葉原に向かおう。

御茶ノ水にさえ行ってしまえば、あとの道は分かっている。

御茶ノ水までの道も、今通ってきたばかりなのだから分かっているに決まっている。

あまり僕を見くびるなよ。


歩きだしてすぐ、飯屋をちらほら見かけた。

そういえば昼だが、まだお腹は空いていない。

し、御茶ノ水と秋葉原にウマい飯屋をいっぱい知っている。

ここで気まぐれに食べるのもいいが、空いたお腹は大事に取っておこう。

飯屋はメシヤ、救世主なのだから。


坂を上れば御茶ノ水である。

御茶ノ水は三方が坂で構成されている。

秋葉原へ行くのにも坂を下ることになる。

水道橋へ行くにも坂を下ることになる。

高台だから、地価も高かっただろうな。


御茶ノ水には1年間お世話になっていた。

高校卒業から大学入学までの1年間、

あるはずのない謎の空白の1年間を御茶ノ水で過ごしたのである。

その頃の僕は、移動販売車・とんかつ屋・博多ラーメンを楽しみに生きていたのだ。


…………。


本当は後半はほとんど行ってなかったんだけど……。

ま、まあいい。受かったし。昔のことだし。


まあ、その後半行かなかった建物の方は通らなくていい。

御茶ノ水にはちょこんと触れるだけで、あとは坂を下って秋葉原なのだ。

となると坂を上り下りせずに回り込む道もあるんだろうが、

僕は坂にも優しい男なのだ。坂に2回チャンスを与えているのだ。


通りのリンガーハットの下に、件のとんかつ屋がある。

早い……かは置いておいて、安いし旨いし、何より。

そう、何より、ご飯と味噌汁とキャベツがおかわり自由なのだ。

チキンカツとヒレカツでご飯を3杯、味噌汁を2杯、キャベツを2盛りいくのだ。

少食な自分でも、やっぱり揚げたてのカツを食えばご飯が進む。

昔、美味しくてこの店のことを調べたところ、リンガーハットの系列店らしかった。

そうそう、ここは昼は並ばないとランチを食べられなかったな……。


色々と想いが巡る。巡ったけど今回は食べません。

秋葉原でじゃんがらでも食べようと思っているので。


好きな場所で外食できるというのは、子供時代にはない楽しみな時間だ。

今回のレースに勝ったのはじゃんがらだった。

トンカツほどの実力者でも、負ける時は負けるのだ。

まこと、勝負というのは儚いものだ。

そんなことを考えているだけで、すぐに秋葉原へ下る坂に行き当たってしまうのだ。


御茶ノ水から秋葉原へ下る坂には、ホテルと飯屋がちょっとずつある。

僕は優しいので、それらにも一瞥をくれてやるのだ。

彼らが欲しがってたからさ、一瞥。


坂を下りきるだけでもう秋葉原のへりだ。

道を進めばゲーセンとオタクグッズの中古販売店があるはずだ。

もうちょっと進めば、セガもタイステもソフマップもオノデンもあるはずだ。

そうそう、ツクモとかスーパーポテトに寄ってもいいな。


僕はゼロ年代のオタクに思いを馳せ、秋葉原に寄って秋葉原に酔っているのだ。


じゃあ、行きましょうか、その。秋葉原。

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