7:ねぇ花田

 大きく上下に動く、花田の喉元。言葉を選ぶような彼の表情を見ていると、なぜだかこちらが泣きたくなる。


「俺が無神経で……ひどいこと言った」


 そう言う花田の方が、酷いことを言われたような顔をしている。詳しい事情はわからないが、好きな人と喧嘩をしてしまったのだろうか。


「その子は一瞬だけ、めちゃくちゃ傷ついた顔してて。泣かれる覚悟もしとったんだけど」

「うん」

「すぐに俺の方見て、傷ついてなんかないって顔で……笑っただけだった」

「……そっか」

「その子にとっての嫌な記憶を、思い出させていいんか迷って……結局ずっと、謝れてない」


 わたしにこんな話をしてくれるのだから、花田の意思は、おそらくすでに固まっている。


「花田はどうしたいん?」

「謝りたい」

「うむ。それでこそ花田です」


 大丈夫だよ。花田が好きになった人なら謝れば許してくれるよ。反省してるって、わたしでもわかるんだから。

 それにその人、花田のこと大好きだと思うよ。泣いた顔なんかより、笑った顔を見てほしかったんだよ。好きな人にはできるだけ可愛いところを見てほしいから、頑張ったんだよ。だから心配することなんてない。

 ――早くその子のところに、行っておいで。


「江藤」

「うん」

「一年前頑張って告白してくれたのに、ひどいこと言ってごめん」


 ――うん?


「……ごめん、なんの話してたっけ?」

「だから、一年前――」

「そうじゃなくて。ん? 今話してたのって、花田の」

「俺の好きな人について、ですね」

「だよ、ね」

「うん、そうだよ」


 ……おかしい。


「おかしいよ、花田」

「なにが?」

「だって、それじゃあ」


 花田の好きな人が。


「――そうだよ」


 目の前の花田は、少しだけ困ったように笑っていて。その表情は、わたしの考えが勘違いではないと、訴えかけているようで。走ったわけでもないのに、息がしづらい。


「俺が好きなのは……江藤、です」

「う、嘘だ」

「本当です」


 信じられるはずがない。だって――


「さっき好きな人のこと、褒めまくってたじゃん」


 責任感があるとか可愛いとか、優しいとか可愛いとか。


「江藤のことだけど」

「そんな江藤、わたし知らない」

「俺が知ってるから、問題ありません」


 問題しかないよ花田。花田が幻覚を見てるかわたしが幻聴を聞いてるかのどちらかだよ。どっちにしても大問題だよ。

 それに他にも、嘘だと思う理由がある。


「わたし、チョコあげたでは、ないですか」

「チョコ?」

「花田、もらってないって言った」


 確かに言った。ちゃんと覚えている。衝撃的すぎて、忘れたくても忘れられない。花田が好きな人は、花田にチョコを渡していないはずなのだ。

 わたしが言いたいこと察したらしい花田が、すねたような顔をする。


「……本命チョコは、もらってない」


 ――本命?

 花田の思考を読むために、今朝の会話を思い出してみる。確かあの時、坂本くんは花田に……「誰のを受け取ったのか」と聞いたような気がする。……え? そういう、こと?

 理解した途端、体から力が抜ける。強く握っていたせいで、スカートがシワシワだ。

 花田は坂本くんの質問に、ただ正直に「もらってない」と答えたのだ。わたしがあげたチョコが、本命だと気付いていないから。

 じゃあ、本当に?


「……花田が、お菓子を分けてくれるのは」

「お礼言いながら食べるところが、可愛いから」

「飲んだジュース、覚えてたのは」

「何が好きなんかなぁと思って、いつも見てた」

「坂本くんが言ってた『いい感じのお菓子』って」

「キャラメル。江藤好きでしょ」

「うん、……好き」

「じゃあ後であげる」

「……わたしのこと、好きなの? 花田が?」

「身勝手なクソ野郎で申し訳ございません。……めちゃくちゃ好きです」


 ――花田がわたしを、めちゃくちゃ好き。


 ……心臓、出そう。


 こういう時、恋愛上手な人はどうやって答えるのだろうか。さっきまで花田を応援することに必死だったせいで、気の利いた一言なんて出てこない。わたしは花田に、何を伝えるべきなのか。

 そう頭を悩ませるわたしの前で、花田が言葉を続ける。


「バレンタインに江藤からチョコもらえて嬉しかったけど……義理じゃなくて、本命が欲しかったって、思ってしまいまして。友達になれただけで充分だったのに。どうしても、他と同じなのが、嫌で」


 花田、違うよ。


「もう一回好きになってもらえるように頑張るから。友達じゃなくて……男として、見てほしい」


 違うよ。間違えてるよ、花田。


「……わたし花田のこと、男の人だと思ってる」

「いや、でも江藤にとっては、俺も直斗も同じようなもんで」

「そんなことない」

「俺が言っとるのは、江藤の特別になりたいってことで。江藤が考えとるのとは、ちょっと意味が、違うような」

「そんなことない」


 どうしよう、花田が鈍感すぎる。

 わたしは机の横にかけていた鞄を急いで膝に乗せ、昼間後輩に渡せなかったチョコを取り出す。緊張で震える指で、リボンをほどいた。


「これ、食べて」

「くれるなら、後でゆっくり食べたいんだけど」

「一個でいいから今食べて。お願い」

「お、おう」


 わたしの表情から余裕のなさが伝わったのか、花田が焦ったようにこくこくと頷く。


「バレンタインの時にみんなにあげたのと、同じやつ作ってきたの」


 奥村くんが騒いでいた、例の生チョコ。義理チョコも友チョコも、全部同じハート形にした。

 ココアパウダーをまぶしたものと、ホワイトチョコでコーティングしたものがある。

 花田がホワイトチョコの方を手に取った。彼の口元に近付くチョコを、祈りながら目で追いかける。


「いただきます」


 ――ぱくり。

 花田がチョコを口の中に入れた。そのまま味わうようにゆっくりと口を動かし……「ん?」と首を傾げた。


「いや、これ……違うじゃん」

「違わないよ。前と同じように作ったもん」

「え、だって」


 花田は納得がいかないような顔をして、ココアパウダーの方を取った。今度は一口で食べず、半分だけかじる。

 チョコの断面を見た花田が、「やっぱ違う」と呟いた。


 ――ねえ、お願いだから、早く気付いて。


「ほれ。これ普通のチョコじゃん」

「そうだよ、ミルクチョコ。前と同じ」

「違うって。あの時くれたの……いちご味、だったじゃん」


 ――自分が特別だって、早く気付いて。


「花田だけだよ」


 わたしは決して、誰にでも平等な人間ではない。

 いちごミルクを飲む姿が可愛いと思う男の人は、花田だけ。

 髪に触れてみたいと思うのも、髪の隙間から見える耳の形が綺麗だなと思うのも、花田だけ。

 声を聞いただけで心臓の音が速くなるのも、喋った後に嬉しくて飛び跳ねたくなるのも、花田だけ。

 だからハートの中をピンク色に染めたのは――


「いちご味をあげたのは、花田だけ」


 いつだって花田は、わたしの平等を壊すのだ。


「花田はわたしの、特別、だから」

「…………まじ、か」


 花田の指先に、チョコをつまんだ時のココアパウダーが付いている。

 左手を伸ばして彼の指先に触れてみると、驚いたようにピクッと揺れた。けれどもその後は、指が一本ずつ、絡まっていく。

 熱くて溶けてしまいそうなのは、わたしの指か、花田の指か。


「ねぇ花田」


 花田の長い指に、少しずつ指の隙間を埋められる。その感覚が、こんなにも幸せだとは。


「今まで怖くて、言えなかったんだけど」


 あの時の『無理』がひっかかって、どうしても言えなかった。これ以上嫌われたら、立ち直れそうになかったから。

 でも花田が、勇気を出して謝ってくれたから。同じ気持ちをくれたから。わたしの手を、しっかり握ってくれるから。もう我慢しなくてもいいのなら。


「告白を断られた後も、ずっとずっと、花田のことが――」


 わたしのありったけの想いを、全部花田に、伝えたい。


「好きって言ったら……困る、かなぁ」

「それ、は」


 繋いだ手に、思わず力が入る。


「ちょっと、困る」


 絞り出したような花田の言葉が、わたしの鼓膜こまくを揺らすけど。それがわたしを突き放すものではないと、わかっている。

 だってそんな顔、初めて見たよ。顔も耳も首筋も、絵にいたみたいに真っ赤だよ。多分わたしも、同じだけど。


「……江藤が可愛すぎて、困る」


 大きな手で口元を覆う花田が、愛おしくて堪らない。

 恥ずかしいくせに、わたしと繋いだ方の手は離さないから、困ると言われても止められない。


「好き、大好き。花田が大好き」

「ちょ、ちょい待ち。まじで、余裕ないんだって」

「嫌なん?」

「嫌じゃない、それだけはない。……嬉しすぎて、困ると言いますか。色々と、大変なんです」

「ふーん」

「江藤が悪い顔しとる」

「わかりますか。さすがわたしが大好きな花田ですね」

「……可愛くて死ぬ」

「ふふっ」

「笑うな」


 わたしだって、花田が「可愛い」って言う度に心臓破裂しそうだよ。そんな言葉知ってたの? って驚いてるよ。


 わたしと花田は友達なんだって、さっきまで思ってた。意地だけで、そう思ってた。だから余裕なんて、全然ないよ。


 でもさ、ずっと我慢してたから。見てるだけで何も伝えられなかったから。

 いくら好きって言ったって、足りないんだよ。


 だからね、恥ずかしいと思うんだけど――



「大好きな花田なんて、困ってしまえ」



fin

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ねぇ花田。好きって言ったら、困る? 杏野 いま @annoima

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