旅立ちの車窓から
曹灰海空
掌編小説『旅立ちの車窓から』
まどろみの中、心地よい音に包まれていた。
体はぽかぽかと暖かく、身体に伝わる規則正しい揺れがとても気持ちいい。
誰かが私を起こすために寝床を揺らしているのだろうか。
それにしてはちょっと揺らす時間が長い気もするけれど、この心地良いまどろみをまだ手放したくない私はそのまま揺れに身をゆだね続けることにする。
……。
…………。
………………。
さっきから結構時間がたったはずなのに、私を包む揺れと音はまだ収まらない。
さすがにちょっと長すぎるかも……。
徐々に覚醒してくる意識の中、うっすらと目を開けてみる。
(あれ、私……)
そこは見慣れた白い天井ではなく、そもそも私は横になってすらいなかったようで。
(ああ、そうだった)
ようやくはっきりとしてきた頭で私は自身の状況を思い出す。
一定間隔でリズムを刻む音、背中とお尻から伝わる揺れ、あたたかい陽が差し込む窓からの景色――感じるすべてが初めてのここは。
(……汽車。私、ずっと夢に見てた汽車に乗ってるんだ)
そう、今日は一生の中できっと特別になる私が初めて旅に出た日――きっと何かが始まる日。
昨日は色々あって一睡もできなかったから、汽車の心地よい揺れでついうとうとしてしまったのだろう。
軽く伸びをして、膝の上に置いたままだった大切な帽子を横に置く。
名も知らないあの友人がプレゼントしてくれた黄色い花飾りをつけた帽子は、旅用に仕立てた服とよく似合いお気に入りだ。
なにより、あの友人から貰ったものは思い入れも価値も一味違う。
(今いる場所、あの人がいる場所に近いのかな? それともまだまだ遠い?)
そんなことを考え、車窓から外に目を向ける。
暖かい光の中、ゆったりと流れていく景色は果てが見えない花畑とどこまでも続く雲のない青空で。
なんとなく例の帽子についている花と同じものを探してみるのだけど。
(……ない、か。そりゃそうだよね)
同じ様な花は見えず、むしろ私はほっとする。
目的地未定で目的だけが存在する私の旅はついさっき始まったばかりなのだ。
こんな早くから終点に近づいてしまっては面白くない。
「帽子がヒント、わたしを探して会いに来て、か……」
あと一歩踏み出す勇気がなかった私の背中を押してくれた、顔を知らない友人の手紙の一文を呟いてみる。
(そういえば、最初はどこに向かうか決めてなかったな……)
汽車に乗る前はとりあえず終着駅までと思っていたけれど、こうして流れていく景色を見ていると色々な駅で降りる方が楽しいかもしれない。
そんなことを考えていると、どこかの駅についたのか窓の外の景色はゆっくりと止まっていく。
(……よし!)
思い切った私は席を立つと、車両から降りるため出口へと向かう。
「ご乗車お疲れさまでした。お嬢さんはここでの下車で問題ないですか?」
「はい。目的しかない自由な旅なので」
「そうですか。素敵な世界と出会えると良いですね」
そう言って微笑む翼の生えた車掌さんの優しい声に私は笑顔でこう返す。
「友人に言われたんですよ、わたしを探してって」
「なるほど。物を持ち込める人は少ない――お嬢さんはその大切な帽子の元の持ち主を探しに行くわけですね」
「はい、とても思い入れがあるんです。外に出れなかった私には」
「これは申し訳ありません。貴方に嫌なことを思い出させてしまいましたか」
「いえ、あの事も私の旅路の一部ですから。人生は最大の冒険旅行だって友人に言われてそう思ったんです」
「ふふっ、お嬢さんは恵まれていますね。ここだけの話、途中下車出来る人は珍しいんですよ?」
と、そんな会話をしていると、汽車の長い汽笛が耳に入ってくる。
「さて、発車の時間です。お嬢さんもそろそろ降りて行かないと。きっと旅は長いですよ?」
「はい。その……ありがとうございます!」
車掌さんの温かい言葉を受け、私の心は再び高鳴る。
そして、その高鳴りのまま私は汽車から降りる一歩を勢い良く踏み出した。
旅立ちの車窓から 曹灰海空 @SSLabradorite
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