グリッドワセダ
赤坂大納言
恋と勇気と覚悟
深夜も深夜、日付を越えようとしている。
平日の夜はやはり静けさが際立っていた。
シンジロウには今この世界には二人しかいない気すらしている。
ここは箱根山。
山手線内で最も標高の高い山だが、実態はほとんど丘である。
しかし、意外にも開けた夜空、遠くに少し見える新宿の輝きと、それが山であると不意に認識させられる魅力があった。
アンヌは案外乙女チックで、サバサバしているイメージだが実際は少女漫画の結構な愛読者である。
つまるところ、箱根山の綺麗さに十分魅了されていた。
「おお!すごい、なんかすごい!!!」
「アンヌ、語彙力が死んでるよ」
「だってほら、夜空!星は少ないけど月が綺麗」
天を仰ぐアンヌの首筋に、シンジロウはドキッとする。
「別に穴場ってわけでもないんだけど、お気に入りの場所なんだ」
「良いところ知ってんじゃん。うわ新宿も見えるね」
アンヌはしばらくはしゃいでいた。
シンジロウは、アンヌのこういうギャップに心を射抜かれていた。
「今日は疲れたけど楽しかった」
「そう言っていただけて何よりです」
「というかデートとか人生初だったかも」
「で、デート!?」
思わず頭に血が上っていく。
「あれ、違うの。わたしそういうのわかんないんだよね」
「デート、の、つもりでした......」
つい声が失速してしまう。
顔を上げてみると、アンヌは満面の笑みだった。超可愛い。笑った乙女は世界で一番強い。
「だよね!」
あぁしばらく目を合わせられないな、とシンジロウは思う。
「それで、今日は言いたいことあるって言ってたけど、何かな」
「え゛!?!?」
そうだった。無意識忘れようとしていた自分がいる。もう頭の中がぐちゃぐちゃになってしまっている。この人は本当に僕を翻弄するのが上手い。その有り余る余裕を分けて欲しい。しかし今日はもう逃げられない。逃げてはいけない。今夜こそ、思いを伝える最大にして最後のチャンスなのだ。
「ただのお出かけじゃないんだよね」
「あ、はい......」
しばらくごにょごにょしていたが、これはいかん、ここで言わねば!と急に覚悟がきまった。
「いや、そのさ、なんというか、アンヌさんのことがさ......」
「アンヌ、さん?」
「あ、いや、アンヌ、のことが、その、好き、です......!」
言った!僕は言ったぞ、偉い!と思ってアンヌの方を見ると、彼女はまだ何かを待っている表情をしている。
え、なに、何が足りないというんだ。あ!
「僕と、お付き合いしていただけませんか!」
つい力んで結構声を張ってしまった。
目をつぶって手を差し出してると、ひんやり冷たく細い手が僕の手を握った。
「よろしくお願いします」
「ヴぇ?」
変な声が出てしまった。
頭の処理が追いつかなかった。
もしかして今、俺は交際の申請を通してもらえたのだろうか。通ってしまったのだろうか。通させて頂けたのでしょうか。
「それはつまり、お付き合いできるという?」
彼女は満面の笑みで頷く。
「なんだって......」
ああ!やばい!!!何だこの感情!!!
気がつくと僕は絶叫していた。近所迷惑かもしれない。近くを通った人に変人と思われたかもしれない。しかし今の僕にはそんなことを構っていられる余裕はなかったのだ。
彼女はそんな僕を笑いながら見ている。
あまりにもダサく幸せな始まりだった。
それからは幾度もこの山頂に足を運んだ。デートの帰り、マックで月見バーガー買って月見したり、バ先の愚痴を聞いたり言ったり、喧嘩の仲直り、たまにはイチャついたり。
そんなある日のこと、いつものように僕とアンヌは箱根山山頂でおしゃべりしていた。
「じゃあそろそろ帰ろうか」
「あ、今日泊まっていい?明日一限だからさ」
なんと、唐突のお泊まり。しかも初めてである。
「え!それは先に言ってよ!部屋全然片してない」
「そんな固い事言わずさ、君んちの方が大学近いんだし。お願い」
「えぇぇ......」
彼女のお願いを断れないし、もちろん断りたくないし、でもまだ心の準備ができてないし。
いやなんで僕が純潔な乙女みたいなのやってるんだ。おかしいだろ、逆だろ。
「まぁ、いいけどさ......」
狼狽えていると、視界に何かが映った。
何故か無視できないその違和感に近づくと、地面に不思議な石っころが転がっている。
焦げ茶色の表面、硬く冷たい。金属感すらある。縦長で、下部には人面に酷似した箇所。
「なんだこれ」
「シンジロウ、そんなんばっちいよ」
「うん、でもほら」
「うわ普通にすごいね。結構精巧にできてる。でも気持ち悪い」
「捨てる捨てる」
僕はアンヌに促されて、その石を元の場所に置いた。
そんなこんなでうちに来たが、結果何も無かった。情けないくらいに何も無かった。夜の透明で寂しい空気が身に染みる。
しかし何も無いとはいいつつ、実は同じベッドで寝ている。だから尚更虚しさが際立つのだが、今の僕にはこれが限界だった。
なんと幸せな時空であるか。綺麗な寝顔で綺麗な寝息をたてている僕の彼女。しかも目の前で、である。
二人は身体を向け合い、一方は明日に備え熟睡、一方は緊張と幸福で目をかっぴらいている。
緊張に疲れ、男は次第にうつらうつらし始め、ゆっくり眠りに入った。
枕元には何故かあの人面石がある。
シンジロウは目が覚めると、箱根山の山頂にいた。
何故?いつ来た?どうやって?夢か?
戸惑っていると、目の前に何者かが立っているのに気づいた。
すごく異様な出で立ちの「彼」はまるでシンジロウを待っていたような雰囲気であった。
「あの、アナタは誰ですか」
「私の名はグリッドワセダ。古来よりこのクニの守護を目的としている」
凹凸がなく体毛のない体躯、有機的でもあり無機質でもある不思議な質感、存在の全てが現実離れしていた。
その謎の圧倒感でシンジロウは疑う余地を奪われていた。
「今このクニに危機が迫っている。君の力が必要だ」
「君の力って、僕は普通の人間ですし、そもそもなんで僕なんです?」
「君は選ばれた。いや君が選んだのだ」
「それってどういう」
「許してくれ」
そう言ってグリッドワセダなる者は右手をかざす。手のひらから強い光が発せられ、シンジロウとグリッドワセダを包み込んだ。
あの日、目を覚ますとシンジロウはいなくなっていた。買い物でも行ったのかな、そう思いしばらく部屋にいたが、ついに彼は帰らなかった。ベッドの温もりが徐々に冷めていくのが、無性に怖くて仕方がなかった。それ以降、シンジロウは学校にすら姿を現さなくなった。私は泣いた。
「おうアンヌ」
「ケンジおはよう」
「あれ、シンジロウは?最近見ねぇよな」
「あ、うん」
私はシンジロウの話題が苦手になっていた。私が一番知りたいことを平然と皆聞いてくる。でもそれは当然だった。何故なら皆に私がシンジロウを好きだったことを相談していたから。そして付き合えたから。最高の時間を一緒に過ごせたから。皆それを知っているから私に聞いてくる。
ここ一週間会えてすらいない。理由も分からない。正直絶望的な気分だ。
でもおかしいことなのだが、何故かシンジロウを時たますぐそばに感じることがあった。視線を感じたり、そばを通った気がしたり。だから尚更寂しさや悲しさが増す。
触れられそうな気がするのに、見えそうな気がするのに、手をつなげそうな気がするのに、どれ一つ叶わないことがわかる。
それが二週間続いたある日のこと。
「おっすアンヌちゃん」
「アンヌ、おっはー」
「ケンジ、アヤカおはよー」
「ねぇ聞いた、例の動く震源の話」
「あ、俺それ昨日Twitterで見たわ」
「私それ知らない」
「結構面白いよ、眉唾ものとも言われてるけど、あたしは信じる」
「俺もなんか怪獣映画みたいでちょっとワクワクする」
携帯の画面をアヤカが見せてくれた。そこにはここ一週間で観測された太平洋の海底地震が日本に向かって移動しているように見えるという旨の発表が気象庁公式アカウントで流されていた。
「え、これもうほぼ公式発表じゃん」
「ほぼっていうか公式なのよ」
「まじワクワクしね?」
「お前不謹慎製氷機かよ、氷らしく黙れよ」
「えぇ......すまん......」
私はなんだか胸騒ぎがした。
何かに対する漠然とした不安。シンジロウに対して?そうかもしれない。既にもう会えていないのに、更に遠くに行ってしまうような。
そしてその日がやってきた。
いつものように私は大学で講義を受けていた。ケンジもアヤカも一緒だ。
突然教室の外が騒がしさを増した。それもただ事ではないことが容易にわかるレベルの騒々しさだった。
「怪獣だ!!!」
「化け物だ!」
「逃げろ」
携帯を見るとニュース速報として、信じられない映像が流れている。
ー新宿区渋谷区港区の方は直ちに避難を......
巨大な生き物が東京を蹂躙しているのだ。
当然隣のアヤカケンジもそれを見ていた。
「え、これ新宿駅じゃん」
「映画か?フェイク映像とか」
「でも外の騒ぎってさ」
点と点が結ばれ、本能が危機を叫ぶ。
気がつくと三人は外へ駆け出していた。既に教室内は軽いパニック状態で、教壇にいた先生も状況を詳しく分からないで困り果てていた。
遠くで爆発音がする。
SNSには政府から緊急避難を促すメッセージが滝のように流れている。
恐ろしい獣のような叫び声が聞こえる。
微かに一定のリズムで地面が揺れ、小刻みに窓ガラスが震えている。
そうだ、足音だ。
今までに聞いたことがない、聞くはずがない、聞いてはいけない規模の足跡。
誰もが恐怖に静まり返る。
ついに私たちは目撃した。
ビルから顔を出した巨大な獣の顔を。
その瞬間矮小な二足歩行たちは叫び声をあげて、情けない姿を晒しながら唐突に散開、走り出した。
私とケンジアヤカも同様に駆けたが、私は一人、足を途中で止めてしまった。
「おいアンヌ何やってんだ!」
「ふざけてる場合じゃないでしょ!!!」
しかし、私にはその言葉に耳を傾けている余裕はなかった。
逃げ惑う群衆の中、私の視線の先、そこにはシンジロウが佇んでいたのだ。
最後に会ったあの時の姿のままの彼が、ただじっと暴れ狂う怪獣をじっと見つめている。
居てもたってもいられない私が彼の元へ駆け寄ろうとしたその瞬間、ふいにシンジロウがこっちを見た。
こんなにはっきり見つめあったのはいつぶりだろうか。
彼は口を開いた。聞こえなかったが、聞こえた。
「動かないで」
私は動くことを忘れた。
彼は少し悲しそうな顔をして怪獣を見つめた。何を考えているのか全く分からないけど、多分私の常識ではきっとわかってあげられないことは確かだった。
シンジロウは覚悟を決め、箱根山で捨てたはずのあの人面石を天高く掲げた。
目から眩い光が放たれ、一瞬にしてシンジロウの身体を包む。
気がつくと、そこにはもう誰もいなかった。
怪獣は一心不乱に、ヒトが作り上げたものを破壊し続けている。その憎悪の由来は、現代人には知る機会はない。
建物の高い低いは関係ない。存在しているから壊す。生きているから踏み潰す。
突如目の前に天から光の柱が降りてくる。その中から姿を現したのは、グリッドワセダ。光の化身。ヤマト、クニの守護者。太古の昔より復活した伝説にすら載っていない神。現代の若者の愛の力を借りて、たった今再び現界したのだ。
その強力な拳は山を砕き、激しい蹴りは海を割く。
早速二つの巨影はぶつかり合った。
グリッドワセダが怪獣を投げ飛ばす。怪獣が尻尾でグリッドワセダを吹き飛ばす。一進一退、両者の力関係はほぼ互角。しかしグリッドワセダのパワーとスタミナは伊達ではない。守るものと壊すものの意志の強さも違う。グリッドワセダの拳は強さを増し、怪獣の内部へ相当なダメージを残す。
徐々に怪獣は怒りから恐怖に支配され始める。グリッドワセダに、というよりグリッドワセダの中で一緒に戦っているヒトの怒りが打たれた場所から染み込んでくるのだ。喰らったダメージに一瞬怯んでしまったが最後、天と地からエネルギーを受け取ったグリッドワセダの必殺光線が怪獣を捉える。
天文学的数字の熱量を一身に受けた怪獣は爆発四散、完全に生命を絶たれた。
グリッドワセダが振り返ると、そこには一人の乙女がいた。アンヌというヒトの女である。二人はしばし見つめ合い、頷いた。何かを分かり合えたのかもしれないし、分かったフリなのかもしれないが、通じるものは確かにあったのだろう。
グリッドワセダは一瞬のうちに大空を舞って消えた。
アンヌはただ光の消えた先をじっと見ていた。
グリッドワセダ 赤坂大納言 @amuro78axis
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